<イラク情勢>
米英軍はイラク占領を止めろ!自衛隊はイラクから撤退せよ!

  
米国の計画の破綻と6・30「政権委譲」の行方
   原題「イン・イラク・ザ・ショー・マスト・ゴー・オン(イラクで幕を下ろすな
   ハーバート・ドセナ
  
イラク人独立議会を開催する国際的呼びかけ(2004年4月9日)
  国際社会に向けたイラク民衆との連帯の呼びかけ
(2004年3月19日現在)


イラク現地レポート

米国の計画の破綻と630「主権移譲」の行方

ハーバート・ドセナ(Herbert Docena)

筆者は「フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス」の活動家で、4月に「国際占領監視センター」の調査スタッフとしてバグダッドに滞在していた。このレポートは426日付で「フォーカス」のウェブ・ページに掲載されたもの。原題は"In Iraq, the Show Must Go On"


昨年1115日にイラク統治評議会が発表した「主権移譲」計画(20046月までに暫定政権を樹立しイラクに「主権を移譲する」という内容)がボロボロになってしまったため、米国は自ら演出する「主権移譲」計画を救い出すために、630日以後の秩序への脅威となりうる勢力への先制的攻撃を開始するとともに、自らの政治的目標を正当化するために国連を抱き込まざるをえなくなった。

国連のラクダル・ブラヒミ特使がバグダッドを訪れた時――それはまさに連合軍への蜂起が始まった時だった――彼は1人ではなかった。国家安全保障評議会のコンドリーザ・ライス補佐官のイラク担当代理であるロバート・ブラックウィルがブラヒミにぴったりと寄り添っていた(「ニューヨークタイムズ」、416日付)。

イラクの政治的移行に向けた提案を出す任務を課されたブラヒミは、米国が630日に、1人の首相と1人の大統領、そして2人の副大統領の下の政府に権力を引き渡すこと、そしてこの人選はすべて国連が米国および(米国によって選ばれた)イラク統治評議会と協議して決定することを提案している。その後、ブラックウィルのボスであるジョージ・ブッシュ米大統領がブラヒミの提案を、「イラク国民に広範に受け入れられるもの」であり、国連が将来のイラクの指導者について「協議する」相手にも受け入れられるものだと歓迎した(AP、416日付)ことに驚くものはだれ1人としていなかった。

ブラヒミの計画は、現在の米軍の行動――占領に反対する勢力を、将来ではなく今すぐに無力化することを狙っている――とともに、イラクに自らの恒久的利権を確立しようとする米国の、常に変化する戦略の最新のブレである。米国のもともとの戦略は、「必要なかぎり」直接的占領権力としてとどまるというものだった。この戦略は最終的に廃棄され、2004630日までに「権力」を主権政府に移譲する一方で、必要なかぎり支配的位置にとどまるという戦略に置き換えられた。この戦略も、4月初めに蜂起が勃発する直前に、破綻した。今では、米国にとって必要なことは、必要な限り駐留するために、1日でも長く駐留できるようにすることである。

「計画A・幻想を持つべきでない」

昨年4月、侵略軍が初めてサダムの大統領宮殿に踏み込んだ時、撤退についてのどのような当面の計画もなかった。開戦前の2月、マーク・グロスマン米国務次官は、「合衆国は必要なかぎり駐留するが、それより1日でも長く駐留することはない」と述べた。いつイラク政府に権力を移譲するのかという質問に答えて、米当局者はあいまいな回答と、なだめすかすような声明を与えることができただけだった。 サダムを別の者に置き換えるために民主的選挙を行うことは、優先順位のリストの中で高いものではなかった。実際、コリン・パウエル国務長官は早くからイラク人が「ジェファーソン的民主主義」を持つ能力について嘲笑していた。「サダム・フセインが明日にもバスにはねられたら、『ジェファーソン的民主主義』といったものが民衆的選挙を行うために待機している、などというある種のロマンティックな見解もあるようだ(笑)」。パウエルは第1次湾岸戦争の余波の中で述べた。「この国やこの社会の性質に関して幻想を持つべきではない」と(父ブッシュの下の統合参謀本部長としての記者会見)。

米国は、現在の対外政治戦略に沿って、フィリピン、ニカラグア、チリ、ハイチなどの国で「米国ブランドの民主主義」を導入した経験を応用して、イラクに試験済みの「民主主義促進プログラム」を導入すると思われていた。しかし占領の最初の数カ月が過ぎても、そのような構想をどのように進めるのかは不明確であった。

 

占領から2カ月たった7月、アリ・フライシャー報道官(当時)は依然として述べていた。「われわれは、任務を遂行し、うまく正しく遂行するのに必要なかぎり駐留する」。713日に、連合国暫定当局(CPA)は、限定された権力しか持たず、期限もない25人のメンバーからなるイラク統治評議会=暫定イラク人当局を樹立した。「主権移譲」、選挙、憲法起草の計画は、漠然としてあいまいなものだった。

 

10月までに、イラクで米国を揺るがす最大級の問題が結晶化した。第1に、占領に対する暴力的・非暴力的抵抗が、消滅するのではなく強力に成長していることが明らかになった。連合軍は毎日15件から20件の攻撃にさらされつづけた。リークされたCIAリポートは、ますます多くの民衆が抵抗を支持していることを示した(ロイター、031112日付)。第2に、占領が国際的正統性を欠いているために、外国政府は占領の人的・財政的コストを負担するのを躊躇した。軍隊の増派という要請は次々と拒絶され、連合軍兵士への攻撃は協力的な国の覚悟の程度を試すことになった。

 

自分たちをどう呼ぼうと、占領軍は占領軍だ

 

この頃までには、これらの問題が拡大し、相互に影響しあい、占領の妥当性が脅かされるまでになった。とりわけ米国の大統領選挙に向かう時期に米兵の死傷者の数が増えれば、ブッシュの再選は深刻な危機に追い込まれる。ホワイトハウスにとどまる道を切り開くことすらできないのなら、軍を歯から爪の先まで武装させて共和国宮殿に留まる理由はほとんどない。石油輸出による収入は、あてにしていた金額に達しておらず、外国政府がイラクに贈与や貸し付けをできるようにするためには、外面的な装いを施す必要があり、そうしない限り、復興ビジネスを潤すための資金も早々に干上がってしまう。さらに、イラクの国内市場を多国籍企業のための「資本主義の夢」(「エコノミスト」03925日号)に変えるという約束にもかかわらず、多くの資本家は、投下した資本が将来の政府によって没収されるという悪夢に取りつかれていた。

 

1013日、米国は国連安保理事会に、イラク統治評議会に1215日までに選挙と憲法についての計画の提出を求めるという新しい提案をしぶしぶ提出した。この提案によって不安の解消が図られたが、この計画が自動的に採択されるという確証はなかった。なぜなら、この提案はまだ米国自身の承認を取り付けなければならなかったからである。

