ユニトピア100号 巻頭言 その時そこにいた人たちの思いつきではじまったユニトピアが、100号を数えるまでになったことを知らされた。その時々にユニトピアを担った人たちを思うと、こんな文章を載せるのにも赤面する。なにしろ、ぼくは、創刊3号だったかの巻頭言をおとして、編集長の交代を既成事実にしてしまったのだから。 ただ、ユニセフクラブが、そんないい加減な人間にとってもここちよくすごせる場所であったことに、書いていて気づき、あらためてありがたかったなあ、と思う。たぶん、ぼくはそのここちよい場所の空気や出入りする人たちから、重い問題をいい加減であつかうことを学んだのだ。卒業して教員になったぼくはいい加減を忘れて、ミョーにがむしゃらになって、周りの人や自分に寛容でなくなって、うつ病になった。復帰して、がむしゃらになりたくてもなれないぼくにミョーに生徒たちがよってくるようになった。その彼ら彼女らは、ときどきいい加減になれなくなって、周りの人や自分にやさしくなれなくて、ときどきしんどそうで、見ていて切ない。ぼくもいい加減をしっかり思い出そう、彼ら彼女らもいい加減でいられたらなあ、などとしみじみする。 もちろん、いい加減ばかりで100号も出るわけがないのだから、ユニセフクラブには「しゃーないやっちゃな」という編集担当の寛容さが息づいていたのだと思う。重たい問題は増えているような気がするけれど、ユニトピアが出ているうちは、そんな問題をいい加減で扱えている場所が続いているんだと、ぼくは悦にいることにしたい。 塩山清隆
目次 [第1部] ユニセフクラブの過去・現在・未来
[第2部] ユニトピア100号に寄せて
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