「従軍慰安婦」問題に見る「メビウスの帯」断章(その3)
(2001.4.13~4.27のメール11通を収録)
2001.4.26.民衆のメディア連絡会の例会・
E-tv2夜「戦時性暴力」直前改変に関する事前電子手紙集
はしがきに代えて、出版労連個人加盟組合ネッツ電子手紙広場への案内状
私が湾岸戦争以後、創立を提唱し、参加し続けている民衆のメディア連絡会の例会で、下記のごとく、E-tv放映1.29.~44.2.4夜連続番組の内、2夜の「戦時性暴力」に関してのみ起きた直前内容改変の問題の取材報告、討論が行われます。参加は自由です。会費は500円ぐらいです。
改変の状況については、『創』(2001.5)に載っています。
日時:4.26.(木)18:45~21:00
(必ず二次会あり。こちらの会費は1500円ぐらいです)
場所:中野商工会館 3F大会議室
題名:NHK「戦争をどう裁くか」に何が起きた
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送信日時 : 2001年 4月 13日 金曜日 9:05 AM
件名 : 4.26 例会「戦時性暴力」NHK取材ほか [一部訂正]
4.26例会「戦時性暴力」NHK放映直前改変問題は、民衆のメディア連絡会の設立主旨に最も直接的に添うものと思います。私は、このところ隠棲を決め込み、参加していませんが、実動事務局の皆様の企画の御努力に感謝します。当日の議論では、問題点を、2夜の部分に限る方が良いと思いますが、そうするためにも、電子手紙広場で、事前の意見提出をした方が有効かと思います。
元民放の私にとって、この件は、本来なら総力取材をしたいところなのですが、事情が許しません。とりあえずの従来からの経験、知識と、不精な電話取材だけですが、その取材結果に加えて、若干、事前に意見を簡単に述べさせて頂きます。
この件は、非常に複雑、かつ、政治的に見ても現在の状況を象徴する問題点を多々含んでいます。禍いを転じて福となす、という考え方をすれば、様々な可能性をはらんでいます。
まずは地べたから、自分自身の経験からの視点を明らかにしておきます。私自身は、日本テレビで、故牛山純一郎さんが制作担当だった「南ベトナム海兵隊戦記」の1部放映、2部中止の事件の際、民放労連の関東甲信越地方連合会の執行委員として放送問題を担当していました。職場は日本テレビの広報部でした。一番難しい問題は、当該職場の人間関係など、その後に響く問題でした。
当時は今と違って、市民が使えるヴィデオなんて、まったくありませんでしたから、職場の仲間が外部に出している広報の写真を使って、音声は自前で作り、録音テープと連動するスライドのセットにし、これを全国に広めました。具体的には、圧力を加えたことが判明していた自民党の橋本幹事長の名前などを出しながら、同時に、ベトナム戦争への日本の加担を批判する運動の波に乗り、分かりやすい例では東大の五月祭に招かれたり、忙しい毎日を経験しました。
つぎに全体の状況を俯瞰すると、今回の事件の複雑さの中心は、歴史の問題だということです。古今東西、歴史は、「鏡」として、権力の神話、思想支配の道具であり、政争の争点であり、その上に、反体制派の中でさえ、党派、流派の旗印の奪い合いの的となってきました。上記のベトナム戦争への日本の加担を批判する運動の場合でさえも、反体制派の中の主導権争いに悩まされたものですが、今度の事件の場合は、もっと複雑です。
当該職場の問題は、NHKの仕事の仕組みから見ると、外注ですから、これも複雑です。差し障りがあるといけないので、氏名は省きますが、NHKの企業内労組、通称NH労組、日本放送労働組合、略称「日放労」(ニッポウロウ)に聞くと、事情調査中ですが、すでに、いわゆる「検証番組」を作れという主旨の要求をしているそうです。しかし、プロダクションは、組合の取材にも応じないそうです。打撃の強さがうかがえます。この事件では、誰が被害者なのかということも、慎重に議論すべきでしょう。
番組の担当者、特に氏名までは聞きませんでしたが、自ら「編集長」と名乗る方とも、かなり長く話し合いました。簡単に言うと、今度の連続番組は、これまでに続けてきた同種の番組の延長線上で企画したもので、改変された問題の2夜の中心となった「女性国際戦犯法廷」が下敷きではないとのことでした。 そこで、私見の俯瞰的な評価になりますが、担当者は、おそらく、1夜の「ホロコースト」問題では、これまでに外部から中止圧力がなかったため、その延長線上で、日本の戦争犯罪を取り上げても、特に問題にはならないだろうと、思っていたのでしょう。
ところが、日本人ばかりではありませんが、外国のことならいざ知らず、自分の足下に火が付くと、逆上して殺人にまで至るのが、裸の猿の本性です。近隣諸国との摩擦もあり、いわゆる左右の争いの焦点の一つが、この日本の近現代史の問題なのです。そこで、ドカーンと、街宣車「7台」(『創』2001.5)がNHK構内に入る騒ぎとなったのです。(実は私、NHK放送合唱団契約破棄問題に関し、東京地方争議団共闘会議副議長として、裏門から建物の中にまで入る似たような、とはいっても極めて平和的で論理的な500名ほどの抗議行動の指揮者でした。争議は無事解決)。