 

しかし一連の展開が、最終的に米国を追い詰めた。10月下旬にマドリードで行われたイラク復興基金を募るための支援国会議は大失敗に終わり、約束された援助は期待したよりもはるかに少なかった。世界銀行と国連は、560億ドルが必要だと見積もっていたが、調達されたのは130億ドルに過ぎなかった。

 

次に、112日にはゲリラがヘリコプターを撃墜し、16人が死亡した。それは侵略が始まってから1つの攻撃で出た最多の死者数だった。その時までに、侵略戦争そのものよりも、占領中に本国に送られた死体袋の数の方が多くなっていた。

 

イラク統治評議会の設立は、これらの諸問題の幾つかに対処するものとされていたが、最初から、そうした期待はそれほど高いものではなかった。しかしこの時までに、期待は巨大な失望となったことが明らかとなった。イラク人が前面に出るものとされていた。しかしイラク人自身が、舞台の背後で決定を下しているのが誰なのかを見ることができた。11月に発表されたギャラップ社の世論調査によれば、イラク人の多数は、評議会は占領権力の道具以上のものではなく、占領当局に逆らうような力をほとんど持っていないことを認識している(「ワシントンポスト」03112日付)。

 

評議会メンバーの一部は、2面作戦の中の戦術として、評議会参加を受け入れた。片方の足を評議会内に置き、占領当局と論争し、もう一方の足を評議会の外に置き、彼らと闘うという作戦である。彼らを権力の座に引き入れた人びとにとっては、おそらくいっそう苦々しいことに、一部の評議会メンバーはブッシュ政権の本心にもっとも近い考え方に対して、ますます公然たる批判を行うようになった。

 

あらゆる占領形態の中で最善のものとして米国が望んでいたことは、米国が十分な権力を確保したまま、主権を持つイラク政府に権力の一部を移譲できるような条件が整うまで、直接的占領権力としてとどまることだった。「計画A」は一貫してそのようなものだった。

 

しかし、11月までに占領当局者の1人が認めたように、「イラク人はそれほどの期間、われわれが権力にとどまることを容認しないだろう。自分たちをどう呼ぼうと、われわれは占領軍だ。われわれがそれほど長く権力にとどまることはできないのだ」(「フィラデルフィア・インクワイヤラー」031113日)。非妥協的な抵抗によって座礁し、資金と兵員の縮小に困惑し、あてにしている投資家の不安を和らげることができず、さらに最悪なことに国内での選挙の敗北の可能性に直面して、「計画B」を用意しなければならなくなった。

 

11月の第2週に、連合国暫定当局のポール・ブレマー主席行政官は、予定になかったフライトで、ホワイトハウスで危機に関する討議を行うためにバグダッドからワシントンにおもむいた。それは米国の戦略が書き換えられ、新しい戦略が作られる時期にあたっていた。

 

「計画B・権力強化のテコ」

 

直接的占領権力としてとどまるという計画に代わる計画の目的は、十分に明瞭であった。すなわち反抗的な人びとや反占領の政治勢力を出し抜き、占領の継続を擁護し、その資金を確保するための国際的承認を獲得し、投資には見返りがあることを企業に再保証することである。しかしそのどれかを実現するためには、米国は一定程度、支配を手放さなければならない。それは彼らが壁際まで追い詰められない限り受け入れることはありえなかったリスクであり、妥協であった。しかし、支配を部分的に放棄することは、完全に失うよりはましだった。

 

ブレマーは改訂された戦略を携えてバグダッドに戻った。彼は戻ってすぐに、イラク統治評議会を招集し、後に「十一月十五日の合意」と呼ばれるものをまとめ上げた。米国はこの段階的計画によって、占領を最終的に終結させると主張した。ブレマーは、主権は2004630日までにイラク人に移譲される、と語った。

 

もしこの計画がうまくまとまれば、ブッシュは難局を抜け出して、勝利のチャンスをつかんでいただろう。ブッシュは、米国の有権者に対して新生独立イラクを披露することで、彼の戦争を正当化することができただろう。イラク統治評議会のメンバーでペンタゴンお抱えのアフメド・チャラビが説明したように、「すべては、ブッシュ大統領が新しいイラク政府を祝う式典のために、10月に空港に来ることができるように設定されていた。ここから逆算すれば、米国がこだわった期日の意味がわかるだろう」(「ニューヨークタイムズ」031127日)。

 

ブッシュは、国際社会に対して新しい主権国家を見せびらかし、その中で占領を正当化する国際的承認を獲得し、もっと多くのカネと軍隊を国際社会に要求するさらなるテコを提供することができただろう。さらにブッシュは、イラクは植民地であり米国は帝国だというレッテルをはがすこともできただろう。

 

「主権移譲」が成功すれば、新政権はアラブ連盟やWTOなどの国際機関の正式構成員――単なるオブザーバーではなく――として受け入れられるだろう。さらに重要な点として、国内的に承認された「主権を持った政府」の確立は、まもなく民営化されるだろうイラクの国有企業の入札に参加しようとする投資家たちを安心させるために必要なのだ。ところでこれらの国有企業は、米国際援助局(USAID)から復興事業を請け負ったベアリングポイント社によって設定された二束三文の安値で売却されることになる。

 

ブッシュは、イラク人に対しては、彼が実際に彼らを解放したと言い立てることによって、彼の動機に不信を唱える反乱勢力の根拠を奪うことができただろう。ペンタゴンの当局者は述べている。「主権の移行は治安維持に明確な影響をもたらすだろう。『占領』というレッテルを取り除くことになるからだ。『占領』という言葉は、いわゆる反乱勢力が行っている主張の1つである。だからイデオロギー的闘争からこうした政治的主張を取り除くのだ」(「インターナショナルヘラルドトリビューン」03122日、21日付)。

 

ここに「計画B」の第1の問題がある。このレッテルが取り除かれても現実は同じである。占領は依然として続いている。1115日の合意文書に隠されているものは、それ以後の移行期政権に米国の権力を埋め込み、630日以後においても米国があらゆる点で支配権を行使するための、十分な保証なのである。ホワイトハウスの高官の1人が、ニューヨークタイムズに語っている。「われわれは君たちが考えるより、そしておそらくイラク人たちが考えるよりも多くのテコを持つことになるだろう」(「ニューヨークタイムズ」031116日付)。

 

米国のリサーチ会社がイラク人の代表を選ぶ!

