第I部、打算とニヒリズム−南京大虐殺事件の精神構造


第7章.日本人大衆の思想構造

こうした「打算とニヒリズム」として現出する思想構造はいかなるものか。

津田のまとめは、次の図に示される。

          天皇の名による”聖戦”
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     打 算――――庶民エゴイズム―――ニヒリズム
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            中国侮辱意識
          「チャンコロ」意識

天皇制軍部、独占財閥の責任とともに、 その侵略戦争が国民的規模で遂行されたところにある日本人大衆の思想構造は何か。

近代市民社会における「私的エゴイズム」は、日本においては、 西欧におけるように政治的解放(市民革命) の原動力としての人権思想とはならなかった。 日本における天皇制・国体ナショナリズムが私的エゴイズムを 「庶民的打算=物欲の論理」のもとに対外侵略主義のイデオロギーとして 転化することによって吸収したからである。

これは明治維新の歴史的な形成過程の特殊性に規定される。 明治維新は、封建時代の被支配層が民主的権利を求めて権力を獲得したのではなく、 支配層の一部が伝統的権威としての天皇を担ぎだしながら、政治権力を握り、 そのうえで、経済社会構造全般にわたる急速な資本蓄積をもって 支配構造を再編していったのであり、 その要が「富国強兵」とその精神的支柱としての天皇制イデオロギーであった。
従って「私的エゴイズム」は人権思想としては、否定され、抑圧されながら、 「対外的な侵略を通した解放感」として解放された。
ここに「アジア解放戦争」「五族協和」「王道楽土」 を唱える天皇制イデオロギーの欺瞞性がある。

さて、これを「庶民エゴイズム」の構造という観点からみるならば、
それは家族主義的な部落共同体秩序に規制された 部落(むら)意識=郷党意識を実存形態とし、 ムラの内部にむけては共同体意識として働きつつ、 外に対しては、極端な排外・敵対意識に転化する。
その外に向けられた敵対意識はやがて内側に反転して、 小家族同士の敵対・反目を生みながら更に天皇制大家族主義に統合されていく。

そしてこの大衆意識構造を侵略戦争と大残虐行為に集中させるものが、 特殊歴史的に形成されてきた、 天皇崇拝(Mikado-Worship)とそれにもとづく「聖戦」思想、 とその対極にある中国ないし中国人蔑視・差別の思想である。
日本国内にある差別意識の重層構造がある。

日本の天皇制は、 西欧の古典的絶対主義がローマ法王や封建諸侯との権力闘争を経て 形成してきた自己正当化の体系的イデオロギーをもたず、 むしろ伝統的権威としての天皇を明治維新における一方の政治勢力が かつぎだすことをもって成立したがゆえに、 体系なき体系と疑似宗教的権威を家父長的「家」原理の 「国家」規模へと拡張することをもって、 排外的な「忠君愛国」の体系を形成したのである。

「あのとき知らされていても」
もし、南京大虐殺の実相を知らされていたら、 日本人大衆は果たしてその批判にたったか。 この設問に対して、津田は「否」と答える。
明治以来の中国人民への差別意識を「暴支膺懲」のための”聖戦” という国策上の建前にからめとられていた日本人にとっては、 「戦果」の一部にしかならない。 また「勝てば官軍」「戦勝者の暴行は仕方ない」という日本人の歴史意識と、 中国、朝鮮人民への深い差別意識は、 南京大虐殺・残虐事件の実相を知らされたとしても、 そのの程度のことでは抜きがたかったであろう、と。

だから、日本人大衆にとっては、情報の問題ではない。 事実を見据えたときに、 思想的・道徳的に反省しうる思想的確信をいかにつかむかである。 津田は日本人大衆の血の債務は何ら血済されていないと 警告して第一部を締めくくっている。

 

(補)「庶民的打算とニヒリズム」、 「日本人大衆の思想構造」をめぐっての論議で
非常にわかりにくい用語である。
用語自身の意味において
図式に関して
関連性について
日本人大衆の思想構造の歴史的形成について
天皇制と日本人の思想構造について
など。

 

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