沖縄県収用委員 第6回会審理記録

神田高 代理人


神田高:

 え、瀬名波通信施設の新垣昇一さん他地主の代理人の、神田高(かんだ たかし)といいます。よろしいですか。

 最初に、私事になりますけれども、一言述べさせていただきます。私の父は、沖縄の宮古の多良間島という大変小さい島の出身です。あの戦争にいってから以降、1972年の沖縄の施政権の返還まで、アメリカによって渡航が許されず、故郷に帰ることができませんでした。そのため、父の祖母の死に目にも会うことができませんでした。アメリカの軍事占領の犠牲にあった父のこの悔しさも胸にこめて、意見陳述をいたします。

 瀬名波の通信施設は、アメリカ空軍の通信施設で、全体で61万平方メートルであります。建物などの施設は一部にあるだけで、大半は平坦な土地であります。その中には、通信用のアンテナと共に、遊休地や黙認耕作地があります。瀬名波通信施設の軍事的機能の詳細については、後で、別の機会にまとめて述べることにいたします。この瀬名波通信施設の内、今回の強制使用の対象地は読谷村字瀬名波鏡地原所在、地番896の2であります。広さは251.99平方メートル、坪数にして約76坪であります。この通信施設の東端に新垣さんの土地は位置しています。この土地所有者が新垣昇一さんであります。

 新垣昇一さん自身は今回この公開審理にはご出席されておりませんが、新垣さんがなぜ、米軍に土地を貸すことを拒否し続けてきたのかについて述べさせていただきます。最近出版されました『大地と命と平和』という本のなかにも述べられております。新垣さんが、土地を米軍に貸すことを拒否し続けている理由として、この後スライドを用いて説明させていただきますが、いわゆるいやがらせ返還に対する新垣さんの怒りがあることはいうまでもありません。しかし、それだけではなく、新垣さんには生涯忘れることのできない、ふたつの体験があります。

 一つは沖縄戦で妹さんを亡くされたことであります。1945年3月の空襲の時、新垣さんの家族は食卓を囲み食事を始めました。その家族を米軍機の機銃掃射が襲いました。新垣さんの家族は逃げる間もなく、妹の当時4才のさだこさんの顔面を弾丸が貫いていました。即死でありました。5才違いのこのさだこさんを新垣さんは大人たちが農作業をしている間は、さだこさんの子守役をいつもしていました。新垣さんがおんぶをして、さだこさんの体温をいつも背中に感じていました。なぜ、さだこがやられたのか。自分に当たればよかったのにと、新垣少年は思いました。新垣さんのおとうさんのショックも大変なものでした。おとうさんは、末っ子のさだこさんをいつも膝にだいて食事をさせていたそうであります。新垣さんの屋敷のそばには、大きな松の木が二本ありました。しかし、日本軍が橋や壕をつくるために、その松の木を切り倒していきました。さだこさんを射抜いたその弾丸は、切り倒された松の木のあった方角からきたものでありました。おとうさんの賀真さん、年賀の賀に、真実の真という字を書きますが、沖縄の方言で「戦争やならん」といつもいっていたそうであります。

 多くの家族を抱え契約をしないと軍用地料をもらえないという攻撃のなかで、やむを得ずおとうさんは契約に応じました。おとうさんは契約を拒否はしませんでしたが、気持ちは反戦地主だったと思う、と新垣さんは述べております。

 新垣さんが忘れられないもう一つの体験は、戦後、食うために18才の時、海兵隊将校のハウスボーイとなったときの体験であります。仕事の内容は掃除・洗濯・靴磨などあらゆる雑用でありました。日に50足から80足の靴を磨かされたこともありました。産業らしい産業がなかった沖縄で、当時米軍基地は最大の職場の一つでありました。しかし、そこに人権はありませんでした。雇い主が気にくわなければ勝手に解雇して、こどもが盗みをはたらいたのに、沖縄のメイドが疑われて、ウソ発見器にかけられました。また、その基地に働く沖縄の女性が暴行された上に殺害されるという事件も相次ぎました。

 新垣さん自身も屈辱的な体験をしております。新垣さんが部屋を掃除をしているときに、米兵が目の前のベッドの上でニヤニヤ笑って排便をして、そのシーツを洗ってこいと新垣さんに命じました。断ると間違いなくクビになる。次の仕事のめどはない。新垣さんは屈辱的な思いでシーツをはがして洗濯場へと走りました。

