「女性のためのアジア平和国民基金」(略称:「国民基金」または「アジア女性基金」)は、1995年、時の村山富市首相(社会党、自民党、さきがけが連立政権を組んだ(社会党委員長であった村山氏が総理大臣になった)とき、民間組織として設立された。
「国民基金」はスタートしたときから、いや、正確にいえばスタートする直前から、「日本が国としての責任を免れるためのもの、元「慰安婦」被害者たちに謝罪をせずにすまそうとする隠れ蓑だ」と、その欺まん性が指摘され、「慰安婦」問題に関心をもって動いてきた女性たちに反対・批判された。しかし、強引にスタートした「国民基金」は、「日本国民全体が謝罪するべきだ」として国民に募金を呼びかけた。良心的な人々は、民間からの募金を渡すだけでは真の謝罪にはならないことを理解しながらも、高齢で病弱になっている女性たちのために、少しでも役にたつことを望み、『国民基金』のよびかけに応じた。
韓国・台湾は被害者・支援団体・政府とも「国民基金」を拒否した。しかし、「国民基金」のいろいろな画策により、韓国では一部のハルモニが受け取った。その結果、被害者同士・支援団体間、日本の運動体にも少なからず亀裂をもたらした。
2002年、『国民基金』は、もと「慰安婦」たちへ償い事業に終止符をうった(7月19日・20日付全国紙)。
「国民基金」が、当事者たちの批判を無視してまでも展開した「償い事業」では、日本軍「慰安婦」問題は解決しなかった!という事実が残った。
近いうちに、あらためて「国民基金」が残した傷跡ともいえる、その足跡を整理しておく必要があるのではないかと思っている。
以下は、「国民基金」の償い事業が終了宣言する前の声ではあるが、載せておきたい。