電網木村書店 Web無料公開 2017.4.6
第四章《“民間”の官界ボス》
刑事被告人から“キング与三”とおだてられた“ブレイン”の無法人脈
1 《内務省復活》の野望と弁解の奇妙キテレツ
さてさて、チョウチン記事とは良くいったもの。まわりの暗闇を絶好の条件に、にわか大名に紋付羽織、陣笠かぶせて、ハイッ、お通り、下にッ、下にッ、ということだろうか。
なかでも驚いたのは、小林与三次「リベラリスト」(『現代』’81・9)説である。これは『新評』(’81・6)にもあったから、読売の新作戦用語であろうかと思いきや、やはり何故か『中央公論』(’81・6)にもあった。そこでは、「地方局は警察部内よりリベラル」という趣旨。ここらが底割れだろう。
ともかく、あのワンマン吉田茂ですら「リベラリスト」と呼ばれていたことさえあるし、これは日本式英語の中でも、まことによく珍用されている部類の単語である。拷問屋の特高と関東軍以外は、「みんなリベラル」なる語の近代的な源は、イギリスの受有貿易主義である。密貿易業者をバックとするリベラリストは、重商主義政策、具体的には、奴隷貿易の王室勅許状による「独占」に反対し、「奴隷貿易の自由化」を叫んだりした。そのために、本当の自由(フリーダム)を奪われる黒人や有色人種は、激増の一途をたどったものである。つまり、リベラルとは、資本主義的競争の、その最悪の行為さえ「自由」にしろという趣旨だったのだ。これが、小林のヒロヒトイズムと、どう野合しうるものか。興味深いものがあるといえよう。
ところで、さきの『現代』誌で、小林リベラル説を唱えていたのは、元内務省事務次官、現自民党(ここも“リベラル”本流か)衆議院議員の古井善実である。つまり、旧内務官僚同志、先輩と後輩との、いじましきエール交換でもあろうか。
だがすでに昨年五月七日には、「内友会」なる組織が発足している。「旧内務省系」国会議員四九名を参加対象とするが、うち二名が民社党で、あとの「四七士」はすべて自民党員。第一表の如きメンバーである。これが、自称の如き「懇親会」だけに終るものであろうか。最高顧問に元内務次官の灘尾、会長に元警視総監の町村とくれば、眼配せしただけでも陰謀をころがせる体制ではないか。
おまけに、そのバックには、旧内務官僚全体の組織、千名を擁する「大霞会」がついている。ここも名目上は「懇親会」だが、すでに一〇年前には、『内務省史』全四巻を刊行。これも、ああ堂々の《逆コース》宣言、そして歴史の偽造、粉飾等々の非難を浴びたシロモノだ。もっとも、かの内務省の権勢を、自ら誇るわけだから、内務省批判にも材料を提供してくれたことは確かである。
そして、この「大霞会」=「内友会」体制の中心には、元統幕議長の林敬三もいる。注意してほしいのは、統幕議長の位置なのだが、これはいうまでもなく「防衛庁」=自衛隊=軍部、それも戦前の陸軍・海軍体制ではなく、陸・海・空の三軍を「統合」する要職である。GHQ=アメリカ占領軍は、日本の軍隊に「文官優位」というアメリカ方式を残していった。ところが、日本の高級官僚どもは、その「文官」の中に、こともあろうに「警察」官僚をもぐりこませ、ひいては旧内務官僚閥による軍部支配の人脈を築いてしまったのだ。たとえば、一昨年のダブル選挙で小林が突如“超法規行動発言”で辞任の栗栖元統幕議長を応援し、日本テレビで講演までさせたが、この謎のカギも旧内務官僚閥にある。
だから、この「大霞会」=「内友会」体制が、本格的に動き出せば、それは戦前より恐ろしいことになるのである。当然、早くから、識者の非難の声は高かった。そこで、小林与三次の《円月殺法》、いやさ、二枚舌答弁術も、すでに何度か振われている。鈴木俊一とともに小林が、この旧内務官僚閥の次代の指導者と目されているようだから、ここらでとくと、その煙幕の張り具合も検分しておこう。すでに本人の弁を紹介したように、これも、「うまいことそらし、かわし答弁やるんだよ(笑)。最後には、こっちも、何を言うたかわかならなくなる」という伝なのだが……
まずは、基本的な弁解。さしずめ、「原子力平和利用」(地方支配)と「放射能」(警察)の関係といったところであろうか。
《それにしても、旧内務省は、いわば本能的にとでもいってよいくらいに、嫌われ、その復活が恐れられた。それは、ことがらの正当な評価、判断とかかわりなく、蛇蝎のように、仇敵のように、憎悪と敵愾心とをもって、見られていた。それは、いってみれば、どんなことがあっても繰り返してはならぬ、戦前の政治の誤りの別名と考えられているのだ。軍とともに、いわば悪玉の標本のようにされているのだ。おかしな話である。われわれとしては、全く迷惑至極である。都道府県市町村にとっては、むろん何の関係もないことである。内務省が、そんなに悪玉のように考えられたからといって、内務省という名前の問題でもなければ、内政省という似たような名前の問題でもない。内務省の何が悪かったのか、それがはっきりさせられなければならぬ》
なかなかの居直りだが、この点では敗戦時の内務次官だった古井善実の方が、はるかに素直だ。