 わしが一番きらいなのは、アメリカーだと新垣さんは言っております。

 新垣さんの反戦地主としての思いを述べます。1981年新垣昇一さんはおとうさんの土地を相続しました。その後今日まで契約拒否の姿勢を貫いておられます。防衛施設局の職員が3人連れで、契約してくれと30回以上も新垣さんを訪ねてきました。あの少女暴行事件に端を発した一昨年秋以来の沖縄基地闘争について、新垣さんはこう率直に語っておられます。自分達の契約拒否が日米両政府を追いつめ、政治を動かす大闘争に発展するとは思わなかった、と言われています。それだけに自分がとった契約拒否という行動に誇りと確信を持っておられます。悲惨な沖縄戦の後、戦後50年余にわたる米軍基地の重圧のもとで暮らしてきた沖縄県民誰一人として基地の継続を望んでいる者はいないと新垣さんは確信しています。だからこそ、圧倒的な県民が反戦地主に激励の拍手を送り、その闘いを支えてくれていると考えています。新垣さんは、激励の拍手に答えたいと現時点で考えられておられます。

 以上で新垣さんについての陳述を、新垣さん自身のほうについての陳述とします。

 次の本件の強制使用の対象地についての説明をスライドを用いて、させていただきます。光を落としてください。

 えっと。これが、本件の強制使用の対象地付近から見た、ほぼ施設全体にわたる写真であります。ご覧になって分かりますように、この真ん中に走っているのが県道6号線ですが、その向こうに一部通信の建物があってあとは平坦な土地となっています。あとはアンテナが立ち、遊休地や黙認耕作地というふうになっています。で、これから説明しますが、本件の強制使用の対象地は、手前の建物を囲んでおりますフェンスの左すみにあります。それをこれからご説明いたします。

 スライドのNO.1をお願いします。これ、ちょっと上下逆ですね。これが瀬名波通信施設の施設の図の一部を拡大したものです。あの黒い線が施設内、つまり黒い太い線の左側が施設内を表しております。そして、あのみどりの3角形、これが、本件の対象地であります。この縦の上下に走っている道路が先ほどの県道6号線であります。日常車が通行している道路であります。この対象地の使用方法について、国・那覇防衛施設局側は事務所用地として使用するといっているんです。

 次NO.7のスライドをお願いします。

 これがいわゆる公図ですね。地番のある場所を示した公図からみた瀬名波の通信施設および本件の対象地です。この赤い三角のところですね。これ、この896の2。これが、新垣昇一さんの土地で、本件の強制使用としている土地の対象地です。この南北に走っているのが県道の6号線であります。この県道の左側、西側にあたりますが、ここにさきほどパラボラアンテナ等がみえました通信施設が、その一角にフェンスで囲まれてあります。

 次にNO.17を示してください。

 これ、ちょっと向きが90度傾いていますけど、先ほどのものを航空写真で上から見たものであります。ちょっと見づらいんですが、公図の地番も書かれています。本件対象地は、この三角の、この土地であります。そして、これが先ほどの県道の6号です。こっちが北で、こっちが、左が南。こういう風になっております。

 で、これを見て分かりますように本件のこの対象地は、事務所用地として使う。というふうな使用方法については、国側はそういっております。確かにここに、事務所棟と見られる建物が建っているのが分かります。右側には恐らくテニスコートだと思うんですが、そういう施設があります。で、ここが県道に出る通路だと思うんですが、この本件土地のところには、なんらの建物も建っておりません。

 この写真をみて分かると思うんですが、これが本件対象地で、ここにフェンスがあります。このとなりには、立派な民家が建っております。この民家から、県道6号に私道が出ているのが分かると思います。この示しましたこの民家と、それから、この本件の強制使用対象地との間の土地、ちょっといびつな台形みたいな形になっていると思うんですが、大体この辺りの土地です。この土地が1992年の5月14日、使用期間の満了によって新垣さんに返還された土地であります。地番は869番の1番となっています。この時、返還されたこの土地。この土地ですね、民家とフェンスの間にあるこの土地と、それから、また、今回、強制使用を継続使用しようと、強制使用を継続しようとしているこの三角の土地とはあわせて、実はこう、菱形といいますか、こうきてですね、こうきて、こうと、いわゆる菱形の、一体の土地として約300坪の一筆の土地として本来新垣さんが持っておられる土地であります。

 NO.11のスライドをお願いいたします。

 これがいま1992年5月に新垣さんに返還された土地です。今さとうきび畑になっています。で、この今さとうきび畑になっている土地ですが、これがその県道ですね、この左から右に走っているこの県道に面しているこの部分だけ、この部分であります。これが先ほどの民家の私道であります。大体この92年の5月に返還された土地が、県道に面した長さ約5メートルに過ぎません。

 この92年に返還された土地が大変いびつな形になっている。入り口が全く通常の宅地として出入りできるような間口になっていない。ということが分かると思います。先ほどご覧になりましたように、隣には立派な民家が建っておりますが、この土地には宅地として、利用できず、まあ、せいぜい畑として使用する以外にない土地となっております。

