『亜空間通信』581号(2003/04/23) 阿修羅投稿を再録

アメリカのイラク戦争の大義の大嘘「毒ガス」の裏にイラン・コントラゲートあり

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『亜空間通信』581号(2003/04/23)
【アメリカのイラク戦争の大義の大嘘「毒ガス」の裏にイラン・コントラゲートあり】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 イランでは「国教」の位置にあるシーア派が、イラクで「反米」姿勢を強めている折から、「イラン・イラク戦争」の後遺症、「サダムが自国民のクルド人を毒ガスで大量虐殺」というアメリカのデマ宣伝に関しての批判を、今回で一応、まとめ上げることにする。

 私は、すでに、以下の通信を発した。

3)・・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aku574.html
http://www.asyura.com/0304/war31/msg/1205.html
『亜空間通信』574号(2003/04/15)
【アメリカの戦争犯罪を裁く大義なし2本柱の悪魔化「毒ガス使用」は嘘の簡略英文】

----- 引用ここまで ------------------------------

2)・・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aku554.html
http://asyura.com/0304/war30/msg/226.html
『亜空間通信』554号(2003/04/02)
【再論:ラムズフェルド国防長官の最後の根拠デマ「サダム自国民大量虐殺」砕け】
----- 引用ここまで ------------------------------

1)・・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aku548.html
http://asyura.com/0304/war29/msg/959.html
『亜空間通信』548号(2003/04/01)
【サダムは自国民を毒ガス虐殺のデマを広めつつ反戦の主張のフリ感傷に浸る愚衆】

----- 引用ここまで ------------------------------

 その後、阿修羅戦争32掲示板に、以下の投稿が出た。

----- 引用ここから ------------------------------
ハラブジャ大虐殺の真相
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/553.html
投稿者 ヤス 日時 2003 年 4 月 21 日 00:50:32:

阿修羅の常連さんでしたらすでにご存知の方も多いかもしれませんが、ハラブジャ大虐殺の真相を暴いたStephen Pelletiere氏の講演ビデオおよび彼が1月31日付けのニューヨークタイムズに発表した報告は以下のサイトで見ることができます。
http://www.informationclearinghouse.info/article2097.htm


イラク -ポルトガルは事実を全て知っていたのだろうか?
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/549.html
投稿者 ドメル将軍 日時 2003 年 4 月 20 日 23:14:32:cje0BUN7ztE2U

(一部抄訳)
ポルトガル・ニュースは元CIA上級政治アナリストC. Pelletiere氏が作成したレポートの完全な写しを入手した。
 報告書には、「イランは、1988年のハラブジャ大虐殺(クルド人5000人が化学兵器で殺戮された)の責任を有する」と、ある。
 ハラブジャ大虐殺は、フセイン政権打倒のためにアメリカ政権が提供した口実の一つである。
 ガーディアン紙(イギリス)のマシュー・ノーマンなどの数人の政治コメンテーターたちは、もし、このレポートが衝突前に公表されていたら、ポルトガルとスペインは、米英によるイラク侵攻支持を再考したかもしれないと語った。
 ハラブジャ大虐殺に関するPelletiere氏のレポートの一部は、今年の1月にニューヨーク・タイムズで公表されたが、他のメジャー紙およびテレビ局はこれを無視した。

関連リンク http://www.jca.apc.org/~altmedka/gulfw-12.html

19/04/2003
Iraq- Did Portugal have all the facts?
 [後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

 上記の「関連リンク」:

は、わが電網宝庫の下記の拙著の『湾岸報道に偽りあり』の以下の部分である。

----- 引用ここから ------------------------------
『湾岸報道に偽りあり』
隠された十数年来の米軍事計画に迫る
(その12)第二章:毒ガス使用の二枚舌疑惑

「黒い水鳥」と並んで、イラク悪魔化に大きな役割を果たしたのが「毒ガス」である。

 果たしてイラクは、毒ガスを「自国民の」クルド人弾圧に使用していたのであろうか。

 私は、この難問への回答の一部を、以下の文中に記した『文芸春秋』(91・4)で発見し、早速、『噂の真相』(91・5)に引用した。その後に現われた材料を加えて同誌(91・11)にまとめなおし、さらに加筆したのが以下の小文である。
───────────────★────────────────
次々に暴かれるデマ宣伝の真相
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

