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智樹と達哉は一緒にスイミングクラブを出ると、智樹の自宅で朝食を取りながら状況の検討を始めた。
智樹の妻は10年前に亡くなった。子供は2人いるが、娘は5年前に結婚し、息子は2年前に高校を出てからフランスに留学中である。気楽な男1人の暮らしなので台所と書斎兼応接間だけが、かろうじて掃除がしてあるといった状態。片隅のソファとテーブルのセットが今の仕事場である。
「まずテープを聞いてもらおうか」
達哉は長椅子に身を横たえ、目を閉じて耳を澄ませた。智樹が採ってきたテープをこうして聞くのは何度目であろうか。録音は、背広の内ポケットに収まる高性能小型カセットデッキによるものである。語調や息遣いから、発言のニュアンスを嗅ぎとるのが達哉の主たる役回りであった。
最初に、絹川のお馴染み〈マスターズ・ヴォイス〉でニヤリとする。次の内閣官房審議官、秩父冴子の声に対しても一言。
「相変わらずのイケシャーシャー振りだな」
達哉は声だけでしか冴子を知らない。達哉が最初に冴子の声を聞いたのは、防衛庁のマル秘文書持ち出しに絡む上層部スキャンダルのもみ消し事件であった。そのときに達哉が冴子につけたあだ名が、そのものずばり、〈イケシャーシャー女史〉である。
智樹がそれを聞いて、
「イケシャーシャーは可愛想だよ。それじゃあ、まるで盗人の居直りじゃないのか」
と茶々を入れると、達哉はすかさず、
「高級官僚の国会答弁なんてのは、国家犯罪の口ぬぐいか開き直りに過ぎないだろ。このしゃべり方はその典型だよ。女だてらに見事な紋切り型だ」
と真っ向から切り返したものである。しかも、そのときの仕事自体が犯罪の〈もみ消し〉そのものであってみれば、達哉の命名はまさに適切だと認めざるを得なかった。
今度の仕事にも、はなから〈もみ消し〉が匂っていた。
テープの前半は、〈イケシャーシャー女史〉こと秩父冴子審議官の経過報告と質疑応答、簡単な打ち合わせだけであった。最高裁長官夫人への質問項目、極秘資料の取り寄せ、《お庭番》チームが集まって検討する打ち合わせの日程、NTT社長室長に長官公邸の電話盗聴を依頼する件、そのほかの調査項目分担などが決められていた。
そこで達哉はストップボタンを押した。
「また隠密行動らしいが、条件は同じかな」
「そうだ」
「しかるべき原稿料、そして、なによりも情報そのものへの接触」
「超々極秘情報だ」
「極秘のスパイスは嗅ぐだけで持ち出し禁止」
「嗅げば舞台裏の秘密がすべて見透せる」
「しかし、あまり良い匂いじゃないな」
「ハハハッ……」
達哉と智樹の密約であった。達哉が智樹のダーティーワークに協力するに当たって、2人は最初に約束を取り交わしたのである。
極秘情報そのものは原則として持ち出さない。証拠物件とともに隠しておく。しかし、核心的な真相を知ったことによって、公開情報の活用が容易になる。重要な問題については世間に知らせる努力をする。時機を見て、真相発見の発端を偽装したり、いくつかのテーマに小分けしたりして、しかるべき形で発表していく。協力者は求めるが、真相を知るのは2人だけに止める。
智樹が5年ほど前にこういう提案をしたとき、達哉はただちにいった。
「キム・フィルビーの真似をする気か。モグラは危ないぞ」
