南京大虐殺
―――人類と文明への冒涜―――
林 伯耀
はじめに
日本帝国主義の中国侵略によって、犠牲になった中国人は2千万人を下らない。
その侵略は、中国人民に筆舌につくしがたい苦しみをもたらした。
国土は荒廃し、離散家族は、何百万世帯を超える。
行方不明になった人の数は計り知れようもない。
1928年の日軍の山東出兵による済南虐殺事件(6千人余の市民を虐殺)から、
はじまって(旅順虐殺事件は1894年)、1945年の日本敗戦まで、
中国全土で日本軍によって組織的に、集中的に行われた虐殺(惨案)
及び暴行といわれるものは2300件を越える。
この内、100名以上の犠牲者が出た惨案は390件を超える。
その多くは数百名から数千名単位のものである。
1937年12月13日から約6週間にわたっておきた南京大虐殺事件は、
こうした無数の惨案の中の一つの象徴的な事件にすぎない。
日本軍が50年前にもたらした傷跡は今もなお、深く人々の心の中に残っている。
1937年7月7日夜、日本の「支那」駐屯軍は、北京郊外の蘆溝橋で、
夜間演習中の日本軍に中国側から発砲があったという口実で、
中国軍に攻撃をしかけた。
8月13日には、上海でも中国軍と衝突した。閣議は陸軍派兵を決定した。
こうして中国に対する全面的な侵略戦争の幕が切っておろされた。
だが、それが、泥沼のような戦争に発展するとは日本政府、軍部、
財界の誰も予想していなかった。
陸軍大臣は、天皇に「2ケ月ぐらいで片付く」と見通しを報告している。
対外的には、戦争ではない、たんなる事変だと強弁しながら、実際には、
この時50万の陸軍と海空軍を投入し、日露戦争以来、30年ぶりに、
戦時最高の統師機関=大本営を設置(37年11月)して、本格的な戦争にのり出した。
8月15日には「支那軍ノ暴戻ヲ膺懲シ、
以ッテ南京政府ニ反省ヲ促ス為今ヤ断固タル措置ヲトル」との政府声明を発表した。
そして、同日(8月15日)、海軍の陸上攻撃機隊が南京、南昌に渡洋爆撃を加えた。
12月3日までに111回に及んでいる。日本軍の無差別爆撃は頂点に達した。
.
[ ホームページへ ] ・
[ 上へ ] ・
[ 次へ ]
メール・アドレス:
nis@jca.apc.org