米軍用地強制使用裁決申請事件
同 明 渡 裁 決 申請事件
意見書(三)
第一 伊江島補助飛行場
一 使用認定の違法
1 必要性の要件の欠如
(一)かつて射爆場地域と言われていた伊江島西部(B・スライド4)の東側から南西にはフェンスが設置されており、そのフェンスの外側(南側)もまた、基地施設となっている。しかし、実際は、基地施設としては一切使用されておらず、いわゆる黙認耕作地として、伊江島住民が自由に立ち入り、たばこや砂糖きびを耕作している(B・スライド13、14、15)。
黙認されているのは、右のような耕作地だけではない。返還された反戦地主石川清敬の土地(B・スライド4、中央の飛行場地区の北西部分)のすぐ隣に、居住用の建物が存するが、この土地は、基地施設用地として契約されており、いわば黙認住宅地となっている。即ち、一定の年限、占有を継続する建物自体の所有が認められているのである(B・スライド16)。石川の土地とこのすぐ隣の土地とでは、基地の利用性に関する点では全く差異がない。
従って、石川氏の土地が基地利用上必要がないという理由で返還された以上、すぐ隣のこれらの土地も基地利用上必要のないことは明らかである。
また、もと射爆場地域の南西中央部分に張られたフェンスの一部が、くの字型に曲がっているが、これは、反戦地主平安山良友の土地だけが返還された結果、フェンスが歪になったものである(B・スライド44)。これとて、平安山の土地が基地として必要性がないなら、その隣地もまた同様に必要性がないと言うべきである。反戦地主の所有する伊江島東部の通信たいしゃ地区の四角く囲われた部分(B・スライド4、15)の一部が返還されたことについても同様のことが言える。なぜなら、防衛施設局は、本件強制使用の申請の理由の中で、これら強制使用対象地は、「施設及び区域の運用上、他の土地と有機的な一体として使われおり、必要欠くべからざるものである」と主張しており、そうだとすれば、返還された土地がある以上、これと有機的一体をなす隣地は、当然に基地として不要ということになるはずだからである。逆に、有機的一体性がないというなら、防衛施設局の申請理由は、真っ赤な嘘となり、必要性はそもそも存しないことになる。
従って、防衛施設局のいう「必要性」なるものは、実体の伴わない虚像と言わざるを得ない(以上、B・長野真一郎第六回審理記録四ページから九ページ)。
(二)防衛施設局の申請理由によれば、伊江島補助飛行場の使用の方法について、空対地 射爆訓練場及び短距離離着陸訓練場用地が挙げられている。
しかし、伊江島の基地訓練は、ハリアー訓練、大型ジェット機による物資投下、兵士投下訓練、C130ハーキュリー輸送機による物資及び兵士の低高度、中高度、高高度降下訓練(B・スライド23)、タッチアンドゴー、無灯火での離着陸訓練、飛行場の整備訓練等々であり、射爆訓練場としては利用されていない(B・名嘉実第五回審理記録三三ページから三七ぺージ)。
従って、かつて射爆場として利用されていた伊江島西部については、その使用方法との関係で言えば、客観的必要性がないということになる。
(三)従って、本件申請は、必要性の要件を欠く点で却下されるべきである。
2 適正・合理性の要件の欠如
(一)一九五一年対日平和条約が締結され、翌五二年に右条約は発効された。右条約の発効は、事実上も法律上も戦争状態が完全に終了したことを意味する。伊江島の土地取り上げの時点でいうなら、沖縄を占領していた米軍は、対日平和条約三条に基づいて沖縄における施政権を獲得し、沖縄の統治が始まったので、対日平和条約後の沖縄の人々の土地を取り上げるには、法的な根拠が必要であった。
そこで、伊江島の土地を取り上げるために、これに先立って一九五三年四月三に、米国民政府布令一〇九号(土地収用令)が発効された。
ところが、阿波根昌鴻が、「われわれ農民、伊江島の手を合わせて、『大事な土地は取ってくれるな』とお願いしたのに対し、完全武装のアメリカ、ガイデアー隊長、三〇〇名余りを伊江島に上陸してきて、『この島はアメリカ軍の血を流して日本軍よりぶんどった島である。君達はイエスでもノーでも立ち退かなければならない。君達には何の権利もない。』お願いする六二歳のシベリア帰りの並里清二さんは土地がないとママもベビーも死んでしまうと言って死に真似をして、お願いしたのに対し、五、六名の暴力ガイデアーたかってきて暴力。」(B・第五回審理記録三九ページ)と陳述していることや浦崎直良が「アメリカの三〇〇名の軍隊。完全武装した兵隊がやってきて、真謝区に飛び込んできて、私達は阿波根さんを先頭に、この土地取り上げを何とか阻止しようということで団体交渉をして、武器を持たずに手も上げずに、優しい声でという統一したものを作って、いろいろ訴えてきましたけれども、とうとう強制収用。軍事力によってやられました。」(B・第五回審理記録六ページ)と陳述していることから明らかなように、米軍政府は、自ら土地強制収用のための土地収用令をつくっておきながら、伊江島では土地収用令の手続きを踏まないで、剥き出しの実力に基づく土地の強奪を行ったのである(B・知念忠治第五回審理記録二二、二三ページ、同旨平安山良友第五回審理記録一〇ページ、平安山シズ第五回審理記録一二ページ)。