 

イラク人自身が選ぶいかなる政府に対しても権力を引き渡すということは、初めから問題外だった。現在の状況では不可能だという口実で、直接選挙で総選挙を行うという考え方に対する頑固なまでの嫌悪感が存在していた。しかし計画調査局の閣僚は、ある報告の中で、早ければ9月までに(何年のことだ?)選挙を行うことは可能だ、と証言した。この報告は米国人によって拒絶され、幾つかの理由をつけてイラク統治評議会メンバーの手に渡されなかった(「ニューヨークタイムズ」03124日付)。カーネギー国際平和基金の民主主義プロジェクト責任者であるトム・キャロザースは、なぜ占領軍はこの考え方に怖じ気づいているのかについて説明している。「中東に民主主義をもたらすという米国の新たな関心の足元には、最も強力で民衆的な運動が、われわれにとって非常につきあいにくい運動であるという、中心的なジレンマが存在する」(「ロサンゼルスタイムズ」118日付)。

 

ブレマー自身、次のように語って選挙への不快感をあらわにした。「私は選挙に反対しない。しかし私は、われわれの利害に注意を払うやり方で、それが行われることを望んでいる。……早すぎる選挙は余りにも破壊的なものとなりうる。……このような情勢で選挙を開始するならば、強硬な拒絶派が勝利する可能性が高い」(「ワシントンポスト」、03628日付)。

 

CPAの高官は、なぜ選挙を早期に実施できないのかと問われて、もっと率直に答えた。「穏健派を組織するのに十分な時間がない」(「ニューヨークタイムズ」、118日付)。米国は一方で、「米国人がもっと後ろに引き、イラク人がもっと前へ」というトーマス・フリードマンのアドバイス(「ニューヨークタイムズ」、03820日付)には一理あると見なした。しかし、米国はまた、前に立つイラク人が米国にとって望ましいイラク人であることを保証する必要があった。

 

米国が自分たちの「関心」を満たすため、また、「穏健派」が自分たちの組織を確立するための十分な時間を与えるために考えていることは、地域評議会の会合を通じてイラク人の代表を選出することである。地域評議会メンバーは、米国際援助局から業務を請け負ったリサーチ・トライアングル・インスティチュート(RTI)社の協力を受けて、軍が選び、審査した。RTIは戦争後にイラクに入ってきた最初の請負業者の1つで、現在では215人の元国外追放者と1400人に及ぶ現地従業員をイラク全土に配置し(「ニューズオブザーバー」のウェブ、117日付)、「最も適切で、『正統性』があり、役に立つ指導者を特定する」という契約(米国際援助局とRTIの間の業務請負契約)を履行するために、「穏健派」の組織化にあたっている)。(『正統性』のカギカッコは、契約の原文に付いている!)。

 

RTIの従業員たちは、そのような「正統性」を持つ指導者を探し求めてイラク全土を巡り、地方評議会の会合を主宰し、「民主主義の訓練のためのワークショップ」を組織し、その中で仲間のイラク人たちに対して、隣人たちに占領軍を信頼し、占領軍の計画を支持するよう説得するように唆している。

 

あるワークショップで、参加者が質問した。「選挙が何の役に立つのか。どっちにしても米国がわれわれの指導者を任命するということをだれもが知っている」と。RTIのスタッフはこう答えた。「君たちは、まわりの人々と話をし、それが事実ではないことを説明しなければならない。新しい選挙は、公正で、民主主義的で、自由な選挙だ」と。彼女はさらに、次のように語った。「君たちは、まわりの人びとに、我慢が大事だと説得しなければならない。われわれは35年間も我慢してきた。今の状況が非常に悪いとしても、あと1年半ぐらい我慢できるはずだ」。

 

「穏健派」と「妥協派」にテコ入れしようとする米国際援助局とRTIの努力を補完しているのが、悪名高い米国民主主義基金(NED)である。NEDは世界中でさまざまな政党を支援し、資金提供している準国家機関である。NEDは米国が選挙で勝たせたいと考えているいくつかの政党を援助するに違いない。NEDは、共和党国際研究所(IRI)と民主党国際研究所(NDI)に補助金を与え、この両組織は現在、イラクの政党の総合的データベースを構築し、政党の事務所を設立し、政党の形成を後押しするために技能修得ワークショップを開催している。選挙を実施する時期が来た時に、あてにできる勢力を確保しておくためである(CPAの「アドミニストレーターズ・ウィークリー・ガバナンス・レポート」、27-13日)。

 

不安定の根拠

 

「計画B」の第2の問題は、この「主権移譲」計画がイラクに駐留する十万人以上の兵士たちに束の間の急速も与えないだろうということである。彼らはデイエゴガルシアのビーチに移転されるのではなく、米国がイラク全土で建設中の14の恒久基地に移転される。駐イラク米軍司令官のリカルド・サンチェス将軍は、軍はイラクに少なくとも「さらに数年」は駐留すると断言した(「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」、03122021日付)。統合参謀本部長のリチャード・マイヤー将軍は、もっと慎重だった。彼は(米軍の駐留の期間に関する)執拗な質問に対して「まだわからないと本心から思っている」と述べた(「ワシントンポスト」、220日付)。

 

ブレマーの前任者であるジェイ・ガーナー将軍に到っては、軍事的プレゼンス(存在)は100年間継続されるべきだという希望を表明している。ガーナーは、1900年代のフィリピンにおける海軍基地が1990年代にいたるまで、いかに「太平洋における偉大なプレゼンス」を保証したかを引き合いに出し、「私の考えでは、それこそがイラクが次の数十年間にわたって求められることだ。われわれはこの地に、われわれの中東における偉大なプレゼンスを可能にする何かを確保するべきである」と語った(「ナショナル・ジャーナル」の「コングレス・デイリー」、26日付)。

 

この計画を法的に正当化するために、1115日の合意は、2004331日までにイラク統治評議会との間で駐留軍に関する地位協定を締結することを求めている。この協定は、米軍に対して630日以後もイラクに駐留するよう求めるイラク側からの公式の「要請」として提案され、その内容は米軍基地やその他の形態での軍事的プレゼンスを受け入れている多くの諸国が米国との間で取り交わしているものと同様である。しかしこうした協定が通常は主権国家との間で交渉されるのに対して、イラクでは、AP通信が米軍高官の発言として報じているように「現時点では、われわれはわれわれ自身と交渉する。なぜならわれわれが政府だからだ」(AP、313日付)。

 

米軍が後景に退くための決定的な必要条件は、イラク治安部隊が前線で米軍と交代することである。国防総省の当局者は「彼らが戦闘を引き継ぎ、われわれは影に退き、市街地から出ていく」と説明した(「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」、03122021日付)。米軍はこの数カ月間、地元治安部隊の訓練に忙しかった。(移行後は)この地元治安部隊がイラク国防省の指揮下に置かれ、イラク国防省はブレマーによって直接に選抜されたスタッフで構成される。また、イラク国防省は依然として米軍司令官の支配下に置かれる。米軍をイラク人の指揮下に置くなどという考えを米国はまともに取り上げないだろう。なぜなら、米国の駐エジプトおよび駐イスラエル大使を歴任し、現在は中東研究所の所長に納まっているエドワード・ウォーカーが言うように「われわれの軍隊を、われわれの支配下にない決定に従わせるようなことがどうして可能なのか」(ロイター、414日付)。

