武蔵野市土地開発公社 巨大政治犯罪 7

その仰天超々巨大政治犯罪の過去・現在・未来

最大の野党、共産党が土地問題では与党化する事情

1998.3.23

「前進座」の土地買収をわざと口走る土屋市長の裏業

 武蔵野市の土屋市長は、ことあるごとに、誰が、いくらで土地を売ったなどという噂が隣近所に流れると、市民の生活が犯されるといった趣旨の答弁を繰り返している。市長派の議員たちもこぞって、いかにも重々しく、または声音を強めて、「プライヴァシー」保護論を合唱している。

 その一方で市長は、左翼演劇で名高い地元の名門、「前進座」から買って、現在も未利用のままの元社宅用地の件では、実に嬉しそうに何度も、わざと売り主の名前を口走ってしまうのである。

 たとえば、1997年10月3日には、市内の吉祥寺南町コミュニティー・センター(コミセン)で、恒例の「土屋市長と語る会」が開かれた。このコミセンは、メイン・ストリートの井の頭通り(旧名・水道道路)に面しており、隣が1982年に完成した前進座所有の歌舞伎劇場になっている。席上、土屋市長は、土地疑惑への市民の質問の論点を得意の漫談風ダラダラ長話でそらしつつ、土地取得は市民のため、たとえばコミセンの拡充のためという一例として首を左右に振りながら、「この裏の土地を前進座から買ったのは……アッ、また、名前を言ってしまったけど、いっちゃっていいのかな……」などと漫談風に呟き、ニヤリと、いたずらっぽく笑った。

 これは明らかに露骨なダブル・スタンダードであるが、かてて加えて、この件の二枚舌発言に関して、武蔵野市議会で数年前は5議席、今でも3議席を占める最大の野党、日本共産党が沈黙を守っているので、市民の疑問は深まるばかりである。

 前進座には、戦後まもない1949年(昭24)、座員が日本共産党に集団入党し、その後のレッド・パージを背景とする時代に商業歌舞伎界から締め出された歴史がある。1967年(昭42)には、その前年に表面化した中国共産党文化大革命の評価をめぐる論争を契機として、劇団内の対立が激化し、1931年(昭6)年に松竹を集団脱退した際の中心人物の一人、河原崎長十郎が除名されるに至ったりした。現在は政党色を薄める指向が見られるものの、やはり、日本共産党の有力な支持基盤と目されている

 問題の元社宅用地は、1937年(昭12)に演劇映画研究所を設立して、当時の武蔵野田園地帯に集団生活の拠点を築いて以来の土地であり、近隣にも知れ渡った古い歴史を誇る、いわば記念碑的な地元の名所でもある。土屋市長は、小学校5年生の頃、地元の吉祥寺南町に移り住み、以後、社会人となるまでを過ごした。早稲田大学時代は、いわゆる全共闘の学園紛争で日本共産党の下部組織、民主青年同盟(民青)系統のセクトで活動し、武蔵野市役所の職員時代には社・共推薦革新市長を支える自治労傘下の市職労役員も勤め、その後、市議から市長になった。当然、以上のような前進座の歴史をも良く知っているはずである。

 土屋市長の土地情報「非公開」ダブル・スタンダード、または二枚舌の意味は、事情を知る人の耳には明瞭に響く。市長は、この土地の歴史的かつ記念碑的「情報」を今、共産党ほかの反対勢力の動きを牽制するための「人質」、または「隠し球」に使っているのである。

 伏線となる経過を簡略に記すと、この土地を公社が取得したのは1991年度末、つまりは問題の土地バブル崩壊直後の時期である。前進座にとって不運なことには、市の監査委員会が、この土地をさらに公社から市が取得した際、ワープロ文書を使い回したせいか、「吉祥寺南町3丁目2546番317外」という同じ地番(住居表示とは末端部分が違う土地の登記番号)を、二年度にわたって年度報告に重複して掲載してしまうという単純ミスを犯したのである。議会では「同じ土地を2度買ったのか」「杜撰」などと厳しく追及されて、監査委員長が平謝りし、2度目の報告の方の地番を「中町2968番2外」と訂正した。

 ところが、もう一つ、監査報告には、市が「吉祥寺南町3丁目2546番317外」の一件に取得に支払った金額、約5億6千万円が明記されていた。市は前述のように個別の土地の売り主と取得価格を公表しない。この場合は、市の決算書の「諸支出」などから、監査委員会が算出したものであり、いわばレア・ケースである。さらに計算すると坪単価は約350万円になる。諸派・市民の党の山本ひとみ議員は、市議会の決算特別委員会で、これが「適正な価格と言えるかどうか」と質問した。これに対して市長は、得意のオトボケ漫談調で、「5年先の新聞が見れたらば買わなかったかもわかりません」などといなすと同時に、南町コミセンの隣地であることを論拠にして、「昔から隣地は倍出しても買えと俗によく言われる」から、この先行取得は「健全な判断」であり、「別にとりたてて反省する必要はない」と言い切った。値段については別途、公社の土地取得価格決定は公示価格に基づいているので、地価が下がる時期には時価よりも高くなると説明している。

 つまり、前進座が特段の不当な利益を得たわけではない。だが、かつては非常に戦闘的で共産党に集団入党までした左翼演劇集団としての歴史から見ると、土地バブルに便乗したかのようで、いささか具合が悪い

 しかも、この「前進座の土地買収」問題を市長が口にする度に、共産党市議は、抗議さえぜずに、まさに「青菜に塩」の萎れようで、500億円もの無駄な土地購入を追及するどころか、「土地は市の資産になるから」と、市長を同じ台詞さえ吐くのである。「それでは総与党化だ」と批判すると、「市長選挙で対立候補を立てているから」そんなことはないという、まるで理屈にもならない返答をするのみである。

 その一方、現在は「市民の党」と名乗っている山本ひとみ議員の方の組織は、全共闘時代の学園紛争で民青系と激突した学生集団の系統であり、共産党から「暴力集団」と非難され続けている。つまり、地元の市長反対勢力は、少数である上に、分裂している。土屋市長は、当然、この点を重々承知の上で、二枚舌による反対派分断作戦を敢行中なのである。

 なお、土地開発公社評議員の歴代名簿一覧表を作成してみたところ、この前進座の土地を含む突出した土地取得の時期、1989(平1)年度から1994(平6)年度の間、日本共産党の市議の欄は、全くの空白となっている。

 以前にも、1978(昭53)年度と1984(昭59)年度に、単年度の空白があるが、6年度も続く空白は偶然にしても長すぎる。

 土地開発公社評議員の選出は、単に希望を募るという安易な選出方法である。

 この種の委員会については第1志望に挙げれば、必ず当選するのであるが、公開された議会資料を見る限りでは、どの党派の議員も、土地開発公社の評議員を重視しておらず、第1志望に挙げていない。少なくとも、共産党を含む野党が、土地開発公社問題を軽視し続けてきたことは明白である。

 結果として各党派の議席の比率を反映しない小委員会は、およそ民意を反映しているとは言いがたいが、そこで単年度に最大236億円、年度予算の40%もの買い物を「承認」しているのだから、財政面からみても、議会制民主主義は完全に形骸化している

 このような小委員会の習慣自体にも疑問を投げ掛ける必要がある。


8. 塩漬け用地vs歳入総額
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