木村愛二の生活と意見 2003年12月 1件のみ

アラブ人哲学教授との遭遇から「何を考えているのかますます分からなくなる」日本人名誉教授切り捨ての画期の覚悟に至る

2003年12月16日(火曜日)

 またもや、今月も「月記風」となり、しかも、これで3回目の連載の形式になってしまったのだが、前回は以下に抜粋するように、本日から1ヶ月と10日前であった。

 その全文は、以下のURLを叩けば出てくる。

---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/turedure-03-1106.html
 [中略]
2003年11月6日(木)
78歳マハティール「ユダヤ人が世界支配」発言紛糾し激動の半月の間にアラブ語の歌も覚えたわがイスラム体験の躍動
 [後略]
---------- 引用ここまで ----------

 以下では、いちいち「引用」と断ると、かえって、ややこしくなるから、新規の作文、書き直しとする。


 私は、偶々、2003年10月17日の記念すべきマハティール演説が行われる直前、現代史研究会が10月13日の「体育の日」の休日に開いたイスラム理解のための例会で、アラブ人のモロッコ大学哲学教授に会った。

 このアラブ人哲学者との遭遇に関しては、前々回の「日記風」、実は「月記風」、で、新著発行を契機とする3時間講演決定の新局面を前にして、私が、「まだ生まれてない」アラブ人哲学者には「負けた!」と記した。

 私は、その時のことを、(2003年10月19日(日)の日付け)「月記風」では、「このアラブ人の哲学者に関しては、後に詳しく記すが、ともかく、彼は、私と同様に、生死を超越した哲学を体得しているのである」とし、「先に記した12月19日の講演では、冒頭に、このアラブ人の哲学者との遭遇体験をまず語り、大きな歴史的視野からの話をする予定である」と書いた。

 このアラブ人哲学者の名前は、名刺から正確を期して写すと、ローマ字綴りで、Mahdi ELMANDJRAである。発音は、カタカナで書くと、マフディ・エルマンドジュラで良いらしい。1933年生まれで現在は70歳、私より4歳年上である。会話の言語は英語である。彼はアメリカで暮らしたことがあり、発音はアラブ語の訛りがきついが、わが鬼畜米英時代育ちの耳でも十分に聞き取れるし、英会話には不自由しないようである。

 二次会の懇親の場で、私は、エルマンドジュラの隣に座り、まず、1枚のA3判の紙片を示した。上記の12月19日の講演の冒頭で歌う予定で鋭意練習中のアラブ語の歌のアラブ文字による歌詞である。彼は即座に大きく頷いて、これは廃墟(Ruin)という有名な歌だ」と言い、私と一緒に最初の部分を歌った。

 これでもう、バッチリ、親友になれた。続いて私は、当日の集会の重要な鍵言葉、「意味論(または語義論)の戦争」(semantics War)を持ち出し、「意味論の戦争」なら、「ジェノサイド(Genocide、大量虐殺)、ホロコースト、ショアが、最も重要ではないか」と切り込んだ。彼は「わが意を得たり」とばかりに、再び大きく頷いた。

 私は、当日の集会の主役の彼、エルマンドジュラの話を聞きながら、拙訳『偽イスラエル政治神話』の以下の部分を想い出していたのだった。

---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-27.html
『偽イスラエル政治神話』(その27)
 3章:諸神話の政治的利用(その4)
  2節:フランスのイスラエル=シオニスト・ロビー(その1)
[イスラエル支持報道による事件の意味の逆転現象]
 何よりの証拠は、メディアのほぼ全体に及ぶ横並び現象であり、イスラエルを支持する立場から、事件の意味が逆転して報道されている。典型例を挙げれば、メディアは、弱者の暴力を“テロリズム”と報道し、強者の暴力を“テロリズムに対抗する戦い”と報道するのである。
 虚弱なユダヤ人が、PLOの背教者の手で“アキレ・ラウロ”号の船外に投げ出されると、これは確実にテロリズムであり、その報道には誰も異議を唱えられない。ところが、その報復として、イスラエルがチュニスを爆撃して五〇人を殺し、その中には何人かの子供までいても、これは“テロリズムに対抗する戦いであり、法と秩序の防衛である”と報道されるのである。
 [後略]
---------- 引用ここまで ----------

