『最高裁長官殺人事件』

第一章 《お庭番》チーム出動

 最初の死体を発見したのは、サバイバル・ゲームの一行であった。

 より正確にいうと、ブラック・ガン軍のクイーン役だったテロルこと近藤久美子が、死体を覆っていた毛布に足を取られて転んだのである。この偶然がなければ、その死体の発見はかなり遅れたに違いない。

 その日は、ブラック・ガン軍vsグリーン・コンバット軍、初の対戦日であった。それぞれのチームが10名に同行の取材記者兼カメラマンが10名、総勢30名の一行は早朝七時に立川駅で集合し、ミニバスで出発。奥多摩町のはずれの鷹の巣山に、車が通れるぎりぎりの奥まで乗り入れた。そこから、1人ずつしか通れない細い山道が10分ほどで、目的地のブッシュに到着。

「なんといっても、今日の対戦は歴史的だからね。世紀の決戦だよ」

 朝から何度も同じ趣旨の叫び声をあげ続けているのはブラック・ガン軍の隊長でマスターこと草刈啓輔。寿司屋の主人である。月刊ガン・ファイトのファン・クラブで選抜チームの隊長に選ばれたために、数日前から頭に血が昇りっぱなし。弁当寿司の大量オーダーを他の店に回しての出血参加である。

 対するグリーン・コンバット軍は、月刊コンバット・ウエポンのファン・クラブからの選抜チームで、隊長はテクニシャンこと建築技師の井口辰雄。冷静なスナイパー。射撃大会での得点は高いが、ゲームの隊長として指揮を取るのは初めての経験である。緊張をほぐそうとしきりに駄洒落を飛ばすが、足の貧乏揺すりが止まらずに困っていた。

 双方の雑誌編集部からは、5名ずつの取材記者兼カメラマンが参加していた。

 ガン・マニア雑誌はエアーソフトガン愛好者の期待に応えて、ふんだんにカラー写真がはいった〈対戦レポート〉を毎号準備しなければならない。雑誌社にとって一番安上がりなのは、各地のファンのグループが自分たちで企画したゲームを取材することである。だが毎月都合良く、どこかでファンの自主対戦が行なわれるとは限らない。そこで、編集部総出演とか、執筆陣を駆り出しての自腹ゲームを企画したりもするのである。

 ところが今回の企画はまず、業界をリードする2大雑誌社の共同企画である。参加メンバーも選抜である。それだけでも出色であった。

 ブラック・ガン軍が黒、グリーン・コンバット軍がグリーン系統のカモフラージュに衣装を統一した以外、ウエポン、ペイント弾、3.5以下の気圧、戦死の決まりなどは通常と変わらない。今回の対戦の斬新さは、なんといっても目玉の《クイーン作戦》にあった。

 当然のようだが、〈クイーンは女性でなければならない〉のである。

 すでに製品の広告モデルには女性が登場しているし、射撃大会の女性参加者も増えてきた。だが、女性のサバイバル・ゲーム参加はまだ珍しい。しかし今や、世界中の軍隊で女性兵士を採用している時代である。〈女性兵士は革命軍とか解放軍だけの専売ではない〉という意見が業界でも出始めていた。ここでサバイバル・ゲームにも女性ファンが増えれば、ガンの世界もパッと明るくなる。そして商売も、……そんな願いと思惑を秘めた《クイーン作戦》の初登場であった。

 ルールは簡単である。

 参加人数は問わないが双方同数。ロープで囲ったベースが一つ。クイーンが1人ずつで、クイーンだけが帽子の上からマーカーと同じ色のネッカチーフをかぶる。ベースに侵入されるか、クイーンが戦死すると負けである。ベースの守備部隊と攻撃部隊の人数配分は自由。クイーンも戦闘に参加する。決められたエリヤの外に出たら戦死扱いとなるから、クイーンを逃がす戦法にも限界がある。

 8時0分ピタリ、戦闘開始。

 ブラック・ガン軍は、隊長のマスター以下3名でベースを守り、クイーンのテロル以下7名が中央突破で敵のベースに迫るという作戦を取った。グリーン・コンバット軍は逆に、クイーンのシャッター以下5名をベース守備部隊とし、隊長のテクニシャン以下5名が攻撃に当たることにした。ブラック・ガン軍の攻撃部隊はクイーンのテロルを中心にして円陣を組み、散開しながら前進した。熊笹がザワザワと揺れる。ソロソロ敵と遭遇するかと息をこらす。そこで突然テロルが……、

「キャーッ……」

 そのけたたましい悲鳴は、敵側のグリーン・コンバット軍にも届いた。

「あれはテロルの声だぞ」

「なんだろう?」

「蛇でも出たかな」

「熊ってことはないだろうね」

「馬鹿だなァ。クイーンの居場所が分かっちゃうじゃないか」

 と冗談半分。まだ誰も、これが大変な騒ぎになるという予感は持たなかった。テクニシャンも軽い気持ちで薮の中を進む。狙撃用のモーゼル銃の先で、熊笹をかきわけながら四、五十歩進むと、なにかを引きずった跡のように熊笹が倒れていた。めくれた土の色が新しい。〈おかしいな〉と思った瞬間、

「タイム! タイム!」さらにブラック・ガン軍の方から金切り声があがった。

 声を頼りに双方の攻撃軍がゾロゾロと集まった。見ると、テロルが失神して倒れている。その場にいたブラック・ガン軍の攻撃部隊は一様にテロルの足の後方をうかがっている。なにか異常な事態らしいのだ。のぞくと、そこには薄茶色の毛布が敷かれていた。千切った熊笹の葉で覆われていて、人が寝ているような姿に盛り上がっている。

 テクニシャンは相手のブラック・ガン軍のメンバーを見回した。隊長のマスターの姿は見えない。逆に、皆が自分の動きに注目していると分かった。先頭を切る気分にはなれなかったが、やはり、一方の隊長という立場である。仕方なしにソッと毛布の裾をめくると、死体が仰向けに寝ていた。熊笹の倒れている様子から、そこへ引きずってきたこともひと目で分かる。

 テクニシャンは、かなりの推理小説ファンであった。だから、最初に頭の中にひらめいたのは、《現状保存》という言葉であった。しかし一応、生死を確かめなくてはなるまい。

「そのまま動くな!」皆に命じて、そっと死体に近寄り、右手でさらに毛布をめくった。

 死体の両手の掌が胸の上できちんと重ね合わされていた。瞼は閉じられていた。〈安置〉という言葉が自然に浮かんで、奇妙な気分になった。手首を握ると、冷たく、だらりとしており、脈搏はまったく感じられなかった。指がゆらゆらと動くのが、なんともいえず気味悪かった。爪の先が伸びて汚れている。不精髭が伸びている。中年の男性である。首に何ヶ所か紫色の斑点があった。心なしか、すえた匂いもするようだった。

〈死後硬直は解けている。死後何日目だろうか〉

 頭の中のどこかで声が聞こえるような気がした。自分の頭でも自分の声でもないような感覚だった。気味の悪さをこらえながら、喉からやっと声を押し出した。

「死んでいる。間違いない」

「うん……」

「うん……」

 皆一様に、喉がカラカラに乾いていた。しかし、声を出し合ったことで呪縛が解け、ガヤガヤと論議が始まった。

〈警察に連絡するにしても電話はどこにあるか〉〈乗ってきたミニバスまでもどるか〉〈目的のゲームはどうするのか〉

「ともかくもどろう。仕方ない」

 気を取り直したテクニシャンが大声を出し、一同は静まった。そのとき、それまで黙っていたケンタウロスこと頭山健太が、

「井口さん、ちょっと試してみたいんですが。例の無線電話を持ってきたんですよ」

 頭山は、テクニシャンこと井口と同じ会社の後輩で、営業と現場監督を兼任していた。建築現場の近所に電話がなかったり、臨時電話が直ぐには引けない場合も多い。常々悩みの種であった。ところが最近、無線局を通して即時通話ができる電話セットが開発されたので、早速購入したばかりだった。頭山は、この奥多摩の山の中から、遠距離テストするために、そのセットを持ってきたのだ。

「そうか、あれがあったか」井口は大喜びであった。強力な武器で援護されるような心強い気分になった。「よし、やってみよう」

「それじゃ、もう少し見通しの良いところからにしましょう。電波は開けた地形が好きなんですよ」

 頭山はこういって一同をうながし、見晴らしが効く斜面に出た。デイパッグから無線電話のセットを取り出し、スイッチを入れ、受話器を取った。

「OK。発信音がはいってます」

「そうか」

「井口さん出てもらえますね」

 確かめてから、頭山は受話器を井口に渡し、ボタン式のダイヤルをピン、ポン、パン。

「カチャリ」と音がして、「 110番です」

「はい。こちらは奥多摩の山中ですが、他殺と思われる変死体を発見しました。現場から直接、無線電話でかけています」

「なんですって、他殺変死体ですって! 本当でしょうね」

 最初は眠そうな声だったのに、こちらがびっくりするほどの大声になった。

 

 警視庁犯罪捜査部捜査1課、通称〈殺し屋〉の田浦城次係長刑事は、このところ1ヶ月休みなしだった。

 前日からの泊まりだけでも、うんざりしていた。そのうえ、若手の同僚のデートをカバーして、今日のデスク当番まで続けてやることになっている。自分が2ヶ月前の家族旅行で代わってもらったお返しだから、これは仕方がない。しかし40代ともなれば、休みなしの疲れは身体中にしみこみ、たまる一方である。八時に目覚まし時計が鳴ったのだが、なかなか宿直室のベッドを離れる気分にならない。うつらうつらしていると、

「田浦さん、死体発見! 緊急出動ですよ!」

 耳元で、いかにもわざとらしい大声を張りあげられた。

 声の主は 110番センターの浅沼新吾という若い巡査。柔道の稽古場で知り合ったひょうきんな新人類である。初対面のときから、捜査1課の刑事になりたいので勉強中だと名乗りをあげ、その後も機会さえあれば〈殺し屋〉をのぞきにくる。どういうわけか田浦になつき、1課の中では〈田浦兄貴の舎弟〉と呼ばれ始めていた。昨晩も茶碗酒を飲んでいると現われ、やっと捜査講習に参加できたというので乾杯してやった。日頃の成績が良ければ、捜査講習に参加すると巡査の身分のままでも刑事係りになれる。ただし、浅沼巡査の希望のように、警視庁の本庁の刑事に直接採用されることは実際にはない。本庁の刑事は、所轄署の刑事を何年か経験した中から選抜されるのである。

「なにを脅かしやがって! 本当か?」

「本当ですよ。場所は奥多摩の山中……。良いですね。天気は良いし、目覚ましのハイキングには絶好じゃないですか。僕も連れてってもらえませんかね」

 田浦の身体は反射的に起き上がっている。何度も経験していることなので、さほど興奮はしないが、やはり職業意識がはたらく。

「おれをたたき起こしておいて、なにを調子の良いことばかりほざいてやがるんだ。殺しの線がなかったら承知しねえぞ」

「それが、おおあり名古屋のコンコンチキ」

「へっ、奥多摩の山中だって? ……白骨か? 腐爛か?……臭いのはごめんだね」

「それが、まだ全然腐ってないそうです」

「全然だって……。珍しいね、山の中にしちゃ。どういう状況で発見されたのかな」

 質問しながら、田浦は手早く身づくろいを済ませた。今のところ、彼が現場の最高責任者である。やらなければならないことが次々に頭に浮かぶ。田浦は、脂気のないばさばさの頭髪をかきあげた。目を覚ますために頭の後ろと顔面をたたいて、低く吐き捨てた。

「畜生! 朝飯はどうしてくれるんだ!」

 浅沼新吾は、宿直室を出る田浦の横に並んで歩きながら、要領よく報告し始めた。

「発見者はガン・マニアです。サバイバル・ゲーム開始直後に死体を発見したそうで……。たまたま1人が無線電話機を持っていて、現場から直接110番にかけてきました。そのままつないであります。先方は井口という方ですが、なかなかしっかりした感じで、専門用語まで使っています。話を要約しますと……現状保存を心がけながら、一応、脈を取って死亡を確認した。首に数ヵ所、紫色の斑点がある。男性。年の頃は40代半ば。絞殺ではないか。固くないから、死後硬直は解けているようだ。しかし、まだ腐臭は感じられない。熊笹が倒れているので、現場まで引きずってきたと思われる」

「発見者の商売はなんだ? 医者か?」

「いえ。建築士だそうです。一応、住所、氏名、職業、年齢を聞きました」

「またァ、……まさか推理小説マニアじゃねえだろうな。かえって面倒臭いんだよな」

 田浦は、当番デスクで電話を取り、責任者であることを告げ、官職氏名を名乗った。発見者の機嫌を損ねて捜査に手間取った経験があるので、こんな場合には、まず丁寧に応対することにしている。

「恐れ入りますが、やはり、直接うかがいませんと、聞き漏らしがあるといけませんので、もう一度、詳しく状況を話していただけませんか」

 井口は、ほとんど同じ話を繰り返した。

「分かりました。ご協力ありがとうございます。ただちに現地の所轄署と連絡を取りまして、そちらに急行させます。私も追いかけて行くことになると思います。それまで、そちらに待機していただけないでしょうか」

「仕方ありません。私は残りますが、皆で30人います。なにしろせっかくの楽しみで来ていますので……」

「ほかの方は結構でしょう。連絡だけは取れるようにしておいてください」

 田浦は課長に電話を入れ、部下に現地の所轄署、監察医、鑑識班、写真班、パトカー等の手配を命じた。浅沼新吾が、自動販売機のハンバーガーを買ってきてくれた。お茶を注ぎながら、またせっつく。

「田浦先輩……、連れてってくださいよ」

「馬鹿いうな。管轄違いで、おれが怒られちゃうよ。ほら、ハンバーガー代だ。買収されたら困るからな。ハハハハハッ……」

「冷たいなァ。……僕は明け番ですからね。非番で積極的に捜査協力するのもいけないんですか」

「だからいってんの。遊びじゃねえんだから。パトカーごっこされても困るんだよ」

「そんな! ひどい、ひどい!」

 いい争っているところへ、長崎初雄がふらりと現われた。大日本新聞の若手社会部記者である。いかにも徹夜麻雀の朝帰りといった雰囲気を全身に漂わせている。

「田浦先輩! 僕も連れてってくださいよ!」

「悪いのがそろったな」

「そうです。そうです。さあ、現場へ急行! ぐずぐずしちゃいられませんよ」

 浅沼巡査は勇気づけられ、尻馬に乗ってはしゃぐ。

 田浦はハンバーガーを食べ終わると、包み紙で口をぬぐった。

「しようがねえな。えいっ! 行け、行け!」