訴状全文 4 誹謗中傷の事実
平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
1997.4.18. 提訴
請求の原因(続き)
第2、本件に関する被告・本多勝一の編集による『週刊金曜日』の記事掲載状況等(続き)
三、『週刊金曜日』における原告に対する誹謗・中傷・名誉毀損掲載等の事実経過
1、『週刊金曜日』における原告に対する誹謗・中傷・名誉毀損記事の基本的な誤り
本件で訴える誹謗・中傷・名誉毀損記事の基本的な誤りは、前述のような極右の「政治的シオニスト」による百年以上にわたるイスラエル建国の計画とニュルンベルグ裁判との因果関係への無理解、もしくは故意による隠蔽工作に起因する。
前述のようなパレスチナにおける流血の事態に照らせば、自己の文藝春秋および花田紀凱に対する宿年の恨みを晴らすために本件の主題を利用するがごとき被告・本多勝一の行為は、『週刊金曜日』創刊に当たっての読者への約束を反古にする私物化行為に他ならないばかりか、日本国内でも広く社会的な悪影響を与えるものであり、国際的にはなおさらのこと、卑劣極まりない政治的な犯罪行為として断罪せざるを得ないものである。その詳細については、のちに詳しく証拠にもとづいて立証する。
被告・本多勝一は、前期講座記事以前にも、原告に対する誹謗・中傷・名誉毀損記事の掲載を続けていたが、驚くべきことに本件の主題に関しては、日本語で出版された唯一の単行本である原告の著書、『アウシュヴィッツの争点』について、「手元にありますが、いただいた時に斜め読みしただけで精読はしておりません」(1996年9月25日付け原告宛ての署名入り手紙)と称したり、「ナチのガス室については、私は別に自分で調べたこともありませんから、あくまで『事実関係』については白紙です」(1997年3月18日付け原告宛ての署名入り手紙)と称したりしている。だが、前記講座の開始に当たっての同人の文章を見る限りでは、前述の通り、自己の文藝春秋および花田紀凱に対する宿年の恨みを晴らすために本件の主題を利用していると判断する他ないのであるから、決して「白紙」ではあり得ない。評論雑誌の編集者、または自称の「新聞記者」としては、いかにも無責任極まりない態度である。
被告・金子マーティンの場合には、原告の著書、『アウシュヴィッツの争点』を読んだ上でのこととして、「検討」(連載1)すると称しているのであるが、原告が極右のシオニスト支配を批判し、同時に、前述のような最新の法医学的鑑定結果の紹介に努めていることを故意に隠蔽し、原告に対して「歴史改竄主義者」という造語にはじまる罵倒を執拗に繰り返している。しかし、科学的な意味での歴史とは本来、新発見と新解釈によって、常に書き改められなければならないものである。しかも、同人が「歴史」と称するものの実態は、単に、ニュルンベルグ裁判所による判決の一部にほかならないのであるが、同裁判所による判決そのものが、前述のように、カチンの森のポーランド将校虐殺事件をはじめとして、次々にくつがえっているのが現状である。同人は、「歴史改竄主義者」と決め付ければ、あらゆる罵倒が正当化されるかのような態度に出ているのであるが、その土台自体にも正当な根拠がないのである。
2、『週刊金曜日』における原告に対する誹謗・中傷・名誉毀損記事の掲載状況
具体的な誹謗・中傷・名誉毀損の字句の全体に関しても、のちに詳しい証拠にもとづいた立証を行なうが、被告・本多勝一には、自ら「悪口雑言罵詈讒謗集」を副題に冠する著書、『貧困なる精神』のシリーズがあることからも明らかなように、言論の自由の範囲を逸脱した表現を必要以上に用い、その文章を公刊して恥じないところがあり、本件に関する言動にも、その下地が露呈している。
被告・本多勝一は、すでに『週刊金曜日』の1995年[平7]2月17日号掲載「投書欄」でも、「下品な表現はやめよう」と題する読者の投書に答えて「(編集部から)[前略]ご意見はもっともと思われますので、今後留意してゆきたい所存です」と記していた。その2年後には、本件との関係で原告が電話で注意した際、同誌1997年[平9]1月24日号巻末の「編集部から」と題する編集後記で、「『応募規定』の『趣旨を変えない範囲で手を入れることがあります』を今後拡大して、削って短くする例を多くする予定」などと投書欄の紙面改革を約束した。ただし、この号では同時に、それまでの規模を大幅に上回る原告への誹謗・中傷・名誉毀損の記事連載が始まったので、原告がさらにファックス・メモで注意したところ、1997年[平9]2月14日号「編集部から」で、その注意の一部に答えて、つぎのように記していた。