さて、最後が最大の問題点です。私は、ご存じの皆様が多いのですが、湾岸戦争報道の検証以後、パレスチナ問題の最大の焦点は「ホロコーストの嘘」にありと狙いを定め、そこらの世間の烏合の衆などはものともせず、まさに「名利を求めず」(ああ、格好良い!)、日夜闘い続けています。その視点から見ると、今度の番組は、1夜で、「ホロコーストの嘘」を犯罪的と批判するアラブ諸国の運動の盛り上がりを、まったく無視した放送法違反の「偏向番組」なのです。担当者は、話してみると、『マルポーロ』廃刊事件も知っているし、まったく無知どころか、予断と偏見に基づいていて、この件では「狂信者」としか言い様のない東大助教授を担いでいます。これがNHKの「優等生」の実態です。
さてさて、朝飯前の積もりが、やはり長くなってしましましたが、この件は再論します。とりあえず指摘しておくと、知る人ぞ知る問題点なのですが、NHK、東大、岩波書店、朝日新聞、この「似非紳士」、いや、これからは「似非淑女紳士」こそが、一般大衆を肝心な時に騙して体制に迎合する思想支配の諸悪の根源なのです。その尻にくっついているのが、最近では「週刊金曜日」でしょうか。どうやら、今度の事件にも、この思想支配の諸悪の根源の実態を知らずに、巻き込まれた人々が多いようです。呵々。
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送信日時 : 2001年 4月 13日 金曜日 2:15 PM
件名 :Re: 4.26 例会「戦時性暴力」NHK取材ほか
本多です。
[中略]
最大の問題点は、女性国際戦犯法廷の歴史的な意義が抹殺されようとしたことです。「法廷」の最も核心である、誰が起訴されたか、どんな判決(天皇有罪、国家責任)が出たかについてもいっさい説明がなかったのです。
木村さんの主張は、最大の問題点を全く把握していないものであり、結局のところ、日本軍性奴隷制を記憶のガス室に送る効果しかもちえません。
「慰安婦」を意図的に歴史の記憶から消し去る行為に、荷担する結果となっています。(「つくる会」歴史教科書には「慰安婦」は一言も触れられていません。)
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送信日時 : 2001年 4月 14日 土曜日 9:34 AM
件名 : Re: 4.26 例会「戦時性暴力」NHK取材ほか
本多さんのお気持ちは一応理解しますが、私はすでに、この件で、再論すると書きました。しかし、御催促なので、まずは簡単な項目を並べましょう。
その前に、下に引いた「記憶のガス室に送る効果」という表現は、私の「ガス室大量虐殺は嘘」説と矛盾します。どうしても使いたいのなら、私の説を「粉砕」してからにして下さい。
私は、すでに、最近の「従軍慰安婦問題」の取り上げ方に、いわゆる「右」とは全く別の角度からの疑問を表明しています。良い意味でも簡単に言うと、むしろ、問題を一部の「ルポ」のみで矮小化しているという批判です。
すでに例会でも、女性集団でこの件を追っているNHKの池田さんに質問をして、従軍慰安婦問題の原点ともいうべき資料、みすず書房の現代史資料に入っている「柳川兵団法務部日誌」を、まったくご存じないことを確かめました。
西野留美子さんとは湾岸戦争献金違憲訴訟の会で知り合い、従軍慰安婦問題を追っていると聞き、手許の上記資料と、陸軍憲兵隊の資料を貸しましたが、その後に贈呈された『従軍慰安婦と15年戦争』(1993)には、末尾の謝辞に私の名前があるものの、お貸ししたその他の資料をも含めて、日本の大陸侵略の中で必然的に起きた事件の概観への論及は、まったく欠けていました。「ルポ」としては結構かもしれませんが、これでは「歴史検証」にはなりません。その辺の弱点を「右」は突いてくるのです。
他の問題点は再論しますが、私の体験、すでに記した「南ベトナム海兵隊戦記」の場合にも起きたことですが、簡単に言えば、「生兵法は怪我のもと」、マスコミ受けを狙う粗雑な運動は、かえって逆の効果を生む可能性が大きいのです。問題は、今度の事件を契機として、諸流派が「お山の大将」ごっこを繰り返すのを、いかに制御し、本格的な歴史検証を心掛けるか否か、にあると考え、私なりに覚悟を決めて論じているのです。
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送信日時 : 2001年 4月 16日 月曜日 7:40 AM
件名 : 1 年前「女性国際戦犯法廷」危惧
きたる4.26.民衆のメディア連絡会例会に向けての事前意見提出、1年前に、わが電網宝庫で発表していた危惧を、御覧になった方もおいででしょうが、この際、再度、発信します。これは、先に述べた「生兵法は怪我のもと」の危惧だったのです。 [ ]内は、追記の註です。
[以下(囲み記事)は、本「断章」(その01)と同じものである]
「随時追加"編集長日記風"木村愛二の生活と意見」より抜粋
2000年5月30日(火)の分
「従軍慰安婦」「南京事件」で希有な当局資料を無視した議論が続くのは恥ずかしい
4日前の[2000年] 5.26.(金)のことだが、民衆のメディア連絡会の例会で、ついつい、きつい質問をしてしまった。主題は女性の市民ヴィデオ制作活動だったのだが、その活動の中心に、いわゆる「従軍慰安婦」問題が位置付けられていたからである。
私の「きつい質問」の具体的内容を最初に明らかにすると、1982.2.26.に、みすず書房が初版を発行した『続・現代史資料6:軍事警察』の中の「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」を「読んだか」、ということだった。上記の例会の活動報告スタッフは「読んでいない」のだった。答え方から察するに、この「日誌」の存在や、軍当局、それも法務部の公式報告という「稀有な」重要性の位置付けについても、予備知識がないようだった。
