神戸少年事件(1997年神戸連続児童殺傷事件)寃罪の構造

1999.10.29 WEB雑誌『憎まれ愚痴』掲載

寃罪の構造的解明

1999.9.18.あぷゅいえ講演会


 私は発達心理学専攻なので、甲山事件で知的障害児の証言をどう受け取るかということが問題になったため、特別弁護人として関わり、それがきっかけで10件あまりの寃罪事件に関わりをもっている。

 甲山事件は1974年に起こり、1978年に裁判が始まった。9月29日に第二次控訴審判決が出る予定だ。

自白について

 寃罪にはほとんど自白がある。虚偽自白であるのに、裁判所がその自白が虚偽であることを納得しない。拷問が行われておらず、本人は重大な刑罰があることを知りながら自白しているのだから、信じていいという常識があるためだ。この常識は、取調の場というものの特殊性を見逃している。それは普段の生活ではなかなか気づきにくいものだからだ。

自白に追い込まれる状況は事件により異なる。

自白の一般論(常識との違い)(略)

狭山第一審判例(資料P5)(略)

元検事の見解(p1)(略)

 山田悦子さんは、逮捕から10日目で事件の概略を述べた。肉体的拷問がなかったことは本人が語っている。

 では、よほどの強圧があったのか?

 ということになる。この場合の、自白せざるを得なくなるような強圧というのは、どういうものなのかが、一般には理解されていない。

天秤の比喩の問題点

《自白して刑罰を受けることと、自白しないで拘留・取調を受け続けること(拷問がないとして)を天秤にかける》という天秤のイメージは、拘留と取調を受けている無実の人の状況を示すものとしては、不適切である。この比喩に従うと、刑罰のほうが重いのは自明であり、それでもなおかつ自白するのは、真犯人だからだろうという思ってしまう。しかし、この天秤ににかけられているものがどういうものか、という点には、我々の想像力が及んでいない。

1) 取調官の圧力は非常につよい。人は自分の力で生きていると思っているが、じつは、日常、身近な人とのごくささいなコミュニケーションに支えられて生きているものだ。たった一人になると、どれだけ心もとない存在であるか。学生運動のときの12~3日の拘留の経験で、そのことがわかった。日常生活から遮断されていることは大きい。いつ出られるかということが最大の関心事になってしまう。

2) 代用監獄は、明治末に、当時は拘置所が不足だったことから生まれた便宜的措置。例外条項だった。それが、今になっても残っている。警察は深夜でも取調ができる。今では、身柄管理と取調の係をべつにするというような改善をしたというが、実態はわからない。

 スタンフォード大学で模擬刑務所の実験が行われたことがある。現在では、こんな実験は、心理学実験倫理綱領があるので実施不可能だ。大学生に高額の手当で被験者募集する。「そこで寝ていればいい」などと言って勧誘し、心理的に不安定な者は除外して、20人を選ぶ。半数を看守役、半数を囚人役にする。おそらく警察の協力を得たのだろうが、本物の警官が本物のパトカーで早朝に突然、囚人役の学生の住居に行き、逮捕して連行し、大学地下に作った模擬刑務所に入れる。

 囚人には個人としての特性を出させないようにする。頭にはストッキングを被せ、囚人服を着せ、名前でなく番号で呼ぶ。排泄・食事などは看守が管理する。決められた生活通りにさせ、逆らうと、強制する。暴力以外は何をしてもいいので、言葉でいろいろ言う。

 囚人は1日目には平気だが、次第に反抗的になる。看守も口汚くなっていく。普段はそうでない人が、看守らしくなっていく。

 囚人は、2日目から、発熱、発疹を呈する。とうとう、所期の1週間に達しないうちに、実験を中止せざるを得なくなった。うそだとわかっている心理学の実験でも、これだけの影響が出るのだ。

3) 警察は、被疑者を「無罪の可能性のある人」としては扱わない。

 英国では、インタビューの心理学ということが言われている。英国では、尋問ではなくインタビュー(面接)であるという認識があり、それを守らせるようにする運動が力をもっているので、実態はともかくとして、訓練の様子では、情報収集に徹している。取調官は立ってはならない(=被疑者を見下ろしてはならない)。同じ目の高さで話す。うろうろしてはならない。取調の様子はすべて録音を取る。

 ところが、日本では、情報収集ではなく、謝罪の追及である。謝らせることが狙いだ。

 童話の再話でも、赤頭巾の狼はドイツの原話では殺されるのに、日本では謝ってすむことになっている。

 日本では警察官は被疑者を罵倒する。長時間罵倒され続けるという経験は、普通の人にはない。5分間でもそうとうに長いもので、そういう経験をした人はなかなかいないだろう。