一九五三年一二月五日、米軍政府は、布告二六号を発効して、黙示の契約を擬制して実力で取り上げての土地使用に法的根拠を与えようとした。
しかし、このような目論見は、「鉄条網は張ってあってもそれを飛び越えても自分の土地で農耕をして食べようというので、やはり、伊江島の農民達は白い旗を立てて、やはり暮らしのために農耕をするというので集団で農耕に入ったんですね。そうしましたら、これが八〇名の農民が捕まえられて、その中から三二名、やはり強そうな男性だけを逮捕して、軍事裁判で三ヵ月の懲役、そして一年の執行猶予、こういう判決を下したんですね。そういうような中で、以来もう食べられないということでこのように農民達は畑に入る」、「伊江島の人々は、ならば農耕をしても逮捕される、弾圧されるということで、とうとうあの乞食行進に打って出たわけでございます(B・知念忠治第五回審理記録二三、二四ページ、同旨高宮城清第六回審理記録四ページ)といった島民達の土地返還のための闘いで、失敗に終わった。
そして、伊江島の土地の取り上げの違法は何ら解消されないまま、沖縄は、日本に復帰する。日本政府は、公用地法を制定し、暫定的な使用期間五年間を定めた。この間に地主と交渉して、適法な使用権を手に入れようとしたのである。かかる手段を講じたのは、日本政府自身が、復帰前の土地取り上げがいかに法的瑕疵を帯びていたかを十分に知っていたからに他ならない。
ところが、右の五年間のうちに、日本政府は反戦地主の合意を得られなかった。そこで、日本政府は、さらに説得の時間的猶予を得るため、地籍明確化法の付則の形で、公用地法の期間をさらに五年延長したが、やはり、全ての地主を説得することはできず、土地使用の違法を完全に解消することは出来なかった(以上、第六回審理記録一四ページから一八ページ)。
近代民主主義社会においては、違法に取り上げられた土地については、その違法状態を一旦解消しなければ、適正な土地利用はあり得ないこと既に述べたとおりである。 従って、本件申請は、「適正」の要件を欠く点でも却下されるべきである。
(二)伊江島の基地は、パラシュート訓練場としては狭く、北風が強い冬場でも訓練が行 われるため、フェンスの外への物資投下ミスや兵士の降下ミスが多発している。ハリアー訓練場が建設されて以来、この七年間だけでも、物資投下ミスが四件、兵士の降下ミスが五件起きており、そのうち一件は民家の上に、二件は夜中の八時から一〇時にかけての物資投下ミスと兵士の降下ミスであった(名嘉実第五回審理記録三六ページ)。
かかる基地被害は、土地収用の合理性を欠如せしめるものである。しかも、既に述べたように、伊江島の基地は射爆場としては使われておらず、島の三五パーセントもの土地が米軍用地であるため自由に使用できない島民にとっては、具体的用途に沿った使い方がなされていない以上、その使用・収用にはますます合理性がないというべきである。
従って、本件申請は、合理性の要件を欠く点でも却下されるべきである。
3 目的条項違反
伊江島は海兵隊の軍事基地となっているが、海兵隊は、安保条約の「我が国の安全に寄与し、極東における国政の平和、安全の維持」とは、無関係であること前述のとおりである。従って、本件申請は、駐留軍用地特措法一条の目的を逸脱するものとして、違法である。
二 収用手続違反
本件申請に関して、土地所有者は、一九九七年一一月一八日、申請された自己所有の土地へ立ち入る予定であったが、米軍の突然の拒否によって、土地への立ち入りは実現しなかった。
従って、本件収用手続には立入拒否の手続違反がある点で違法である。
三 申請権の濫用
既に述べたように、伊江島の土地は、銃剣とブルドーザーで強奪されたものであり、その違法性は、現在に至るまで解消されてはいない。法を尊重するものだけが、法による保護を受けられるのである(クリーンハンドの原則)。防衛施設局が、土地強奪の違法性が解消されないまま、駐留軍特措法による申請をすることは、右のクリーンハンドの原則に照らして許されないのは当然である。
出典:反戦地主弁護団、テキスト化は仲田。