私としては、女性の市民ヴィデオ制作者たちに「きつい質問」を向けることには、いささか気後れも覚えたのだが、当日の参考として配布された資料のチラシの中には、「女性国際戦犯法廷」の準備状況が記されていた。主催組織は、朝日新聞の女性記者が代表のVAWW-NET Japan(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)で、その法廷の「国際諮問委員会」は11か国の委員で構成される模様である。となれば当然、日本人として、目一杯の資料調査と、それなりの議論を、してほしいと思ったのである。
私には、この国際組織に直接物申す時間も義理もない。かといって、これまでに、この種の運動関係者の言を漏れ聞く度に感じてきた資料整備と分析の不確かさを、素知らぬ顔で見過ごすのも、日本人として居心地が悪い。上記の女性の市民ヴィデオ制作者たちの中心にはNHKスペシャル制作者もいたから、話が通じる可能性もあるので、質問の形式で要望を述べたのである。
この「法務部陣中日誌」の存在は、ある程度の研究者なら知っている。私は、この件を専門的に調べているわけではないので、とりあえず、手元の文献だけで論ずるが、試みに、大月書店が11年前の1989年に出した『日本近代史の巨像と実像』(3)「南京大虐殺の真相」を見ると、この日誌を、家永教科書裁判で「国側証人」に立った元海軍軍人の作家、児島襄の「証言の嘘はすぐばれる」(p.141)「史料」として挙げている。もっとも、この部分の執筆者、笠原十九司は、私の厳しい批判対象の言論詐欺師、本多勝一らと組んでいる。あの厚顔無恥な言論詐欺師の著書を引用したり、お得意の脅しのキーワード、「大虐殺」を鵜飲みで使うなどしているので、笠原の文章を読む前にも、眉に唾をなすり込む必要がある。それはともかく、この「法務部陣中日誌」は、その程度の「教授」でも知っている資料なのである。
私の考えでは、この資料は、いわゆる「南京事件」と、その後の「従軍慰安婦」問題を論ずる上で、もっとも貴重な軍当局側資料である。資料解説にも「稀有」と記されている。ここでは詳しく論ずるのは避けるが、普通の軍人ではなくて、司法資格を有する法務将校が残した公式の報告書なのである。
ところが、私が身近に見聞きする「南京事件」および「従軍慰安婦」問題の議論では、これが、まるで登場しない。多分、ほとんどの論者が「読んでいない」だけでなく、その存在も知らないのである。なぜなら、いわゆる「従軍慰安婦ルポ」類では紹介していないからである。ということは、いわゆる「従軍慰安婦ルポ」類の執筆者も不勉強なのである。安直なのである。
「従軍慰安婦」問題に直結する部分を先に指摘すると、資料説明の部分には元憲兵中佐の証言も要約、並記されている。元憲兵中佐によれば、「僅かに現行犯で目に余る者を取押さえる程度」だったのだが、法務将校が記した「法務部陣中日誌」の方の最後の部分に収録された「既決一覧表」には、104件、そのほとんどが、殺人、強姦で、強姦を含む犯罪の件数は23、猥褻1、強制猥褻1となっている。
上記の元憲兵中佐は、この状態を「皇軍が聞いてあきれる状態」「遺憾」と記している。この事態が、いわゆる「宣撫工作」の障害となったからこそ、「従軍慰安婦」の制度化が急がれたのである。上記の国際組織が「戦争と女性への暴力」を主題とするのならば、当然、この戦争中の「殺人、強姦、猥褻」の継続としての「従軍慰安婦」という一連の問題の全体像を見渡すべきであろう。その方が、日本の侵略戦争の悪を裁く上で、より有効であろう。
このような資料調査の対極をなすのは、かの言論詐欺師、大手新聞記者、本多勝一の「仕事」である。私は、本多勝一が朝日新聞の連載「中国の旅」で「百人斬り」などという不可能なヨタ話を書いて以来の「南京大虐殺」論争なるものは、「草野球の酔っぱらい観客の場外乱闘」と位置付けている。お粗末だから、[いわゆる右からの]揚げ足取りが容易になる。
「従軍慰安婦」問題の議論にも、これと同じ性質の弱点がある。日本軍の法務部、憲兵、軍事法廷、さらには、当時は公娼制度が存在した日本の売春業者、売春婦の存在、軍でなくて内務省の衛生局の所管だった公娼制度の位置付けなど、複雑な事実経過を避ける傾向が見られる。「従軍慰安婦は売春婦だった」と揚げ足取りされると、慌てたりしている。なぜなら、公娼制度の現実の上に、強制連行が続いたという歴史的経過を無視する議論になっているからである。もちろん、公娼制度をも批判の対象とすべきである。
「従軍慰安婦」問題を取り上げた先駆者の千田夏光は、こういう細部を無視しなかったのだが、最近の運動家は、千田夏光の先駆的業績を無視しているのか、迂回しているのか、ともかく底の浅い議論ばかりしている。多くの筆者は、いきなり「従軍慰安婦」の当事者のルポに走る。生々しいとはいえ、事実上、朝鮮で女性狩りを実行した警察官の監督官庁、日本の内務省の出店、朝鮮総督府の資料が発見されていない点など、最も重要な根幹を突こうとしない「逃げ」の姿勢になっている。これでは歴史の真相は明らかにならない。
