『20世紀末デカメロン』序章 1

本丸:なぜ『デカメロン』なのか?

1998.4.28

そしてなぜ、それが、“fight professionally series”なのか?

 特に発言の記録はないが、時は1996年秋、NHK関係者を中心とする「放送を語る会」の席上、つまりは放送関係者、メディア研究者、メディアに批判的な市民の集いの席上で、私は、いわゆる「木を見て森を見ざる」堂々巡りの議論に退屈し果て、ついつい、要約つぎのような本音を率直に語ってしまった。

 「湾岸戦争カンプチアPKO出兵、今はゴラン高原出兵なのに、ほとんど何の運動も起きない。現代の世界の核心的な真相を見抜かずに、メディアが真実を伝えていないなどと批判してみても、何の役にも立たないのではないか」

 ここで私が特に「現代の世界の核心的な真相」と言ったのは、他ならぬ本基地の冒頭、“think globally sireis”の中心テーマ、「ガス室」謀略のことである。

 国際ゼネコン利権目当てに日本軍が、「偽」イスラエルの違法占領地帯の外側を守りに出兵しているという事態なのに、ノホホンとして、日本経済の国際侵略をも、イスラエルの歴史をも知ろうともしない自称平和主義者、日本「村」文化人とは一体、何なのか?

 この結構暮らし向きは良さそうでいて、この問題に関する限りなのかもしれないが、個性のない「ノッペラボウ」お化けのような人々への薄気味悪い想いが込み上げてきて、ついつい、きつい意見を述べてしまったのだが、案の定、列席の皆は、呆気に取られたような顔付きだった。私も、それ以上の無理な追及はしなかったが、皆が大体、その程度の認識状況なのである。世間が騒がないことは存在しない。本基地の冒頭、「総合はしがき」(2020.5.12訂正)「メディア批判:世界革命宣言」で紹介した『意識産業』の、そのまた真っ直中にいる人々が、実は、最も「意識」コントロールされているのである。

 なぜ私が“fight professionally”を提唱した1996年秋かと言えば、それに先立つ同年夏の事件があったからである。

 私に「意趣返し」の非難をしたい人は勝手にするがいい。「蟹は自分の甲羅に合わせて穴を掘る」のであるから、何と言われようと、私は気にしない。

 私は、自分自身の体験を大事にして、その底辺から世界を考え直すことにしているのだが、このところ痛感しているのは、一言で言えば「徹底的な言論の自由の重要性」である。おかしなことに対して、すぐに批判をしにくい風土、それこそが、いうところの「村社会」である。ところが、「都会」も「都会」、東京のド真ん中の、それも社会の最先端を行くと自他ともに認めるマスコミ業界やアカデミー業界や、「科学的」などと自称する政治屋業界などが、実は、実に実に陰湿な「村社会」の典型なのである。

 湾岸戦争後に私が加盟した日本ジャーナリスト会議(JCJ)は、毎年8月15日の敗戦記念日に集会を開いていた。私は、JCJの集会で常に著書を販売していた。1995年6月26日発行の『アウシュヴィッツの争点』も、それまでに開かれた数回の集会で販売していた。ところが、1年以上を経た8月15日の集会では「あれは遠慮してくれ」と言われたのである。

 その経過を要約増補したのが、以下、『歴史見直しジャーナル』(98.4.25. 16号)記事からの抜粋である。

外国禁の書を恐れて、何の言論の自由ぞや

 戦前の日本の「国禁の書」『共産党宣言』を、従妹でのち妻の献身的な手書き写本で読んだことを自慢の種にしていた野坂参三が、自分の延命のために「同志」の一人をスターリンの毒牙に引き渡していた事実が明らかになったのは4年前のこと。それかあらぬか、「国禁」どころか「外国禁」でしかない「ガス室否定論」に関して、名誉議長の野坂を除名した日本共産党は言論弾圧をする。「赤旗支部」が実質的拒否権を握る日本ジャーナリスト会議(JCJ)の集会で拙著『アウシュヴィッツの争点』の販売を禁止され、直ちに脱会して以来2年、このほど公開論争を通告した。