 そこで、私は、以下の礼状をしたためた。

----- 引用ここから ------------------------------
わが11年前の旧文紹介感謝。このブッシュ親「毒ガスの嘘」を重視し、英語も入力せり。Re: イラク-ポルトガル?
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/552.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 4 月 21 日 00:41:07:

(回答先: イラク -ポルトガルは事実を全て知っていたのだろうか? 投稿者 ドメル将軍 日時 2003 年 4 月 20 日 23:14:32)

 わが11年前の旧文紹介感謝。このブッシュ親「毒ガスの嘘」を重視し、英語も入力せり。

 以下は、「反米」アメリカ人に問い合わせて入手せし最近の記事なり。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/engl-n030411-1.html
Update News in English
English News Selected by Kimura Aiji

030411-1 / THE HALABJA GASSING AND OTHER LIES/April 2003/Arthur Kemp reveals the lies behind Bush's war in Iraq

http://www.bnp.org.uk/articles/iraq_lies.htm
April 2003

THE HALABJA GASSING AND OTHER LIES ABOUT IRAQ
Arthur Kemp reveals the lies behind Bush's war in Iraq
----- 引用ここまで ------------------------------

 私は、上記の拙著

の中で、簡略に、以下のように記した。

----- 引用ここから ------------------------------
[前略]
「毒ガスはイラクとイランがお互いに使ったのであって、自国民(クルド族)に使用していないことは当時イラクの死者を検診したトルコの医者たちが、毒ガスの内容から証言している。それはイラン側の所有するシアン化物であった」
『イラン・イラク戦争』という元陸将補鳥井順の大著によると、イラクがイランに対して使用した毒ガスは「マスタード・ガス」と「タブン神経ガス」であり、「シアン化物」または「青酸ガス」はふくまれていない。
[中略]
 問題となった地帯では、イラン・イラク戦争中、両軍が入り乱れて何度も戦っていた。毒ガスは風で流される。下手をすると味方まで殺してしまうという、危険な兵器なのだ。近隣の住民に被害が及ぶことは充分にありうる。
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

 拙著『湾岸報道に偽りあり』では、「ガス使用の二枚舌疑惑」だけを立証すれば、一応の目的は達せられるので、上記のように簡略に記したが、そこで引いた『イラン・イラク戦争』には、さらに詳しい記述があった。それを少し論じて置く。

 鳥井は、上記のごとく、毒ガスの種類については、正確な記述をしているのだが、イラクが「停戦後」、[中略]「イラン軍と共同作戦」をしていた「クルド・ゲリラの壊滅作戦に乗り出し」、「クルド人村を化学剤爆弾で襲い、住民数百人が死傷した」などと記している。

 しかし、この情報源は、鳥井の記述を辿ると、どうやら、「トルコに避難してきたクルド人の言」だけらしいのである。このような「被害者」の言には、多くの場合、同情を引くための誇張や歪曲が含まれるので、要注意なのである。

 その一方で、『イラン・イラク戦争』の中には、以下のようなイラク側の主張についての記述もある。

----- 引用ここから ------------------------------
(イラクのハイララ国防相は)、クルド・ゲリラ掃討作戦を実施したことを認めた。しかし、化学兵器による攻撃については、作戦現場が峡谷の底で、毒ガスを使用するとそれが滞留し、イラク軍にも被害が出ると主張、「技術的に化学兵器の使用は不可能だ」と否定した。
----- 引用ここまで ------------------------------

 私は、次のように考えた。

 イランとの停戦後、クルド人のゲリラを掃討するのは、イラクの正規軍にとって、容易なことだから、あえて毒ガスを使用する必要はない。毒ガスを所持する軍には、それなりの「取り扱い注意」があるはずである。しかし、領土の上では「侵入者」だったイランには、上記の地理的条件の知識が不十分だった可能性がある。

 これらの諸点を考慮して、私は、上記のように、「問題となった地帯では、イラン・イラク戦争中、両軍が入り乱れて何度も戦っていた。毒ガスは風で流される。下手をすると味方まで殺してしまうという、危険な兵器なのだ。近隣の住民に被害が及ぶことは充分にありうる」と指摘して置いたのである。