『続・現代史資料6:軍事警察』の発刊は1982年であるが、原資料は存在し続けていたのである。この程度の資料探索すらせずに、また聞きでヨタ話を書いた記者、それを載せた大手新聞、まったく呆れたものだが、だからといって、その揚げ足を取って「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦は売春婦だった」などと強弁する方も、実に下品な「売らんかな」商法なのである。
どちらも、ああ、日本人として恥ずかしい。
(重複引用ここまで)
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送信日時 : 2001年 4月 17日 火曜日 7:22 AM
件名 : NHK戦争裁判の大いなる錯覚の環
およそ、ものごとを論理的に分析し、思考し、判断することは、やさしいように見えて、実に難しいことなのです。本年の2001.1.29~2.1.NHK/ETV「戦争を裁く」4夜連続番組、以下、「NHK戦争裁判」と略称、を巡る事情の背景にも、この難問が潜んでいます。私は、この難問をまず、「大いなる錯覚」と名付けます。
私は、この難問を避ける議論では、「大いなる錯覚」が打ち破れず、その結果、この典型的な「錯覚の環」から抜け出すことができない個人、組織の混迷が、この21世紀、新たな千年紀をも、再び覆ってしまうことを憂えます。
要は、徹底的に論理的に考え直すことなのです。言葉が難しいので、これまた混乱をきたすのですが、地中海文明の一つの源泉をなすギリシャ由来の「哲学」(英語ではphilosophy)の原義は、知識への愛です。しかし、知識に当たるsophiaからは、意味が転化した「詭弁家」(sophist)が繁殖します。
ですから、知識への愛だけでは不十分で、詭弁を打ち破るための論理学の素養も必要になります。演繹、帰納、などなどの論理的追及の技術です。しかし、実際には、そこまで行かなくても、常識で判断できます。私自身は労働組合の運動の中で体得したのですが、全体の状況の俯瞰的、または鳥瞰的な認識と、底辺からの虫瞰的な認識による実践的な検証が、一番大切です。
この全体からと細部からの認識による実践的な検証は、演繹とか帰納とかにも共通するのですが、ここで決定的に大事なのは、目の前の現実です。一番簡単なのは、ある主張を検証する際、犯罪と同様に、その主張で得をするのは誰か、どの組織か、どの国家か、どの資本か、どの国際独占資本か、を常に徹底的に問い直すことです。
この「得」という問題が、これまた摩訶不思議なのですが、私が「マスコミ業者」とか「アカデミー業者」とかに分類する商売人の場合には、ある主張をしていれば商売になるとすれば、それで十分に「得」になっているのです。
そこで今回は、上記の「大いなる錯覚」と「錯覚の環」をつなげて、「大いなる錯覚の環」とし、この「環」の分かりやすい説明として、「メビウスの帯」を提出します。メビウス(1790-1868)は、ドイツの天文学者ですが、数学にも重要な足跡を残し、裏表のない曲面、「メビウスの帯」によって、何と、私のような数学は幾何までで諦めた空想科学小説気違いにも知られるに至りました。
実際に作ってみると、実に面白いものです。普通の帯の場合には表と裏は別の平面なのですが、細長い帯をひとひねりしてつなぎ、これを巨大な道路と考えてみると、分かりやすいのです。どこを道路の表面と思って入っても、歩くと裏側に回り、さらにまた表面に戻ることになります。
さらにこの「メビウスの帯」を真ん中から縦に切ると、長さが倍で、ひねりが2回となり、それをさらに縦に切ると、2回ねじれた帯が2つ絡み合っています。
私は、「NHK戦争裁判」を巡る状況を、従軍慰安婦を巡る側面と、いわゆる日本の左右の歴史観の激突の側面と、ホロコーストの大嘘の側面と、とりあえず、三つの側面に分けて考えます。そのそれぞれの側面に「メビウスの帯」の錯覚がありますが、「分けて」考える作業が不可欠です。「分ける」と「分かる」は同根です。複雑に絡み合った現実、しかもその現実をさらに詭弁でねじ曲げる詐欺的言論を、快刀乱麻の蛮勇によって断つためには、「分ける」は必須の技術です。
今回は、俯瞰的な立場から、簡単に、この番組全体の「メビウスの帯」の「大いなる錯覚」を指摘します。「私はこの『戦争を裁く』全4回を通してコメンテーターを努めた」(『世界』2001.5「何が直前に消されたか」)と自ら記す高橋哲哉「助教授」は、その記事の紹介にもあるように、専門は「アウシュヴィッツ学」のようです。私は、11歳年下の後輩の「アカデミー業者」を、「ホロコースト狂信者」と呼びます。
世界を俯瞰すれば、今の今、「ホロコースト神話」は、アラブ侵略の「正義の御旗」になっていて、アラブ諸国から大反撃を受けています。つまり、アラブ諸国、またはアラブ人の立場から見れば、「ホロコースト神話」は、侵略の旗印なのです。「ホロコースト狂信者」たちは、ホロコーストを告発することこそが、「人道」に叶うと思い込んで、この「メビウスの帯」を歩き始めるのですが、同じ表面が実は裏面とつながっていて、「非人道的な偽イスラエルの侵略の露払い」にさせられているのです。
この「メビウスの帯」の「大いなる錯覚の環」を理解できない人々が、「平和」を論ずる独占権を争うとなると、これはもう、2回ねじれた帯が2つ絡み合うどころの話ではなくなるのです。
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送信日時 : 2001年 4月 18日 水曜日 7:25 AM
件名 : Re: NHK 戦争裁判の大いなる錯覚の環
