電網木村書店 Web無料公開 2017.4.1
元日本テレビ社員木村愛二のクビを切った男 小林与三次は正力松太郎の女婿にして元内務官僚。正力譲りの強権を発揮し新聞・放送を握り日本のマスコミ支配に動いた。1970年日本テレビ社長に就任以来労働組合を敵視、72年組合委員長以下6名を処分。
はしがき
本書は、すでに三年前に『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』を書き上げた際、続編として構想していたものであった。資料も収集してあったし、すぐに完成させるつもりだったのだが、私事に追われ、延び延びになってしまった。
しかし、その間、本書の題材となる小林与三次が読売新聞の社長に就任し、グループの盟主となるにいたったため、論点は明確にしやすくなった。また、小林与三次側の“売りこみ記事”が激増し、最近の状況についての、目鼻もつけやすくなった。
だが、非力なわたしが、“貧乏暇なし”の光陰と競いながら、いまやミニコミと呼ぶ方が正確な小著に、なぜ必死で取り組まなければならないのだろうか。自分なりの理由は、本書の中に表現したつもりである。だが、日本中に何万人もの新聞記者、ジャーナリストがいて、また、マスコミの研究に専念するべき職業の人々が多数いて、それでなぜ、この小林与三次ばかりか、フジテレビ・サンケイ・グループのワンマン鹿内信隆などの問題の人物やマスコミ企業が、系統的な批判の対象とされていないのだろうか。これは常々、疑問とせざるをえないところである。
ひとつの答えは、『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(以下、前著とさせていただく)の冒頭にも記した。読売新聞の花形社会部記者だった三田和夫は、スクープの深みにはまり、犯人隠匿の責を負って退社する。その時に「友人」がこう忠告したのである。
《オイ、新聞を敵にするなよ。新聞というのは、お前なんか一ヒネリにしてしまうほど強大なんだ。何を書いても勝手だけど、決して、新聞を敵にするなよ》(『最後の事件記者』)。
さらに、個人の評伝ともなると、相手次第では、一生つけねらわれる破自にも陥りかねない。小林与三次の義父であった故正力松太郎は、批判的な評伝を就筆した研究者を呼び出して、直接に威圧し、“訂正”を求めたことがある。この場合には、その研究者が資料固めをしており、威圧に屈しなかったため、正力は、それ以上の手段に出ることができなかった。しかし、読売新聞の社主、日本テレビの会長という立場だった正力が、平然と言論圧迫の挙に出たのである。いやむしろ言論界全体への影響力を背景に、マスコミ研究者の良心の抹殺を計ったのである。しかも正力は、その一方で、衆議院議員選にそなえて、自分の選挙区に読売新聞の北陸本社を設置し、「お召し列車」と通称された紙面で、自分の売りこみに専念していたのだ。
そんな正力松太郎を「中興の祖」とあおぐ読売新聞グループについては、前著で概観を試みたところである。ぜひとも御一読を願いたいが、とりあえず第一図の「概念図」を参照していただきたい。
読売新聞の創刊は、一八七四年(明治七)一月二日、日本最古の鉛活版印刷所とされる日就社が発行元であった。読売新聞社への社名変更は一九一七年 (大正六)一二月一日である。明治時代には坪内逍遥、尾崎紅葉、幸田露伴、森鴎外らを世に送り出した文芸紙として、読売は、首都東京の名門紙であった。しかし、その読売も大衆向けの「小新聞」(こしんぶん)であり、政論を旨とする「大新聞」(おおしんぶん)よりは、はるかに格が低かったのである。
ところが、度重なる言論弾圧によって、日本独得の新聞界の構造が、次第に形成されていった。その典型は、大阪で「小新聞」として発足した大阪朝日であり、もとは「大新聞」だが「小新聞」に衣がえした大阪毎日である。この二紙が、「大新聞」各紙への発売禁止、発行停止(廃刊にいたる)、責任者の逮捕、投獄、等々の弾圧を横目に見ながら、グングンと部数をのばし、東京へも進出、ついには、いまいう「全国紙」体制に先駆けた。そして、やはり「小新聞」の読売だけが、東京を地盤に、この「全国紙」体制に生きのび、ついにはトップに立ったのである。
だが、読売新聞の“中興”と発展には、血生臭い反動の手が働いていた。元警視庁警務部長で、その“蛮勇” を自他ともに認める正力松太郎が、関東大震災で社屋を焼かれた読売新聞に、政財界の手厚い援護をえて乗り込んだのである。時は一九二四年(大正一三)三月二七日、国際的にはロシア革命の七年後、そして日本では大正デモクラシーの絶頂から治安維持法発布への谷間であった。「警察新聞」の異名をつけられた読売は、以後、警察ネタの犯罪スクープによるセンセーショナリズム、好戦ジャーナリズムへの傾斜を深める。正力はまた、日本共産党の第一次検挙の指揮者だったことを、生涯誇りにしていたような人物であった。
そんな正力が晩年には、無所属で衆議院議員になり、保守合同に一役買って自民党に入党した。A級戦犯として裁かれるべき人物が、逆コースの波に乗り、テレビ局さえ創設して、日本の支配層に返り咲いたのである。そしていま、その正力家の後継者が、さらに巨大化したマスコミグループのワンマン支配者として、わが日本国の潜主の一員たらんとしているのだ。
マスコミの操作次第で、首相のクビさえ簡単にすげかえができるという現在、しかもかの田中角栄とも親しい仲を誇る小林与三次が、これまた「世界にのびる」と誇号する新聞グループのトップとなった。そのことの持つ意味と、そういう状況下での日本民主化の闘いの今日的課題とを、いささかでも明らかにしたい。それが、本書の願いである。
なお、原稿の一部に『放送レポート』『創』『噂の真相』各誌に既発表のものが含まれていること、文中敬称を略したことを御諒承いただきたい。また、序章の日本テレビ社長空席問題については、高木副社長の昇格が内定し、六月二九日の株主総会後に決定される模様である。下版直前の情報だが、事態の本質には変更はないといえるので、お含みおき下されたい。
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