4) かんじんの犯罪以外のことをつつかれる。これも謝罪追及とつながりがある。

 房に帰ると、よせばいいのに、自分の人生を振り返ったりしてしまい、そこでついいやなことが思い浮かぶ。

 甲山事件では、3月17日に、みつ子ちゃんという園児が夕食にこなかった。その日、山田さんは宿直だったので、みつ子ちゃんの行方不明も自分がしっかりしていれば防げたのでは、という思いがあった。次に19日に、悟君が行方不明になったとき、山田さんは、みつ子ちゃんのことが頭に残っていたのが心の負担になった。これで1カ月後の4月17日に自白するが、そのとき、刑事に「みつ子ちゃんの月命日」だと言われた。浄化槽の中で死んでいたこともショックだった。

5) 黙秘権があるといっても、無実の人間が黙秘するのはむずかしい。

 無実だと、捜査官に対して弁明したいと思うもので、そのとき「わかってほしい」という気持になるのが危険。対決の姿勢になれないのが弱点になる。相手は弁解は決して聴かないので、無力感に襲われる。客観的アリバイでも出ないかぎり、だめだ。

 私の考えでは、司法修習には、模擬留置経験を含めるといい。

6) 時間の長さ。23日間(別件をつければ、さらに23日伸ばせる)というのは、長い。耐えられる心理的限度を越えている。欧米では拘留は2日程度である。

7) 相手に敵対しきれないから落ちる。

 ブルーノ・ベッテルハイムの『鍛えられた心』によると、第2次大戦のナチスの収容所で精神的に崩れなかった人は、ゲシュタポを敵と思うことができた人で、そういう人は自分を保てる。ゲシュタポも社会にとっては有用なのではないかと思った人は落ちる。言ったらわかってもらえると思ったら、だめ。「あなたのしていることは正しいが、私を捕えるのはまちがいだ」などという考えでは負ける。

 警察は2人で調べる。きつく調べる者と、フォローする者が役割を分担している。これは故意にそう企んでいるとは限らず、心理的に自然にそういう場ができてしまうということもあるだろう。

 山田悦子さんは、ふだん自分を守る側にまわっていた捜査官の膝にすがって泣き崩れて自白した。狭山の石川さんも、関という検事と手を握り合って自白した。

 山田悦子さんは、保釈のとき記者会見で「おまわりさんには親切にしてもらえました」と言っている。

 肉体的拷問があった場合でも、警官が否認すれば、その事実は認められない。

裁判官は、自白の任意性の判断が甘い。

 身柄を押さえたうえでの自白は任意性がないと考えるべきだ。

(3) 天秤の比喩(資料)は、同時的なイメージだが、じつは、取調を受ける者の心理では、そうではない。我々はあくまで現在に生きている。苦痛は今のものであり、確実だが、刑罰は未来のことであり、不確定だ。自白してもあとで撤回すればという気持もある。

(4) 本当の犯人は、犯罪行為の記憶があるので、刑罰に現実感を感じることができるが、無実の被疑者は現実感が持てない。山田悦子さんも、自白するとき刑罰のことを全く考えていなかったと語っている。

 免田栄さんが死刑ということに現実感をもったのは、刑確定後、刑務所で死刑になる囚人を見送ったときで、そのときから数日間暴れまくった。

 つまり、天秤の比喩は、真犯人にあてはまるもので、無実の人にはあてはまらない。

自白してから犯行過程を語るまでの過程

 なぜ、やっていない人間がストーリーまで喋れるのか、という問題がある。

 捜査官がストーリーを作って吹き込むという場合をべつにするとしても、なお、被疑者には、ストーリーを語ってしまう心理がある。

 捜査官は、全くのでっちあげというのは、しにくい。捜査官は主観的には善人のつもりである。被疑者は、いったん「やった」と自白してしまうと、そう言った手前、話さないわけにはいかないので、「やったとすれば、どうしたのだろう」と考えてしまう。

 仁保事件 (山口県 1954年)の岡部さんは、正座させられるのが一番つらかったと言っている。尿を垂れ流しにさせられた。この尋問の過程を録音したテープ30本があり、暴力の場面は録音されておらず、実際の時間の1割ていどだと思われるが、その執拗さは大変だ。説教を長々とする。仏の心になれ、などと言っている。

 1955年11月11日に初めて自白した。「自白するから主任さんを呼んで欲しい」と言って自白。自白の調書は10日以上たった22日に作成が開始されている。それまでの間の自供が、でたらめな内容で、調書にすることができなかったためだ。