キム・フィルビーは厳密な階層社会のイギリスでは折紙つきのエリートで、名門ケンブリッジ大学を卒業した。ジャーナリストを経験したのち、イギリスの対外情報機関MI6にはいって順調に出世した。長官候補の1人でもあった。ところが、彼らの育った時代は、ロシア革命から反ナチズムへと続く青年の左傾化、反ファッシズムの激動期であった。フィルビーは学生時代に共産党の秘密党員となっており、20年間近くもソ連のスパイとして活動していたのである。同じスパイ網には、判明している限りでケンブリッジ以来の友人が2人加わっていたが、この2人がまずアメリカでCIAに疑われた。全世界の反共の砦を自負するCIAは、前々からイギリス情報部の秘密漏洩を疑っていたのである。フィルビーは、そのCIAからの疑惑の情報を2人に漏らした。それで2人はソ連に亡命できたのだが、この新たな機密漏洩がきっかけとなって、フィルビー自身の身元も疑われ始め、最後には彼自身もソ連に亡命した。フィルビーは1988年にモスクワで心臓病で死んだ。レーニン勲章、赤旗勲章に輝く英雄として、軍楽隊の葬送曲に送られ、ソ連の軍幹部用の墓地に葬られた。
秘密情報機関では、この種の二重スパイをモグラと呼んでいる。
「いや違う。ただのモグラじゃない」智樹は即座に反発した。「どこの国のスパイでも、どの政党や団体のスパイでもない。あえていえば、自分自身の良心のため、生きる証としての情報収集だ。背後の組織関係はないし、生の極秘情報は漏らさないから、危険性は薄いよ」
「なんでそんな気になったんだ」
「心境の変化、だな」
智樹は、静かに微笑んだ。達哉はそれ以上問い質そうとはしなかった。理由はほぼ推測がつくと感じていたからだ。
すでにその5年前、智樹は18年間勤めた防衛庁を辞めている。防衛大学校以来でいえば、22年間の特殊な公務員稼業に別れを告げたのである。表面上は山城総研からの引き抜き、もしくは天下りだが、その直前に智樹は父親を見送り、続いて妻を亡くしている。達哉は年来の友人として、この2つの葬儀に列席したが、それ以来、智樹の周辺に異常な雰囲気を感じ取っていた。
最初は元職業軍人の高齢死である。智樹の父親の葬儀の列席者にも、それらしい雰囲気を漂わせる高齢者が多かったが、そういう特殊性以外に異常はなかった。ただ、防衛庁関係者のほとんどは次の葬儀にも列席していたので、達哉には、その2つの場での彼らの態度の違いが印象深かった。
智樹の妻の死は〈交通事故〉として発表されていた。妻であり母であり、36歳の若さだった。人生の折り返し点を前にした不慮の事故による死者の弔いである。関係者の面持ちが平常とは違っても不思議はない。しかし、それだけではない。達哉の感覚に強く訴える違和感があった。智樹自身の態度にも、達哉にさえ詮索を許そうとしない重苦しさがあった。その態度は防衛庁上級幹部全体に共通しているように見受けられた。なにか重大な秘密を押し隠そうとする危険な匂いが漂っていた。
回想を振り切って再びテープを回す。肝腎なのは最高裁長官夫人、弓畠広江の話である。
短い挨拶と自己紹介があり、打ち合わせに従って、東京地検特捜部の絹川検事が質問を始めていた。
「ご主人がお出かけになったのが3日前で、直前に電話があったと聞いておりますが」
「はい。夕食後、夫が夕刊を読み始めたばかりでしたので、8時半頃だと思います。別に時計を見たりはしませんでしたが、いつもの習慣どおりですから、それほど時間にずれはないと思います。私が最初に電話を取りました。女の声でした。〈先日お電話したものですが、ご主人はご在宅でしょうか〉と」
「それで、すぐに取り次がれた」
「はい。前に1度、同じ声の電話を受けましたので、特に問い直したりはしませんでした。主人の返事は〈はい、はい〉、最後に〈分かりました〉というだけでした」
「前のときとおっしゃったのは、いつ頃のことで」
「はい。1ヵ月ほど前でしょうか」
