読売グループ新総帥《小林与三次》研究(5-5)

電網木村書店 Web無料公開 2017.4.6

第五章《組合征伐》

「決死」とか「捨て身」が飛び出す本人談の真相と
マスコミに報道されない実状

5 テレビ局の良心を守るたたかい

 さらに、放送内容にかかわる問題もある。

 木村の「労働契約上の地位確認請求事件」の『訴状』は、『法廷でたたかう』というパンフに製本され、一般むけにも発行されている。そこには、「連続投稿『決断』をキル」という項目がある。

《一九七一(昭和四六年の四月新番組には、戦争マンガ『決断』が登場し、小林社長はみずから試写室にあらわれスタッフにハッパをかけるなど、これに大変な力をいれていた。組合はこの放映に反対し、団交において中止を要求し、宣伝活動を行った。原告は「不況宣伝シリーズ」連載と並行して、一九七一(昭和四六年四月一二~七月一日まで、七回の投稿により、この放映の危険な意味を訴えた。被告会社は、原告や組合のこれら放映中止運動が高まったため、放映中止のやむなきに至った》(『訴状』)

 つまり、日本テレビ労組も木村自身も、困難な状況にありながら、放送内容にかかわるたたかいを継続していたのである。

《組合活動家で、職場のなかまから“愛ちゃん”と呼ばれた木村愛二さん(四一)が、日本テレビに十一年半勤務したあげく突然クビをきられて、早くも六年になります。……自衛隊批判ドラマとして放送中止事件が起きた『ひとりっ子』(一九六三年)の放映運動、自衛隊物語『列外一名』の阻止などの運動では、つねにその行動の先頭にたって行動した木村さん。

 そんな彼について、職場の元同僚はいいます。

 『ベトナム海兵大隊戦記』や『判決――佐紀子の庭』の放映中止事件では、彼がつくっていた『おしゃべリアンテナ』という新聞が大活躍。彼はいわば、テレビの良心を守ってきた男の一人ですよ。そんな男を冷酷にクビ切った日本テレビが、なにを『愛は地球を救う』ですか―I》(『赤旗日曜版』(『・n・5)

 この記事が出た時、木村の不当解雇反対闘争は、すでに七年目にはいっていた。

 放送局の解雇争議を第2表でみると、二つのピークがある。第一はもちろん、レッドパージ。そして第二が、名付けるなら、日韓・ベトナム・パージといったところ。そして、いわゆる「合理化」解雇が、断続的に配置されてきた。さらに一九七〇年以降は、いわば「企業秩序維持」を名目とする事例が散発する。つまり、かつての朝鮮戦争やベトナム戦争という、アメリカの反共侵略戦争のあおりではなくて、ポスト・ベトナムの国内支配強化、日本の経済大国化に対応する攻撃である。時代背景を象徴させて名付ければ、ロッキード・パージとでもいうべきだろうか。そしてまさに木村解雇事件の直前、かのロッキード事件刑事被告人のマスコミ操作が、その一端を露わにしたのであった。

第2表 戦後日本の放送局における解雇事件
別画面拡大表示
(119KB)


6 「軽井沢発言」の血しぶき