偽ユダヤ人カザール(Khazar・ハザール)問題
2006.8.2(2018.3.29分離)
http://asyura2.com/0601/holocaust3/msg/350.html
辛口時評060802 偽ユダヤ人カザール問題の解決法(1)
焦眉の急を告げる
である。状況は複雑、悲惨であるが、その背景、真因、遠因を明らかにし、根本的な解決法を示すことなしには、解決は不可能である。これは、以下の「宣言」を実行するための連載記事の第一回である。
辛口時評060730
『偽ユダヤ人カザール問題の解決法』執筆を開始する宣言
。イスラエルは、動物にたとえれば、「はぐれ狼」、「手負いの猪」なのである。
9・11事件の直前には、イスラエルが
し、アメリカとイスラエルが、退場するという事態が起きていたのである。イスラエルの存在自体が国際的に違法、不当なのであるが、その第一は、
に始まる。http://www.jca.apc.org/~altmedka/gulfw-58.html
『湾岸報道に偽りあり』
隠された十数年来の米軍事計画に迫る
補章:ストップ・ザ・「極右」イスラエル
一九四七年国連決議パレスチナ分割地図の欠落報道
[中略]
四七年決議の票決は[中略]賛成三三、反対一三(全アラブ諸国を含む)、棄権一〇(それまでの委任統治国イギリスを含む)という結果だった。確かに過半数ではあるが、重要事項の決定では世間常識の線といえる三分の二にも達していない。
しかも、現地のパレスチナ人はもとより、利害関係の当事者であるアラブ諸国のすべてが、戦争を決意するほど強い反対の意思を表明していたのである。
次には、国連の分割決議を推進した「ホロコースト」の嘘である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/gulfw-59.html
『湾岸報道に偽りあり』
隠された十数年来の米軍事計画に迫る
補章:ストップ・ザ・「極右」イスラエル
「良心的」番組にもユダヤ・ロビー宣伝が侵入
[中略]
部屋の壁一杯の巨大な額縁に入ったポスターが映る。「パレスチナへの移住」を訴えるスローガンが書かれている。正面のデスクに座る女性が、画面のスーパー文字で「イギリス・シオニスト協会 ブレンダ・カッテン会長」と紹介される。彼女の話の断片が英語で流れ、同時通訳の日本語が入る。
「一九四八年、イスラエルは建国します。私がいつも思うことは、六百万人というユダヤ人虐殺についての罪悪感がなかったなら、国連はイスラエルの建国を認めたか、ということです」
[後略]
核心的な問題点は、「ユダヤ人」が他の民族とは違って、宗教による区分の「ユダヤ教徒」のことであり、
だということである。ユダヤ人問題を論ずる際には、「ユダヤ人」の定義を明確にしておく必要がある。ユダヤ人と日本人とでは、言葉の定義が、まったく異なる。9割は、古代のイスラエル人、ヘブライ人、ユダヤ人の血統ではないのである。
以下は、木村書店で目下発行準備中の拙著『ヒトラー・ホロコースト神話検証』の解説の抜粋である。
「ユダヤ人」の定義は非常に政治的で、変化してきた。「ユダヤ人の国」ということを条件に、多種多様な移民を受け入れて成長してきたイスラエルでは、「ユダヤ人」をどう定義するかによって、イスラエル国民として認められる人々の範囲が、狭くも広くもなる。
旧ソ連のユダヤ人の中には、キリスト教徒などと結婚した人が多かった。彼らがイスラエルに移民してきた際、適用されたイスラエルの法律は「帰還法」という、外務省が管理する入国管理の法律だった。この法律では、両親か祖父母のうち、誰かがユダヤ教徒であれば、ユダヤ人として認め、移民を許可する仕組みになっていた。
だが、イスラエル国内に引っ越してきたあと、市民権を得るためには、内務省が管轄する「宗教法」に基づく許可を得なければならなかった。ここでは、母がユダヤ教徒でなければ、たとえ父がユダヤ教徒だとしても、ユダヤ教徒として認められない。
また、ユダヤ教への改宗はイスラエル国内のラビによるものしか有効ではないとしたため、海外で改宗した人がユダヤ教徒として認められず、イスラエル国籍も取得できなくなってしまった。
である。
最も象徴的な事態は、以下のイギリス植民地担当国務大臣、モイン郷暗殺事件である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-23.html
『偽イスラエル政治神話』
第2章:二〇世紀の諸神話
第4節:"民なき土地に土地なき民を"の神話
[英植民相暗殺のテロリストを“英雄廟”に埋葬]
[中略]
当時はカイロ駐在のイギリス植民地担当国務大臣だったモイン卿は、一九四二年六月九日、貴族院で、「ユダヤ人は古代ヘブライ人の子孫ではない[訳注1]から、聖なる土地の“正統な領土回復要求権”を持っていない」と言明した。パレスチナへのユダヤ人の移民を抑制する政策の賛成者だった彼は、《ヘブライ人の独立に対する執念深い敵》として非難の的となった(アイザック・ザール『救助と解放/イスラエル誕生にアメリカが果たした役割』54)。
一九四四年一一月六日、カイロにいたモイン卿は、イツァク・シャミール[のちのイスラエル首相]指揮下のシャミール集団のメンバー、二人によって射殺された[犯人二人はアラブ側に逮捕され、処刑された]。
その後、二〇余年を経て、オークランドの『イヴニング・スター』紙の一九七五年七月二日に掲載された記事によると、処刑された二人の死体をエルサレムの“英雄廟”に埋葬するために、二〇人のアラブ人の捕虜との交換が行われていた。イスラエルが暗殺者を褒めたたえ、英雄扱いしたことを知って、イギリス政府は慨嘆した。
訳注1:いわゆるユダヤ人、またはユダヤ教徒の約九割は、モイン卿の発言の通り、「古代ヘブライ人の子孫ではない」。ユダヤ教を採用したカザール帝国の末裔とその係累である。タタール系の民族を中心とするカザール帝国は、七世紀から一〇世紀に掛けて南ロシア周辺で栄え、その後に滅び、住民は離散した。巻末の「訳者解説」で資料等を紹介する。
[後略]