本多さんの「こんな事実はありません」という主張は、何を根拠にしているのでしょうか。この種の発言を、いちいち相手にしていたら、時間の無駄とは思いつつも、丁度今、別途、この電子手紙広場の基盤になっている民衆のメディア連絡会の存続の意味が問われているので、そのことと関連して、ここで一言します。
民衆のメディア連絡会の起源は、湾岸戦争に際して、大手メディアがアメリカ追随の日本政府に追随する偏向報道を行い、アメリカにおける反戦運動の情報が隠蔽されていた事実にあります。
つまり、別にはっきり規約などに記したものではありませんが、私が連絡会の創立発起人の一人として思っていたことは、一つには、大手メディアが伝えないことを伝えるために励まし合う連絡会、もう一つには、湾岸戦争に続くアメリカの超大国支配への民衆の抵抗のための情報交換の連絡会、という志の場の構築でした。当然、少数意見の尊重が、原則となります。今は世間では少数意見でも、いずれ情勢が変われば、定説となり得るのです。
本多さんが、「こんな事実はありません」という根拠が、たとえば、朝日新聞には載っていなかったということなのであれば、この電子手紙広場に参加するよりも、朝日新聞の応援団にでも参加された方が似合いでしょう。
もっとも、「ホロコースト狂信者」、またはその立場を取る方が商売になると勘定する連中が主導権を握っている朝日新聞でさえ、実に実に小さな記事なのですが、たとえば、拙訳『偽イスラエル政治神話』の原著者、ガロディについて、この原著に基づき、「アラブ諸国の知識人やイスラム教徒の間では英雄視されている」(1998.2.28夕)とのパリ発記事を掲載しています。この本は、「ホロコーストは大嘘」説です。
最近のアラブ諸国発の報道状況は、私自身が、民衆のメディア連絡会の原点を忠実に守り、この電子手紙広場にも送り続けてている通りです。紹介し切れない程の情報が溢れていますので、下記を御覧下さい。
私自身は、湾岸戦争報道への批判から、まっすぐに、アラブ諸国を巡る問題として、「ホロコーストは大嘘」に到達しました。それを広めるのが、まさに、民衆のメディア連絡会の上記の二つの起源に最も忠実な活動と思っており、某家の南北朝のひそみにならえば、われこそは正統なり、と自負しているのですが、これを理解できず、いや、理解しょうと努力せずに、むしろ、最初からの先入観念で私を敵視して、この電子手紙広場に参加し、私を攻撃する方々が増えてしまって、ああ、やんぬるかな、の思いを噛みしめてきました。もっとも、この私は、小説も書くものですから、被虐体験をも大いに大事にしていますので、御心配は無用です。
しかし、今や、昔の男尊女卑思想の時代の言葉ではありますが、雌伏5年程の短い期間で、一番肝心のアラブ諸国での理解が進み、勝利直前となったのです。ああ、実は、この勝利への道程を、長らく愉しみたいとも願っているのですが。呵々。
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送信日時 : 2001年 4月 19日 木曜日 8:03 AM
件名 : Re: NHK 戦争裁判の大いなる錯覚の環
[中略]
御質問の件では、すでにわが電網宝庫に入っていて、相当数の接触が記録されている連載記事の内から、アメリカのユダヤ人の大学教授の歴史家による詳細な歴史研究の中から取り出した関連部分と、わが論評のみを、以下、紹介します。
[中略]
(ホロコーストによる国際的な)「恐喝」の歴史的経過について、ユダヤ人の歴史家、ピーター・ノヴィックの著書、『アメリカ人の生活の中のホロコースト』の中から、非常に興味深い文章を紹介しておきたい。
ノヴィックによると、アメリカのユダヤ人組織は、1967年、1973年の第3次、第4次中東戦争というイスラエルの危機に際して、1947年の諸国家連合(国連の正しい訳)によるパレスチナ分割決議に立ち戻って考えずに、「世界がホロコーストを忘れた」ことに、「イスラエルの困難」の原因を求めたというのである。その理由と、アメリカのユダヤ人の努力目標の説明が、実に奮っているので、以下、逐語訳し、原文を掲載する。
ホロコーストの枠組は、イスラエルを批判する正当な根拠のすべてを、見当違いとして無視し、正義と悪が入り組む可能性を考えることさえ避けるのを許した。さらに、アメリカのユダヤ人組織は未来を変えることは何もできいないが、ホロコーストの記憶を蘇らせることは「できた」(イタリック体の強調)。そこで、「薄れる記憶」という解釈が、行動への日程協議事項として提出された。
The Holocaust framework allowed one to put aside as irrelevant any legitimate grounds for criticizing israel, to avoid even considering the possibility that the right and wrong wrere complex. In addition, while American Jewish organizations could do nothing to alter its future, they could [italic] work to revive memories of theHoloczust. So the "fading memories" explanation offered an agenda for action.
