安達雄大くん自殺事件(事例No.040310

母親の陳述書

冒頭陳述書

2006103
                                                 

                 

                                                                   

安達和美

 

次男坊の雄大は、お腹にいる時から本当に元気で、やんちゃで、甘えん坊で、面白くて照れ屋で、すぐ喧嘩するけどすぐ謝ってくるような生意気だけど憎めない子です。雄大といるとこちらも楽しくなるような明るさがありました。そして何より優しい子でした。さりげなく荷物を持っていてくれたり、手伝ってくれたり、家の中の雑用は器用だったこともあり、何でも頼んでいました。素直にやってはくれないのですが、頼みこむと結局最後までやってくれるのです。頼りになりました。

 小さい頃からいつもずっと外で遊んでいました。虫博士といわれる程の虫好きで、休日は家族で山か川か海で遊んでいました。そのうち魚釣りに夢中になり、ルアーを自分で作ってバス釣りをしたり、最近は海釣りに凝り、いつの間にか仕掛けを覚え、イカや太刀魚なども釣っていました。釣り場で出会ったおじさんと友達になり、ポイントや仕掛けも教えてもらうと話していました。先生からも「昔のガキ大将タイプですね、」と言われ、学校の勉強は嫌いでしたが、自分の好きなことはよく知っていました。親としては、やんちゃゆえ、先生に叱られることもあるものの、こうして型にはまらず伸び伸びと育つ姿に、どんなに面白く成長していくのか楽しみに思っていました。

 中学生になり反抗期もあるのか生意気さも増し、よく私ともけんかも話しや、映画しましたが、私がサッカー部の保護者会の部長などしていることもあり、部活の、本、特に最近は音楽の話をよくしました。下の子が寝た後、夜、一緒に映画に行ったりして「お母さんて結構話しがわかるほうだよね」と言ってくれたりもしました。兄の受験の影響か急に「やっぱりいい高校に行かんばとかな」というので、「良い高校とか関係ないけん自分の好きなことを見つけに学校に行かんね」と答えると、「水産に行って船長になろうかな」というので「船で世界中に行けたらいいね」という話をしたばかりです。先日行なわれた学校の懇談会でも親として「今は特に悩みは無い」と言ったところでした。


 200410日の朝、髪をいつものようにセットしているので、「又先生におこらるっよ」と言うと、「はぁ、うざかしー」とか言いながら、週末楽しみにしているサッカー部のお別れ会の参加の声かけを私に頼まれ、これもいつものように足の形を残したままジャージを脱ぎ捨て、元気に学校に行きました。ジャージに後で気づいた私は、今日は帰って自分で片付けさせようと思い、わざとそのままにしていました。まさかこのまま帰って来れないとは思ってもいませんでした。

 学校からの電話で、怪我でもしたのだろうかと病院に駆けつけました。病院には養護と教頭先生がいました。そこで私が聞いたのは、まず医師の「死亡確認をお願いします」という言葉でした。

 警察から、タバコを持っていて担任から生徒指導が行われており、自分で階の窓から飛び降り自殺したらいしいことなどを簡単に説明されました。あまりの突然のことに、どれも全て信じられないことでした。
 この後、雄大は検死が行われ、私達には警察の事情聴取がありました。自殺という判断にその場でどうしても納得することができず、私達夫婦は、可愛そうでしたが行政解剖という手段を選びました。外には心配した人たちが大勢駆けつけてくれていたようでした。しかし、この日、担任や校長が病院に来ることはありませんでした。


 あまりに信じられない現実のせいか、私は妙に冷静受け答えしていました。そしてこの日行われていた長男の受験を心配しました。長男はまだ雄大のことを知りませんでした。明日なんとか無事に受験させられないだろうかと考えました。明日長男を送りだすまではしっかりしなくてはいけないと自分に言い聞かせました。そして長男も、妹も、翌日棺で戻った雄大を見て初めて雄大の死を知りました。



 こうして私達家族が突然起きた現実に苦しんでいる間に、私達とは無関係に、学校では保護者会が開かれ、校長の会見が行われ、「指導に行きすぎはなかった。」と発表されました。まだ遺族に対して説明もしておらず、何の調査もしていないのになぜ「指導に行き過ぎはなかった」と言いきれるのか、なぜ私達が知らないところで、しかも、言ってもいない、うちの子が弱かったという言葉まででるのか、保護者会や会見があったことも、会に参加して怒りを覚えたという保護者が来てくれ、初めて知ったことでした。いやでも学校の対応に対し次第に不信感をもちました。


 私たちはいずれ学校や教育委員会は、なぜ雄大が死ななければならなかったのか、共に考え、指導で何があったのか、どんな問題があったのか、事実をきちんと調査し説明し、問題があれば処分も行われると思っていました。しかし学校や市教委というのは調査するところではないといわれました。
 自分達が当事者になって初めて知ることでした。けれど事実を明らかにしないまま納得するわけにはいかず、背景を知るためにも何とか子どもたちの聞き取り調査をお願いしました。なぜなら、事件後毎日多くの雄大の友達が訪ねてくれ、これまでも生徒に暴力を伴う指導があったこと、雄大は目を付けられていたこと、T教諭との間に信頼関係が無かったことなどを聞かされたからでした。