 

米軍の継続した駐留と、米国の指揮下にあるイラク治安部隊の設立は、今後作られるあらゆるイラク政府の選択と行動を、厳しく束縛することになるだろう。外交評議会(CFR)の研究員で、元駐サウジアラビア米国大使のリチャード・マーフィーが言うように、「われわれは主権を持つ政府の主要な役割の1つを囲い込んだ」(ロイター、412日付)。近隣諸国とイラクの関係が、不可避的にイラクにおける米軍の存在に影響されるため、たとえばイラクの将来の外交政策は石に刻まれたのも同然である。国家というものが、その領土内において合法的な暴力の行使を独占する機関であるとするならば、イラク国家という概念は630日以後も架空の存在にとどまるだろう。

 

全国に軍事基地が存在し、何万人もの兵員が配置されているということは、イラクでは将来のいかなる政府も、常に額に銃がつきつけられた状態にあるということである。だから米国に引き金を引かせるようなことは一切できない。ブレナン・バーン中佐が、最近のファルージャでの行動について行なった発言は、それを最もよく要約している。「外交は、信頼できる力に裏付けられていない限りは、単なるおしゃべりだ。人々はわれわれを恐れる場合に、われわれに屈服するのだ」(「ワシントンポスト」、412日付)。

 

グアテマラ、ニカラグア、キューバ、イラン、グレナダなどの例が示すように、米国はその地政的−経済的利益を脅かす政府に対しては侵略や秘密作戦という形態での軍事的介入の発動を躊躇しない。しかもイラクでは、兵士たちが基地の外に出るだけでいいのだ。

 

ニカラグアの影

 

「計画B」の第3の問題は、米国が次の政府に対して自らの権益を確保し、自らの権力を埋め込むために、イラクに自らの期待する経済的・政治的構造を打ち立てるための法的・制度的足場を築いてきたことである。米国自身が起草した法律と政策を実行する官僚機構を作り上げ、それを積極的に支持するか消極的に受け入れる「市民社会」のようなものを確立するために、膨大な数の官僚と請負業者が舞台裏で精力的に活動してきた。

 

米国際援助局は、国務省や国防総省とともに、米国のイラク復興費180億ドルの一部を、米国の利害に沿ってイラクの政治・経済システムの再建をはかることを委託された民間請負業者に支出してきた。たとえばベアリングポイント社は、イラクに市場経済を指向する新自由主義政権を確立することを委託された。この契約によると、ベアリングポイント社は「経済・財政政策、規制と法制度の改革を立案し、実施する公的機関や民間機関を支援する」。また同社は「イラクの経済成長のために可能な最善の選択を推奨する」。契約の中で明確にされているように、「可能な最善の選択」とは、民営化、規制緩和、自由化を最もラディカルかつ無拘束な形で適用する新自由主義政策以外ではありえない。

 

ベアリングポイント社は、経済関連の法律・規則の起草と制定を進め、担当省庁の実務能力を確立し、省庁に「マクロ経済分析」チームを形成し、株式市場を開設し、研究機関や大学に資金を提供し、市場経済を信奉するエコノミストのネットワークを確立・強化し、NGOや職業団体、商工会議所等を支援し、資金を提供することによって新自由主義政策を提唱する「市民社会」を形成する業務を行なってきた。

 

他にも数十社にのぼる請負業者が、生まれてくるイラク政府のさまざまな側面-教育、保健、農業など-を転換させるために同様の活動を行っている。それらの政策の多くは、その請負業者の活動とともに、政治的移行の後も推進されることになるだろう。

 

権力強化のテコは、大使館から、ある高官が言う「巨大な政治的重要性を持つ世界最大の外交使節団」(AP、321日)を介して作用するだろう。大使館は、非常に経験豊富な1人の男によって指揮されるだろう。その男はジョン・ネグロポンテである。1980年代にコントラを支援してニカラグアのサンディニスタ政権を転覆する上で枢要な役割を果たして物議をかもした、元駐ホンジュラス米大使である(「インデペンデント」、415日)。さらに、この大使館の建物から、中央情報局(CIA)の世界最大の地域本部が活動を展開する。それはベトナム戦争当時にサイゴンに置かれていたもの以降では最大である(「ワシントンポスト」、34日付)。ある高官が述べているように「われわれはまだここにいる。われわれは多くの注意を払い、多くの影響力を行使するだろう」(AP、321日付)。

 

破綻の原因

 

1115日の合意を何としても実現しようという精力的な活動にもかかわらず、3月末までに「計画B」は揺らいでいた。1115日の合意のほとんどのステップが踏み外されたのである。

 

合意は生み出されるやいなや、つぶれはじめた。当初から、この合意は米国によって設立されたイラク統治評議会の全面的支持を受けなかった。最終的には統治評議会の承認を受けたものとして提起されたが、実際には米国は、評議会内で直接選挙を支持する240という反抗的な票決を覆さなければならなかった(「ワシントンポスト」。031126日付)。米国の計画を挫折させる上でより決定的だったのは、大アヤトラ(最高位聖職者)のアリ・シスターニ――イラクで最も影響力のある政治的人格で、シーア派多数派の事実上の指導者――が、合意の条項の多くに非妥協的に反対したことであり、それとともに選挙を非妥協的に主張したことであった。それは占領の開始以来、イラクでの最大の抵抗だった(「ニューヨークタイムズ」、119日付)。

 

結局米国は、地方代表者会議の招集に関する計画を廃棄することを余儀なくされたが、具体的な代替案は発表されなかった。主権移譲の記念式典まで余すところ100日足らずになった3月末まで、米国はだれに権力を引き継ぐのか、どういう方法で選出するのかに関して、何の考えもなかったのである。

 

政治的移行期を統治する基本的な法的基盤として意図された暫定行政法(TAL)ないしは暫定憲法も、ズタズタになった。そのさまざまな部分が米国の法律家によって書かれたということも、救いにはならなかった(「ワンワールド」、23日付)。38日に批准されたにもかかわらず、主要な政治勢力はそのいくつかの条項について固く保留の態度を取り、多くはそれを拘束力ある文書として受け入れることを拒否した。シスターニは、これを決してイラクの基本法と見なすべきではないと述べ、事実上、この文書に唾を吐きかけた。彼は、暫定行政法が政治的プロセスに関するあらゆる討論の出発点ではないことをブラヒミがはっきりと同意しないかぎり、ブラヒミと会うことさえ拒否すると宣言したのである。占領当局が制定するすべての法を規定するこの文書は、暫定政府にとって拘束力を持ちつづけるものであり、イラクの治安を米軍の軍事的指揮下に置くこの文書は、移行期が過ぎてもイラク全土への米国の継続的支配を法的に正当化するものである。3月末までに、この法律もバラバラに引き裂かれたのである。

 

そしてついに331日に設定されていた地位協定的な協定の調印期限が切れた。イラク統治評議会は早くから、民衆の委任を受けていないと述べていかなる協定を結ぶことも拒否していた――それはほとんど注目されていなかったが、重要な抵抗行動であった。イラク統治評議会)メンバーのガジ・アジル・ヤワルは「われわれはイラク人民から100%承認されてはいない。われわれは選挙で選出されたわけではない。われわれは新政権が結び、何らかの形で変更することになる協定を起草したくない」と説明した(「ニューヨークタイムズ」223日)。

 

失敗した計画

 

1115日の計画が崩壊しつつあった時、この計画が解決しようとした問題はますます悪化していた。イラクの人々の間では、多数派のシーア派の間ですら、怒りが沸騰しつつあった。サダムが打倒された時の純粋な安堵感は、次第に激しい不満と失望に変わった。計画されていた政治的移行は、この圧力を緩和するどころか、策謀を見抜いた人々の疑念を一層掻き立てた。忍耐は限界に近づいていた。カディミヤ高等学校の校長のアッサム・アル・ジャラーさんによると、「私たちは米国人への信頼を失いました。誰もが(政治的)移行を待ちつづけました。やっと示された法律が、ガラクタだったのです」(「ワシントンポスト」47日付)。

 

侵略から1年以上が経過したが、連合軍に対する攻撃は依然として収まる気配がない。逆に、これまで平穏だったいくつかの地域で緊張が高まっているようだ。米国にとって困ったことに、スペインの新政権は、指揮権が国連に移行されなければ、近く同国の軍を撤退させると発表し、ポーランドやオランダも同様の可能性を示唆した。米国内では、ファルージャで4人の民間警備員の死体が焼かれ、切断された事件が怒りを呼び起こし、ブッシュとその占領政策に対する国内の支持を一層弱めた。

 

「計画B」のすべての基本要素が覆され、修正された米国の戦略の目的は実現不可能となった。米国があらかじめ結果を決定できるような選出方法がなければ、米国が好む「妥協派」や「穏健派」が政権に就くことはありえない。イラクの主要な勢力が正当とみなすような憲法がなければ、米国によって制定された法律や政策を実施し、米国によって押し付けられた移行後の政治構造を正当化するための合法性を装うことができない。地位協定がなければ、権力の移行後にイラクにGIを駐留させる根拠がない。

 

言い換えれば、政治的移行の成功(米国の目的にどのように適合するかを基準に判断して)がなければ、武装および非武装の抵抗は拡大しつづけるだろうし、軍事および金融の面での国際的支援は引き続き保留されるだろう。まず「計画B」によって解決しようとした問題を解決することなしには、米国は戦争のもともとの目的であったものを確保するための計画に最終的に着手することができないのである。

 

結局のところ、昨年1115日に開始された政治的プロセスは崩壊した。イラク社会の主要な勢力の公然または暗黙の支持を得られなかったためである。米国が630日の時点で最も避けたいことは、暫定統治評議会の繰り返し、つまり大衆的支持を得ておらず、そのために米国の隠れ蓑になって米国の計画を遂行する能力を持たないイラク人の権力が再現されることである。米国のカール・レビン上院議員が認めているように「われわれが米国によって形成され、イラクの人々や国際社会の支持を得ていない機構に主権を戻すならば、われわれの軍に対する暴力が一層拡大し、内戦の可能性すらあるということも事実だ」(AP、410日付)。

 

GIたちは「占領軍」というラベルを外すことなく、同じ戦闘を果てしなく繰り返すことになるだろう。ある軍将校が言うように、「われわれはこいつらを打ち負かすことができるし、われわれはその決意を証明してきた。しかし、政治の側がついてこなければ、われわれは71日以降も同じことを繰り返さなければならないし、9月になっても、来年になっても、何度も何度も繰り返さなければならないだろう」。

 

米国は、イラク人たちを鎮静し国際社会を満足させるために、主権と独立性を十分に備えているとみなされる統治機関を確立する必要がある。米国は、米国の兵士たちの死を代償として求めた利益、すなわちこの戦略的地域における石油、市場、軍事基地を確保するために残された唯一の方法が、友好的な政府の確立であると判断した。その政府は米国にとって非常に重要なこと以外は、すべてにわたって独立的に機能できる。

 

しかし、この計画が成功するための1つの、決定的な条件、すなわち米国の占領に一定の正当性が与えられるという条件が、いまだに解決されていない。この条件がなければ「計画B」全体が崩壊する。

 

「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン(幕を下ろすな)」

 

「計画C」はまだ輪郭が見え始めたばかりだ。しかし、これは次のような要素からなっているようだ。

 

1に、「ショーを続けるしかない」。予想されているように、米国は630日に何らかの権力移行のセレモニーを実施するという計画を放棄しないだろう。米国に協力しているイラク人の多くは、この日に実際に何かが移行するという約束に基づいてそうしている。この約束を反故にすることは、この人たちを抵抗運動に追いやることになる。ブッシュ自身が認めているように「連合国が630日という約束から後退すれば、多くのイラク人はわれわれの意図を疑い、希望を裏切られたと感じ、イラクで憎悪と陰謀論を煽っている者たちは新たな聴衆を獲得し、勢いづくだろう」(AP、414日付)。さらに、米国内の選挙をめぐる政治的思惑から、メディアでの新たな大宣伝の機会が必要とされている。「ミッション完了」という横断幕を背景に、戦闘服で戦艦に引き揚げてくるというような演出である。

 

2に、米国はイラクの人々から移行計画への十分な支持を得ることに失敗したため、現在では、国連のお墨付きが得ることによってイラクの人々(および国際社会)に630日以降の秩序を受け入れるよう説得できることを期待している。このことがブラヒミ構想の重要性を説明している。これは政治的プロセスに関する計画を国連に委ねるという米国の決定を背景にしている。これからは国連がこのプロセスを引き継ぐというわけである。米国は、不承不承ながら、今や米国の計画の存続が国連に依存していることを認めている。

 

