2018.6.8追加 ▼ アキレ・ラウロ号 モサドの関与(アリ・ベン=メナシェ)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
『亜空間通信』576号(2003/04/16)
【なぜシリア攻撃直前の今:アキレ・ラウロ号事件犯人?アブ・アバ逮捕劇か疑う】
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
、突如、「バグダッドで匿われていた」 が、大々的にCNNで、何度も放送され、さらにはブッシュが、いかにも憎々しげに、そのことで何度も演説しているのか。
以下、関連情報を羅列する。
まず、アキレ・ラウロ号事件とは、何か?
このような実は著名な事件なのである。
----- 引用ここから ------------------------------
http://members.jcom.home.ne.jp/3114422401/tero1.htm
変貌するテロリズム テロの歴史2001 年 9 月 17 日 デビッド・グレーンバーグ
[中略]
ヤセル・アラファトが1960年代と1970年代には進んで民間人を標的とする、世界でも有数の残忍かつ革新的なテロリストであったことを思えば、彼が近年イスラエルと行った和平会談には疑念を向けるまでもない。アラファトが1968年に議長として率いることになったPLOこそ、世界の認識を勝ち取ろうと他に先駆けてハイジャックや人質をとるという戦術に出たのだ。血も涙もない虐殺に手を染め、スクール・バスの爆破にも躊躇することはなかった。PLOに属する各グループが実行してきた行為の数々は、現代において最も忘れがたいテロリズムだ。1968年には最初の大規模なハイジャックとしてイスラエルの民間旅客機がターゲットになった。1972年にはミュンヘン・オリンピックにおいて11人のイスラエル人選手が殺害された。1976年には、イスラエル機がハイジャックされ、ウガンダのエンテベに着陸したが、イスラエルの特殊部隊が突入して人質を解放した。また、イタリアのクルーズ船アキレ・ラウロ号が乗っ取られた際には、車椅子のアメリカ人レオン・クリングホッファーが殺害された。その他にも、これほど記憶に残っていないだけで、アメリカ人やイスラエル人が犠牲になったハイジャックや人質事件、爆破などは何十件も発生している。
[中略]The Changing Face of Terrorism
(デビッド・グレーンバーグ:リチャード・ニクソンに関する著書もある)
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------
要するに、電網検索で簡単に日本語の頁がでてくるほどの非常に有名な事件であり、
なのである。次は、拙訳『偽イスラエル政治神話』からの関係部分の抜粋である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-27.html
『偽イスラエル政治神話』(その27)
3章:諸神話の政治的利用(その4)
2節:フランスのイスラエル=シオニスト・ロビー(その1)
《フランスには、イスラエル支持の強力なロビーが存在し、とりわけ情報の分野に強い影響力を持っている》(ドゥ・ゴール将軍)
フランスでは、ただ一人、ドゥ・ゴール将軍だけが、あえて、こう明言した。《フランスには、イスラエル支持の強力なロビーが存在し、とりわけ情報の分野に強い影響力を持っている。こう断言すると、何時でも、悪評を立てられる。しかし、この断言には、実際に、常に重要な真実の一部が含まれている》(「偏ったイスラエル支持」『パリジャン・リベレ』88・2・29掲載記事)
以後、フランス共和国の大統領候補者の誰一人として、所属政党の如何を問わず、ミシェル・ロカールからジャック・シラクに至るまで、ミッテランは言うに及ばず、メディアによる封土授与を得るためのイスラエル参勤交替を怠らなかった。
中心的な指導者たちが“LICLA”(人種主義と反ユダヤ主義に反対する国際同盟)で構成されているメディアのロビーの影響力は、非常に強く、世論を思うがままに操っている。フランスのユダヤ人の人口は、フランスの全人口の約2%でしかないが、シオニストは、メディアの政治的な決定権を握るメンバーの多数派を支配している。テレヴィからラディオ、活字メディアの日刊紙であろうと週刊誌であろうと、映画に至っては特にハリウッドからの侵略までが加わっているし、出版を手中に収めて編集会議での拒否権を握り、“メディア”の財政的な摂政役の広告にまで、その支配が及んでいる。
[イスラエル支持報道による事件の意味の逆転現象]
何よりの証拠は、メディアのほぼ全体に及ぶ横並び現象であり、イスラエルを支持する立場から、事件の意味が逆転して報道されている。典型例を挙げれば、メディアは、弱者の暴力を“テロリズム”と報道し、強者の暴力を“テロリズムに対抗する戦い”と報道するのである。
