注 : 被害者の氏名は書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
930901 | いじめ退学 | 2004.7.10、2006.5.7 2006.7.12 2007.11.20更新 |
1993/9/1 | 岡山県津山市の私立作陽高校の学校寮で年生のときに連日、上級生らから集団暴行を受けるなどした男子生徒Aくんが、加害生徒らが処分を受けた後も、「Sが退学になったのはお前のせいだ」として、暴力やいじめを受け続けた。2年生時に不登校となって、3年生に進級できず転校。腕に身体障害4級認定の後遺症が残り、PTSDから自殺未遂を繰り返した。 | |
経 緯 | 1991/4/ Aくんは、同校普通科に入学と同時に「桃山寮」に入寮。 5/24頃、中間テスト最終前日の消灯後に、Aくん(高1)が「ウソをつく」として、同室のI(高3)やS(高2)をはじめとする上級生の寮生ら10数名(高2・高3)から、集団暴行を受ける。寮内の部屋をたらい回しにされて、交代で胸、腹、腕など首から下の体全体を殴る、ける、ケガをしていた左腕をねじる等の暴行を受けた。この日以降、ほとんど連日連夜、深夜数時間にわたって、寮生らから集団暴行を受ける。 5/25 中間テスト終了後に帰省した際、両親がAくんの全身の痣を発見。医師の診察を受けさせた。しかしAくんは、上級生らの仕返しを恐れて集団暴行のことは言えず、「階段から落ちた」とウソをついた。数日後に帰寮。 6/ Aくんが風呂当番だったときにボイラーが故障。他の寮生らから「また、ウソをついている。わざと水風呂にしたのだろう」と責められ、恐怖のあまり、「O(高3)のことがむかつくから、わざと水風呂にした」とウソの自白をした。そのため、複数の部屋を連れ回され集団暴行を受けた。 6/10 桃山寮舎監のS教師が、寮内でAくんの体の痣に気づき、集団暴行の事実が発覚。 Aくんを含め、関与した生徒全員に、丸坊主と1週間の寮内謹慎処分が科された。関与度の高い数名の生徒には、白紙の退学届を書かせるなどの処分もなされた。 6/ 加害生徒らの1週間の謹慎中、寮内で深夜に、「先生にチクった」ことを理由に、Aくんは以前にも増してすさまじい集団暴行を受け続けた。 上記処分後、同室のSからAくんは夜中に起こされ、性器を舐めるよう強要されるなどの性的暴行を受けるようになった。 6/ 寮内で同じように寮生らから集団暴行を受けていたMくん(高1)とAくんの2人は、一緒に寮を逃げ出し、姫新線の津山駅から姫路方面に線路伝いに徒歩で歩いているところを、同校教師に見つかり、連れ戻された。 Sからの性的暴行に耐えかねたAくんが、当時担任だったN教師に相談。 7/ Sは退学処分になる。学校側はAくんと両親に対して、事件の性質上、Sの退学理由を絶対に口外しないように言った。 Sの退学後、寮生らから、「Sが退学になったのはお前のせいだ。お前がやめるべきだった」として、以前にも増して激しい暴行を受けるようになった。しかしAくんは、Sの退学理由を口外しなかった。 7/1 体育の授業中、Aくんがソフトボールケースを運んでいたときに、左肘に「ぶちっ」という音がして、左腕が90度の角度で固まったまま動かなくなった。痛みがどんどん増すため、当日の桃山寮舎監であったY教師に病院へ連れて行ってくれるよう頼んだが、出金できないことを理由に拒否された。翌日、学校指定医の整形外科の診察を受けたが脱臼が見過ごされた。 その後も、左肘の痛みは増すばかりだった。夏休みで帰省時には、三角布で左腕を首から吊って帰宅。 7/15 姫路市内にある病院を受診。「左肘関節を脱臼しているが、2週間も放置されたため、今となっては収めることが難しく、後遺症が残る可能性がある。また、左肘の骨に外圧が加えられ、腕の角度がねじれている」との診断を受ける。 9/ 2学期から、左腕の症状を理由に特例として、自宅通学への切替えが認められる。 1992/4/ 2年生に進級後も、「Sが退学処分になったのはAのせいである」として、他の生徒らから、教科書を墨塗りにされる、靴やスリッパを隠される等のいじめを受けるようになる。 靴を隠されて、靴下のまま徒歩で姫路の自宅まで帰ったこともあった。 Aくんは担任のO教師にいじめられていることを相談したが、O教師はAくんの訴えを全く取り合おうとはしなかった。加えて、「すべてお前が悪い」「お前はこの世にいても何の取り柄もない人間だ。死んでしまえ」などと言われ、Aくんはショックで不登校となり、3年生に進級できずに留年する。 1993/9/1 Aくんは作陽高校を退学。兵庫県内の定時制高校・昼間部に転入。 |
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いじめ 暴行態様 |
Aくんは同室のIやSから連日、「ウソつき」呼ばわりされ、「正座をさせ、目をつぶらせ、手を後ろに回させる」体勢(「シバキの体勢」)で、腹部、みぞおちを何発も殴られた。 殴る、ける、腕をねじる。鉛筆を指に挟んで手を絞る。水を入れた1リットルのペットボトルで腕を殴る。Aくんの悲鳴が外に漏れないよう、押入れに閉じ込めて殴り続けたり、他の生徒が見張りをすることもあった。 無視される。使い走りをさせられる。因縁をつけられる。 靴やスリッパなど、持ち物を隠される。教科書を黒塗りにされる。 |
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学校・教師の対応 | 集団暴行が発覚に際して、学校は加害者らの「Aがうそついたから」という言い分を鵜呑みにし、暴行加害者だけでなく、被害者のAくんに対しても、「暴行の理由をつくった」「けんか両成敗」として、丸坊主や寮内謹慎処分、放課後の奉仕作業などを科した。 上級生らはその後、教師に告げ口をしたことを理由に暴行を加えた。 被害者に事情を聞く際、同じ部屋に上級生がいたため、恐れて、十分な説明をすることができなかった。 担任教師にいじめられていることを相談したが、訴えを全く取り合おうとしないだけでなく、「すべてお前が悪い」「お前はこの世にいても何の取り柄もない人間だ。死んでしまえ」などと言わる。 両親が、Aくんを退寮させたいと申し入れると、寮を出るのではあれば退学になると説明。 |
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背 景 | 作陽高校は1930年設立された男女共学の私立校。普通科と音楽科があった。 同校には、野球部専用寮、「旭寮」(サッカー部等の有力スポーツ部員が入寮)、男子寮の「桃山寮」(現在は閉鎖)、女子寮の4つの寮があった。 入学当時、自宅最寄り駅がJR姫新線新宮駅より東にあたる男子生徒は、「桃山寮」に入寮することが義務付けられていた。「桃山寮」には、1年生から3年生まで各学年約30名、計約90名の男子生徒が入寮。退寮すると自動的に退学になるという仕組みになっていた。 「桃山寮」の建物には棟が2つあり、いずれも2階建。 1棟は、1階が食堂と教師が寝泊まりする舎監室で、2階の6室が寮生の部屋。 他の1棟は、1階、2階に各12室、計24室の寮生の部屋があった。 各部屋は6畳ほどのスペースしかなく、そこにタンス・机などを置き、残った3畳ほどのスペースに1年生・2年生・3年生の各1名ずつ計3名の寮生が寝泊まりしていた。 上級生と下級生の上下関係は絶対的なものであり、3年生は神様、2年生は人間、1年生は奴隷などと言われていた。入浴は上級生が先に行い、掃除、洗濯、夕食後の片付け、夜食作り、買い物等の雑用を下級生は強いられていた。 桃山寮には、日中、経理と雑用を担当する寮母が1名。夜間は教員が1〜2名が交代で舎監室で宿泊。 Aくんが入学する以前から、いじめによる寮生の自殺未遂や、先輩が後輩に暴力をふるう、いじめる等のトラブルが頻発しており、退寮・退学希望者が後を絶たなかった。 |
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後遺症 | 暴行が原因と思われる左腕の後遺症に対して、手術や治療を続けるが改善しない。 1999/ 左腕の症状が突然悪化。脱きゅうが再発し、靭帯(じんたい)も断裂。左ひじが動かなくなる。4級(左橈骨頭脱臼・左肘機能の全廃)の身体障害者の認定を受け、1年半勤めた会社を辞めざるを得なかった。 寮を出た直後から、悪夢や不安感など心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状に悩まされた。 集団暴行を受ける夢をみる、狭い室内で大勢の人といると寮の室内でリンチを受けた際の状況と重なって耐えられない、大勢の人といるといらいらしてきたり、その場から逃げ出したくなる、暴れたり自傷行為に及ぶ、睡眠薬がなければ眠れなくなるなどの症状を覚えるようになった。 自殺未遂も繰り返した。 2001/3/ 心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断される。 常に精神安定剤の服用が欠かせない。 |
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その後の 学校の対応 |
卒業後、Aくんは学校側に面会と謝罪を求めたが、「過失はない。話し合いも必要ない」との返事だった。 その後も、別の寮で、いじめ、けんか、恐喝などの問題は続いているという。 |
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加害生徒 | 退学10年後、Aさんは弁護士や母親の立ち会いのもと、謝罪を求めて加害者の元上級生らと会った。 「謝る必要なんかない」という上級生もいたが、心からわびたものもいた。 内1人は面会後、「死んでおわびします」という手紙を残して自殺。その上級生も1年生当時、暴行を受けていた。 |
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裁 判 | 2002/11/18 Aさん(26)が10年もの間、苦しめられてきた「悪夢」を断ち切るために提訴。 学校寮で集団暴行を受け左腕などに障害が残ったのは、学校側が安全配慮義務を怠ったためとして、学校法人「作陽学園」を相手取り、逸失利益など約4921万円の損害賠償を求めて神戸地裁姫路支部に民事訴訟を起こした。(Aさんの陳述書参照) 「リンチは寮の構造的な問題で、加害者にも被害者的な側面がある」として、学校のみを損害賠償請求の対象とする。 |
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裁判での証言・ほか | 数々の証言で、1年生のほとんどが暴力を受け、それを苦に退学する者が続出。手首を切って自殺を図った寮生もいたことが判明。 陳述書 参照 |
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1審判決 | 2006/7/10 神戸地裁姫路支部の田中澄夫裁判長は、学校法人作陽学園に対して、約2929万円の支払い命令。 裁判所は判決で、寮での安全配慮義務について一定の判断能力を持つ高校生であっても、寮は生活の場であって、強制的に入寮させた場合、寮という閉鎖的空間は単なる学校生活(教室)よりも高度な安全配慮義務がある。作陽高校は、いじめの温床となった寮内の暴力体質を放置したとして、学校の安全配慮義務違反を全面的に認めた。 PTSDの認定について、PTSDは認めないが、極めて大きな精神的苦痛があったとして、後遺症害の慰謝料として含むとした。 被告側の「本人が訴えなかった。本人にも原因があった」という主張に対しては、「意味がない」と退けた。 また、「暴行から10年以上経過した」として、被告側は時効を主張していたが、「左ひじの後遺症が固定した2000年10月から起算すべきだ」とした。 作陽学園側が控訴。 |
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2審判決 | 2007/7/5 大阪高等裁判所で、若林諒裁判長は、学園側の安全配慮義務違反を認め、約2771万円の支払いを命令。 桃山寮については「3年生が神様、2年生が人間、1年生が奴隷」という絶対服従関係があり、暴力体質があったことを認定。 左腕の後遺障害と多数の者から執拗に殴る、蹴る、捻るの暴行を受けたこととの因果関係を認定。 PTSDの認定については、1審同様、CAPS生涯診断における回答の正確性に疑問が生じるなどとして認めなかった。しかし、PTSD症状は暴行という甚大な外傷体験が引き起こしたとして、精神症状との因果関係を認定。 また、学園側が「本件各暴行がなされたのは原告の嘘に起因するなどとして、過失相殺を主張」したことに対しては、「本件各暴行の原因が原告の嘘によるものというのは、そのこと自体が暴力を正当化する理由にならないのはもちろんであり、仮に、原告が、被告の主張するような嘘をついたとしても、それはまことに他愛のないものであるみとは原判決を引用して説示したとおりであって、およそ本件各暴行を受ける原因となり得るものではない。」「本件暴行を受けたことについて、原告に斟酌するべき落ち度はないというべきである」として退けた。 「一審被告(学園側)は、自らの高校の寮で日常的に暴力行為が行われており、重大な被害が生じることを知りながら、抜本的な対策を執らず放置していた」と安全義務違反を認めた。 |
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最高裁 | 学園側は最高裁に上告。 2007/11/14までに、最高裁判所は不受理を決定。高裁判決が確定。 |
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参考資料 | 2002/11/15神戸新聞、2002/11/18讀賣新聞、2006/7/10共同通信、2006/7/11神戸新聞、2006/7/11毎日新聞、民事訴訟の訴状、判決文ほか | |
サイト内リンク | Aさんの陳述書 「わたし雑記帳」(me060712) わたしの雑記帳2007/11/20付け | |
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