電網木村書店 Web無料公開 2017.4.6
第五章《組合征伐》
「決死」とか「捨て身」が飛び出す本人談の真相と
マスコミに報道されない実状
4 鼻アレルギー患者に古本整理命令
は、小林与三次の社長就任の翌年、一九七一(昭四六年七月に、大機構改革が行なわれた際、番組PRの編成局広報部から調査部調査課に転属され、資料室勤務となった。
当時の資料室は、本社屋の中ではなく、すでに取り壊されたが、半世紀を経た建物の中にあった。空調装置もなく、ただでさえカビくさい建物の中に、数万冊の本がつめこまれ、身動きもやっとの状態。ホコリもビッシリと張りついていた。
木村は、この資料室に移って、作業のリストに残っているだけでも千数百冊の古本を整理するうち、ハナとノドに激痛を覚えた。鼻血も出るし、ノドは赤く充血して、一週間ねこみ、会社の診療室でも、ホコリのアレルギーといわれた。そこでやむなく、健康管理室で「塵埃の多い職場での仕事は不適当」という診断書をもらい、調査課内の配置がえとして、部長(課長兼任)の諒承をえて、本社屋の調査課へ移った。
ところが、小林社長と元・読売新聞記者の松本専務(当時は編集局長兼務)の圧政下、人事・労務当局は、アレルギーという病気の診断のむずかしさに眼をつけ、調査部の部内人事に干渉した。
そして、木村にふたたび資料室で勤務せよといい出し、結果的には、ほとんどすべての古本を再整理することになる業務命令を出した。そして、その件での労使交渉中にもかかわらず、木村が命令にしたがわないと称して、出勤停止五日の処分、ついて解雇、つまり二重処分という、手続的にも無茶苦茶なねらいうちに出たのである。
その間、労使協定にもとづく懲戒委員会(中途で打切り)もあり、組合の側では、証拠として、三度にわたるアレルギー反応テストの結果も提出し、専門医の診断書を出している。ところが、会社は、医学上の調査にまったく応じないまま、労使交渉のやりとりをデマ宣伝し、解雇を強行したのである。
このクビキリの経過については、以来、日本テレビ労組(仲等間卓蔵委員長、現在約七五〇名)を中心に、不当解雇撤回闘争への支持がひろがっている。闘争のひろがりという事実で証明されるように、会社の不当さは明白であった。いま、日本テレビ労組では、全組合員が、毎月五〇〇円、一時金で一〇〇〇円の
特別カンパをつづけている。また、「日本テレビの 君を勝たせる会」(小島宏会長)は、一七支部、会員一五〇〇名となり、多彩な活動にとりくんでいる。総評、東京地評、千代田区労協、マスコミ共闘、新聞労連、民放労連、東京争議団などで構成される日本テレビ労組支援共闘会議は、日本テレビ争議全面解決要求の第一項目に、木村解雇撤回をかかげている。木村自身も東京争議団の副議長として活躍している。
裁判は、木村のアレルギー症状の証明に、当初のポイントを置いた。そして、事件当時、日大病院耳鼻咽喉科アレルギー特殊外来で、木村の診察とテストに当った佐々木好久博士へ現在は城西歯科大学教授)の一六時間にも及ぶ証言を得て、決定的に有利に進んでいる。
証言の要点は、日本テレビ労組発行のリーフレット『おとうさんは、どうして、クビをきられちゃったの?」によると、つぎのようである。
《木村君の鼻アレルギーは、重症かつやっかいなものである。病源体は資料室のハウスダスト(特に、これに含まれているチリダニ)であり、同職場にいる限り、回復が困難であるばかりか、気管支拡張症やゼンソクになる危険性大である。最も適切な治療法は、病源体から遠ざかることで、仕事の変更は絶対条件である》
リーフレットは、さらに、
の真因を説明する。《木村君は、単組の執行委員はもとより、産別、地域の役員をも務め、幅広い活動を続けてきました。会社の「赤字」宣伝に対しては、経営分折委員として、「赤字」が“まっ赤”なうそであることを指摘、多面的な教宣活動の先頭に立ってたたかってきました。
会社にとって、この「赤字」宣伝は、労働条件切り下げ、組合つぶし攻撃の最大のよりどころともいうべきものでした。会社は、木村君を労働組合から排除することを狙うとともに、解雇という脅迫的攻撃をかけることによって、組合員の動揺をさそい、専制支配状態を完壁なものにしようとしたのです。》
当時の木村の就筆による教宣シリーズのコピーは、いま、裁判所と労働委員会に提出されている。優に一冊の単行本になる量である。会社は、木村の就筆によるものとは知らなかったと主張しているが、これもまったくのウソである。日本テレビの社内事情にくわしい評論家、武村兼二は、木村解雇事件を例証に取り上げたのち、こう書いている。
《とにかく、この局のKなる専務は、組合ニュースのコラムの覆面執筆者を探がせ、と大声でわめいたというから、あとは推して知るべしである》(「マスコミひょうろん』’79・3)
さて、木村の教宣シリーズは、日本テレビの組合員、非組合員を問わず、当時もっとも関心の高かった話題、「読売新聞グループとは何か」を、ほりさげはじめていた。「マスコミ『資本』の皮をはぐ、『読売』なんて、チセエ、チセェの巻」がそれである。このシリーズと、小林与三次らの新聞=放送=全国テレビ・ネットワーク確立の意図とが、正面衝突した。これも重要な底流のひとつである。
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