 「言論の自由」を誇号する組織が、商業流通機構でさえ拒否しない会員執筆、会員編集・出版の本の販売を、会員同士の直接論争すらせずに、「会員から苦情が出た」「事務局で決めた」(後者の事実はなかった)と称して販売禁止。これがスターリンの国でもなく、チャウシェスクの国でもなく、ただただ彼らの正体を見抜くのが、いつものように遅く、国際提携の馬鹿騒ぎを謝りもしない「左」指導者、文芸評論家こと宮本顕治が長年支配してきた日本「村」社会での出来事である。

「権力の司祭」とは何か?

 そこで再び、なぜ今、『デカメロン』なのか?

 今、西暦1998年という時期、折しも、スターリニズム倒れ、資本主義も末期症状を呈し、その廃墟の上にこそ新しい地平を切り開くべき前人未踏の歴史的画期に直面しつつある今、空虚かつ無責任な「われわれが」ではなくて、私自身が、総力を挙げて真相を暴露し、批判し尽くしなければならない「愚民支配の機構とその担い手」は、いったい、何なのか? そして誰なのか?

 ヨーロッパ中世は、江戸時代と同様に、決して暗黒時代ではなかった。封建制度下の農工商業発展の土台の上にこそ、近世ルネッサンスの華が咲き誇り得たのである。

 その萌芽期を象徴する文芸作品が、ジョッバンニ・ボッカッチョ(1313~1375)の短編小説集『デカメロン』である。

 この作品を「中世の教会と封建制度を嘲笑する新興ブルジョワジーの勝利の記録」(平凡社『世界大百科事典』)などとする評価は、たしかに後年のものではあるが、その雑多なテーマのハイライトをなす「騎士」や「聖職者」の「堕落ぶり」と、それを面白おかしく赤裸々に描き出した小説手法には、十二分に、「神聖を冒涜する不敬の書としてローマ教皇庁の禁書目録に加えられ」るに値する危険が満ち溢れていた。

 特に「聖職者」の「堕落ぶり」の暴露は、中世権力機構の堤防に開いた蟻の穴であった。もともとはローマ帝国の圧制と戦い、国教となって以後も生真面目な僧侶を含む普遍救済の職業であったからこそ、「聖職者」は、民衆の反抗心を押さえ込む「意識産業」の役割を果たすことができたのである。

 この歴史の対話的発展が、今、どのような段階に達しているのだろうか?

 私は、今、「権力の司祭」(松本清張)などと評しては、官僚機構批判を飯の種にしてきた「マスコミ業界」そのもの、その提携者たる「アカデミー業界」そのもの、しかもその内の特に「自称」「左」「市民派」、自称「革新政党」ををこそ、20世紀末の「聖職者」として位置付け、その真相の暴露、批判に全力を傾けることを宣言するのである。

 こういう宣言をすると、「裏切り」などと言う慌て者が出るだろう。これも言いたいだけ言わせて置く。

 私が、中国からの引き揚げの途中で、学校が休みなのを幸いにして国民学校三年生だったころに読みふけったルビ付きの大人の本、吉川英次郎の『三国史』の中には、「泣いて馬謖を斬る」という挿話があった。別の表現を求めれば、「獅子身中の虫」を駆逐する勇気なしには、戦いの勝利は望めない。同じことを『孫子』でも強調している。

 私自身は長期争議の中で、(決して私が言い出しっぺではないが)「敵と戦うのは簡単だ。味方と戦う方がずっと難しい」という主旨の内輪の経験談に耳を傾け、深く頷く争議団員が実に多かったという情景を胸に刻んでいる。

 「獅子身中の虫」は少し威張り過ぎの感じだが、英語にも次の裏表二つの諺がある。


2の丸:現代の「聖職者」マスコミ業者の実態

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