 スライドのBをお願いします。

 これが今度は県道6号側から92年に返還された土地を見たものです。これがいわゆるフェンスですね。フェンス。先ほどの事務所用地とされているところのフェンスであります。これが、3階建てでしょうか、2階建て半でしょうか、立派な民家が建っていて、ここに私道が付いております。これをご覧になっていますように、ここの幅が5メートルくらいしかありませんから、大変、しかもいびつな土地になっておりますので、このままでは宅地として使うことはできない。というふうになっています。

 新垣さんはお二人のお子さんのために、ぜひこの土地を、今回の強制使用の対象地を含めて返還を受けて子どもたちのために、住宅を建てたいと思っておりますが、現在のこのさとうきび畑のままのこの形の土地では、実際にそれもできないと、こういうことであります。

 最後に、それでは、この今回強制使用される対象地との関係について見ていきたいと思います。

 NO.8のスライドをお願いします。

 これは先ほどの図とおなじスライドですが、これが、国が申請している事務所用地のなかにある、今回強制使用の対象地であります。この三角形であります。ご覧のようにこの対象地の上にはなんらの施設もありません。

 ですから、この三角形の土地が新垣さんに返還されれば、新垣さんはこの三角形の土地ですね、これは県道に面していますが、これをずっと延ばしていってここまで間口が広がるわけですね。それとこの従来のこの土地をくっつけて、これはもう宅地として立派に活用できると、いうことであります。ところが、国は92年5月にはここだけを、この本件の対象地だけを返還せずに、このさとうきび畑の分だけを返還した。そして本件対象地については、依然としてこの米軍の施設のフェンスのなかに留め置いた。ということであります。

 なぜ、問題はなぜこういう形の返還を国はしたのか、ということで、これが問題であります。国・防衛施設局は新垣さんのもともとの土地がどんな形をした土地であったのか、十分承知していたはずであります。この3角形の部分に建物は全く建っていませんから、92年に手前のさとうきび畑となっている土地といっしょに返還していてもなんら不都合はなかったはずであります。それによって、事務所用地として使えなくなるということはなかった、ないはずであります。また、通信施設という面からみましても、この土地の前には県道6号線が走っています。これ自動車も写っています。毎日この自動車も走っております。また、新垣さんの土地の、先ほどありましたこの左側には、立派な民家が建っていますが、この三角の土地を返さないことによって、通信機能になんらかの支障がある。だからこの土地を返さないんだと言う理由も成り立たないはずであります。

 えっと、あかりを付けてください。

 こうした返還はいやがらせ返還としか考えようもないものであります。瀬名波通信所の米軍用地について、契約を拒否されている反戦地主は、現在新垣昇一さんお一人です。アメリカと国は他の地主に対する見せしめとして、こうしたいやがらせ返還をしたのであります。逆らうとこういうことになるということを、地主たちに示したとしか考えようがありません。また、国はこの対象地であるこの三角形の土地は、施設全体の全体と有機的に一体として機能していると主張しております。しかし、いやがらせのため、必要性のないものを、有機的一体であるという理由で、強制使用することはできません。具体的に検討いたしましたように、有機的一体性という理由によって、この特措法に基づく強制使用は出来ないものと考えられます。

 日本国憲法は第29条1項で財産権の不可侵性をさだめ、その精神に基づいて、29条の3項では、正当な補償のもとに国民の財産権、なかでも土地は重要な財産権であります。この国民の財産権を、公共のために用いることができるとしております。つまり、公共の利益のために、どうしてもある国民に特別の犠牲を強いなくてはならない場合、その場合は補償をして、いたしますと定めております。 しかし、本件土地の場合、新垣さんに特別の犠牲を強いてまで土地を強制使用しなければならない必要性・合理性・適正性はあるのでありましょうか。全くありません。

 新垣さんの三角形の土地の使用権を敢えて奪ってまで、米軍に土地を使用させる必要性はまったくなく、強制使用する適正かつ合理的な理由は全くありません。本件土地について、裁決申請は却下されるべきであります。

 最後に、わたくしは先の米軍用地特措法の改悪に際して、国会内での座り込みを含む抗議行動をしてまいりましたが、その行動を通して、今や安保が国会を牛耳っているという実感を強く持ちました。沖縄から基地を無くすには日本の民主主義のあり方を変えていかなければなりません。収用委員会が、収用委員会は法に基づく判断を行っていく機関であることはわたくしが敢えて申すまでもありません。日本の最高法規である日本国憲法の理念に基づいて、収用委員会が厳正かつ公正な、実質的な審理を最後まで貫かれるよう強く希望いたしまして、意見陳述をさせていただきます。

(拍手)

当山会長:はい、ごくろうさまでした。それでは、ここで15分ほど休憩をしまして、4時から再開したいと思います。ごくろうさまでした。


  出典:第6回公開審理の録音から(テープおこしは比嘉


第6回公開審理][沖縄県収用委員会・公開審理][沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック