国民基金の失敗は予想されたとおりでした。すなわち、国の正式の謝罪と補償が被害者 から要求されているのに、
国の犯罪責任を認めようとしない右寄りの勢力が国会の過半 数を占めています。95年に時の村山内閣は窮余の一
策として、国としては補償しないが 国民が、拠金して見舞金を被害者に贈るという構想を立てて、「アジア女性基金」
ある いは「国民基金」を創設しました。 国民基金の活動に対し四通りの反応がありました。
1 大半の被害者が受け入れた。 オランダ
2 大半の被害者が受け取りを拒否した。 韓国、台湾
3 受け取る人と受け取らない人とが分裂した。 フィリッピン
4 見舞金を政府が受け取り政府高官の懐を肥やした(としか思われない)。 インド
ネシア
オランダ領インド(現在のインドネシア)においてオランダ人の少女たちが強制的に慰 安婦にされました。(現地人
の少女や主婦で慰安婦にされた人の数はさらに多いのです が、インドネシアの国情のため裁判は起こされていませ
ん)オランダにおける事業は昨 年終了しました。慰安婦にされた人の多くは見舞金を受け取りました。受け取るため
に は補償裁判をしないという条件がつきました。見舞金を拒否した人もいます。 フィリッピンで受け取った人が多いの
は、人々の貧しさと関係があると思われます。金 を受け取って闘いが分裂し、女性の自立の闘いは挫折しました。集
会の中で紹介される ロラ・マシンの闘いをお聞きください。 インドネシアは日本の賠償と援助によって政治的に腐敗し
た国です。詳細は別の機会に 譲ります。
韓国と台湾は日本の隣国であるだけに、日本の企ての良からぬところを見抜きやすいの
で、多くの被害者が見舞金
を拒否しました。また、この二つの国では政府が被害女性の 生活の援助をしているので、彼女たちは中途半端な見舞
金を受け取る必要を感じていま せん。
最も深いダメージを受けたのは韓国です。だから、韓国では国民基金に対する激しい怒 りがあるのです。その実情の
一端を紹介しましょう。 かつてしばしば来日して慰安婦だった経験を各地で証言してくれたKさんという人がい
ます。
彼女が国民基金の金を受け取り、それまで一緒に活動していた仲間と決裂し、
孤独になって嘆いていると伝え聞いた
ので、私はソウルに行ったついでに近郊の彼女のアパ ートを訪ねて見ました。これまで証言によって私たちを啓発して
くれた人を、見解が違 うという理由で孤独のなかに放置してはなりません。 彼女は久々の日本人の訪問を喜んでくれま
したが、私のいる間ズッと嘆いてばかりいま した。お金を欲しくはなかったのに、「貰え、貰え」と勧められて、受け取った
ところ 、ひどい目に遭ったのです。それはかつての仲間で、受け取らない人たちとの不和のこ とであろうと私は思ってい
たのですが、それだけではありませんでした。受け取った人 たちに対する恨みと不信感があるのです。
恨みの一つは、
彼女の後に続いて金を受け取った人の方がたくさんの見舞金を受けた不 満です。(あとで国民基金の理事に問うたとこ
ろ、為替レートの変化によるのだという 説明でした。気の毒だが、致し方ない、とその理事は言いました。私はそれは無
責任な 言い逃れだと感じました。) もう一つ、彼女は本当の慰安婦でなかった人まで金を受け取ったと疑っています。「部
隊の名前は何か。駐屯地はどこか」と聞いても答えられない人が金を貰っているのです
。慰安婦にされていた地がわから
ないというようなことがあろうか、と言うのです。つ まり、本当の慰安婦でないのに、名乗り出れば大金が貰えるので、どん
どん名乗りを上 げ、支給者の数を増やし、業績を伸ばしたのだと彼女は察したようです。
もし彼女が見舞金を受けなかった
なら、貰った人に好感は持たなかったとしても、こん なに恨んだり怒ったりすることはなかったでしょう。国民基金は良いこと
をしたつもり になっていますが、自己満足があるだけで、被害者をますます傷つけています。
国民基金を作った人たちに善意が少しもなかったとは思いません。しかし、その善意が
悪い結果になる場合もあるという
ことを考えなかった想像力の貧困については責任があ ります。金を出す本人は善意そのものであっても、金が悪い作用を
することはあるので す。金がなければないままに、独立と自由の精神を持っていた人が、金を貰ったために
もっと金を欲し
くなり、独立の精神を失うケースは少なくありません。 また、与える側が金でことを解決したと思い込む錯覚と慢心も起こる
のです。受け取ら せられる側からはそれが良く見えるのです。日本人の中には昔から金でことを収め、口 止めさせる風習
がありましたが、戦後その傾向はますます露骨になっています。日本人 には気付かないことですが、外国からはこれがオゾ
マシイやり方に見えるのです。 補償が何か形あるものにならなければならない場合が多いのですから、金銭による補償
が
必要とされることはあります。しかし、その場合、誠意ある謝罪が先ずなければなり ません。謝罪せずに金で済ませるという
良心の病弊を癒さなければ、日本は近隣諸国の 中で信頼を回復できないでしょう。
渡辺信夫(「台湾の元「慰安婦」の裁判を支援する会」代表)
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