沖縄県収用委員 第6回会審理記録

新垣勉 代理人


新垣勉

 えー、阿波根昌鴻さん他、反戦地主代理人の新垣勉でございます。わたしは前回から新崎先生まで、伊江島の現実の姿を収用委員の皆さんにスライドでご覧になって頂いたり、あるいは直接地主の皆さんの声に耳を傾けて頂きましたけれども、あの40数年前の伊江島の不当な土地取り上げが、なぜ、この場で語られなければならないのか、そして、また、収用委員会が今回の強制収用裁決をするにあたって、どういう意味を持っているのか、その点について、意見を述べたいと思います。

 伊江島で土地取り上げが始まったのは、1953年から、事前の動きが行われ、1955年にはほぼ基地の囲い込み、土地の強奪が完了いたします。この年度にぜひ注目していただきたいと思います。ご承知の通り、1951年9月8日に対日平和条約が締結をされ、翌52年の4月28日には、条約が発効いたしました。つまり、伊江島の土地取り上げは対日平和条約が効力を発揮して後の土地取り上げであるという事実であります。とよくいわれていますように、沖縄にはさまざまな形態の土地取り上げがあります。最も原初的な形態は、占領と同時に始まった土地の囲い込みであり、基地の建設であります。

 対日平和条約発効前の土地取り上げについてはヘーグ陸戦法規が根拠として持ち出され、米軍からもそのような説明がおこなわれて参りました。ところが、伊江島の土地取り上げのように、対日平和条約が発行して後の土地取り上げの問題となりますと、ヘーグ陸戦法規だけでは説明がつかないわけであります。対日平和条約が発効するということは、事実上も法律的にも戦争状態が完全に終了することを意味します。伊江島の土地取り上げの時点で考えますと、沖縄を占領していた米軍は、対日平和条約3条に基づいて、沖縄における施政権を獲得し、3条を根拠にして、沖縄の統治がはじまるわけです。従って、対日平和条約発行後の沖縄の人びとの土地を取り上げをする場合には、法的な根拠が必要になります。実際米軍はさまざまな法的根拠を作り出す努力をしてきております。伊江島の土地取り上げに先立つ1953年4月3日には、米国民政府布令109号という府令が発効されました。これは土地収用令と呼ばれている布令であります。つまり、伊江島の土地取り上げがはじまる1953年の4月には、土地を収奪するための収用令を、米軍は用意をし、発布をしたわけであります。どのような形であれ、統治権を持っている米軍にとって、法的な装いが必要であったという事であったと思われます。

 ところが、自ら、土地強制収用をするための、土地収用令を作っておきながら、伊江島における現実の土地取り上げは、自らつくった土地収用令に基づく手続きを踏まないで、すでに証言がありましたような、むき出しの実力に基づく土地の強奪が行われているということをまず第1点として指摘をしておきたいとおもいます。土地の取り上げ当初から、法的根拠をもたない、むき出しの土地取り上げであったということが、伊江島における土地取り上げのもっとも特徴的な出来事であったからであります。

 沖縄ではたくさんの土地強奪がありますけれども、法的な形態をそれなりに装いながら、手続きをすすめたのがいくつかありますけれども、それと対比をすると、伊江島の特徴はよくおわかりいただけると思います。このようにして、違法、不当に取り上げられた伊江島の米軍用地は、その後どのような推移を辿るのか。みなさんが想像されるように、米軍政府はあらゆる合法化の装いをその後作りだそうと、懸命の努力を始めます。

 1953年の12月5日には米国民政府布告26号、題して「軍用地内における不動産の使用に対する補償」という布告を発行して、違法・不当な土地取り上げの合法化を装うといたします。この布告26号は、黙契の擬制というふうに通常呼ばれています。かみ砕いて申し上げますと、それまでに、法的な根拠なくして、実力で取り上げて使っている土地を合法化するために、明示の賃貸借の契約はないけれども、黙って米軍が土地を使うことを認めていたのであるから、黙示の契約が成立をしていると看做す。こういう内容の布告であります。黙契(もっけい)。黙示の黙と、契約の契を取りまして、黙契という風に呼ばれてきました。この、黙契は、僅かばかりの地代を地主に支払うことを餌にしながら、軍用地料を受け取っているのであるから、黙示の契約と考えても問題はないという、構造を作りだそうとするものです。

 しかし、これまでの指摘で明らかになりましたように、伊江島の地主の皆さん方は、それこそ、体をはって土地取り上げに反対をし、土地取り上げを行われた後でも、ずっと土地返還の要求を掲げて闘いを行ってきております。こういう事実を見たときに、黙示の契約を擬制することの空虚さというのは、一目瞭然だろうと思います。そういう意味では1953年12月5日に公布をされた布告26号によっても、伊江島の反戦地主の皆さん方の、土地取り上げの強奪は、正当化され得なかったと、断言して差し支えないだろうと思います。