これはブラヒミが命令を下すようになることを意味しない。国連、米国、暫定統治評議会が暫定政府の構成員を自分たちの都合に合わせて選ぶというブラヒミの計画は、米国により大きなマヌーバーの余地を与え、地方の代表者会議に関しては当初の米国案よりも非民主的で不透明であると思われる。それは全国民による直接選挙への対案として非常に貧弱なものであることは確かだ。人選に関する最終的な決定権は名目上は国連に与えられるが(具体的なプロセスについては未定である)、米国が強力な影響力を行使するだろう。米国はイラクに対する米国の中期および長期計画を妨げる可能性があるいかなるイラク人の選任も絶対に阻止するだろう。ブッシュの意向を受けたブラックウィルにとって、ブラヒミの活動をただ静観するには、あまりにも賭け金が大きすぎる。

 

入手できる情報から判断して、国連は米国に対して、米国がイラクを支配するためのテコとして確立しようとしている手段を放棄するよう求めていない。たとえ暫定政府が国連によって確立され、米国が完全に不介入を守ったとしても、14の軍事基地と13万人の米軍兵士に囲まれ、米国によって押し付けられた法律、政治、経済体制に拘束されている限りは、無力でしかない。

 

絶妙のタイミングで絶妙の失敗

 

最後に、もしも米国の計画に対する武装抵抗や組織された政治的反対のために、政治的移行が必要な正当性を与えられないとすれば、それを無害化しなければならないだろう。それも将来ではなく、今のうちにである。彼らを取り込めないとすれば、解体するしかない。これがまさに現在米国が、モクタダ・サドル氏と彼の支持者を追い詰めることによって目指していることだと思われる。その過程で始まった大衆の決起を、彼らは現在、容易に鎮静できない。

 

衝突を挑発してしまったのは、相次ぐ失敗の1つというよりは、意図的で、考え抜かれた戦略であった可能性もある。それは日々の軍事的な戦術という脈絡ではなく、もっと大きな政治的目的の脈絡の中で見ておくべきである。もしそれが失敗だったとすれば、それは絶妙のタイミングでの絶妙の失敗だった。

 

そのように考える1つの理由として、サドル氏を攻撃するという命令は最上層部で行なわれた。その後、敵が取るに足りない小さな勢力にすぎないと貶すのであれば、奇妙なことである。一連の命令の間に政策上の変更や断絶はない。「ワシントンポスト」は、この決定が国家安全保障会議および統合参謀本部の支持を得ていたと断定している。それはまたブッシュ政権の高官の支持も得ていた。

 

この時点でサドル氏を攻撃すれば反発を呼ぶということを、この決定を行なった者たちは知らなかったわけではない。国家安全保障会議および統合参謀本部での議論の内容に通じているある政府関係者によると「われわれがサドル氏に対する攻撃について現地と協議する時はいつも、暴力的な反発に対処するための十分な準備が必要であることを話していた」。統合参謀本部のリチャード・マイヤー本部長は、47日の記者向け発表で、米国がサドル氏を攻撃した時の結果についてはわかっていたと認めている。「この状況を引き起こしたのはわれわれの攻撃だった。われわれは彼の新聞社を閉鎖し、彼の側近の1人を追撃した。・・・それに対してある程度の反撃が起こることは予想できないことではなかった」。しかし、米国は、そのことの広範な影響を予想できなかった。それは今では、一連の問題に対する国際的な憤激として広がっている。

 

サドル氏と彼の民兵が、ブッシュが宣言したように、単なる「一握りの徒党」(AP、414日付)だったのなら、国家安全評議会はなぜ彼を、厳重に包囲しなければならないほどの脅威だとみなしたのだろうか。占領軍がその行動によって起こりうる結果を十分に知っていたのなら、なぜ全面対決を引き起こすような危険を冒したのだろうか。もし米国が本当に反撃に水を差すつもりだったのなら、なぜ、情勢が悪化している時に、サドル氏を逮捕するという脅しをかけることで反発の感情に火をつけたのだろうか。もし米国が本当に平穏な状態を回復するつもりだったのなら、なぜ、暴力がエスカレートしている時に、ファルージャに対する全面的な攻撃を仕掛け、2つの戦線で反乱に直面するという危険を冒したのか。彼らはモスクを爆撃し、ファルージャの住民600人以上を殺害し、他の都市でも数十人の住民を殺害した時、イラクの人々がじっとしている、あるいは称賛すると本当に考えていたのだろうか。

 

権力の移行まで100日足らずとなり、その数カ月後には米国大統領選挙が控えており、平穏と安定というイメージを描き出したい時に、米国にとって最も望ましくなかったことは、暴力的衝突の発生だっただろう。しかし、この状況に対応して何もしないということは、もっと危険であると思われた。連合国暫定当局の広報官のダン・セナーは「行動しない場合のリスクはどうなのか? 事態を直視せず、ただ面倒を避けるだけだった場合のリスクはどうなのか」と言い訳けをした。占領に反対する勢力が放置されるなら、彼らはますます強力になり、ますます大胆になり、最後には本当に米国の手に負えなくなるだろう。

線引き

 

ブッシュ自身が、サドル氏への攻撃は630日の権力移行に向けて避けられない措置だったと語っている(「ロイター」412日付)。セナーによると、「われわれは、暴力を使って政治的プロセスを失敗させ、自分たちの偏狭な利益を追求しようとしている明確な、(敢えて言えば)孤立した分子と闘うことに焦点を絞っている。われわれはそのような勢力と闘っているのであり、われわれはこのプロセスをイラク人に返したい。力よりも対話を好むイラク人にである」。

 

この作戦の使命は、米国に敵対するすべての勢力を今のうちに、つまり、彼らが後に問題を引き起こす前に一掃してしまうことにあるようだ。彼らが大衆を組織化し、隊列を強化するための時間を与えず、今、まだ準備ができていないうちに戦わざるをえないようにするいうことである。たとえば、サドル氏の側近は、当初は反撃するつもりはなかったと述べている。サドル氏の有力な支持者であるフアド・タルフィ氏は「われわれが蜂起のタイミングを選んだのではない。占領軍がそうしたのだ」と語っている。

 

実際、占領反対の感情は深く形成されているが、イラクの人々は一般的に、もう一度長期にわたる戦争を始める準備はできていない。彼ら・彼女らは世界唯一の超大国と長期的な戦争を構えるための物質的基盤も持っていないし、それを率いる広範に支持された政治的リーダーも、それを支える組織的な機構も持っていない。これは彼らが今後もそうであることを意味しない(特に、米国がその方向へ追いやる場合には、そうでなくなる可能性もある)。しかし、抵抗の行為はそれ自身の力学を伴う。それは30年間に及ぶ弾圧と分裂から立ち上がってきたが、米国と闘うさまざまな、相互の結びつきのない政治勢力の間でのコンセンサス(合意)はまだ形成されていないし、それは容易なことではないだろう。それにもかかわらず、統一戦線や政治的リーダーを形成するための努力は強化されるだろう。しかし、ある元大佐が言うように「私たちは、自分たちで設定したタイミングで米国と闘いたい」。この元大佐は90年代にフセイン体制に対する蜂起に参加したことがあり、現在は米国から独立した政治的プロセスを追求するための広範な連合を形成するために尽力している。