虚弱なユダヤ人が、PLOの背教者の手で“アキレ・ラウロ”号の船外に投げ出されると、これは確実にテロリズムであり、その報道には誰も異議を唱えられない。ところが、その報復として、イスラエルがチュニスを爆撃して五〇人を殺し、その中には何人かの子供までいても、これは“テロリズムに対抗する戦いであり、法と秩序の防衛である”と報道されるのである。
あたかも、幕の陰に隠れたオーケストラの指揮者が振り回す細い指揮棒に従っているかのように、およそすべての“メディア”から、コペルニク通りのユダヤ教会堂への襲撃であろうと、カルパントラ墓地での不敬行為[後出]であろうと、レバノンへの侵略であろうと、イラクの破壊であろうと、常に、まったく同じ音楽が流れ出てくる。
[中略]
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise-28.html
2節:(その2)
[中略]
[反ユダヤ主義の妖怪で世論を煽る常套手段]
従来と同様に、シオニストは常に、反ユダヤ主義の妖怪を持ち出しては煽り立て、イスラエルに対する絶え間ない脅威が存在しているのだから、イスラエルには援助が必要なのだと、世間に信じ込ませ続けている。イスラエルの不当な請求に仮面を被せるためには、新しい挑発行為を重ねる努力も怠らない。手口は、いつも似たようなものである。[レバノン侵略で]サブラとシャティラの虐殺が起きた時、作家のタハル・ベン・ジェロームは、つぎのように記した。
《別の場所で同時に発生することが、何度も繰り返されると、ついには重要な兆候として理解されるようになる。現在、人々は、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義的な暴行事件が何に奉仕し、その種の犯罪が誰の得になるのかを良く知っている。それは今、パレスチナやレバノンの民間人の住民に対する計画的な虐殺を、巧みに隠蔽する役割を果たしている。この種の暴行事件が、ベイルートでの流血の惨事に、あるいは先行し、あるいは続いて起き、あるいは同時に発生していることが確認できる。このテロリストの作戦は、彼らが追求している政治的な目的を、直接的または間接的に成し遂げる能力を見せており、現在までのところでは完璧に、その目的を果たしている。その目的とは、パレスチナ問題についての理解が、いささかでも高まり、同情を呼び始める度毎に、その関心を、そらすことである。この種の組織的な作戦によって、事件の意味が逆転し、犠牲者の方が逆に、残忍な殺人者やテロリストに仕立て上げられている。パレスチナ人を“テロリスト”に仕立て上げることによって、彼らから歴史を奪い、その結果として権利を奪っているのだ。
八月九日のロジェル街での虐殺事件が起きたのは、ありとあらゆる種類の爆弾の豪雨が、ベイルートに降り注ぐ数時間前ではなかっただろうか?
ベヒル・ゲマイエルの暗殺事件が起きたのは、イスラエル軍がベイルートの西部地区に侵攻してから、二時間後のことではなかっただろうか?
しかも、この侵攻作戦は、その一方で、ヤセル・アラファトの法王訪問という画期的なニュースを、片隅に押しやってしまったのである。
カルディネット街で爆弾を仕掛けられた車が爆発し、その翌日には、ブリュッセルのユダヤ教会堂の前で銃撃戦が始まったのは、サブラとシャティラのパレスチナ人キャンプで、史上空前の虐殺が繰り広げられたのと、時期が合致するのではないだろうか?》(『ル・モンド』82・9・22)
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------
以下は、アキレ・ラウロ号事件と対照されている
の記事である。----- 引用ここから ------------------------------
http://www3.asahi.com/opendoors/span/syukan/briefing/backnumber/400/437.html[ 週刊朝日1998年11月13日号 ]
スパイ事件がイスラエルと米国の仲にひびを入れる?クリントン米大統領が仲介して行われたネタニヤフ・イスラエル首相とアラファト・パレスチナ自治政府議長の三者和平交渉は、イスラエルがヨルダン川西岸の一三%を同国の管轄下から自治政府管轄下に移すことなどを決めた「ワイ・リバー覚書」に調印し、いちおうの成果を上げた。
しかし、交渉の最後の段階でイスラエルと米国は、イスラエルの対米スパイ、ジョナサン・ポラードの扱いをめぐって緊張した。ネタニヤフがクリントンに対し、和平妥結とからめる形で、終身刑で服役しているポラードを釈放するよう求めたからである。「帰りの飛行機で一緒に帰国できるよう取り計らってほしい」と迫ったといわれる。