 そして、ライターが見つかって狭い掃除道具入れで指導された後、「部停になるからごめん」、「殴られたら避ける」「死ぬしかない」「いざとなったら飛び降りる」などの言葉を友達に言っていたことがわかりました。さらにその後の指導を行ったのは、全面を銀紙で覆い外もまったく見えない、ここに連れて行かれたら殴られる、と子どもには思われている異様な普段は使われない多目的室でした。

 しかし、せっかく子どもが教えてくれた体罰の問題、部活動停止という連帯責任での処分の問題、友達の名前を密告させる指導法、雄大を一人にしたり、トイレに行くと言いながら逆の方向に行ったであろうことにも気づかない子どもの気持などまったく気にかけない配慮を欠いた指導であったことなど出てきた問題点は、道義的責任は認めても、結局「指導には問題はない」とされました。
 そして私達が三度にわたり提出した質問、要望書にはこれ以上答えられないというということでした。
 さらに驚き傷ついたのは、実は私達への対応とは裏腹に、知らないうちに事件直後の時点で、すでに県へ「事故」として報告し、その年の文科省の自殺児童の数にさえ入っていなかったという事実がわかったことでした。親として自殺と言いたいわけはありません。しかし苦しくともそこを認めないことには原因の究明も再発防止も何も行うことができません。こうなると私達に残された手段は裁判しかありませんでした。


 事件後雄大の友達が毎日ずっとたくさん来てくれていました。学校での雄大はクラスの中心だったと言ってくれ、私が思っていた以上に友達に信頼されていた姿がわかりました、彼らから話を聞くことでどれほど気持が救われたかわかりません。高校に入った今でも月命日には欠かさず来てくれている子もいます。雄大良い友達に恵まれていたのだと思いました。同時に雄大にとっても友達は何より一番大切な存在であり、居場所だったのだと思います。
私は雄大を息子として今でも誇りに思います。


 結局、学校側は、生徒が学校の中で命を落としたというのに、親にも、その友だちにも説明や謝罪はなく、早く普段の生活に戻った方がいいと言い、時間が経つのを待ち、いつのまにか沈静化させて終わらせる。命を大切にと壇上で叫びながら、実際行われているのはまったく逆のことでした。雄大は友だちにとんでもない大人の狡さや本音を見せてしまったのかもしれないと思いました。しかし、子どもは大人をよく見ていました。そんな大人にだまされず、おかしいと思っている子どもが多くいることに救われました。そして保護者の中にもそういう人が何人もいたことに感謝したいと思います。やはりこのまま泣き寝入りしてはいけないという勇気をもらいました。

 そしてわかったことは、小島中に限らず、日本中で、自殺だけでなく、子どもが学校に関わることで重大な事故、事件が起きた時、さらには暴力やいじめなど心身が傷つけられた時、相談、調査、検証、勧告など行うシステムが無いということでした。学校は安全なところではありません。しかしどこであれ、何か問題が起きることは残念ながら仕方が無いことでしょう。ただ人の命を預かる場として、本当に子どもを大切に思うのなら、少しでも同じ過ちを繰り返さないよう、事実を知ることはまず最初に行われる当然のことであり、検証することで、学校だけでなく、親も自らの誤りを認め、再発防止につながるのではないかと思うのですが、学校の中ではその仕組みができていません。このことは子どもに限らず、教師が被害者になっても同様ではないかと思います。

 子どもを学校に行かせている親として、せめてもう少し学校の中が安全で、安心して行かせることができる所になるためにも、この裁判が、他県でも少しずつ実施されている子どもの権利を守る、子ども条例や第三者機関の設置の動きにつながっていってほしいと願っています。

 もう一つわかったことは、指導の直後に自殺するという事件は、これまで何件も起きているという事実でした。そして常に個々の子ども、親の問題で終わらされてきました。
教師と生徒は同等の立場ではありません。これまで本当は指導とは呼べない取調べや脅し、暴力などで子どもの心が傷つき、学校に行けなくなったり、さらには命さえ失われていることも現実です。
 間違った行為をして指導を受けるというのは当然のことです。ただ子どもはその未熟さゆえ、自尊心を著しく傷つけられたり、追い詰めると、最後の抗議の手段として衝動的に死さえも選ばざるを得なくなる弱い存在であることを、教師は、親は知ることで、指導後の対応をしっかり見守ることができ、予防できる事例であると感じました。

 「実際子どもの逃げ場のない叱り方だけはしてはいけないとか、最も注意するのは叱った後の子どもの様子です。」という話は先生方から聞いたことでした。
 単に関係した教師の責任の問題というのでなく、子どもは未熟で、そのやり方次第では死さえ選ぶことがあるということが前提になることが再発防止に繋がります。
 身びいきに聞こえるかもしれませんが、私が出会った指導後の自殺の犠牲になった子どもたちは皆、親から十分に愛されて育った子どもでした。世間が思っている自殺した子どもの先入観は、自分の家には関係ないという誤った判断を起させるような気がします。


 これらの現実を、事実を裁判の中で少しでも伝えていき、指導の問題、子どもの自殺という問題を少しでも多くの人に考えてもらうきっかけとなる裁判になってほしいと思います。
 どうぞよろしくお願いします。


 最後にこの年半の間、多くの人の力を借りながら、やっと今日この場に立ち発言させていただく機会をいただきました。ありがとうございました。



   




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