武蔵野市土地開発公社 巨大政治犯罪 1

その仰天超々巨大政治犯罪の過去・現在・未来

時代劇または落語長屋風騒動

1998.5.26

江戸時代の歴代庄屋一家
井口秀男現都議会議員の農地買収疑惑

民主主義の根幹揺がす“ブラックホール”

 1997年10月13日に東京地裁で第1回の口頭弁論が開かれた情報公開裁判によって、武蔵野市独特の地方的な深層の一断面を露呈し始めた。

 原告の武蔵野市土地探偵団長、桜井国俊氏は、意見陳述の中で、いくつかの実例を挙げて、土地開発公社の実態が、代議制民主主義の根幹を揺がす“ブラックホール”になっていると告発した。

 たとえば1991(平3)年度には、年度予算の4割にも相当する総額で約 236億円もの土地を、武蔵野市の土地開発公社が取得している。土地取得を命令したのは市長であり、市には、公社が取得した土地を買い取る責任がある。すぐに買い取れない場合には、取得に要した銀行からの借入金の利息などの経費は、市が補填する。その出費だけでも、最近では毎年10億円前後になっているのに、議会では事前の議論がまったくない

 “ブラックホール”の仕掛けは、大別して3つある。

 第1は、別項で記した地方自治法施行令別表に準拠する市条例。これを文字通りに盾に取ると、5000平米以下の土地の取得、処分は、議会の議決を必要としない。

 第2は、土地開発公社を「第3セクター」として情報公開の対象としての「実施機関」ではないとする論。

 第3は、もっとも俗耳に入りやすい「プライヴァシー」保護論である。

 土屋市長は、ことあるごとに、誰が、いくらで土地を売ったなどという噂が隣近所に流れると、市民の生活が犯されるといった趣旨の答弁を繰り返している。市長派の議員たちもこぞって、いかにも重々しく、または声音を強めて、「プライヴァシー」保護論を合唱している。

市長と井口都議が相互に後援会長

 だが、情報公開裁判の訴状の「経過」の項目には、次のように重要な「プライヴァシー」問題が記されている。

「(武蔵野市関前の現公園、市道、宅地は)、訴外井口秀男から同公社が購入し、翌年市に売却して市道が造成されている。しかし、もともとはこの一帯は農地であり、右道路の造成によって、周囲の土地は良好な建築基準法に適合する道路に接した宅地となったわけである。市の宅地開発指導要綱には、事業主は6メートルの舗装道路を作って市に寄付するよう求めているにもかかわらず、このような処理を行ったことにつき、同人(井口秀男氏)が被告(土屋市長)の後援会長であり、前職の都議会議員(公社購入当時、現在現職)であり、土地開発公社の評議員であったことから、問題が生じた。」

 因みに、土屋市長の方も、井口都議の後援会長である。浪速節の兄弟仁義でもあろうか。

 問題の新設の市道には、口さがない関前周辺の住民たちが、「井口道路」の異名を付けている。井口家は、江戸時代に現在の練馬区から移住して武蔵野の原野を開拓し、歴代、関前村の庄屋を勤めていた地元随一の名家である。都下の旧三多摩地区では、この主の名家が、保守政治の基盤をないているが、井口秀男氏は、その典型である。

 桜井氏は、「プライヴァシー」保護論を批判して、中野区の実例を紹介している。中野区の土地開発公社の決算書には、用地毎に利用目的、取得価格、借入金の支払い利息、諸経費が記載されている。しかも、用地の取得計画は、議会の特別委員会である総務委員会で議決されており、その議事録は区民にも公開されている。

井口氏は土地開発公社評議員会の牢名主

 武蔵野市の場合、市議会と土地開発公社をつなぐ唯一の場は、公社の評議員会である。評議員会設置の目的は、公社の定款によると「公社の適正な運営を図る」ためであり、その構成は「13名以内」と定められている。

 だが、「評議員は、理事会の推薦を得て理事長が委嘱する」のであり、その理事長は「理事の互選」によって選ばれるが、その理事たちは市長が「任命する」のである。さらに評議員会に関する「規程」によって、議員6名、学識経験者4名、市職員3名の枠を決めている。公社の定款によると「規程の制定又は改正若しくは廃止」は「理事会の議決」事項である。結局は、市長の「任命」権によって、すべてが独裁的に処理される仕掛けになっている

 ただし、実際には、議員の6名に関してのみではあるが、議会の全員協議会で、各種委員会に関する第1、第2、第3志望を求め、定員が満たなければ挙手、最終的には籤引きでメンバーを決定している。

 以上のような位置付けの土地開発公社評議員会は、1年に通常は2回のみ、1時間程度開かれ、さしたる議論もなく、予算と決算をすべて事後承認するだけである。

 自称名探偵が地味な苦労をして、歴代の評議員名簿を作成してみると、現都議会議員の井口秀男氏の名は、土屋市長が当選した1983年(昭58)に始めて出現し、以来、現在に至るまでの15年間、「学識経験者」(?)の筆頭に記載されている。その任期の長さは、最長不倒距離であり、井口秀男氏の真下に、あたかも2人三脚3ようにピタリと並んで名が記されている元都職員の中山善次とまったく同時に、記録を毎年更新中なのである。


2. “実質違法”条例の仰天政治犯罪
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