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政府回答は、UNHCRやUNICEFの人道支援に係る国際機関への協力と国連 平和維持活動への女性参加をあげることだけにとどまっている。この様な形では女性 の平和への貢献を促進しているとは考えられない。行動綱領の「平和運動に女性が果 たしてきた主導的な役割を認識して、厳格かつ有効な国際的管理の下における全般的 で完全な軍縮に向かって、積極的に努力すること」「過剰な軍事費を削減し、兵器の入 手の可能性を抑制すること」を政府に強く求める。 1997年東京で、このテーマに取り組んでいる女性たちが世界中から集まって、「戦争 と女性への暴力」国際会議が開かれた。世界各地で起きている、戦時下・武力紛争下の 女性への暴力についての実態報告と、いかに克服していくかが話し合われ、VAWW-NET (戦争と女性への暴力ネットワーク)という国際的なネットワークが生まれた。この メンバーは、ルワンダや旧ユーゴの国際戦犯法廷や国際刑事裁判所設立などでジェン ダー正義を実現するために重要な働きをしている。日本でも、この領域の2つの重要 テーマである、「慰安婦」問題と、基地・軍隊における女性への暴力の問題を中心に取 り組んでいる。
1. 基地・軍隊における女性への暴力(女性・子どもの安全保障を求めて)
(1)沈黙をやぶって声をあげる3米兵による強姦事件
1995年の9月4日に沖縄で3人の米兵による12才の少女への強姦事件が、第4回世界女 性会議が北京で開かれている最中に起こった。「同じことがおこってはいやだから、」 と12才の少女が声を上げたことで、もはや一刻の猶予も許されないと、北京会議に沖 縄から参加した女性たちは集会、街頭デモに立ち上がった。同時に、それまで実現し ていなかった被害者への救済、支援のための「強姦救援センター ・沖縄(レイコ)」の 誕生も実現した。
(2)50年以上の慢性化した基地・軍隊の暴力
日米政府が合意する日米安全保障条約の下に、現在日本に駐留する4万7千の軍隊中、 2万7千人と、軍属、家族を含め5万3千人が全国面積の0.6%でしかない沖縄に集中配備 されている。3カ月の凄惨な戦闘地と化した沖縄は、人口の4分の1を失い、社会基盤を 破壊させた。その上、女性たちへの暴力は、戦時から始まり、砲弾が止んだ後にさら に倍加して、 9ケ月の赤ちゃん、6才、9才の幼女たちも含め、無数の女性たちが、時 には20〜30人に集団レイプされ、助けようとする者は死傷した。場所も時間も選ばな い無法状態の中で多くの子どもも誕生した。住民の土地を強制接収して出来た広大な 軍事基地には、戦後から今日まで、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そして各地 の紛争へと米軍が関与する全ての戦闘に直結して、重要な機能を負っている分その軍 事演習は激しさを増し、演習による爆音、墜落事故、実弾演習の被害、環境汚染、犯 罪などは、1972年に施政権の返還によって法的権利を地域住民が回復出来たとは言え、 冷戦後も変わらず軍事基地の島である。
(3)ジェンダーの視点で基地・軍隊を捉え直す
女性たちはジェンダーの視点から基地・軍隊のメカニズムを捉え直し、女性・子ど もの受けた暴力を個人的悲劇体験に矮小化させず、軍隊の構造的暴力として捉え直す ためにも、過去に逆のぼり 「戦後米軍の女性に対する犯罪年表」を作成し、現在修正、 追加を加え3版を出したが、今だ氷山の一角でしかない。 声を上げられなかった多く の女性たちが受けた傷、苦しみの回復も今だ充分ではない。また、日米両政府が合意 した安全保障条約、地位協定が国益とし有効で、あるいは東アジア地域の安全に重要 であったとしても、半世紀以上の長期にわたるこの基地から派生する多大な暴力を、 沖縄のみならず日本各地の在日米軍基地を含む基地・軍隊を抱える社会が否応なくう けている。
過去2回、軍隊の派遣国であるアメリカ市民、女性に沖縄の実情を訴えた「アメリ カ・ピース・キャラバン」から、サンフランシスコとロスアンゼルスに沖縄ピースネ ッワークができ強い絆が築かれつつある。軍隊派遣国にとっても、軍事予算の増強で 圧迫させる福祉、教育、医療、住宅予算は弱者切り捨てになっていく、軍隊経験者が 多く教師になることが軍隊的思考、暴力容認につながっているという。 軍隊は、一般 社会より、家庭内暴力が深刻であるとの報告は、決して驚きではないが、長期間軍隊 を保持してきたアメリカ社会の抱える問題もまた深刻なものがある。沖縄と同じく米 軍基地をかかえる韓国でも、軍隊の女性への暴力はさらに深刻である。長期間米軍基 地として機能してきたフィリピンでも、多くの女性たちが米兵によって生まれた子ど もの人権の視点から、軍の責任を求めて行動している。これらの国の状況に共通なの は、軍隊駐留を国是とするあまり、基本的人権、尊厳がいかに侵害されているかとい うことである。