 モロッコは、ヨーロッパ列強によるアフリカ植民地分割支配の時代に、フランスの保護領を経て、仏領、スペイン領、国際連盟の管理下のタンジール地区に分かれていたから、フランス語が知識人に通用する。だから、エルマンドジュラは、アラブ語訳が出る以前に、『偽イスラエル政治神話』の原著を読めたはずなのである。

 そこで私は、さらに切り込み、『偽イスラエル政治神話』の原著者、ガロディの名を出した。

 おお、この時のアラブの先輩の興奮振りたるや、薄暗い神田の居酒屋の畳の上で、ぐいと、その顔を私に近寄せ、名刺を取り出し、お前の名刺を寄越せ、と言うのである。

 なぜか。彼は上記の本のアラブ語版に序文を書いたと言うのである。だから、そのアラブ語の本を、お前に送ると言うのである。私は、ちょうど、自分が集会で売る本の入れ物の移動式バッグを持っていたから、早速、わが拙訳を取り出し、「これはプレゼント」と言って献上した。表紙にはフランス語の題名が入っているから、彼はすぐに分かり、彼は、ますます興奮し、裏表紙に、自分へのプレゼントとして名前を書けと来た。

 もちろん、即座に応じた。当日、急いで出たので、名刺入れを忘れていたが、手持ちの紙切れにローマ字で住所、氏名、電話番号を記した。ああ、酔いが醒めたので、また飲み直した。

 当日の現代史研究会主催の集会では、彼と板垣雄三が、中心的なパネラーだった。板垣は、1931年生まれだから、アラブ人哲学者より2歳年上の勘定になる。


 さて、今回は、まず、上記のアラブ人哲学者、マフディ・エルマンドジュラの「ますます興奮」の話の続きである。

 なぜ、彼が「ますます興奮」したのか。理由は実に簡単である。これは、すでに上記したことである。彼は、拙訳『偽イスラエル政治神話』の「アラブ語版に序文を書いた」のだからである。

 当然、フランス語の原著も読んでいるのである。前述の通りで、彼は、フランス語もできるのである。

 なお、この翌日、私は、彼の名刺に記されていた電網宝庫を訪問し、その「序文」のフランス語版を入手した。彼の電網宝庫のURLは、以下である。

 http://www.elmandjra.org/ (2019.8.13追記:不通)

 この電網宝庫には、アラブ語、フランス語、英語、この3言語の情報が入っている。

 さて、話しを再び、この「月記風」連載の最初に戻すが、彼と二次会で懇談した日は、10月13日の「体育の日」の休日であって、この日に、現代史研究会が、イスラム理解のための例会を開いたのである。

 この例会の中心的なパネラーは、彼と板垣雄三だった。彼の来日が決まってから、例会の日程も決まったのであるから、彼の方が本当の中心なのである。

 ところが、板垣雄三と、追加のコメンテーター諸氏の発言は、エルマンドジュラの最初の発言と、ほとんど、または、まったく、噛み合っていなかった

 後刻、主催者の事務局から漏れ聞いたのだが、この集会の前の打ち合わせで、エルマンドジュラと板垣雄三の間に、「諍い」があったのだそうである。

 エルマンドジュラは、日本には何度も来ているが、日本人が何を考えているのか、ますます分からなくなったという主旨のことを、かなり強い口調で語っていた。苛立っている感じであった。

 彼が「日本人」と言う相手は、日本政府首脳のことでは、決してない。2003年10月13日という時点は、すでに、日本が自衛隊をイラクに送るか否かを巡って、内外の動きが慌ただしく、日本政府は「送る」方針を表明していたのである。だから、政府の考えは、非常に「分かり易い」のであった。

 エルマンドジュラが、「何を考えているのか、ますます分からなくなった」という「日本人」の代表格は、板垣雄三であると、私は、判断する。

 この時の判断は、その後、いくつかの状況証拠をも加えて、私が、以下の通信、投稿に踏み切る判断の決定的な材料となったのである。

 言葉はきつくなったが、ことの性質上、しかも、時局緊迫の折から、仕方がない。やむを得ない。

 もう一つの決定的な証拠は、以下の通信の中に記したことである。板垣雄三は、この期に及んで、自衛隊のイラク「派遣」、または「派兵」との関係で、「国連」という最も重要な鍵言葉を、非常に慎重に、避け続けていたのである。