 国際的な決着に至るためには、これらの諸点を基礎として、さらに詳しい議論を必要とするであろう。ともかく現在までのところ、イランでは、イラクとの敵対関係が続いていて、自国の毒ガスがクルド人を襲ったのだとは認めていない。この関係が改善されないと、アメリカのデマ宣伝は、いつまでも続くであろう

 私は、そこで、この問題を巡る土俵を、もっと広くして、まずは、中東の紛争に関するアメリカの責任を、徹底的に問うことを提言する。

 アメリカは、そもそも、ホメイニ革命でイランから追い出されたので、イラクを挑発し、「双方が殺し合うことを望む(キッシンジャー国務長官)と公言したのである。その上に、著名な「イラン・コントラゲート事件」によって、イランに3000発のミサイルを供給し、「イラン・イラク戦争」を、ますます凄惨な大量虐殺の地獄に仕立てたのである。

 以下、その経過を電網検索で得た情報の要約によって示す。

----- 引用ここから ------------------------------
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/usa/iracongate.htm
イラン・コントラゲート事件関連年表

1981年
■1.20 レーガンが大統領に就任.副大統領ジョージ・ブッシュは政府の麻薬対策キャンペーンのヘッドに就任.
■1.28 レーガン,ブッシュの「南フロリダ・タスクフォース」構想を承認.フロリダに麻薬が流入するのを阻止するため,各連邦機関が協調するという構想.
■3.25 NSC内にブッシュを議長とする「危機管理スタッフ会議」が選出される.
 [中略]
■8月 ニカラグア北部および南部国境地帯で反政府勢力が再編成される.
■12月 大統領,CIAによるニカラグア反革命の政治・軍事行動を承認.下院はコントラへの軍事援助千9百万ドルを承認.

1982年
 [中略]
■5.14 NSCメンバーに向け,秘密メモ「国家安全保障決定指令3」が出される.NSC内に「特殊状況グループ」(Special Situation Group:SSG)が作られ,ブッシュ副大統領が議長をつとめることとなる.さらにその中に「危機想定計画作成グループ・(Standing Crisis Pre-Planning Group)を設立.NSCスタッフ,CIA,軍,国務省の代表が,ホワイトハウス戦況指令室で定期に協議することとなる.これにより,ブッシュはすべての隠密活動と情報活動のチーフとなる.
■5.20 危機想定計画作成グループ,初の会合.NSCスタッフのオリバー・ノース中佐が事務局を勤めることとなる.
■8月 ブッシュ,自らの安全保障首席補佐官に,CIA長官時代の幹部ドナルド・P・グレッグを指名.グレッグはブッシュのオフィスに,CIAの暗殺専門家フェリックス・ロドリゲスを引き込む.ロドリゲスはベトナム時代にグレッグの部下を務めた.
■9月 コントラが本格攻勢を開始.
[中略]

1983年
■2月 オリバー・ノースが中心となり,「危機想定計画」に基づき「危機管理センター」(Crisis Management Center)を立ち上げ.
 [中略]
■4.14 レーガン,コントラへの秘密援助は合法的なものと述べる.発言の中でレーガンはコントラを自由の戦士と讃える.
■5.25 シュルツ国務長官,レーガンにメモを提出.ブッシュが中米で進めようとしている作戦を中止するよう求める.さらに命令系統がNSCをバイパスしていることについて警告.
 [中略]
■7月 ボランド=ザブロツキ法,コントラへの援助を禁止.ただし武器の販売は許される.下院はサンディニスタ政府への援助を全面凍結する決議を可決.
 [中略]
■9月 レーガン,CIAによるコントラ支援,補給,訓練活動を承認.
 [中略]
■2月 2400万ドルのコントラ援助を含む防衛予算が成立.
[中略]