 その後、米国民政府は、さまざまな布令布告を発効したします。代表的なものを申し上げますと、「暫定借地権の取得」。これは1959年1月13日に高等弁務官布令18号として発効され、更に同年の2月12日には高等弁務官布令20号として「借地権の取得について」という布令が発効されます。この両者の布令を一言で申し上げますと、それまで、黙契という擬制の上に成り立っていた賃借権を合法化しようとする布令であります。しかし、当事者が土地を賃貸をするという意思を表示しない以上、どのような法的な手続きをとっても合法化し得ないのは明らかな事実であります。

 復帰前の沖縄に置いては、先ほどの、土地収用令のほかに、1957年には米合州国土地収用令も立法化され、強制収用手続きの法的な体系を一応持つ法制が出来ました。しかし、その強制収用の法的な仕組みも伊江島の土地については、全く適用されておりません。このような状態で復帰に至るわけであります。

 問題は、復帰の時の措置にありました。広く知られているところでありますけれども、復帰の時に、沖縄の米軍基地を支障なく維持するための法的な仕組みについて、政府で議論がたたかわされております。そのときに議論されたのが大きくいいますとふたつの議論であります。

 一つは、復帰以前にアメリカ政府、アメリカ民政府が取得をしていた賃借権を5月15日の時点で、日本政府が譲り受ける、引き継ぐという仕組みでありました。米軍がもっていた、あるいはアメリカ民政府が持っていた賃借権を、5月15日の深夜0時をもって日本政府が引き継ぎますと、なんの支障もなく、米軍基地についての使用権原が日本政府に移ることになります。しかし、この方策については決定的な問題点がありました。それは、米軍政府が持っている賃借権の法的正当性そのものに問題があったからであります。この案は、退けられたようであります。 

 そこで浮上したのが、復帰の際の移行措置をスムーズに行わせるためという名目で、公用地法が制定をされました。公用地法がどういう仕組みになっているかといいますと、復帰以前に、米民政府が取得していた賃借権を引き継ぐことについては問題がある。そこで、問題のない賃借権をつくりあげるためには、一定の時間をかけて日本政府が、直接地主と交渉をして、賃貸借を取り付ける。そうでなければ、適法に米軍基地についての使用権原を取得することができないというのが、その基本的な仕組みであります。地主から合意を取り付ける期間として、公用地法は暫定的な期間として5年を定め、地主と交渉する間、暫定的な使用権を5年間取得したものであります。

 しかし、ご承知の通り、この公用地法がさだめた5年間においても、国は地主を説得できなかった。地主の合意を取り付けることができない状態で5年が満了した。いわゆる反戦地主の存在であります。

 この公用地法の仕組みを考えてみますと、よくお分かりいただけますように、日本政府は、十分に復帰以前の土地取り上げが如何に法的に瑕疵を帯びたものであるかを十分に知り尽くしていたが故に、暫定期間の5年間の間に必死に契約を結ぼうとしたわけであります。ところが、契約をすべて取り付けることはできない。そうなれば、当然、違法な状態は解消しなければならないはずです。しかし、日本政府は、ここで一つの立法措置をまた講じました。いわゆる米軍基地内に存在する地籍不明地の土地の位置境界を明らかにするための作業が必要である。そのためにはさらに5年間の期間が必要である。従って、その期間、公用地法に基づく暫定的な使用権をさらに5年間延長する必要がある。こういうことで、地籍明確化法の付則という形で公用地法の期間をさらに5年間延長いたしました。

 しかし、この地籍明確化法の付則も、公用地法の基本的な仕組みを引き継いだものでありました。つまり復帰以前の土地取り上げの違法性を十分に承知の上で、合法化するための手続きを要する期間ということで、位置明確化法の付則の5年の延長も、規定をされていたわけであります。

 そして、その時の立法の経過で、公然と説明をされたのは、反戦地主の土地を強制使用しようにも、地籍が不明確なために強制使用の手続きがとれない。強制使用の手続きを取るためにも、地籍の明確化が必要である。こういうことが、立法主旨としてあります。しかし、この問題については、なぜ、違法に取り上げられていった伊江島の地主のみなさんの土地、あるいは沖縄の反戦地主の土地が、強制収用の対象にされなければならないのかという問題があります。わたしたちはかねてより主張しております。それは、近代民主主義社会においては、違法に取り上げられた土地は、違法状態を一旦解消されなければならない。つまり不法に取り上げられた土地は、憲法のもとでは返されなければならないということをずっと言い続けてまいりました。