話は十三年前にさかのぼる。
米連邦捜査局(FBI)は一九八五年十一月、当時メリーランド州にある米海軍情報部に勤務していた情報分析官ジョナサン・ポラード(当時三十一歳)と妻のアン(同二十五歳)をスパイ容疑で逮捕した。
ポラードはそれまで一年半にわたって職場から持ち出した米偵察衛星による写真など段ボール箱数十箱分の機密文書をイスラエル政府に渡していた。
ポラードはユダヤ系米国人。スタンフォード大学を卒業後、海軍に入った。シオニズムに共鳴し、大学時代、イスラエルに行き、キブツ(共同農場)で暮らしたこともある。動機にイスラエルへの強い共感があったことは確かだったが、スパイ行為の見返りに イスラエル側から二十万ドルを十年間にわたって受け取ることのほか毎月二千五百ドルの手当を受けていた。
二人はFBIに追われていることに気づき、ある日、一匹の飼い猫とともにワシントンのイスラエル大使館に車で逃げ込んだ。機密情報を詰め込んだスーツケース二つを持参していた。イスラエル政府に求めた政治亡命は認められず、身柄は米捜査当局に引き渡された。
イスラエル政府はただちに謝罪声明を発表し、入手した機密文書をすべて返却することを約束した。しかし、同盟国である米国をスパイしたのはイスラエル政府の一部の「rogue operation」(ならず者たちの無謀な作戦)であり、政府は関与していない、との立場を取った。
スパイ作戦を担当したのはイスラエルの諜報機関モサドではなく、それとは別の「科学関係局」(レケム)という情報機関だった。
ポラードが何を盗んだのかは、米国にとってもイスラエルにとっても、いまもなお最高の国家機密である。
それは米国が最も神経をとがらせる三つの分野すべてのインテリジェンス情報を含んでいた可能性が大きい。
暗号解読能力
偵察衛星からの画像その他のデータ
潜水艦の動きイスラエルにとって最大の関心事はアラブ諸国の軍事動静である。イラク、シリアの化学兵器工場のありかや、リビアの対空防衛態勢の測定などがその中でも重視された。
ポラードの獲物のうち最大かつ直接の成果は、チュニジアの首都チュニスにあったPLO(パレスチナ解放機構)の秘密本部を空から写した写真だった。それをもとにイスラエル空軍はそこを爆撃した。
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------
以上により、極右イスラエルが、しかも、ゴラン高原侵略の際には国防相だった最悪の極右のシャロン首相が、
、と警告する。以上。
2018.6.11追加 アキレ・ラウロ号 モサドの関与(アリ・ベン=メナシェ)
ペンタゴン(米国防総省)戦慄の完全支配
核兵器と謀略的民主化で実現する新世界秩序
ウィリアム・イングドール著 為清克彦訳
2011年10月31日 株式会社徳間書店 超知ライブラリー071
p267-268より引用
。この作戦を指令したのは であり、実行したのはパレスチナ人組織内にいたモサドのエージェントだった。どのように作戦が準備されたのか、その詳細は、モサドの内部者でイスラエルのイツハク・シャミル首相の特別諜報アドバイザーをしていた という本に書いている。
ベン=メナシェによると、アキレ・ラウロ号への攻撃は、パレスチナ人がいかに有害な自滅的な集団であるかを示すためのイスラエルによる偽情報(ブラック・プロパガンダ)活動」だったという。(46)彼によると、モサドは「シチリア人の貴族」を装ったエージェントを通じ、アブル・アッバスという名前の男に何百万ドルもの資金を渡し、「攻撃して、何らかの残虐行為をする」という命令に従わせた。
そして、アッバスは周遊船を攻撃するためのチームをかき集めた。チームは、疑うことを知らない一般市民に対し、「パレスチナ人の要求が満たされなければどんなことが待ち構えているか、よく見せ付けるよう、ひどい状態にせよ」と指示されていた。チームは、車椅子に乗った初老のユダヤ系アメリカ人男性(レオン・クリンフオフアー)を選び出し、殺して海に放り投げた。彼らはパレスチナの主張を通した。だが、
。(47)46)Ari Ben-Menashe, Profits of War: Inside the SecretU.S. ? Israeli Arms Network (New York: Sheridan Square Press, 1992)122.
47)前掲。アキレ・ラウロ号の事件には奇妙な尾ひれがついている。1985年10月にアキレ・ラウロ号ハイジャック犯の逮捕の成功に導いた国連の海軍将官はデイビッド・エレミヤ提督であったことは特筆に値する。彼は引退すると、JINSA(安全保障問題ユダヤ研究所)などイスラエルの右翼リクード党に近いネオコン組織の活発なメンバーになった。Stephen Greenの前掲書を参照。
➡ ブッシュ国際音痴笑えぬ日本アキレ・ラウロ号主犯?逮捕にユダヤ圧力と仏分析