 

それこそが、米国が事前に封じ込めようとしているものである。彼らがまだ準備できていないうちに捕捉し、彼らに今のうちに弾丸を使わせ、手榴弾を投げさせ、迫撃砲に点火させ、後に何も残らないようにするという作戦である。セナーは次のように説明している。「今このような分子、このような者たち、このような組織に対処しておかなければ、後悔することになるだろう。なぜなら、これらの組織や民兵はいつか再び反乱を起こすからである。630日の後よりも、今対処しておく方がいい」(AP、411日付)。

 

目的は線引きをすることである。現在の蜂起は、イラクのさまざまな政治勢力に、最終的な帰趨が決まる前にどちらを選択するかを迫っている。一方で彼らは米国の力に逆らうことを望まないかも知れない。しかし、その一方で、彼らは後に抵抗運動が勝利した場合に正統性を完全に失ってしまうことも望まない。米国にとっては不幸なことに、抵抗運動の力量と広がりと自然発生性は、イラクの多くの人々が、歴史を変える大きな賭けにおいて、抵抗運動の側を支持しつつあることを示唆している。

 

「これは革命だ」

 

「米国とイラク統治評議会が理解できないことは、これが革命だということだ」とシェイク・アンワー・ハメッド氏は言う。彼はサドル・シティー出身のシーア派教徒だが、サドル氏の支持者ではない。彼はインタビューに答えて、次のように述べた。「みんなが参加しています。戦闘に参加できない人はお金を出します。お金を出せない人は薬を提供します。薬がない人は食べ物を提供します。食べ物がない人は献血します」。彼は、これがサドル氏だけのことではないと付け加えた。彼によると、抵抗運動には指揮系統もないし、組織機構もない。戦闘員の徴募の手続きもない。なぜなら、誰でも自分で闘うことによって運動に参加できるからだ。

 

「われわれは現在、戦闘態勢に入っている」とバグダッドの軍上級幹部の1人が認めている(「ニューヨークタィムズ」、411日付)。実際、米国は今、占領に対する最も重大な挑戦に直面している。「ロサンゼルスタイムズ」は、これがイラクでの第2戦争と呼ぶべき状況であり、必要な限り駐留するために、1日でも長く駐留する唯一の選択だと評している。第1戦争(フセインに対する戦争)は自ら選択できた戦争だった。これは独裁政権に大衆の支持がなかったため、容易な戦争だった。現在の戦争は必要に迫られた戦争だ。これは前回よりも難しい戦争になるだろう。なぜなら、今回はイラクの人々に対する戦争だからである。イラクの人々にとって、これは「解放のための戦争」(米国は常にそれを約束してきた)であるとも言えるかも知れない。





●イラク人独立議会を開催する国際的呼びかけ
 (2004年4月9日)

イラクの占領は2年目に突入した。イラク人の要求は日々、明らかになっている。占領の即時停止と、米国が関与しないすべてのイラク人が参加する自由選挙である。

現在の状況では、すべてのイラク人が占領軍の捕虜と化している。彼/彼女らは自由に会うことも集まることもできない。自らの将来を考える権利を否定されている。さらに、米国政府が提案している政治的暫定プロセスは、飼いならされた政権、すなわち、米国の利益と彼らの継続的なイラク駐留を受け入れる政権の樹立が意図されている。

我々、ここに署名する平和を求める活動家、宗教指導者、知識人、学者、著述家、ジャーナリスト、国会議員、労働組合活動家および市民は、占領のない権利、そして自らの歴史の歩みを自ら自由に決定できる権利がイラク人にあることを主張する。

我々は、すべてのイラク人が参加する、かつ占領軍の関与のない自由選挙の呼びかけを支持する。

我々は、2003年パリの欧州社会フォーラムおよび2004年ムンバイの世界社会フォーラム反戦会議で支持されたジャカルタ平和合意の呼びかけ、すなわち、イラク社会のあらゆるセクターが、今後のイラク国家のかたちについて自由に討論し、かつ提案できる、占領軍の関与がない緊急イラク人独立議会の開催呼びかけを支持する。これは新生イラクを作り上げるプロセスの始まりであり、かつ自由選挙、民主主義および主権を目指すきわめて重要な第一歩である。

この議会はイラクにおいて開催されなければならない。しかしながら、この可能性が占領軍によって否定されるなら、準備会議がイラク国外で召集されなければならない。

我々は、我々の支援と出席を通じて、そのような会議の完全無欠性と公開性を守るためのあらゆる努力を保証する。

我々は占領停止を要求し、かつ主権および自決権に関するイラク人の権利を支持する。


Aminata Dramane Traore, former government minister and social activist, Mali
Chalmers Johnson, writer, USA
Chandra Muzzafar, writer and activist, Malaysia
Christophe Aguiton, activist, France
Dennis Brutus, academic and activist, South Africa/USA
Dennis J. Kucinich (Representative), presidential candidate (Democrat), USA
Florence Carboni, linguist, Italy
Francis Houtart, intellectual and activist, Belgium
Gustavo Codas, trade unionist, Brazil
Hans von Sponek, former UN humanitarian coordinator in Iraq, Germany
Horacio Martins, Brasil
Immanuel Wallerstein, writer and activist, USA/France
James Petras, writer and activist, USA
Jeremy Corbyn, Member of Parliament, UK
Jorge Eduardo Saavedra Durao, activist, Brasil
Jose Maria Vigil, liberation theologist and writer, Panama
Kamal Chenoy, academic and activist, India
Mario Maestri, historian, Brasil
Marta Harnecker, writer, Chile
Miguel Alvarez Gandara, peace activist, Mexico
Miguel Urbano Rodrigues, writer, Portugal
Mike Marqusee, writer and activist, UK/USA
Naomi Klein, journalist and activist, Canada
Nawal El Saadawi, writer and activist, Egypt
Noam Chomsky, linguist and writer, USA
P.K.Murthy, All India Federation of Trade Unions, India
Pedro Casaldaliga (Bishop), religious leader, Brasil
Roni Gechtman, academic, Canada
Samir Amin, intellectual and activist, Egypt/Senegal
Samuel Ruiz, former Bishop of San Cristobal de los Casas, Chiapas, Mexico
Saul Landau, academic and activist, USA
Sergio Haddad, international secretary, ABONG, Brasil
Shivani, India
Susan George, writer and activist, France
Walden Bello, academic and activist, Philippines

ITALY
Alfio Nicotra, peace secretary, Rifondazione  Comunista
Luciano Muhlbauer, trade unionist, SinCobas, Italy
Fabio Alberti, peace activist, Bridge to Baghdad, Italy