(4)武力によらない外交、国政へ
沖縄では特に過去3年間強い住民の声が上がり、それに応える形で日米政府は SACO(沖縄に関する特別行動委員会)最終報告をまとめた。その中で普天間基地、北部 演習場など約20%の基地返還と大型実弾演習の移設などが決定されたが、軍隊の削減は 全くない。その上、普天間基地及び殆どの基地の返還が移設条件付きで、日米政府の 本音が老朽化した基地の近代化であり、基地の統合、強化にあるのは疑う余地がない。
その上、政府が米国政府との間で合意した「新ガイドライン」は、アメリカの軍事 行動を全面的に協力、後方支援するもので、提供している軍事基地に留まらず、空港、 港湾、道路、通信施設、病院などが必要に応じて提供される。この法案の成立は、軍 事優先の外交、軍事的危機管理であり、この強化はさらに市民の安全が侵害されるこ とにつながる。 軍事基地・軍隊と共存を強いられて半世紀、爆音、演習事故、環境汚染、人権侵害 と様々な暴力装置として、住民の、女性・子どもの安全を様々に侵害している沖縄で、 基地の整理・縮小を求める県民の声は当然のものである。女性たちは、特に、海兵隊 の撤退を求めている。それは他の地域への移動で済むことではなく、武力、暴力に満 ちた社会から、信頼と共生の社会への転換につながらなければならない。
(1)90年代に浮上した「慰安婦」問題
アジア太平洋戦争中(1931-45年)に、日本軍は主にアジア各国から20万 人にものぼるといわれる若い女性たちを「慰安婦」として戦場に狩り出し、監禁、脅 迫、暴力のもとに強かんを繰り返し、多くの被害女性は生きて帰国することもできな かった。現在、国際的に「性奴隷」と呼ばれ、今世紀最悪の国家による戦時・性暴力、 女性への戦争犯罪とみなされている。韓国の尹貞玉さんが追跡調査した結果を90年 初め新聞に連載したことがきっかけで韓国の女性団体が「慰安婦」問題に取り組み始 め、日本政府に対して、真相究明、被害者への謝罪と補償、責任者の処罰などを要求 した。
しかし、日本では、90年6月、国会で「慰安婦」問題で質問があったとき、政府 側委員が「慰安婦」は民間業者が勝手につれ歩いたものだ、と日本政府の関与を全面 的に否定した。この答弁を知った韓国の金学順さんは、91年8月、「慰安婦」だった と勇気をもって名乗り出て生き証人となり、「慰安婦」問題が被害女性自身によって明 るみに出されて国際問題にまで浮上するきっかけを作った。 その結果、韓国だけでなく、フイリピン、台湾、中国、北朝鮮、インドネシア、マ レーシア、オランダ、太平洋諸島などで、被害女性たちが相次いで名乗り出た。それ ぞれの国で支援団体が結成され、被害調査活動や医療など被害者支援活動が始まった。
(2)日本政府道義的責任だけは認める
92年1月、軍の関与を示す資料が防衛庁の図書館から発見されたため、日本政府 は韓国などに謝罪し、93年、「慰安婦」問題についての調査結果を公表して、日本政 府の道義的責任を認める官房長官談話を発表した。しかし、法的責任は、サンフラン シスコ講和条約や二国間協定で賠償問題は解決ずみであるとして一切認めないという 姿勢を貫いている。
このため、91年から韓国、フィリピン、在日韓国人、中国、台湾、オランダの被 害女性が、日本政府に対して、公式謝罪と個人賠償を請求する訴訟を8件日本の裁判 所で起している。98年4月、山口地裁下関支部で関釜裁判の判決は、「慰安婦」制度そ のものについては判断を避けたが、93年に日本政府が道義的責任を認めたあと何らの 立法措置をとらなかったことに対して、被害者1人につき、30万円の賠償を命じ、不 十分ながら日本の法的責任を部分的に認めた。しかし、同年10月のフィリピン「慰安 婦」訴訟判決は被害事実の認定さえ避け、戦前は国家無答責だった、国際法で個人請 求権はない、などの理由をあげて原告の要求を全面的に棄却した。
さらに、日本ではいわゆる自由主義史観と名乗る歴史修正主義の右翼勢力が、「慰安 婦」強制連行を裏づける資料はなく、「慰安婦」は金めあての売春婦であり、慰安所制 度は当時社会的に認められていた公娼制度のようなものだと、教科書から「慰安婦」 問題の記述削除を求める全国的な運動を展開している。
(3)法的責任を果たさない「国民基金」
一方、国際的には、93年のウイーン世界人権会議以来、国連でも日本軍性奴隷制 問題を取り上げるようになった。95年北京世界女性会議の行動綱領の中にも性奴隷 制は女性への戦争犯罪とし、真相究明、加害者処罰、被害者への補償が必要だと明記 した。
96年には国連人権委員会の女性への暴力特別報告者クマラスワミ報告が日本政府 に国家賠償など6項目を勧告した。98年に国連人権委員会少数者保護・差別防止小 委員会が「歓迎」するという形で採択した強かん・性奴隷制特別報告者マクドゥーガル 報告は戦時性暴力不処罰の循環を断つべきだと、賠償だけでなく加害者の刑事責任訴 追・処罰を勧告した。両報告とも日本政府が95年に発足させた「女性のためのアジ ア平和国民基金」(以下、「国民基金」)は法的責任を果たすことにならないとしている。