 岡部さんは、事件当時、大阪でクズの回収業をやって、女性と同棲していた。だから、大阪と仁保の間の往来については喋れる。仁保の地理も知っている。日にちは取調の中で聞いて知っている。6人殺した事件だとも知っている。ところが、実際の殺害の状況はまったくわからない。思いついたことを喋り、それを捜査官がイエスとノーでチェックして、供述が進められた。翌年3月に調書が完成している。

 自分のしていないことを自白してしまうというのは、精神異常ではなく、状況が異常なので、それに対して普通の反応をしているにすぎない。

 事件の周辺にいた者なら、マスコミや近隣からの情報を得ているので、喋ることができる。

 岡部さんは、ストーリーは組み立てられるが、被害者宅の現場を知らない。凶器も知らないので、「メス、かま・・・」などと変わって、最後に包丁に行き着く。

 捜査官はそれを聞いていても、変だとは気づかない。証拠を「固める」という意識しかないからだ。いったん捜査方針が決まると、変更は困難。検察内部で意見が相違すれば、反対派は捜査から外される。外された人間は、定年退職でもしない限り、真実を外部に漏らすことはしない。定年後に弁護側の証人になった例がある。

 狭山事件では、石川さんは、深さ2メートルの縦穴と、縦穴の底から3メートル程度の横穴から成るイモ穴に被害者の遺体を吊るしておいたと自白した。遺体の足首になわがからんでいたので、それを説明するため、自分で考えたストーリーだったが、判決では任意性があるとされた。ところが、被害者は体重が60キロあり、吊るすと足首に傷ができるはずだが、遺体は無傷だった。石川さんはもちろんこのことを知らないし、検察官も知らなかったか、あるいは考えていなかった。

 真犯人の供述には犯人以外の知り得ない「真実の暴露」があるものだが、逆に無実の人の供述には「無知の暴露」がある。したがって、自白調書をきちんと読めば、真犯人の語ったことか、無実の人の語ったことかが、わかる。裁判官はどうしてもこのことをわかろうとしない。

甲山事件

 あの事件で、園児の遺体がマンホールで見つかったのは、子ども同士の遊びで落下した可能性を窺わせる。

 甲山学園は職員配置不足で、そこで起こった事故なら、福祉の問題だったはずだ。1950年代に多発した国鉄列車転覆の事故(松川事件のような謀略によるケースは除く)も、労働条件や列車の老朽化のせいだとは言われず、共産党による故意のものとされた。

 みつ子ちゃんが発見されたとき、山田さんは22歳で、短大を出たばかりだったので、取り乱し、鎮静剤を打つほどだったのが目立った。マスコミの前でも大泣きに泣いたので、職員の中にも怪しんだ人がいた。園児の一人が、山田さんが悟君を連れて歩くのを見たと証言したのは、3回目の事情聴取のときで、1回目とはまったく違う内容だった。各回とも3~4時間もかけた尋問の末の証言だった。

 山田さんは、釈放のときの記者会見で、「警察官は親切だった」と語っている。そのあと、拘置中の報道を見る。

 7月19日には、山田さんは、みつ子ちゃんを探し回って、学園の外に懐中電灯をもって出ていた。駅でのビラまきなどもしていた。午後7時すぎまで西宮駅でビラまきをしたあと、新しい情報が入っていないか知るために、直帰せずに学園に戻り、事務室で園長、一緒にビラをまいた同僚をまじえ4人で話し合った。8時すぎに悟君行方不明の知らせが入った。このときのことは、園長と同僚が証言しているので、アリバイがある。

 ところが、悟君の親が山田さんを憎んでいた。釈放されるとき「あんたがやったんでしょ」という言葉を浴びせている。不起訴不当として検察審査会に再審を請求した。

 検察審査会は、権力をチェックするためには必要な存在だが、一般事件ではむしろ危険だ。審査のやり方は明記されていない。陪審のように選ばれる人たちだが、マスコミの情報が刷り込まれている。(審査会には命令権はないので検察は拒否できる)

 当時甲山学園は廃園状態で子どもたちは散り散りになっていたのを、再び事情聴取し(既に5~6回聴取を受けている)、事件から3年もあとになって、事件直後には何も言わなかった子を語らせて、互に矛盾する証言を取り繕って調書を作成した。

