『アウシュヴィッツの争点』(62)

ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために

電網木村書店 Web無料公開 2000.9.9

第4部 マスメディア報道の裏側

第7章:はたして「ナチズム擁護派」か 6

過去の過大な賠償金支払いと、現在の過大な精神的負担との類比

『ユダヤ人虐殺を否定する人々』の画面は最後に、冒頭の政治集会の場面にもどる。きりかえの合図は、またもや「ディゾルヴのカギ十字」である。カットインの写真で会場の建物と前の広場の、戦争中と現在の風景がうつしだされ、解説がはいる。

「戦争当時、ニーベルンゲンハーレンの広場は、ナチスの政治集会につかわれていた。そして現在、……」

 画面はまた会場のなかにもどる。調子をそろえた拍手のなかを作家のアーヴィングが、政党幹部らしい白髪の男とならんで演壇にむかってすすんでいる。解説がはいる。

「五〇年前をほうふつとさせる風景が建物の中でくりひろげられている。ナチズムを信奉する一政党、ドイツ民族ユニオンの集会である。この政党は一九九一年九月、ドイツ北部、ブレーメンの選挙で、周囲の予想をうわまわる勝利をおさめた」

 たしかに、「五〇年前をほうふつとさせる風景」なのであろう。しかしわたしはすでに、この集会の参加者について、「若い男女がおおくて、雰囲気はあかるい」としるした。「ドイツ南部の町、ホルツハイム」のキャンペーン集会についても、「質素な感じ」とか「なごやかな雰囲気の集まり」とか「ごく普通の市民層なのではないだろうか」としるした。時代がちがうといえばそれまでであるが、政党やイデオローグの側にも、リラックスした雰囲気がある。わかりやすくいうと「票がのびる」雰囲気なのである。それはなぜなのだろうか。

 五〇年前、というよりはそれ以前の七〇年ほど前のヒトラーが台頭した時代のドイツでは、第一次世界大戦の賠償金支払いが経済を崩壊した。その経済的および政治的状態への不満がナチ党発展の火種となった。その教訓から、第二次世界大戦の戦後賠償請求はゆるやかになり、西ドイツは日本と同様の経済的発展をとげた。

 だが、かつての「過大な賠償金支払い」にかわるものとして、現在は「ホロコースト」という「過大な精神的負担」がドイツ人に課せられているのではないだろうか。この「精神的負担」が、もしも虚偽の報道にもとづいているのだとしたら、そして、おおくの「普通の市民層の」ドイツ人が、その虚偽を見やぶる材料と論理を自分のものとしたら、まさに「五〇年前をほうふつとさせる」以上の政治状況がうまれても不思議ではない。

 すでに紹介したように、ドイツで裁判官の解任にまでいたった裁判の判決文にも、「ドイツはホロコーストを理由に、ユダヤ人の政治的、道徳的、金銭的要求にさらされて」いるという認識が明記されている。しかも、そのユダヤ人の「要求」が過大かいなかという以前に、その「理由」が虚偽の主張にもとづくものだというのだから、これはまさに質的な問題である。民族のアイデンティティにかかわる決定的に重大な問題であり、第一次大戦後の事態よりもさらにのっぴきならない不満の材料に発展する要素をはらんでいる。

「アウシュヴィッツの嘘」発言処罰の「禁固刑」を、三年から五年に延長強化したドイツ議会の法律制定行為は、沸騰点に達しつつあるボイラーの安全弁に厳重な溶接の封をかぶせるような愚行のきわみである。爆発のエネルギーは確実に倍加するであろう。

 そういう意味で、この『ユダヤ人虐殺を否定する人々』という映像作品は皮肉にも、その制作者の主観的な意図をはるかにこえて、わたしに、「ホロコースト」物語の「過大な精神的負担」がもたらしたドイツの危機的な政治状況を教えてくれた。映像作品ではこのように、映像が解説を裏切ることが時として生ずるものである。しかも、解説が矛盾だらけであれば、なおさらのことなのである。


(63)第8章:テロも辞さないシオニスト・ネットワーク