「そのときはどう名乗られたのでしょうか」
「確か、〈ご主人に以前お世話になったもの〉とおっしゃったかと思います」
「そのときには、ご主人は」
「主人の返事も同じようでした」
「やはり、会いに行かれたのでしょうか」
「いいえ。その日には出かけませんでした」
「別の日に会われたかもしれない」
「はい。そんな気がしました」
「ご主人は普段、細かい予定を奥さまにはおっしゃらない方でしょうか」
「はい」(しばしの間があって)「特別な式典とか知り合いの結婚式、葬式、出張、そういう場合は申しますが、普段はなにも」
「電話の女性の声ですが、なにか特徴がありませんでしたか」
「中年の女の声でした」
「そのほかにお気づきのことは」
「いいえ。なにも」
「これだけか……」
最高裁長官邸からの辞去の挨拶、雑音、録音終了の音を聞いて、達哉はストップ・ボタンを押しながら確かめた。
「そうだ。これだけだ。直接の手がかりは今のところ、中年の女性の電話だけだ」
「しかし、……夫人は冷静過ぎるね。さすが裁判官の妻というべきか。夫が3日も行方不明だというのに、動転しているという感じがしないんだな。よほど気丈なのか、それとも、冷えた関係なのか。最高裁長官も人の子だからな。女房の妬くほど亭主持てもせず、かもしれないし、意外も意外かもしれない。しかし、最高級特殊公務員の女性関係、女癖なんてのは、お前の方の公安情報にもないだろ」
「ハッハッハッ、あったとしても警察庁長官か官房長官あたりか、内閣調査室、CIA、それとも政財界黒幕の金庫の中だな。極めつきの極秘情報はコンピュータに入れたりはしない。いかに凄腕のハッカーでも、ラインがつながっていない情報では引き出しようがないからね」
そういいながら智樹は、原口華枝が送ってくれた個人データの中の〈人事興信録〉記事をヒミコの画面に呼び出した。
〈弓畠耕一 最高裁判所長官 大阪府出身
…………
経歴 大正6年1月10日生
昭和16年東京帝大法学部卒
同年高文司法科合格
同20年和歌山地裁判事
同29年大阪地裁判事
同38年大阪高裁判事
同41年最高裁事務総局刑事局長
同43年人事局長
同49年事務次長
同50年名古屋地裁所長
同51年東京地裁所長
同53年最高裁事務総長
同55年東京高裁長官
同57年最高裁判所判事
同58年現職就任現在に至る
趣味 ゴルフ、カメラ
家族 妻広江(大正15)清新女学院卒、旧姓柳田、結婚昭和20
長男唯彦(昭和20)早大政経学部卒、NHK報道部
長女純子(昭和25)東大教養学部卒、外交官〉
「戦争中の4,5年の経歴がブランクだね。どういうわけかな」と達哉がつぶやく。
智樹は黙ったまま、主な中央紙の記事がすべて収められているデータベースを呼び出した。だが、弓畠耕一が最高裁長官になったときの人物紹介にも、インタビュー記事にも、戦争中の職歴は記されていなかった。
「こりゃあ奇妙だね。どういうわけかな。裁判官の見習いでもなし、徴兵もされず、軍の法務官でもなし。病気でもしてたのかな」
智樹はぼやくが、達哉は冷静だった。
「いや、珍しいことじゃないよ。お偉方の経歴は本人の申告どおりというのが、今のマスコミの慣行なんだ。紳士録に書いてあることさえ漏れてる場合が多い。特に戦前の肩書きは、御法度の向きが多いからね」
智樹は、ヒミコの横に手を伸ばして、《いずも》の暗号スクランブル・ソフトのスイッチを入れた。防衛庁と警察庁の極秘データベースで同じことを試みたが、結果は同じであった。残念そうにつぶやく。
「特別の情報ははいってないね。あとは軍の名簿をたどるしかないが、こいつはまだコンピュータ化の作業中だ」