ITALIAN SENATE
Sen. Luigi Malabarba (Rifondazione Comunista)
Sen. Nicodemo Filippelli (Udeur)
Sen. Daria Bonfietti (Democratici di Sinistra)
Sen. Stefano Boco (Verdi)
Sen. Angelo Flammia (Democratici di Sinistra)
Sen. Aleandro Longhi (Democratici di Sinistra)
Sen. Loredana De Petris (Verdi)
Sen. Antonio Rotondo (Democratici di Sinistra)
Sen. Angelo Flammia (Democratici di Sinistra)
Sen. Paolo Brutti (Democratici di Sinistra)
Sen. Antonio Falomi (Misto)
Sen. Natale Ripamonti (Verdi)
Sen. Elidio De Paoli (Lega Autonomia Lombarda)
Sen. Luigi Marino (Comunisti Italiani)
Sen. Tommaso Sodano (Rifondazione Comunista)
Sen. Alberto Maritati (Democratici di Sinistra)
Sen. Walter Vitali (Democratici di Sinistra)
Sen. Livio Togni (Rifondazione Comunista)

ITALIAN CHAMBER OF DEPUTIES
On. Fausto Bertinotti (Secretary General Rifondazione Comunista)
On. Franco Giordano (Rifondazione Comunista)
On. Ramon Mantovani (Rifondazione Comunista)
On. Giovanni Bellini (Democratici di Sinistra)
On. Paolo Cento (Verdi)
On. Elettra Deiana (Rifondazione Comunista)
On. Titti De Simone (Rifondazione Comunista)
On. Pietro Gasperoni (Democratici di Sinistra)
On. Luigi Giacco (Democratici di Sinistra)
On. Alfonso Gianni (Rifondazione Comunista)
On. Giovanna Grignaffini (Democratici di Sinistra)
On. Graziella Mascia (Rifondazione Comunista)
On. Giorgio Panattoni (Democratici di Sinistra)
On. Giuliano Pisapia (Rifondazione Comunista)
On. Gabriella Pistone (Comunisti Italiani)
On. Ruggero Ruggeri (La Margherita)
On. Giovanni Russo Spena (Rifondazione Comunista)
On. Tiziana Valpiana (Rifondazione Comunista)
On. Nichi Vendola (Rifondazione Comunista)

(to sign on to this statement, go to this link:
http://www.focusweb.org/int-call/



★☆国際社会に向けたイラク民衆との連帯の呼びかけ☆★

「私たちは、世界の人々が占領に反対して連帯の行動に立ち上がっていることに耳を傾ける必要がある」

占領は分断と混乱を生み出す。

私たちの国を占領している軍隊は、いまだに、彼らが目的としている安全も自由も反映ももたらしていない。それどころか、イラク民衆は失業、インフラの壊滅、貧困に引き続き喘いでいる。人権は侵害されている。ここでは、女性や子供たちが理由なしに逮捕されている。そして無実の市民が無作為に殺されている。米軍はイラクに破壊とテロリズムだけも持ち込んでいる。彼らは混乱、国の分断と非統合に着手した。
 
この30年以上もの間、イラク民衆は、最初は残虐な独裁者に、次に犯罪的な経済制裁に喘ぎ、そして、今は占領に喘いでいる。そして、その間、時代は違っても、独裁者を支援してきた同じ国や政府が、経済制裁を組織し、そして今、この国を占領している。

今こそ、私たちは自由と平和への道に戻るべきときである。今こそ、私たちの国は独立を回復すべきであり、イラク民衆が、強要や介入、支配を受けることなしに自由に自分たちの未来を決定できるときである。今こそ占領を終了すべきであり、米軍およびその同盟軍は去るべきである。

3月20日に世界的に行われるデモの目的は、私たちの自由と独立を支援することである。このデモは3月19日に予定されているイラクのデモに続けて行われる。3月19日には、あらゆる宗教と民族グループのイラク人たちが、占領を排除して、同じ権利を持って、一緒に生活していこうという意思を表明するためにともに行進を行う。

そして、今、イラク民衆は混沌の中で生活しているが、私たちは同時にパレスチナやチェチェンの兄弟姉妹たち、さらにすべての抑圧された人々たちのためにも行進する。私たちは、帝国主義、植民地主義、レイシズムの悪魔から解放された正義の世界にある自由なイラクを求める。

この平和行進は、イラクの戦争と占領の開始日における国際連帯行動への呼びかけでもある。私たちは皆さんの声を聞かなければならない。

私たちは、世界の人々が占領に反対して連帯行動に立ち上がっていることに耳を傾ける必要がある。

イラクの自由と独立のために
独裁政権はいらない!
テロリズムはいらない!
占領はいらない!

<賛同団体・個人(3月19日現在)>
 
Movement of the Panabic Current
Democrat Reform  Party
Imam  Al khalissy  University
Irak Our Home Gathering
Christian Democrat Party
Iraqi Turkmenian Movement
Gathering of tribes of Nynawah/Ahmed Ali Al Ali
United Labors Unions
Unity Forum
Tribes of Al Sadr City
Al Sheikh Zamal Finjan El Attawany
The Diwan assembly of the Al Sheik Jabar Hussein Al  Khazragy
Al Imam Sistani Bureau/ El Hurrayh/ El Sheikh Hassan Al Sudani
Al Shaid Al Sdr Bureau/Bagdad/ El Sheikh Safa Al Timmymy
The Islamic Bloc/ Sheikh Mohamed El Alosy
Muslim Oulema Comitee
Ayatollah El Sheikh Abd Alridha  Al Jazairi/ Bassorah
Liberation Party/ Dr Azzam
Nassyrien Socialist Party
United Islamic Movement
Ayatollah Sheikh Kassem Al Tai
Sheikh Moyed Al Athamy
Islamic Movement/ Akram Kassem
Sheikh Zoba Thiab El Irssam on behalf of Zobaa tribes
Sheikh Khaziraj Amr El Khaziraji on behalf of Khaziraj tribes
Sheikh!  Albu  Mohamed on behalf of Albu tribes
Sheikh Hashem Surrot
Sheikh Salah Farik al Faroon / Al fatla famillies
United Nassyrien Party/ Zaydan Khalaf
Ayatollah El Sayyed Ahmed El Hassani El Bagdadhi/ Najaf
Ibrahim El Moudharessi
Comitee of Religious Alim  of Iraq
Islamic Unity  Movement/ Abdel Satar Jabar Ayoub/ Bagdad
National Unity Movement/Dr Ahmed El kobeyssy/ Dr Abdelrazac El Hity
Between Two River  Assyrien  Party
Turkman People Party
Iraqi  National Democratic Current / khodr  al  azzawi

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