訴状全文 6 直接の侮辱
平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
1997.4.18. 提訴
請求の原因(続き)
第2、本件に関する被告・本多勝一の編集による『週刊金曜日』の記事掲載状況等(続き)
四、被告・本多勝一自身が直接原告に対して行った主要な侮辱的言動
1996年[平8]6月30日付けの被告・本多勝一(代)署名による手紙……「木村さんの湾岸戦争の時のルポや読売新聞社問題に関する仕事は高く評価するものですが、このアウシュヴィッツ問題については取材不足で支持しかねます」
1997年[平9]2月7日号・66頁「編集部から」……「現地取材は、あまりにも短時日の浅いもの」(その他、直接の手紙のやり取りによる経過についても、侮辱的な言動が頻発したが、その点については、のちに詳しく証拠に基づいて述べる)
1997年[平9]3月10日付け手書き署名入りファックス通信……「2年ほど前の片言隻句をとらえているようです」
1997年[平9]3月18日付け手書き署名入り手紙……「(原告の実地)調査は非常に短期間であって、すぐ帰ってきたのには驚きました」
とりわけ許しがたい背信、裏切りの不法行為は、大略して、つぎのような経過である。
1997年[平9]1月25日以降、被告・本多勝一は、2月中旬ごろ(以下の事情で詳細不明)までの間の原告から『週刊金曜日』編集部への「注意」のファックス通信等を、原告の了解を得ることなく、しかも、同誌発行人の黒川宣之が「それはまずいのではないか」と止めるのも聞かずに、原告への罵倒記事を執筆中の被告・金子マーティンに、そのまま送付した。被告・金子マーティンは、これらを最終回での誹謗中傷・罵倒に利用した。原告は、最終回の記事を見て、はじめてこの事実に気付き、3月2付けファックス通信で同誌編集部に対し、「常識外れ」の「粗雑な対応」として抗議し、事情を問い合わせた。これに対して、黒川は電話で原告に直接、「文書で回答する」と約束したが、その後、何度も原告がその文書を求めているにもかかわらず、そのままになっている。
五、原告の「注意」に対する被告・本多勝一の対応の経過
被告・本多勝一の原告に対する態度には、この間、およそ一貫性が見られなかった。前記の「『朝日』と『文春』のための世界現代史講座」9「『ガス室はなかった』と唱える日本人に捧げるレクイエム」の掲載期間中においても、以後においても、それ以前と同様、またはそれ以上に無原則で動揺を繰り返す背信的な対応振りであった。のちに詳しく証拠に基づいて指摘するが、簡略に記すと、つぎのような4段階の部分的譲歩によって、事態を糊塗しようと図った。
1、「ガス室問題」はあと1回の「投書で打ち切る」との一方的宣言
被告・本多勝一は、前記講座の掲載期間中に、この「終了をもって、ガス室問題の投書は打ち切る予定」とし、連載終了後「1週間以内に」「投稿してください」(1997年[平9]2月7日号・66頁「編集部から」)と一方的に宣言した。
2、原告に対しては「投書よりも字数を多く」「論争」欄でという提案
原告宛てには、別途、被告・本多勝一の署名入りで、「特に『論争』のコラムで投書よりも字数を多くして載せたい」(1997年[平9]2月28日付けファックス通信)と提案してきた。この提案に対して、原告は直ちに、その同文書に記された「1回だけ投書」という条件を承服したと見なされるのであれば投稿しないと返事した。続いて同年3月6日付けで経過と問題点を詳しく記したB4判で5頁の要求書を送り、紙面に関しては、「最低限、金子氏の執筆分、6回で25頁と同じ頁数」の提供を求めた。
3、「ある程度長くなっても掲載すべきではないかと思っております」との意思表示
前項の原告の要求に対して、被告・本多勝一は、さらに「ある程度長くなっても」(1997年[平9]3月7日付けファックス通信)という条件を示したが、この提案においても、「問題はあくまで事実関係の間違い」として、論点の矮小化を図ろうとしており、原告は、このような一方的な条件付きの提案では承服できないとして、これをも直ちに拒否した。さらに被告・本多勝一との直接の対話を求めたところ、同人は、それまでの経過を略述して同人を諫めた原告の文章に対して、前述のように、「2年ほど前の片言隻句をとらえているようです」(1997年[平9]3月10日付けファックス通信)として、「今後は文書でお申し越し下さい」と通告してきたので、原告は、最早これまでと、通常の意思疎通を諦め、本訴状におけるとほぼ同様の要求に同年3月末日までに回答せよとの文書を送った。
4、「4ページ分のスペース」を「提言」するとの「返答」及び事実経過の捏造
被告・本多勝一は、さらに1997年[平9]3月18日付けの社印及び『週刊金曜日』編集長・本多勝一の名前と個人印入りの文書で、「4ページ分のスペース」を「提言」するとのファックス通信(のちに手紙で再送)による「返答」をしたが、これと同時に、被告・本多勝一本人の署名入りで、以上の「提言」を「役員会での協議の結果」としながら、「個人的な説明」を加えるファックス通信(のちに手紙で再送)をも一緒に送ってきた。その手紙の中には、原告がアウシュヴィッツ等の「ガス室」と称されてきた場所を実地検証してきた取材活動について、前述のように、「調査は非常に短期間であって、すぐ帰ってきたのには驚きました」などと、これまでの約2年4か月に及ぶ本件との関係での対話や文通に一度も出てこなかった主張などがあった。原告は、被告・本多勝一が「反論掲載」として「提言」する紙数の少なさもさることながら、一言の詫びの言葉すらないばかりか、訴訟を意識してか過去の事実関係の捏造さえ試みる同人の態度に驚き、直ちに、その点を指摘して批判を加えるとともに、この「提言」を拒否した。
5、「事実関係の間違い(ミステーク)なり改竄等の間違いがあれば」、「訂正しておわび」の「再提言」
被告・本多勝一は、同年3月末日に当たる3月31日に、ファックス通信(のちに手紙で再送)で、同年同月27日付けの「再提言」と称する文書を送ってきた。内容の要点は、「金子マーティン氏が書いた6回の記事の中に、事実関係の間違い(ミステーク)なり改竄等の間違いがあれば、それを箇条書きに列挙」せよと原告に求め、原告の「指摘が正しければ訂正しておわびします」というものであった。原告は、すでに問題を「「金子マーティン氏が書いた6回の記事」のみに限ってはいなかった。さらに原告は最早、被告・本多勝一らに、原告の「指摘が正し」いか否かの判断を委ねてみるような段階は過ぎており、第三者機関と世論の判断を仰ぐ以外の方法はないと考え、この「再提言」をただちに拒否した。
その7:名誉回復方法の間に進む