1984年
 [中略]
■4.08 レーガン,ニカラグア政府の国際司法裁提訴を前に,司法裁の権威を否定する声明.
■4.09 ニカラグア,国際世界に米国のゲリラ支援が違法であると宣言するようもとめ提訴.
 [中略]
■5.10 ハーグの国際司法裁,米国がニカラグアの港湾封鎖を停止するよう評決.
 [中略]
■6.25 レーガン,ブッシュを含む国家安全保障企画グループ(National Security Planning Group),ホワイトハウス戦況指令室で秘密会談.ボランド法を避けるため,コントラへの迂回援助の道を検討.
会議の要点
最初にブッシュが第三国を経由しての援助を提案.シュルツはその違法性を指摘.ベーカー財務長官が「第三国から我々が資金提供を受ければ,それは弾劾の対象となる・といった言葉を引用.これに対しケーシーCIA長官は,「ベイカーがその後考えを変え,迂回援助支持に回った・と指摘.マクファーレンNSC担当補佐官は,具体的な候補が現われるまで,この話は極秘のまま保留するよう提案.レーガンもこれに同意.
■9月 コントラ関連予算を削除された国防総省およびCIA予算が成立.コントラ支援計画は終わりを告げる.
■10.03 下院,ボーランドⅡ修正を可決.これまでの中米での秘密戦争を非合法とするもの.いかなる形でも,いかなる組織を使っても中米への武力干渉は許されないこととなる.
 [中略]
■12.21 フェリックス・ロドリゲス,ブッシュのオフィスでドナルド・グレッグ,オリバー・ノースと会談.
84年末 国家安全保障会議(NSC),コントラ向け現金,物資の調達工作を開始.86年5月まで続く.

1985年
■1.21 レーガン,二期目の大統領に就任.
 [中略]
■2.07 「特別状況グループ」(SSG)管轄下の☆危機計画グループ・(CPPG),ボーランド改正を回避する手段を議論.スアソ大統領あてのレーガン親書送付について同意.コントラへの支持と引き換えに,軍備への援助,債務超過のため保留になっている経済援助の再開などいくつかの見返りを提示.
■2.12 ノース裁判における政府提出文書によれば,ノースは,CPPGへの提案内容をマクファーレンに説明.☆大統領親書・はやめ,特使が口頭で要請するよう提案.この結果,ブッシュが自らホンジュラスに赴くことになる.
■3.15 ロドリゲス,ホンジュラス領内のコントラ基地に赴き,軍需物資供給を監督.
■3.16 ブッシュ,テグシガルパでスアソ大統領と会見.ホンジュラス政府からコントラへの資金提供を組織.ホンジュラス政府には,米国による補償(経済・軍事援助など約1億ドル)を「個人的」に約束.
■4.01 ロバート・オウェンからノース宛にメモ.コントラ南部戦線について報告.エデン・パストラの元部下アドルフォ・カレロが南部戦線司令官となったと述べる.「幹部には麻薬との関連が疑われる人物が含まれる.たとえばホセ・ロベロである.セバスティアン・ゴンサレスは,今もパナマで麻薬密輸に関係している・・鹿仂
■5.01 レーガン大統領,ニカラグアとの全ての貿易の禁止を宣言.
■6月 パストラ,コントラから追放される.ARDEを含むニカラグア反対連合(UNO)が結成される.
■  [中略]
■7.12 ノース,退役空軍将軍リチャード・シコードと電話連絡.コントラが武器を購入する予定の,ホンジュラス国内の武器倉庫について意見交換.「購買資金14M,麻薬から来る・(ノース・メモ)
■7月 「反テロリズム特別委員会」(Task Force on Combatting Terrorism)が設置される.イラン・コントラゲートの実行部隊となる.ブッシュが責任者となる.
■8.01 対ニカラグア人道援助法の成立に伴ない,国務省内に援助事務所(NHAO)が設立される.
 [中略]
■8.09 ノース,コントラ内における彼の連絡役であるロバート・オウェンと会談.ニューオリンズからコントラへの空輸作戦を,アドルフォ・カレロFDN代表の弟マリオに担当させることとする.ノース自筆メモ.
■9.10 グレッグとノース,ジェームズ・スティール大佐と会談.スティール大佐は,エルサルバドル駐在軍事顧問団長としてコントラへの物資空輸作戦を統括していた.ノースのメモによれば,会談ではコントラへの武器供給元である武器ディーラー,マリオ・デル・アミコに関する情報,空輸作戦の状況,コントラ司令官ベルムーデスに関する情報などを交換.
 [中略]
■12.05 コントラ人道援助がふたたび議会で承認される.ニカラグア人道援助事務所(NHAO)が設立される.オリバー・ノース,米州担当補佐官エリオット・エイブラムズ,CIA将校アラン・ファイアーズらによって運営される.
■12月 情報認可法が成立.CIAにコントラへの通信装置および情報の提供の許可を与える.
■[中略]