以下、上記の「日程協議事項」が実践に移され、「テレヴィ連続ドラマ『ホロコースト』」(the TV series Holocaust)などが出現し、拙訳『偽イスラエル政治神話』(p.261)で「アメリカの議会で公式に認められているロビーの中で最も強力」と評価されている「アメリカ=イスラエル公事委員会」(American Israel Public Affairs Commitee. AIPAC)などが、継続的な活動を開始するのである。
ノヴィックは、「ユダヤ人組織による“ホロコースト・プログラミング”」("Holocaust programming" by Jewish organizations)という表現までしている。「プログラミング」は、コンピュータ時代の電算技術、教育用語として多用されるようになった単語である。
実は、私でさえも、この部分を読みながら、背筋が寒くなった。これまでに新聞や雑誌の切抜きを整理しながら、感じ、疑っていたことが、見事に裏付けられたからである。私は、まさに間断なしに「ホロコースト」関連事件報道が流れていることを、感じ、背後の組織的な動きがあるのではないかと、疑っていたのである。
[後略]
以上の記事の全文は、下記の連載記事の中のglo-35に入ってます。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/glo-series.html
大手メディアによって隠蔽されている情報の紹介こそが、民衆のメディア連絡会の正統を継承する一番大事な活動なのでありますが、日本語の文献は、私と『マルコポーロ』廃刊事件の主、西岡昌紀さんの本以外には推薦できるものはなく、日本語訳には時間が掛かるので、先にも紹介したアメリカの歴史見直し研究所の電網宝庫、
に加えて、大学教授、ブラッドレイ・スミスと学生たちが作っている次の電網宝庫の最新記事欄も紹介しておきます。こちらは学生が作ったためか、私の感覚では凝り過ぎで、最初の頁を取り込むのに時間が掛かるので、最新記事欄を直接見た方が良いでしょう。
http://www.codoh.com/newsdesk/NEWS.HTML
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送信日時 : 2001年 4月 24日 火曜日 7:19 PM
件名 : ロフトで右翼とNHK番組改変を語りませんか
いよいよ明後日に迫った民衆のメディア連絡会の例会、NHK戦争裁判直前改変問題で、「右翼と語りませんか」とは、なにごとかと思われるでしょう。ところが、そういう発想自体が、私に言わせれば、時代遅れも甚だしいのです。
まず第一に、右翼と言っても、いわゆる左翼と同様に、様々な流派があります。私が、結構ややこしい行き掛りで、明日の晩、2001.4.25.(水)、ほぼ18:30ごろに行くことにした新宿歌舞伎町、討論酒場、ロフトプラスワンの当日の演題は、「吠えるサンコー・出版記念」、出演は、「新右翼」と呼ばれたりする「一水会」の二代目代表、木村三浩(名字は同じでも姻戚関係ないことはキムタクと同じ)、「大物ゲスト有」となっています。
行くことに決めたのは、大学時代からの友人、「呼び屋」の康芳夫からの「こないか」との留守電が昨日入っていて、まだまだ杉花粉飛散中なので、一晩迷った挙げ句、父親が中国人、母親が日本人、現在の国籍は台湾の彼を交えて各流派の右翼の論客と、今度のNHK事件、さらにはその背後の教科書問題を語ってみるのも、私の人生の一つの「義務」(似つかわしくないか、イッッヒッヒ!)かなと、思い定めたのです。
簡単に「行き掛り」を記すと、一昨年、ユーゴ戦争問題で、二度、ロフトプラスワンの舞台に、木村三浩さんと並び、ユーゴ大使館の記者会見集会でも会い、昨年春の二代目襲名披露の宴に招かれました。そこでは、旧知の方多数と会いましたが、かの『新しい神様』主演女優賞の雨宮処凛さんにも、御会いしました。二次会も一緒でした。ただし、康芳夫とは20年振りの再会だったので、ほとんどオジン同士の思いで話の野暮な夜となりました。
で、簡単に言うと、木村三浩さんは、康芳夫と私との共通の知人であり、因果は巡るNHK襲撃の主役、大日本愛国党とは、かなり流派が違うのですが、右翼情報を聞けるでしょう。これも旧知の宮崎学さんあたりも顔を出すのではないでしょうか。 興味のある方は、覗いてみませんか。
なお、ロフトプラスワンの席亭こと経営者は、全共闘時代には中央大学の学生で、「中核と革マルを並べて舞台に上げたい」と願っています。私は、その時には、ぜひとも、審判役になりたいと、願っています。
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送信日時 : 2001年 4月 25日 水曜日 9:07 AM
件名 : NHK戦争裁判中締め要約問題提起