「木村愛二氏から次のような抗議がありました。『具体的な内容のない愚論は我慢するとしても「パラノイア」とか「下劣」とかの、執筆者の人格を暴露するだけの罵倒をそのまま掲載する貴編集部の姿勢について、見解があれば伺いたい』[中略]ご指摘はもっともと思われます[後略]」
以上の経過に照らすと、被告・本多勝一は、投書欄に関しての「下品な表現」などについての批判を受けると、すぐに「もっともと思われます」と言葉だけの応対をするものの、実は右の耳から左の耳へと聞き流し、一向に改める努力をしないばかりか、むしろその逆に、投書欄を上回る規模で同種の罵倒記事の掲載を拡大するという、いわば悪口雑言罵詈讒謗癖の常習犯だと判断せざるを得ない。
3、字句表現そのものによる誹謗・中傷・名誉毀損の事実
原告に対しての誌上における誹謗・中傷・名誉毀損の事実に関して、中心的な字句だけを出現の順序に列挙すると、以下の通りである。なお、これ以外にも、「すり替え」「無神経」「不当」「歪曲」などの程度の、およそ他の一応の見識を誇る新聞・雑誌等の活字メディアでは絶対に見当たらない無内容な、罵倒的字句が頻発し、これらが全体としては名誉毀損の要件を構成している。ただし、これらは枚挙に暇がないので現段階では個別的な指摘は留保し、特に低劣な字句のみを、それも重複使用されている場合には原則として一回のみ挙げる。また、投書欄のみへの寄稿者に関しては、前述の投書規定によって編集部の取捨選択の権限が事前に明示されていることもあり、寄稿者本人の社会的・倫理的な責任は別として、あえて損害賠償の責任までは問わず、本訴状では氏名を省く。
1996年[平8]10月11日号・65頁「論争」欄……「自著の宣伝文句に大言壮語を連ねる」「かかるいかがわしさ」「議論の余地なくそれらの言説はネオナチ宣伝」「政治的デマゴギー」
1996年[平8]10月25日号・81頁「論争」欄(被告・梶村太一郎執筆)……「冒涜」「ほぼパラノイアに近い」「ガス室否定論者の西岡昌紀氏と共に室内に入り、同志の花田紀凱氏に外からチクロンB[ドイツのデゲシュ社が製造販売していた青酸ガスを発生する殺虫剤であるが、殺人工場のガス室で使用された凶器と称されている]を放り込んでもらえばよい」「デマゴギーの典型」「売れない自著の宣伝意図までが見え、実に不毛かつ不愉快」
1996年[平8]12月13日号・64頁「投書」欄……「犠牲になった人々の魂を冒涜すること」「年寄りのヨタ話」
1997年[平9]1月10日号・64頁「投書」欄……「みずからの『仮説』が正しいとうぬぼれるのならば、実物大のシャワールームを造り、再現実験を全世界の歴史修正主義者を被験者にして、ぜひ行うべきだ」「片々たる妄説」「木村氏の友人ネオナチ」「信念のない、下劣な政治的レトリック」
1997年[平9]1月24日号・50~53頁「『朝日』と『文春』のための世界現代史講座」9「『ガス室はなかった』と唱える日本人に捧げるレクイエム」(1)……「レクイエム」(羅和辞典では「死者のためのミサ」)「歴史改竄主義者」「疑似学術的」「お粗末」「ナチスの犯罪の否定・矮小化をその使命とする『修正主義学派』」「いい加減さ」「研究不足と偏向」「非科学性」「泥酔者」「侮辱し冒涜する主張を繰り返す」「主張に内包する犯罪性や人権無視」「ユダヤ人排斥主義者」
1997年[平9]1月31日号・50~53頁「同前講座」9(2)……「『細工』(資料改竄)なしに自分の主張を維持できない」「研究不足を暴露」「デマゴーグ」
1997年[平9]2月7日号・66~69頁「同前講座」9(3)……「煽動者」「極めて無責任」「ディレッタント」「歴史資料に基づかないデマ」
1997年[平9]2月21日号・28~31頁「同前講座」9(5)……「読者を惑わそうとする」「一味に属する」
1997年[平9]2月28日号・20~24頁「同前講座」9(6)……「学術組織を装った」「民族差別主義者」「欧米の歴史改竄主義者やネオ・ナチの主張の『翻訳』でしかない『アウシュヴィッツの争点』」「「職業的虚言者の『戯言』」「読者を煙に巻こうとする」「墓場から蘇ったような『ゾンビ』」「二次資料の改竄さえも怯まないディレッタントでかつデマゴーグ」「恥知らず」「低次元」「言い逃れ」「ドイツ語のイロハも知らない」「化けの皮」「負け犬の遠吠え」「犬は歴史改竄などをしません」「醜いゾンビ」「頭脳アクロバット」「愚説」「犠牲者・遺族・生還者たちを[中略]侮辱・冒涜」「悪あがき」
(例示続く)
その5:詐欺的引用の間に進む