 この通信は、わが人生の上でも非常に重要な画期を成すものであるから、ここに再録し、ここにも重ねて記録を残す。


http://www.jca.apc.org/~altmedka/2003aku/aku698.html
http://www.asyura2.com/0311/war43/msg/526.html 
『亜空間通信』698号(2003/11/27)
【現下の国際経済政治軍事をド素人の東大名誉教授板垣雄三とかの体制許容補完物に聞く愚民の悲惨】
 [中略]
 先の総選挙とやらで、1960年安保闘争の時期に「反体制」の中心勢力だった政党は「総崩れ」となった。この総崩れには、労働組合の総崩れ、または「右傾化」が先行していた。

 これらの総崩れ状況が底辺にあるから、最近の「反戦」運動は、右往左往、動員数は鋭角の波形の乱高下で、思想水準は基本的に低下、理論などは無いに等しい状況にある。

 政党やら労組やらの「歴戦の勇士」は皆無だから、勢い、最早、愚民と化した「反戦」の若者、昔の言葉で言うと「女子供」を、権威主義の隠花植物、アカデミー業界の商売人、「教員」と呼べばまだしものこと、「教授」とか「名誉教授」の虚名の肩書きで釣って、金も少し集めては、「主催者発表○○名」のしょぼくれた集会を、各所で、しこしこ、開いている。

 私は、1960年安保闘争と呼ばれる時期に、偶々、都心の大学4年生だったために、国会周辺にも行き、以後、この主の運動の状況を下から観察し続ける羽目に陥った。だから、現状は惨めったらしくて、とても、とても、見ちゃあ、いられない。

 さて、さて、そこで、座視するわけにもいかない。911以後、アフガン、イラク、並行してパレスチナ、やがてはシリア、イランへと戦火が拡大する状況下、私は、ここらで、はっきりと、「偽の友」とその類型のすべてを見切り、見捨て、批判し去り、精神的な意味での精鋭の結集を図る以外に、世界平和実現に向かう活路は開けないと判断し、かねてからの想いの具体的公表の覚悟を決めた。

 軍事用語で言えば、「粛軍」である。重要な局面では、役に立たない手足纏いとか、もしくは敵に通じさえする面々とかを積極的に排除し、精鋭を結集し、軍勢を再編成する必要があるのである。そうしなければ、戦いに勝てないどころか、危険この上ないのである。

 黒澤明監督、7人の侍ぐらいの人数がいれば、それで十分である。キューバ革命の場合には、決起の集団が裏切り者の通報により侵入口の海岸で、ほぼ全滅状態となり、這々の体でシエラマエストラ山中に逃げ込んだ人数が、ほぼ同じ7人ぐらいだったと記憶する。

 その主旨での「見切り、捨て去る」代表格として、私は、あえて、中東史学会の大御所の位置にある旧知の板垣雄三(東大名誉教授)を指名する。その方が、わが覚悟の程が、一般にも分かり易くなるからである。

 だから、はっきりと書く。驚く方も多いだろうが、そんなにたいした批判ではない。

 私は、5歳ほど年上の板垣雄三とは、湾岸戦争後からの付き合いだが、最早、相撲で言う「胸を借りる」時期は、とっくに過ぎた。

 とは言っても、もともと、板垣雄三は、中東史を専門とする官学の歴史学科の教員でしかない。体制の許容範囲をはみ出さないように上手に勤め上げたから、「名誉教授」の肩書きを有するだけのことである。

 それ以外には、専門もないし、職業経験も、ましてや、闘争経験などは全くない「ド素人」である。私は、彼に、中東関係の「有職故実」や「訓詁学」程度の実際には「どうでも良い」ことで、少し教えられ、何人かの中東業界の友人を紹介されただけのことであった。「恩に着る」と言うほどの関係では、まったくない。

 つい最近、某大学教授を代表に担ぐ「民主主義」ごっこの市民運動への誘い掛けの電子手紙がおくられてきたので、私は、以下の返信をした。

---------- 引用ここから ---------- 
 私に問題提起を依頼しないようなら、ほとんど無意味の自己満足教会で、「偽の友」うじゃうじゃになり兼ねない。
 特に大学教授と称するアカデミー業界の商売人に頼るのは、最悪である。
 旧知の東京大学名誉教授の板垣雄三も文化功労賞を授与されて取り込まれる時代である。
 彼とは最近、4度も顔を合わせて、話したが、びくびくしていた。彼は、私に本音を見抜かれていることを、知っているのだ。
---------- 引用ここまで ----------