いよいよ明日、2001.4.26.に迫った民衆のメディア連絡会の例会、NHK「戦争をどう裁くか」第2夜「問われる戦時性暴力」直前改変問題、なのですが、私自身、別件に時間を取られ、別に義務と力むのではなくて、この際、私見を整理してみようと思い立ったものの、十分に展開することができせんでした。
しかし、幸いなことに、いささか「過分」と、柄にもなく、一応へり下って置きますが、旧知の元NHK職員、現メディア論教授、「津田正夫@市民とメディア研究会・あくせす」さんから、民衆のメディア連絡会の電子手紙広場の今後に関する議論の中で、次の括弧内の評価を頂きました。原文が括弧入りなのです。
正確を期しますと、御指摘の拙著の題名は『湾岸報道に偽りあり』です。「原典」云々に関しては、いわゆる勧進帳の仇役のような訓詁学の悪しき面に理解されると、私自身が揚げ足取りの対象となりかねないので、私自身は、むしろ「スパイ学風」であり、思想信条を区別せず、可能な限りの情報、耳情報をも含めて収集し、真相解明に執着することにしていることを追記しておきます。この心構えについても、上記拙著に記しました。
実は、何を隠そう、私が民衆のメディア連絡会に加わった最初の動機が、この「スパイ」趣味といえば、また誤解されかねませんが、朝日新聞の記事で、最初の集会の準備状況を知り、覗けば少しは断片情報が得られるかな、と連絡を取ったのが、きっかけなのです。
で、次は「墓穴」のことですが、何も、この安易な「ルポ」の弊害の問題は、今に、つまり、たとえば放送業界の発達以後に、安直放送の真似をして始まったものではありません。批判も早くからあります。これも電子手紙広場のやりとりの機会に読み直した「徒然草」の中に、いわゆる風聞の怪しさを皮肉っている部分がありました。江戸川柳には「講釈師、見てきたような嘘を言い」とあります。
「嘘」というと、「戦時性暴力」まで「嘘」と言うのかと、胸倉を掴まれかねませんが、そういう積もりではありません。しかし、「ホロコーストは嘘」なのであって、それを冒頭に持ってくる企画全体が、「嘘っぽく」見えるとしたら、「戦時性暴力」まで葬り去られかねません。
あとは駆け足になりますが、実は、もっとも重大なことは、戦争を裁くのであれば、現在、一番酷い戦争屋のアメリカの実態に迫ることができない、どころか、湾戦争でも、バルカン戦争でも、アメリカのデマゴギーを鵜のみ報道してきたNHKが、偉そうに「戦争を裁く」と出しゃばることが、いったい、可能だったのか、なのです。
鍵は、E-TV、3チャンネルです。昔から「言い訳チャンネル」の異名があった元教育放送名目の独占第2チャンネルでは、ある程度の反対意見の自由がありました。制作者は、そのために、実質上の国営放送の中で、国家の検定を逸脱するような主旨の放送が可能と、錯覚していたのでしょう。
この錯覚は、「理論的」支柱の東大助教授、高橋哲哉によって増幅されます。では、なぜ、彼が登場する「アウシュヴィッツ神話」番組には、これまで一度たりとも、右翼は抗議しなかったのでしょうか。単に、外国の問題だからではないのです。この神話教育は、日本の実質上の宗主国、アメリカばかりでなく、欧米諸国全体の「国定教科書」の一番重要な「大嘘」だからなのです。
しかも、呆れたことには、私が末端組合員の出版労連までが、「東大助教授、高橋哲哉」を招いて、「教科書問題で学習会」(機関紙『出版労連』2001.4.16.)を開いたのです。私は、合法的な権利を行使して、電子手紙で事前に批判して置きましたが、梨のつぶて状況です。しかし、絶対に諦めません。
ここで、もう一つの核心的な問題点を指摘します。なぜ、今、教科書問題では当該産業の出版の労組が、日本史の専門家ではなくて、ドイツの近現代史をちょっと齧った程度の助教授を、講師に招くのでしょうか。
実は、いわゆる「戦後民主主義教育」で教壇に立ち、数多の著書を有名出版社から出していた老大家たちは、ほとんど全滅状態なのです。ついでに指摘すると、この「戦後民主主義教育」の思想的背景をなしていた「マルクス思想」は、すでに1970年代には、学園から姿を消していました。私は、これを単に「反動」と決めつける風潮には反対です。国家規模で言えば、ソ連の崩壊を象徴として、いわゆる社会主義勢力の「だらしなさ」が、あまりにも明瞭に、曝け出されています。いわゆる老大家たちも、戦争中は軍国主義の旗を振り、アメリカの占領下では民主主義礼讃に幕間の素早い衣替え、商売人根性のお粗末が多かったのです。お粗末だから、下手糞漫画に負けるのです。
ところが、お粗末だった戦後民主主義教育を受けて育った世代は、指導者を失ったまま、またもや、言論詐欺師、本多勝一らの餌食にされ、そこらじゅうで、うろうろしているのです。政界を御覧なさい。日教組が支えていた社会党の成れの果て、日教組では反主流で現在は分裂少数組合の全教が頼りとする共産党が「自衛隊利用論」まで唱え出した現在、下々までが、またもや、お粗末の上塗りの派閥抗争を繰り返すのは、最大の愚行と愚考します。