 米軍用地収用特措法が、今回の強制収用の根拠法令になっておりますけれども、わたしたちは、米軍用地特措法を適用する前提として、違法な土地取り上げを続けたままで、米軍用地収用特措法を適用することは違憲であるという主張をして参りました。もちろん、違憲であるという主張は法的に無効であるという主張を伴うものであります。

 わたしたちは、違法に土地取り上げをされていた伊江島の地主の方々については、復帰の時点で、あるいは公用地法に基づく暫定的な収用期間が終了した時点では遅くとも地主のみなさんに一旦返還をされるべきであるというふうに考えております。それは、国家が違法状態を前提にしたまま新たに強制収用を行うこと自身が法的な正義に反すると考えるからであります。(拍手)

 そこで、おそらく収用委員会のみなさんは考える事だろうと思います。収用委員会の権限はそこまであるのかと。わたしたちは、この収用委員会の権限の問題については、個々の意見陳述が終わった後、総括的な法律的な意見を陳述する予定にしておりますけれども、ここでは、とりあえず、結論部分だけの意見を述べさせていただきたいと思います。

 米軍用地収用法で適用されます土地収用法の条項のなかに、48条1項というのがあります。土地収用委員会が、権利取得裁決をする時には収用する土地の区域、または使用する土地の期間、方法を、収用委員会が決めなければならないという条項であります。この条項を見てお分かりいただけますように、収用委員会の権限というのは補償金を定めるだけが収用委員会の権限ではないということであります。収用委員会は補償金を定めると共に、どの範囲の土地の権利取得裁決をすれば足りるのか、使用の方法というのはどういうものでなければならないのか、使用の期間というのはどの程度でならなければならないのか、この点についても収用委員会は審理し裁決をする権限を持っているという事であります。

 この1項の理解を裏付けるものとして、48条2項にはもっとさらにもっと具体的に記載がされています。「起業者が申し立てた範囲内でかつ事業に必要な限度内で裁決しなければならない。」つまり、収用委員会が審理を通じて、起業者から申請があったけれども、この区域については、この土地については、必要がないという判断にいたった時には、裁決をしないことができるという構造になっているということであります。従来、ややもすると収用委員会の権限というのは、補償金を定めるだけが収用委員会の権限であり、その他の事項については、すべて、総理大臣が認定した使用認定に拘束をされるという、それらしき議論が振りまかれておりました。しかし、わたしは、兼城前会長がおっしゃられましたように、収用委員会は、収用する土地の範囲についても判断する権限を持っているということを、十分に収用委員会のみなさんに噛みしめていただきたいと思うわけであります。

 これまで、収用委員のみなさんはおそらく、土地収用法に関する論文や書物をたくさんお読みになって研究を深めているだろうと思います。わたしの発言をしめるに当たって、最後に申し上げておきたいことは、従来、使用認定と土地収用委員会の権限について截然と区分をして、並列的に考える学者の先生方を多く見受けしております。つまり、使用認定についてはすべて総理大臣の専権事項事項に属する。これについて収用委員会がくちばしをいれることはまかりならんと。収用委員会が審議をするのは、総理大臣が判断をした使用認定以外の事項について審理をするのであるという、いわゆる総理大臣と収用委員会の権限二分論がいわれていました。しかし、土地収用法を開き、よく見てみますと必ずしもそうではないということを申し上げておきたい訳であります。

 総理大臣の使用認定というのは、土地収用申請をする法的な地位、法的な権限を起業者に付与する、いわゆるスタートに付けるための使用認定であります。実際に使用認定申請というのは、区域を対象にした申請書の様式になっております。個々の土地についての申請は、起業者が使用認定を受けて後、土地物件調書を作り、収用裁決申請を行う手続きの段階で、個々の土地についての具体的な調査義務が設けられ、そして、申請書類の作成が義務づけられています。具体的にAという土地が必要であるのかないのか、Bという土地が必要であるのかないのかについては、最終的な強制使用の判断権を持つ収用委員会が、地主の意見も聞きながら、起業者の意見も聞きながら、事実を解明して、事業に必要であるか否かを判断する権限を持っている。そのことを明記したのが48条であることを申し上げてわたしの意見陳述を終わります。

(拍手)

当山会長:はい、ご苦労様でした。えー。もうひとかた、聞いてから、休憩に入りたいと思いますが、あの、ご本人なのか、代理人なのか、どちらの、どの人の代理人なのかが、わからない場合がありますので、それを述べてから言っていただきたいと思います。次に神田、これは、これは「たかし」さんとお読みするんですかね、高いという字ですが。よろしくお願いします。


  出典:第6回公開審理の録音から(テープおこしは比嘉


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