《今日になって考えてみるというと、なるほど当時は強大な権限を持っておったものだと思うのですが、知事にしましても、辞令、電報ひとつで首にしてしまったり、あるいは任命したりしておったわけですね。今日にしてみると、知事をひとり作るのにあの大きな選挙をやって、それできめると、こういうわけですが、その節は辞令ひとつでやっておったのですから、安上りではあったけれども、ずいぶん、考えてみると、えらいことをやっておったものです。アメリカが来て、内務省なんていうのは犯罪機構だからと言ってつぶしてしまったのですけれども、なるほどつぶされるだけの価値はあったかもしれないと、こう思うのであります》(『内政史研究資料』)
古井は、それでも、質問者に対して、「いちいち書き止められると困りますので」といなし、個人名などを挙げないようにしている。まだまだ本当の話は出されてはいないのだ。
さて、小林の弁明は、つぎのようにつづく。
《戦争中に、内務省から厚生省が独立し、社会福祉・社会保障・労務・保健衛生関係の行政が離れた。それで、内務省は、地方行政と警察行政と建設行政と神社行政と防空行政とを所掌していた。そして、内務大臣は、知事の任命権と府県市町村の監督権を持っていた。さて、それで、えらく毛嫌いされている内務省とは何なのか。
特高警察を一つの柱とする警察行政権の本処であったことは、たしかに問題の一つである。それは、警察行政をどうするかという問題であって、その他の一般内政とは関係のないことである》
つまり、「特高」を含む警察と、「一般内政」とを、区分してみせるのである。この区分論は、すでに一九五六年(昭和三)の国会で、「内務省」設置案上提にまで進んだ。その案の説明を、小林自身に語ってもらおう。
《そもそも内政省案は、国会では通らなかったが、これは政府部内では、まことによくまとまったものである。普通ならばまとまる案とは考えられないものであった。建設省と自治庁と一緒にし、更に、経済企画庁の開発部門をごっそりもってゆく、その他首都圏整備委員会、北海道開発庁という、開発関係、計画関係、地方開発関係、地方自治といった行政を全部まとめて国土省と地方自治省との性格を併せもった非常に強大な仕組みである。もとの内務省を考えれば、国土局と地方局だから、それ程驚くにはあたらないといえるかも知れないが、戦後、特に国土の保全と開発が叫ばれ、建設行政が非常に厖大に伸びて拡充して来ている》(『自治研究』’60・7)
ここで注目すべきなのは、この案の、「非常に強大な仕組み」への自認である。とくに利権という古今東西を問わぬ「力」についてみると、建設省関係は、その後ますます強大化、腐蝕化の一途をたどっている。さて、このような「区分」論から、戦前の内務省との比較を考えると、当然、こういう論法が出てくる。
《警察権のない自治省が内務省と一しょになりっこない。昔の内務省の本体は、どこにあるかといえば、警察権を完全に掌握し、知事以下の人事権を一〇〇%握って動かした》(同前)
つまり、この「万全」=「一〇〇%」の警察的地方支配こそが、旧内務省の秘密であったのだ。小林らにいわせれば、その警察とは別になっているのだから、心配ないというのだ。ところがどっこい、その直後のこと。「実力者」河野一郎が建設大臣になった時には、こういう事態が進んだのである。
《従来のルールでは計画局長、都市局長は事務官、河川局長、道路局長、営繕局長は技官、住宅局長は両者の交替制、官房長は事務官、技監は技官。そして事務次官は官房長と技監から交互に昇格する原則があった。ほかの省と違い、建設省では官房長が局長より上席となっているのである。事務官と技官とのバランスをとって両者の抗争を抑えるルールがとられてきたのは、たびたび述べた通りだ。
ところが、河野は建設大臣に就任すると、忽ちこれを無視した。すなわち、官房長には当時大阪府警から山本幸雄、道路局長には警視庁総務部長の平井学、計画局長にはこれも警視庁から町田充と、建設官僚の局長を追出したあとにはこれら警察官僚で固めてしまった。河野は露骨に旧内務官僚の雄、警察官僚を建設省に輸入したのである》(『文芸春秋」’64・3)
これは、松本清張の《権力の司祭群》シリーズ「再編成する旧内務官僚」の一節である。この「内務官僚論」は、何故か、文芸春秋社刊「松本清張“全集”」(実は“自選”集)中の「現代官僚論」には収められていない。そのことにも謎を覚えるが、ともかくこれが、旧内務省系有力官庁間の現実であった。
そして、ここが最大のポイントである。この河野の背後には、「大霞会」の動きがあったのである。さてお立合い、といいたいところだが、ここにエイッと切り込まなければならない。いわく、「警察と手が切れたといっておきながら、陰でコソコソ、利権をゴツゴソ、国民の眼を節穴扱いにしくさって、この大ダヌキ共奴!」、ということだ。自治省関係で地方支配、その公共事業と建設省関係で利権をむさぼり、警視庁関係で御目こぼし、その上、反対派をしめつける。おまけに、最大の利権であり、かつ最高の暴力機関たる軍部まで握れば、天下を取ったも同然である。むしろ、これまでに公然たるまとまりを示さなかったのは、あまりの利権むさぼりで、仲間同志の食い合いが激しかったからに過ぎないのだ。