明日の例会では、ともかく、直前改変の具体的な実情を知り、今後の詳しい議論に期待したいものです。
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送信日時 : 2001年 4月 26日 木曜日 8:27 AM
件名 : 大日本愛国党と後日の会談を約す
昨晩、この電子手紙広場で予告した通りに、新宿歌舞伎町、討論酒場、ロフトプラスワンにて、一水会、前書記長、鈴木邦男、現書記長、木村三浩らと並んで、演題「右翼は終わってねえぞ!」の舞台に上がりました。しかし、今晩の民衆のメディア連絡会の主題、NHK「戦争裁判」直前改変と大日本愛国党街頭宣伝車7台がNHK構内に入った(『創』記事による)問題に関しての議論には、至りませんでしたので、以下、簡略に、そうなった経過を報告します。
私が舞台に登るや否や、いわゆる右も左も旗印に使う「民族」とは何か、から、わが書誌学的研究の成果、「愛国心は、ならずものの最後の奥の手」(フランス革命以前のイギリスの文豪、サミエル・ジョンソンが「高潔で知られる」某閣僚級政治家をも含めて、「悪用」の意味で放った辛辣な批評)に至るまでの地球規模の壮大な議論となってしまったため、日本の教科書とかNHKとかは、ちせえ、ちせえ、となり、具体的な意見交換には、とうてい至らなかたのです。
しかし、一水会とは一時険悪な関係かと噂された大日本愛国党(ただし、現在は4派に分かれているとの耳情報もあり)の参加もあり、その会場発言に対して私の方から、いずれ腹を割って話し会いたい、と申し入れ、後日を期して、すれすれ終電で帰ってきました。
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送信日時 : 2001年 4月 27日 金曜日 8:40 AM
件名 :民衆のメディアNHK「戦争を裁く」感想
昨晩、2001.4.16.18:45~21:15. 民衆のメディア例会、NHK「戦争を裁く」第2夜直前改変事件。事務方から人数などの報告が行われるはずなので、この私の感想と行き違いになるかもしれません。私は、私見に基づく側面的観察をします。
順序は逆になりますが、ある常連の女性の自主メディア制作集団が、すでにこの事件を巡るヴィデオを作っていて、できたてのほやほやを数本持ってきていて、終わり際に、それを高く掲げながら宣伝の発言をしていて、申し込み用紙も配っていて、がやがやと二次会になだれ込み、談論風発、まさに時代の最先端の場の趣を呈したこと、感慨ひと入などと言えば年寄りじみますが、これからの展開が楽しみです。
しかし、当然、これから、歴史認識の問題などに関して、憎まれ愚痴の注文を付ける場面も生ずるでしょう。ともかく、関係者が、やれることをやって、力量を付ける以外に、この種の問題に対する真の回答は、出てこないのです。これまでにも、飽きるほど、番組弾圧に抗議する運動がありました。しかし、長続きしたのは、ごく少数で、運動が続いているとは言っても、ほとんど時折の勉強会のみの状態です。
この運動の問題と関連して横道に逸れると、別途、一昨晩、新宿歌舞伎町、討論酒場、ロフトプラスワンの舞台裏にて、席亭こと経営者の元全共闘から、サッチー問題で店の出し物の出演者を「金で雇った」という主旨のからかい発言をしたワイドショー(フジテレビ)に、放送の中での謝罪と訂正を求める運動に関して、助言を求められました。楽団も出る派手な抗議行動を「お台場」で展開する予定とのことで、これも、わくわくします。こんな運動が、勝手連で燃え広がれば、面白いことになるかもしれません。
もうすでに長くなりすぎたので、本日は、あと一つだけにします。二次会の会場まのだらだら歩きの間に、自主ヴィデオ販売では草分けの方と、感想を交換し、もっとも基本的な点で、意見が一致していることを確認できました。切り縮めると、「従軍慰安婦」と「天皇の責任」の二つを、NHKが放送するなんて、本来なら、あり得ない事態だったという判断です。これが、なぜ、発生し、あれだけの慌てふためきように至ったのか、内部の葛藤が、本当の赤裸々に暴露されるためには、至難の技が必要でしょうが、これがまた、面白いのです。
というのは、若い講師の自称肩書き「フリーライター」が、NHK内部の戦いについて、実に気軽に、首になったっていいじゃないか、という主旨の発言をしたのです。いやはや、日本テレビで首になって16年半戦った私としては、これまた、時代が変わってきたな、という実感です。いわゆる放送局の「局外」に実力が付いてきた時代だからこそ、こういう発言が、別に、素頓狂には聞こえなくなっているのです。
おお、決起せよ、「局内」の諸君!
以上で(その03)終わり。(その04)に続く。