 マスコミは、知的障害者が係わっていることから、微妙なわかりにくい事件だというイメージを作り上げた。

無罪になったものを控訴する例は先進国にはない。

 大阪高等検察庁のトップにいる検事長で、再捜査の中心になった人物は、今年の6月に定年退職したので、9月29日の判決では控訴はしないと見られる。

自白のタイプ

1) 身代わり自白

2) 強圧の中での迎合的自白

 精神的に弱いので、そういうことになるのだが、刑訴法は、精神的に弱い人の権利も守るものでなければならない。裁判官は、任意性、拘留請求、逮捕状請求についての判断が甘い。

3)ひょっとして自分がやったのかもしれないと思う自白

 記憶に自信がなくなる。

例)大分女子短大生殺し(沓掛事件)

 被疑者(女子大生と同じアパートの隣室の住人)は、周りが事件で騒いでいるとき、酔って寝ていた。女子大生の部屋から自分の毛髪、指紋が出たと言われ、以前に喧嘩をして酒を飲んでいたので忘れていたこともあったのを警官に指摘されて、自分がやったのかもしれないと思ってしまい、自白した。

 山田悦子さんは、2と3の混合タイプと見られる。

 事件後2週間の4月7日に逮捕され、初日はきつい取調だったが、翌日には、「悦ちゃん」と呼ばれ、アリバイが出ればすぐ釈放すると言われた。「一緒に思い出しなさい」と言われた。事件当夜、事務所にいたうち45分間に関するアリバイがないと言われ、そこでしたことを17項目思いだし、それぞれの時間を合計したところ、15分の空白ができた[聴衆笑。こんなに厳密にできるものか?]。

 その15分の間に外に出て、悟君をマンホールに突き落としたのだと言われた。本人の記憶では事務所から一歩も出ていない。ところが、現場まで3分しかないので、15分以内に犯行が可能であるといわれ、トイレに行かなかったかと聞かれた。警察では、山田さんが当日生理中だったという情報も把握していた。犯罪心理学の教科書に生理中の女性は危険だとの記述がある。他の人のいるトイレは使いにくいだろうから、悟君の落ちたマンホールに近い青葉寮のトイレに行ったのだろうと言われた。そこで<事務所から出たかもしれない、トイレに行ったかもしれない>と思えてきたので、4月14日に「無意識のうちにやったかもしれない」と自白した。

 愛媛から父親が面会に来たが、警察に面会拒否された。4月17日に面会できた。娘は無実を訴えた。(弁護士の接見も15~30分と限定される。限定の根拠はない。法的には長時間の接見は可能。もともとあかの他人だった人間なので、すぐに被疑者の心理的な支えになることは困難)。警察は父親をホテルに送り、捜査官があとでその様子を悦子さんに語り、「お父さんは大きなため息をついていた。あのため息は娘がやってるかもしれないと思うためいきだ」などと言って、悦子さんを気弱にした。山田さんは、その晩、自白を始め、被疑事実は悟君の事件だけなのに、みつ子ちゃんのことまで喋った。悦子さんの罪責感の中心に、「月命日」と、汚物まみれで死んだことがあったためだ。

 自白後、父親と学園にあてて無実を訴えた遺書を書き、ブラジャーの紐で自殺を図ったが、死ねず、首にあざができた。このときの手紙を検察は、焼却処分した、中身は見ないで焼いた、と言っている。

 最初に山田保母が犯行を否認した直後に、警察は父親に関する情報を得ていた。父親は3回離婚歴があり、悦子さんは、中学時代に富山まで生母に会いに行っている。警察は、その母親のことを調べ、「あなたのお母さんは記憶喪失の状態だったことがある。あなたはその血を引いている。母親の血は濃い」と言って、悦子さんに自分の記憶に対する自信をなくさせた。

 自白の5日後、山田さんは、房に帰って、自分のしたことを思い出した。<<悟君が行方不明との知らせを受けたとき、自分は外の雑木林を懐中電灯をもって捜し回った。そんな自分がそのとき悟君をマンホールに落としたりすることがありうるか?>>と思った。

 ちょうど、接見にきた弁護士が、<検察官は「白状すれば刑は重くない」「殺人の刑期は3年から」などといって被疑者に自白してもよいと思わせるもので、そんなとき六法全書を持ってきて見せたりするものだ>と話した。すると、そのあと、ほんとうに、検察官が六法全書を持ってきて同じことを言ったので、いよいよこれは検察官の工作だとの確信をもつことができた。

 検察官は、被疑者を目の前に見ていても、その気持はわからないものである。

 法曹一元で、弁護士と検察が入れ替わるようにしたい。

[以上は、浜田氏の御承諾を得て発表しますが、あくまで講演に出席した一人である萩谷良のメモにもとづくものであり、文責は萩谷にあります。]


 以上。


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