冒頭陳述書 |
このような機会を与えていただきありがとうございます。 やっとこの場に立てたという思いです。あの悪夢のような出来事から10年以上が経ちました。 この期間は私にとっては悪戦苦闘の毎日でした。忘れようとしても、振り払っても振り払っても、蘇る暴力の光景。私はこの苦しさに耐えられず、何度か死のうとしました。それでも死にきれず、この悪夢に苦しめられてきました。 そして、最近私はこのままではいけないのではないかと考えるようになりました。私は、この悪夢から目をそらすのではなく、その事実に向かい合い、何故そのような目に遭わなければならなかったのかということを考えなければならないと考えるようになりました。 もちろん、私を激しく虐待した者が憎くくてしょうがありません。同じ目にあわせたいとも思いました。 弁護士の先生に勧められるままに、彼らに会い彼らの今の考えを聞きました。今でも完全に彼らのことを許すことができないのはもちろんですが、彼らの何人かが心から詫びている姿を見て少しづつ気持ちが変わってきました。本当に彼らは私のことが憎くてこんなことをしたのかと考えるようになりました。 作陽高校では私と同じような目にあっていた生徒がいました。彼らは、少しの間堪え忍んでいましたが、中には自殺をしようとした生徒もいました。そして、かれらの多くはやがて学校を辞めて行きました。 学校も寮でこうしたひどいいじめがあったということを、知っていました。もし知らないというのであれば、それこそ怠慢以外なにもでもありません。 私の時も学校は型どおりの処分をしましたが、寮で、生徒が安心して生活できるような環境に変える努力をしてくれませんでした。生徒は狭い部屋に押し込められて息苦しく、力関係で成り立つ先輩後輩の関係も前と同じでした。 先生は、昼間授業をした後、交代制で寮に泊まるので、まともな監督ができるはずありません。学校に判ったあとも私は暴力などを受け続けたのでした。 弁護士の先生と事件について何度も議論をしましたが、私は今では、学校の責任が大きいと思うようになりました。 寮に強制的に入れるのであれば、生徒が安心して生活できる最低限の環境を保障する責任が、学校にあると思います。 もし、学校が早く気付いて努力していたら、私のような事がなかったのではないかと思うようになりました。 私は、これまでいじめや暴行で亡くなられた全ての方々に哀悼の意を表したいと思います。 私も、もしかしたら、その中の1人になっていたかもしれないと考えると、一層の辛さを感じてなりません。そして、今も私の他に多くの苦しみを抱えている人々の事を考えると心が痛みます。 今でも、あの時殺されていたらどんなに楽だろと思う時があります。過去にいじめや、暴力で亡くなった方々の無念の思いを伝える代弁者に私はなりたいと思います。そして、今後、このような、悲しみを再び繰り返してはならないと思い今回の裁判に踏み切りました。生きている者が出来る限りの事をする事が、亡くなっていった人々に対する追悼になり、そして、決して忘れてはならない事だと思います。 今後、この様な悲しみを増やして欲しくない。それが、私と亡くなっていった人々の願いを託し、この裁判が、本当に最後になって欲しいと思っています。 |
最終意見陳述書 平成18年4月17日 |
以 上 |
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