1986年
■1.02 イスラエルの対テロ対策部長アミラム・ニル,ワシントンを訪問.ノースとポインデクスターに会見.イスラエル占領下のレバノンにおける政治囚3千人,米国製TOWミサイル3千発と引き換えに,イランに捕らえられている米国人の解放を求める案を提示.さらに武器売却代金をコントラ支援に横流しすることも提案.
■1.20 作戦担当小委員会(Operations Sub-Group)が設置される.ブッシュの裏の行動を支えるべく,次々に作られたこれらの小委員会の機能は,未だ不明の点が多い.このほかにもまだ多くの小委員会が存在した可能性がある.
■1月 大統領指令.コントラに対する軍事援助を停止.
■2.10 オウェンからノースへの手紙.「コントラへの人道援助のための飛行機は,以前麻薬密輸に用いられていたものである.持ち主はマイアミのボーテックス社で,社主は全米最大のマリフアナ業者マイケル・パーマーである・と報告.
■2月 国務省,ニカラグア人道援助局(NHAO)の物資輸送をパーマーに委託契約.パーマーは総額30万ドルを受け取ったといわれる.
■3.26 オリバー・ノースはロバート・マクファーレンあてにメモを送る.メモの中で彼はコントラのためのミサイル獲得の方法,米国内法,関税,警察の追及を逃れる方法について述べる.
■4月 「テロリズム,麻薬,国際作戦に関する上院小委員会」(ケリー委員会),コントラと関連した不法な銃の流れと麻薬密輸について調査を開始.
 [中略]
■5.16 レーガンも出席した国家安全保障企画グループの全員会議,コントラ戦争を続けさせるための緊急財政課題について議論.中米戦争と直接関係しない第三国を経由したコントラ援助の可能性が検討される.この後,ジョージ・ブッシュの元ビジネス・パートナーであるブルネイのサルタンが,1000万ドルをコントラに寄付.この金はスイスの銀行の秘密口座から紛失.
■5.29 レーガン大統領,ジョージ・ブッシュ,ドナルド・リーガン,ジョン・ポインデクスターが会談.マクファーレンとノースが,テヘランで開かれたイラン高官とアミラム・ニルの武器対人質交換交渉に関して説明.ホメイニとのあいだに秘密の通信回路が形成されたと報告.
 [中略]
■7.29 ブッシュ,エルサレムを訪問.アミラム・ニルと秘密に会談を持つ.会談はレーガンにも伏せられる.会談後,ブッシュはクレイグ・フラー首席補佐官にメモを手渡し,オリバー・ノースだけに送るように指示.
■7.30 イスラエルから帰国したブッシュ,オリバー・ノースと密談.この会談についてブッシュは否定し続けたが,90年5月にノースの日記が公開されたとき,会談の事実を認めた.
 [中略]
■9.22 ロンドン市内のホテルでノリエガとノースの会談.パナマでコントラとアフガン・ゲリラのためのコマンド訓練計画を実施すること,指導にはイスラエル軍人があたることで合意.また,ニカラグア国内での破壊施設目標についても議論.マナグア地域で,空港・精油所・電気・電話システムを含む目標を設定.これらの計画は11月のイラン・コントラゲート事件発覚後,ご破算となる.
 [中略]
■10月 米議会,87年度予算でコントラへの非軍事援助1億ドルを承認.ただし麻薬関連疑惑のグループへの援助は禁止される.
■10.05 9:30AM ユージン・ハーゼンファスの操縦するC123輸送機,AKライフルと弾薬,手榴弾,ジャングル・ブーツなど1万ポンド相当を積み,サンサルのイロパンゴ基地を出発.飛行プランでは,飛行機は太平洋岸を南に向け飛行.コスタリカに入ってから東進,北進し,ニカラグア領内に侵入する予定だった.
■10:30AM ハーゼンファスの輸送機,誤ってニカラグア領空内に侵入.サンディニスタ民兵,地対空ミサイルを用いハーゼンファス操縦の輸送機を攻撃.輸送機は右エンジンと翼に被弾炎上し,撃墜される.この事件で乗組員二人が死亡,パラシュート脱出に成功した機長のユージン・ハーゼンファスが,捕らえられる.この飛行機はテキサスの南部航空会社所有.
■10.07 ヘンリーB.ゴンザレス下院議員(D-Tx.),ニカラグアの飛行機事故が,サンディニスタ政権打倒のためのCIAの秘密作戦だった可能性があるとし,調査のために委員会を召集.
■10.09 ニカラグア政府,コントラへの物資支援のC-130貨物輸送機を撃ち落としたと発表.ハーゼンファスは記者会見で,マックス・ゴメス(フェリックス・ロドリゲス)の指示によりエルサルバドルから飛び立ったことを認める.当時,米国の法律は,このような行為を戦闘行為として禁止していた.
■10.11 ワシントン・ポスト紙,「捕らえられたアメリカの飛行士,ニカラグアで裁判」と,「ブッシュ,コントラ支援網のトップと関係・の二つの記事を一面に並べる.世界のマスコミはいっせいにハーゼンファス・ストーリーと,ブッシュの部下ロドリゲスとポサダ・カリレスの記事を流す.
■10.11 ブッシュ,遊説先のチャールストンで,自らがコントラへの不法な武器援助を指揮していたことについて否定.ロドリゲスを☆愛国者・と賞賛.「私は,彼がエルサルバドルで何をしていたかを知っているし,それを強く支持している・と述べる.
 [中略]
■10.19 ユージン・ハーゼンファス,ニカラグアでCBSテレビ番組☆60分・に出演.マイク・ウォーレスと会見.「ブッシュは,秘密武器供給作戦を熟知していた・と述べる.
■11月 アルシラア紙の暴露
■11.03 レバノンの新聞アルシラア,米国がひそかに武器をイランに販売したと報道.
■11.06 レーガン大統領,武器がイランに販売されたことを否定.
■11.13 レーガン大統領,一転して,武器がイランに販売されたと認める.しかしアメリカの人質解放のための取引だったことは否定.
■11.19 レーガン,記者会見を開き釈明.86年1月に武器が出荷されたことを認めるが,それ以前にはなかったと述べる.
■11.22 レーガン,ブッシュを通じてシュルツ国務長官に,「私を支持するか,さもなければ私のチームから離れなさい」と伝える.
■11.25 ホワイトハウス,イラン武器販売代金がコントラ支援に回されたことをあきらかにする.
■12.01 レーガン,イラン・コントラゲート事件解明のため,三人の議員からなる大統領特別検討委員会(President's Special Review Board.通称タワー委員会)を指名.テキサス州出身の上院議員ジョン・タワーを委員長に指名.他にブレント・スコウクロフトとロバート・マスキー.
■12.04 ミースは,イラン/コントラ事件に関する独立検察官の指名を要請.レーガンは特別検察官の任務を,ウオーターゲイト型の隠ぺい工作のみに絞るよう要求.
 [中略]
■12.19 最高裁,ローレンス・ウォルシュ判事を,イラン・コントラゲート事件調査のための独立捜査官に指名する.

