学習会第3回
1998年8月8日・9月12日
津田道夫著
『南京大虐殺と日本人の精神構造』
(社会評論社、1995年)
木野村間一郎・芹沢明男
第一部 打算とニヒリズム−南京大虐殺事件の精神構造
I 盧溝橋事件と日中戦争
1 「祝南京陥落」ラプソディ
2 中国侵略の足跡
3 「華北分離工作」と第二の「アヘン戦争」
4 中国人大衆の道義的昂揚と事件の意味
II 南京大残虐事件(アトロシティーズ)の条件
1 南京大残虐事件−−狭義と広義
2 上海戦から南京攻略戦へ
3 兵站計画の不備
4 一番のり競争
5 俘虜対策の欠落
III 実相の一端(1)−−蒋介石・日本陸軍省・極東国際軍事裁判
1 蒋介石、日本国民に呼びかける
2 日本陸軍省の文書
3 極東国際軍事裁判
IV 実相の一端(2)−−中国側の文献から
1 『漢口大公報』の社説
2 著作資料にみるアトロシティーズ
V 実相の一端(3)−−元日本兵の手記・回想から
1 東史郎の陣中「日記」他から
2 中国人女性の対応・抗議の死
3 中国人大衆からの復讐
VI 庶民的打算とニヒリズム
1 一つの考察−−鹿地亘
2 橘孝三郎を自失させたもの
3 大衆ニヒリズムと知識人ニヒリズム
VII 日本人大衆の思想構造
1 庶民エゴイズム
2 天皇崇拝と中国蔑視思想
3 天皇制帝国主義の侵略戦争
4 あの時知らされていたとしても
第二部 敗戦五十年と民族道徳
I 橋本龍太郎発言の嘘をあばく−「大東亜戦争」は徹頭徹尾侵略戦争であった
1 橋本龍太郎は何を語るか
2 第二次大戦の見方
3 一つながりの十五年戦争
4 侵略戦争としての「大東亜戦争」
5 ソ連の対日参戦をどう見るか
II いまこそ民族としての自己批判を−日本人大衆における戦争責任と戦後責任
1 「一億総懺悔」論と「ダマサレ」論
2 敗戦直後、日本人大衆の対中国・対朝鮮感情
3 敗戦直後、日本人大衆の対米感情
4 いま問われていること
III 侵略された側は忘れない
1 靖国神社の戦犯的性格
2 私の小さな朝鮮体験
3 『尹 奉吉−暗葬の地・金沢から』を読む
IV 敗戦五十年と「不戦決議」問題
1 歴史を捏造する「終戦五十周年国会議員連盟」
2 議事録から上田耕一郎発言を削除
3 塩釜市議会での前代未聞の珍事
4 吹田市議会、清瀬市議会などのうごき
著者津田自身の問題意識は、
自ら「少し長い解説的後書き」のなかで次のように述べている。
・・・私にとっての問題意識は、平時の生活にかえれば、
「善良な労働者」「平凡な家庭の父」「礼儀正しい常識人」
に復帰するような日本の庶民が、
中国の戦場で何故あれだけの残虐行為を働きえたのかということであった。
それは一部でいわれているような戦場での「異常心理」とか、
通州事件の仇討ちとか、戦死した戦友のための報復とか、
だけでは説明しきれないものがあるように思われた。
そこに私は−−いまなお歴史の縦の線で尾をひきずっている−−
「日本人大衆の精神構造」の特殊性をみるのである。
そして、この精神構造の故に、
戦場というデスペレートな状況に際会して特別な「異常心理」「異常行動」
が発現されたと考え、
そうした予想のもとに政治論的・思想論的な分析をすすめた次第である。
私の考えでは、それは今日の問題でもあり、
シンガポールのリー・クアンユーが、
「日本は、普通の『普通の国』(オーディナリー・ノーマル・カントリー)
ではありません。非常に特別です。それを忘れない方がいい」
と一日本人記者に語ったところを、深く心に刻みつけておきたい。・・・
それでは、その「特殊性」とはどのようなものであり、
どのように形成され、どのような解決の方向性をもっているのか。
津田は、南京大虐殺と中国侵略の実相をたどりながら、
その残虐事件と日本軍人およびそれをささえた日本人民衆の精神構造を
真摯にかつ徹底的に切開する。
もちろん津田も
日本の天皇を頂点とする日本の支配者どもの責任を無視するわけではない。
彼らが、現実の戦争犯罪・戦争責任の最高の責任者であり、
道徳的退廃の最高の責任者であることはいうまでもない。
だが、それと相互連関しながら、侵略戦争の第一線における担い手であり、
またこうした支配層の腐敗と結合し、
自ら支えてきた日本人大衆の戦争責任・戦後責任を問題にする。
そこで中国に対する侵略戦争と
中国人民の抵抗闘争を支える民族的高揚感に対する
日本人の民族道徳における退廃の実相と構造にメスをいれていくのである。
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