 続いて、本日、阿修羅戦争43掲示板に、以下の「質問」の投稿をした。

---------- 引用ここから ---------- 
11月2日の東大駒場「天木直人」主役のシンポ参加者に質問:板垣雄三の自衛隊イラク派遣は国連主導だったか
http://www.asyura2.com/0311/war43/msg/515.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 11 月 27 日 20:55:13:CjMHiEP28ibKM
 11月2日の東大駒場「天木直人」主役のシンポ参加者に質問:
 板垣雄三(東大名誉教授)の「自衛隊イラク派遣もあり得る論」は国連主導の条件だったか否か
 天木直人(元レバノン大使)の方は、明確に「国連の要請であれば」の主旨の条件を述べた。流石、外交官と思ったのだが、板垣雄三は、その前に、10月22日の現代史研究会で、国会でしゃべったと言い、自衛隊の派遣もあり得る旨のことを国会で言ったと、そこで語った。しかし、「国連」の条件には言及しなかったと記憶する
 この点は非常に重要と思うので、記憶なり記録のある方は、教えて欲しい。
 阿修羅戦争42掲示板の投稿、「天木シンポ」には、、司会の下村健一のTBサイトへのリンクがあるが、そこには、板垣雄三の発言の記録がないのである。
---------- 引用ここまで ----------

 このわが質問への回答がなかったので、電網検索による調査をして、以下の自己フォロー投稿をした。

---------- 引用ここから ----------
板垣雄三は国会でも「国連」という言葉を1度も口にしなかった検索結果あり。
http://www.asyura2.com/0311/war43/msg/520.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 11 月 27 日 22:20:45:CjMHiEP28ibKM
(回答先: 11月2日の東大駒場「天木直人」主役のシンポ参加者に質問:板垣雄三の自衛隊イラク派遣は国連主導だったか 投稿者 木村愛二 日時 2003 年 11 月 27 日 20:55:13)
 板垣雄三は実に慎重にまたは巧妙に国会でも「国連」という言葉を1度も口にしなかった検索結果あり。
 やはり、いかにも「東京大学名誉教授」らしい芸当である。「偽の友」断定の朱印を押す。
 以下の議事録を複写して、「国連」の鍵言葉で検索した。

---------- (この投稿の内部の)引用ここから ----------
第156回国会 外交防衛委員会公聴会 第1号
平成十五年七月十八日(金曜日)
午後一時三十分開会
公述人:
上田愛彦(財団法人ディフェンスリサーチセンター専務理事)
板垣雄三(東京大学名誉教授)
小川和久(国際政治・軍事アナリスト)
栗田禎子(千葉大学文学部助教授)
前田朗(東京造形大学造形学部教授)

[後略]
---------- (この投稿の内部の)引用ここまで ----------

 以上の5人の「公述人」の中で「国連」という言葉を1度も口にしなかったのは、板垣雄三だけであった。
 他の教員職の2人も、元自衛官の小川和久も、はっきりと、「国連」の旗の下での活動を強調していた。というのに、まあ。
---------- 引用ここまで ----------

 911事件以後、板垣雄三と、ある集会の二次会の懇親会で向かい会った時に、彼は、「板垣さんがまた陰謀論をと言われるんだよ」と呟くように言った。愚痴である。

 誰がそう言うのかといえば、わが呼称「中東業界」の連中である。だから、私は、編著『9・11事件の真相と背景』(副題:「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く)の中で、次のように記したのである。

---------- 引用ここから ----------
 [前略]
 日本国内で、モサド・CIAの謀略を疑う意見を、「陰謀説」として退け、または逃げ、無視したのは、いや、それどころか、その無視と言論抑圧の論調の先頭に立ち、しかも、アラブ情報を歪めさえしたのは、何と、「中東専門家」として飯を食っている連中だったのである。私の手元には具体例の資料が山ほどある。
 [後略]
---------- 引用ここまで ----------

 こう記した時点では、まだ、板垣雄三が、最も重要な鍵言葉、「国連」さえも使わないほど腐りきっているとまでは、判断していなかった。もちろん、疑問を抱きつつ観察は続けていたから、上記のような状況の問題点が、はっきり分かるのである。

 各々方、用心召されよ!

 3ヶ月にもわたる経過もあり、いささか混線気味で申し訳ないが、以上を、今月、2003年12月、先月の11月末にはイラクで、2人の日本人の外務省職員、1人のアラブ人の運転手が殺害され、日本政府が、自衛隊「派遣」へと急速に動き出し、日本国内でも物情騒然たる状況の下での「日記風」の記録、備忘録とする。

 以上。


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