1987年
■1.06 上院,イラン・コントラゲート委員会を設立.翌日下院も委員会を立ち上げ.
■1.29 上院の情報特別委員会,イラン・コントラゲートについてのレポートを発表.
■2.02 ケーシー,CIA長官を辞任.まもなくガンのため死亡.イラン・コントラゲートについては一言も話さず.
 [中略]
■2.26 タワー委員会は,イラン・コントラゲート事件に関する報告を発表.混乱を招いた主犯として,大統領主席補佐官ドナルド・リーガンをきびしく非難.いっぽうで,ブッシュを,あらゆる形のテロともっとも活発に取り組んだとして賞賛.後にブッシュはタワーに感謝するため,彼の政権の国防長官に指名(議会での信任を得られず).委員の一人ブレント・スコウクロフトは国家安全保障担当補佐官に指名される.
 [中略]
■2月 カリフォルニア州バークレーに住むコントラ支持者のデニス・エーンズワース,「FDN幹部が麻薬取引に関与している.彼らはサンディニスタと戦うよりも麻薬商売のほうに血眼になっている」と,FBIに通告.
 [中略]
■3.18 ウォルシュ,上下院イラン・コントラゲート委員会との協定.ノースとポインデクスターに免責特権を与えた上で証言させることを確認.
 [中略]
■5月 ニカラグアの抵抗(RN)が結成される.コントラの各グループを寄せ集めたもの.
■5.05 イラン・コントラゲート事件に関する両院合同聴聞会が始まる.
■5.06 リチャードR.ミラーが証言.武器代金の横流し陰謀に参加したことを認める.
 [中略]
■7.07 ノース,免責特権を得て議会で証言.
 [中略]
■11月 サンディニスタ政府,コントラとの間接対話の準備があると声明.
■11月 イラン・コントラゲート事件に関する両院調査委員会の報告が発表される.
 [中略]
■11.13 下院イラン・コントラゲート調査委員会(イランとの秘密武器取引調査特別委員会),共同報告を発表.下院特別委員会の共和党代表リチャード・チェイニー,調査の妨害と無力化に全力.この結果ブッシュの責任についてはほとんど言及されず.後にチェイニーは,タワーが議会で不信任された後の国防長官に指名される.
■11.18 議会,イラン・コントラゲート最終報告を発表.
[中略]

