『アウシュヴィッツの争点』(67)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.9.9

第4部 マスメディア報道の裏側

第8章:テロも辞さないシオニスト・ネットワーク 5

「日系米兵」物語ではイスラエル制作のテレビ作品が先行

 SWCなどの「関係団体」による「ユダヤ民族の真の価値の学習」の標的は、日経の「広告担当幹部」だけにとどまらない。

 国際政治まで視野にいれた「予定」をたてて、「経済大国ニッポン」を攻略しようという遠大な計画なのだから、それなりのおおがかりな戦略、戦術をあみだすのは当然だ。「学習」の標的は日本人全体である。しかもその方法は、「ホロコースト展」型の一方的な教えこみ「教育」からはじまり、「オダテによわい」日本人をたくみに持ちあげる「交流」の社交的なしかけにまで発展している。こういうと、関係者はまっかになっておこりだすかもしれない。だが、おこる前に慎重に背景の「しかけ」を調べてほしい。

『ザ・スクープ』(94・8・20)の「秘話!封印された日系米兵のナチ収容所解放▽裏で親衛隊員虐殺」を見たときにも、シオニストまたはイスラエル側からの売りこみを感じた。

 ところが、その直後に、NHKの3チャンネル『海外ドキュメンタリー』(94・9・2)でも、「日系アメリカ人部隊・彼らは何のために戦ったか」を放映した。当然、「海外」の作品である。どこの国がどういう目的で「日系アメリカ人部隊」を題材に選んだのだろうかという興味がわく。もしや、と思ってビデオ録画しておいたところ、案の定という以上の収穫があった。題名のあとの字幕に、「制作/ベル・フィルム(イスラエル/1991)」というスーパー文字がはいっていたのだ。

 内容は、当の日系米兵はもちろん、日本人一般がおおいに感動しそうな苦労話になっている。戦地や、日系人収容所などで撮影した当時のフィルムがふんだんにつかわれているから、アメリカ軍当局とアメリカの映画人の協力があったにちがいない。アメリカの映画界にたいするユダヤ人の支配力が強いことも、これまた「周知の通り」である。

 第二次世界大戦の最中に、日・独・伊の三国を相手にして参戦したアメリカでは、日系市民だけを強制収容所に収容した。この問題については、すでにわたしの考えをしるしたので、ここではくりかえさない。

 収容所内から志願で第四四二連隊にはいった日系の若者たちは、ほとんどが白人の指揮官の下で人種差別待遇をうけながら戦った。ドイツ軍に包囲された白人中心のテキサス連隊二〇〇余名を救出した際には、八〇〇余名が死傷するほどの苦戦をしいられた。第四四二連隊はもっともおおくの勲章を獲得した連隊となったが、約二〇カ月のたたかいで約六〇〇名が死に、約九五〇〇名が負傷した。

 生きのこりの元日系米兵は、たんたんと語る。日本語のスーパーはこうだ。

「私たちは使い捨てでした」

 第四四二連隊の一部は、ダッハウ収容所を解放する。もう一人の元兵士は、ボロボロと涙をながして言葉をとぎらせながら、そのときの思い出を語る。

「それを……話すのは、つらすぎます。人間が……、あんな扱いを受けるなんて。だから、話せません。彼らは人間なのに、あんな扱いを……。そして、私は思い出しました。自分の家族が強制収容所に拘留されていることを……」

「強制収容所」という共通の体験には、このように、問わず語りに日系アメリカ人とユダヤ人とをむすびつける効果がある。なお、この作品にもダッハウの「死体の山」がつかわれているが、やはり、死因のほとんどがチフスだったという事実は無視されている。ダッハウの「ガス室」についての誤認報道の訂正はおこなわれていない。数百人のドイツ軍親衛隊員の捕虜をアメリカ兵が虐殺した事実も語られていない。

 作品の最後には、戦後から現在の状況がえがかれる。戦後も日系人にたいする差別はつづくが、祖国日本の経済復興と足なみをあわせて、日系人の地位も向上する。日本人街のにぎわい、太鼓に法被、着物姿の日系女性のおどり……。

 だが、こうした画面構成は、どう考えてもイスラエル人むけではない。日系アメリカ人と日本人一般を意識してつくられたとしか思えない作品である。

 むかし、徳川幕府の時代には、江戸っ子が「生き馬の目を抜く」といわれた。手元の辞書の説明には「すばしこくて利を得るのに抜け目がない」とある。当時の都会人の江戸っ子は田舎者のふところをねらって、いかにもすばしこく立ちまわったのであろう。

 いま、国際社会で日本人は、もっともっと「すばしこくて利を得るのに抜け目がない」相手と、いやおうなしにつきあわなくてはならない立場にある。うっかりして目を抜かれないためには、日頃から相手の正体を見さだめる訓練を積んでおかなくてはならない。

 とくに重要なのは、相手の長期にわたる計画の全体像を一日も早く知ることである。


(68)終章:核心的真実
または人類史の最後にしてほしい情報操作の本音の真相