「女性のためのアジア平和国民基金」の解体を求める
弁護士 横田 雄一
はじめに
「女性のためのアジア平和国民基金」(以下国民基金という。)は、2月20日の記者会見で韓国での「償い金」などの支給事業を5月1日までの受付分をもってすると発表した。他方さる4月5日東京で開催された韓国・台湾から関係者を迎えての謝罪と補償を求める集会において、韓国・台湾からの参加者は国民基金の活動を告発し、その解体を要求している。
周知のとおり日本政府にとって、国民基金は同政府が、法的責任を果たす意思がないことを明確に表現する装置であった。したがって、日本政府に法的責任の遂行を迫るためには、国民基金の問題は、避けて通れない事柄である。ここに1995年の事業開始以降7年におよぶ国民基金側の取組みを検証するとともに、これに対する当方の対応を自己検証する必要がある所以である。
1 国民基金の活動についての検証
上記のとおり国民基金は、目的において日本の国家責任をすり替えることにあったが、その手段において被害者らの尊厳を傷つけるものであった。
韓国や台湾においては、総体として国民基金に反対であるため、国民基金受取りの活動は密行性と反倫理性を帯びざるを得なかった。韓国からは「なぜ、………夜の客人が他人の家の塀をのり越えるようにこっそりと訪韓し、まるで60年前に韓半島の少女たちを日本軍『慰安婦』として動員して行なったときのように、そんなこっそりと近付いて来たのか?」「数名の被害者に金を伝達する過程で、本当に加害国が被害者にしてはならないことをやってのけたという事実を改めて確認した」と報告されている。上記集会の席上韓国からも台湾からも、受け取っていない被害者について受け取ったとの「虚報」(韓国)、「流言蜚語」(台湾)を流してまで国民基金側が償い金の受領を画策していた旨が告発されていた。筆者はフィリピンでも同様のことを体験した。このような方策は 被害者らの間に疑心暗鬼と不信を作り出し、増幅させるものであった。
個々の被害者への受領の働きかけの場は、どのような磁場であろうか。働きかけるのは旧宗主国(日本国家)における一種の公人であり、通常では望み得ない金銭をもたらすパイプ役であり、ときに男であることもあろう。被害者は、高齢であり、貧しく多く病身ですらあろう。この磁場には一種の支配関係が働かざるを得ない。働きかける側には被害者の尊厳についての関心はない(関心があるのは受領の人数であろう)。泣きながら受け取った被害者の奥深い悲しみなど理解できない。
台北市女性救援基金会の頼采兒さんは、いみじくも指摘している、「うわべだけていねいな広告で攻略し、被害者に対しては決して気持ちを寄せることがない」と。
挺対協の金信実さんは、「『国民基金』は日本軍性奴隷問題が国家犯罪だという事実を隠蔽するために作られた自国中心主義、帝国主義思想の具体的表現」と告発している。ここにおいて、国民基金の階級的性格を考察してみたい。
2 国民基金と新植民地主義
国民基金が始まるころ、そのイデオローグの一人(東京大学国際法教授)が、朝日新聞紙上で発表した言説は、いまだに印象的である。日本の行政も、立法も、司法も法的責任を認めないが、この現実は動かない。他方被害者は、高齢・貧困・病気に苦しむ状況にあり、いずれ弱りきってしまうであろう。国民基金しかない以上、被害女性からどんなに拒否されても償い金を届けたいといった趣旨のものであった。ここで明確になっていることは国民基金による被害女性らの客体化であり、これとは対照的に、基金の側における際だった主体的動きである。
日本の現実は動かしようがないという「悪しき現実主義」は、体制との癒着を背景に、法的意味での戦争責任の遂行を求める意識と運動にあきらめを誘うものであった。一言にしていえば、根源的変革の拒否であり、戦争国家への途を急ぐ体制側の「変革」への協力である。
その手段の反モラル性はいうまでもないとして、被害女性らを対象化した基金の側の主体的な動きは極めて印象的である。そこには尊厳回復抜きの被害者らの顕著な客体化が認められるからである。
国民基金は、戦後補償における新植民地主義の途ないし新植民地主義における(すり替えられた)「戦後処理」である。これは単なるレッテル張りではない。国民基金の目的と用いられた手段についての総合的判断から帰結されることである。
日弁連に対する被害者らの救済申立てのなかで、国民基金の推進者らについて「主観的には善意」と表現しているものをみたことがある。これは恐らく誤りであろう。彼(女)らは、国民基金を推進することによって体制と自己との関係を再編し、体制の一角に自らを位置付けることとなる主体的な選択をおこなったのである。
3 国民基金への対応をめぐる自己検証
筆者は、国民基金が設立される前後には身近に推進者がいたにもかかわらず、積極的に反対の発言を行なった。ところが、控訴審の段階では沈黙していた。これは直接関係のある被害者らの動向をある意味では反映するものであった。
しかしながら、韓国や台湾で国民基金が何をしてきたかを知ってしまった現在では、筆者がとったような内心反対、表面沈黙という微温的対応が国民基金による2度目の尊厳蹂躙を裏から支えていたのだと気付かされる。いわゆる「ぬるぬるした鼠」であることを拒否し、本道に立ち戻ることをもって、自己批判を実現したい。
4 国民基金の解体を求める
韓国における事業の当初期限の延長は、新たな怒りを呼んでいる。この延長は被害者の尊厳を傷つけることの延長にほかならない。
「女性国際戦犯法廷」の判決(以下「ハーグ判決」という。)は、国民基金について、「いかなる法的責任も拒否する明確な表明」であるとした国連特別報告者の結論はサバイバーらの立場を肯認するものであると述べている。「ハーグ判決」の法的立場は、国家の義務の履行としては私的基金を公的補償に代わるものとして受け入れることはできないというものであった。
韓国・台湾・フィリピンを含む東アジア・東南アジアにおける国民基金拒否の被害者らを中心とする運動上および組織上の固い連帯を強化し、この力によって日本政府のシェルターとなっている国民基金を解体し、国家責任を果たさせることが急務である。
2002年4月25日
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