1988年
■1月 オルテガ大統領,コントラとの直接対話に乗り出す意向を表明.
 [中略]
■3.16 ノース,ポインデクスター,シコード,ハキームの4名,米国資産を詐取した罪などで起訴される.
 [中略]
■6.08 イラン・コントラゲート事件を担当するゲセル判事,議会での免責特権を回避するため,4人の被告の分離裁判を命じる.
 [中略]
■7.28 2人のDEA職員,ケリー委員会で証言.メデジン・カルテルに対して実行されたおとり捜査に関して陳述する.これによると,ノースはカルテルに対し150万ドルの賄賂を要求.この金はおとり捜査官の手により運ばれ,コントラに手渡された.
■12月 「テロリズム,麻薬,国際作戦に関する上院小委員会」(ケリー委員会),報告書を発表.「米国の政策立案幹部は,麻薬資金がコントラ援助のための完全な答えだ,とする考えに,無関心ではいられなかった・と断罪.

1989年
■1.13 機密情報問題にかかわるとして,ノースに対する中心陰謀,窃盗告訴は退けられる.
■1.20 ブッシュ,合衆国大統領に就任.
■1.31 ノースに対する裁判が始まる.
■2月 ニカラグア選挙監視とコントラの武装解除に向けたテソロ・ビーチ協定が締結される.
 [中略]
■8月 テラ合意.コントラ武装解除と総選挙の日取りがセットされる.
 [中略]
■11.21 ハキム,武器代金の一部を着服したことを認める.レイク資源会社は, コントラへの支援のために,イラン武器販売収益を流用したことを認める.
■[中略]

1990年
 [中略]
■2.06 ノース裁判,控訴裁での口頭弁論.
 [中略]
■4.06 ファビオ・エルネスト・カラスコ,議会でコントラ・コカイン疑惑について証言.カラスコはコロンビアの麻薬業者ジョージ・モラレスのシンジケートで,輸送機のパイロットを務めた.彼は,84年と85年の2回,コスタリカのコントラ部隊のために武器を輸送したこと,そこから麻薬の入った袋を積み米国へ向かったことを認める.またモラレスの指示で数百万ドルの現金をパストラ部隊の幹部オクタビアノ・セサルとアドルフォ・チャモロに手渡したとも証言.
 [中略]
■4月 ビオレッタ・チャモロがニカラグア大統領に就任.コントラの武装解除始まる.
■7.20 コロンビア特別区巡回控訴審,ノースの有罪判決を取り消し,予審法廷において免責範囲についてさらに審理を進めるよう命令.
■[中略]

1991年
■4.05 タワー元国防長官,飛行機事故で死亡.彼は死の直前から,イラン・コントラゲート事件に関する疑惑を本に書きはじめていたという.
■5.29 連邦最高裁,ノースに関する裁判の再調査を拒否.
■9.16 ノースに対する訴訟,予審法廷による審理の後,棄却される.
 [中略]
■10.07 エリオット・エイブラムズ,情報秘匿の罪を認める

1992年
 [中略]
■12.11 ホワイトハウス,独立検察官にブッシュがイラン・コントラゲート事件に関する日記を持っていることを知らせる.
■12.24 ブッシュ大統領,ワインバーガー,クラリッジ,マクファーレン,ファイアーズ,,エイブラムズ,ジョージに恩赦を与える.独立検察官は恩赦を非難する声明.
[中略]

1993年
 [中略]
■2.08 独立検察官,第四次中間報告を発表.ワインバーガー事件,大統領の恩赦に関して見解を述べる.
 [後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

 以上。


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