(4)「国民基金」受け取り拒否と分裂・分断
被害者の多くは、「国民基金」は、真の公式謝罪ではなく、国家賠償でもなく、政府 が法的責任を免れるためにつくったものであると、受け取りを拒否した。
被害者の気持ちを受け止めて、「国民基金」側の考え方は、真の責任者を免罪にする役割を果たし ていると、日本国内でも、「国民基金」反対運動が広がった。
このような動きは被害国政府にも反映し、台湾、韓国の政府が被害者に対して「国 民基金」と同額の支援金を支給した。しかし、財政的に苦しいフィリピン政府はこう した措置をとらなかった。被害者には貧困者が多く、「国民基金」側の強引な支給工作 で、フィリピンでは受け取る被害者もふえている。韓国の一部の被害者にも秘密裏に 支給しているといわれる。
被害者同士、被害者と支援団体、日本国内の支援団体の間に受け取りをめぐって分 裂・亀裂をもたらしていることも問題である。そのうえ、「国民基金」の中に女性の人 権活動に政府の助成金を支給する部門があり、海外や日本国内の女性NGOにその助成金 受け取りを働きかけ、応じる女性団体と拒否、辞退する女性団体との間を分断する結 果になっている。
(5)真相究明と補償のための立法運動
「慰安婦」問題の真相究明に関しては、政府は旧連合国から返還された資料も含め て政府保管の資料を90年代にごく一部公開しただけで、ほとんどは非公開のままで ある。このため、「戦争被害調査会設置」や、「国会図書館法一部改正法案」などの立 法運動が行なわれている。
また補償については、政府による行政解決も裁判所による司法解決も困難であると して、立法解決の必要性が指摘されている。このため、戦後補償全般を含めた「戦後 補償法」が法律家たちから提案されている。また、98年の関釜判決が、「慰安婦」被 害そのものへの賠償に立法解決を命じたこともあり、立法解決を求める運動が新たに 弁護士を中心に組織されているが、保守派が勢力を強める現在の日本の政治状況から 「慰安婦」問題をめぐる立法解決の見通しは厳しい。
(6)責任者処罰に取り組む「女性国際戦犯法廷」
日本では、東京裁判以後戦犯処罰はタブーで、「慰安婦」問題は東京裁判では裁かれ ることさえなかった。運動も真相究明と国家補償に重点を置き、責任者処罰は避けて きた。しかし、「金銭補償だけでは尊厳と正義は回復しない。責任者の処罰を」と2000 年12月に民間の女性たちによる国際戦犯法廷が準備されている。加害国、被害国、戦 時性暴力に取り組んでいるその他の国々の女性たちが協力して、「慰安婦」制度につい て真相を究明し、旧日本軍将兵や政府などの刑事責任を国際法をもとに明らかにし、 日本軍の「慰安婦」制度が女性に対する戦争犯罪であったという判定、記録を歴史に 残すことを目的にし、それによって日本政府に法的責任を認めさせ、21世紀に戦時・ 性暴力再発防止に貢献することをめざしている。日本政府に国際刑事裁判所設立のた めに積極的に協力すること、マクドゥーガル勧告の完全実施を強く求める。
平和への道とは反対の日米防衛ガイドライン関連法が、99年5月国会で可決され た。日米安保条約の枠をも大きく越え、周辺の紛争に際して、アメリカ軍へ武器など の後方支援を合法化するものである。自衛隊のみでなく自治体や民間にも協力を求め る、広範囲に人びとを戦争に巻き込みかねない法律で、中国や朝鮮半島、さらにはア ジア地域に緊張を持ち込むものである。
一方、日の丸・君が代を国旗・国歌とする法律が国会で審議中である。日の丸は過 去のアジア侵略に際しいつもその先頭にあったもの、そして君が代はその侵略の総責 任者であった天皇を称えるものである。
さらに、通信傍受(盗聴)法など組織犯罪対策3法、住民基本台帳法改悪(総背番号制)、 戦争放棄を決めた第九条を含む日本国憲法の改悪をめざす憲法調査会設置法案など、 個人の自由を抑圧し、軍事的な管理社会を作る方向に向かわせる法律が次々と審議さ れている。このような政策を押し進める政府に、平和への意志をくみとることは出来 ない。
被爆国の女性として私たちは、「核拡散防止条約」や「包括的核実験禁止条約」では 核兵器の全面廃絶を実現できないことが明らかになった今、抜け道のない確実な「核 兵器廃絶条約」や「非核地帯条約」締結に新たに取り組むことを政府に求める。核の カサに依存することから脱却し、被爆国として核兵器の全面廃絶にむけて具体的に取 り組むように方向転換するべきである。
最後に、武力ではなく外交によって武力紛争を予防する役割を日本が国際社会で担 っていくべきであると考える。
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