Subject: [Africa on Line 00000026] 第26号!

Mon, 22 Nov 1999 00:00:00 +0900


==========================================================
  ■■■■
 ■■■■■■■ AFRICA ON LINE
 ■■■■■■  アフリカ情報インターネットマガジン
   ■■■■  第26号 1999年11月22日発行
   ■■■   
==========================================================
□今回のもくじ
■アフリカからの話題
 ●内戦下の食糧援助の話 (後半)
■アフリカの紹介
 ●タンザニア建国期のエリートの物語?
     「Kichwa Maji」(E. Kezilahabi著)を読む(その1)
■アフリカ関連イベント
 ●全国ツアー
 ●北海道 
 ●関東・甲信越
 ●中部・東海
 ●関西
 ●海外
■今日のひとこと
-----------------------------------------------------------
■Realtime Africa アフリカからの話題
-----------------------------------------------------------
10月のある日、セネガルから一通の手紙が届きました。そこには国連で勤める
知人が、1999年1月の経験を書き綴った文章が同封されていました。そこから
は、戦時における国連の活動の様子が伝わってきます。本人の承諾を取り、日
本語に訳してみなさんにご紹介したいと思います。舞台となっているギニアビ
サウは西アフリカの一国で、1974年までポルトガルの植民地でした。(く)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
『内戦下の食糧援助の話 (後半)』
by Hiro Matsumura(ギニアビサウ世界食糧計画カントリーダイレクター)

 この時、私はビサウに駐在している唯一のUN機関の長でした。ほかのUN機関
の長はみな、セネガルのダカールに駐在してました。私はUN事務所の敷に戻り、
UNDPの事務官、FAOの現地オフィサー、UNFPAに勤める国連ボランティアたち、
UNOCHA緊急事担当オフィサー、そしてWFP緊急事担当オフィサーと早朝会合を
持ちました。UNOCHAのフェルナンド・ラローリと私以外、集まったメンバーの
ほとんどは、即時国外脱出を希望しました。われわれは意見をまとめることが
できなかったのですが、ダカールのUNコーディネーター代行兼セキュリティー
担当官の指示は、他のメンバーの意見を支持するものでした。私はUNコーディ
ネーター代行と話しました。「私は反対です。単に国を脱出するよりも、状況
をもっと検討しなければなりません。特に人道的支援に関するニーズについて。」
と伝えました。

 なぜなら、私の着任前、ギニアビサウでは、UNに対する不満が充満していた
のです。私自身、そのような不満を以前からいろいろ聞いていました。いくつ
かの大使館スタッフとNGOは内戦勃発後もビサウにとどまっていました。しか
しながら、人々が言うには、UNスタッフはいい給料をもらいながら、すぐに国
から脱出し二度と戻ってこない、そんな不満でした。

 しかし、私の予想とは逆に、また、私の賛同もなしに、UNコーディネーター
は、直接UNDP事務官に対してUNスタッフ全員のバファタ事務所とセネガル、ダ
カールへの避難を指示しました。この指示を受け、WFP緊急事担当オフィサー
を含む100人以上のスタッフ(外国人スタッフとしてはUN機関のコンサルタン
トのほとんど、そして現地スタッフ)が、同じ日の午後2時ごろビサウを離れ
ました。

 結局、ほんのわずかのUNスタッフだけがビサウに残りました。UNOCHAのフェ
ルナンドと、国連ボランティア医師のフリオ・リスケット、UNICEFのジョアンゥ
と現地オフィサー、UNDPに勤務する国連ボランティア、WFP事務補佐官、そし
てWFPのドライバーでした。他のスタッフが国を離れた後、残ったスタッフは
WFP事務所に集まりました。そうするうちにも、WFP事務所の入り口には、NGO
を含むたくさんの人々が集まり列を作っていました。緊急食糧援助を訴えなが
ら。リスケット医師は、中央病院に行ったのですが、戻ってから、負傷者がた
くさんいたと教えてくれました。

 UNに関する批判と人道的援助の必要性を考えて、UNの良くないイメージを回
復するために、我々スタッフ全員が滞在中は人道的支援を行うこと決めました。
決定後、私自身はドライバーと共に、ラダ・バルネン子どもセンターでの配給
のために、米、サラダ油などを取りにWFPの倉庫に行きました。聞いたところ
によると、今回の内戦で、100人以上の子どもたちが親たちと一緒にそのセン
ターには保護されているとのことでした。われわれは、午後6時頃、127人の
子どもたちに対して2週間分の食料を配給しました。そのあいだ、事務所上空
や周辺での爆撃はどんどん激しくなってきていました。もう事務所から出るこ
とはできませんでした。状況が非常に危険になったので、残っているスタッフ
は全員が一緒に、その日は、WFP事務所で眠ることにしました。私はみんなの
ために自分の折たたみ式ベッドを家から持ってきました。戦闘が続く夜、われ
われは床に就いたのです。

 2月1日は、午前中フェルナンドと一緒に状況把握のために中央病院に行き
ました。ひどい状態でした。病院のキッチン用倉庫のある地下には、闘いから
逃れてきた人たち(国内棄民)がたくさん、恐怖におびえ悲しげな表情で隠れ
ていました。われわれが病院から戻ると、ダカールのUNコーディネーター代行
から衛星電話に連絡が入りました。即時脱出を繰り返すものでした。特に、わ
れわれの事務補佐官がセネガル国籍を持っていたので、彼が攻撃の標的となる
のではないかと懸念しました。それで、リスケット医師と事務補佐官は、われ
われのドライバーと昼頃、バファタに向けて出発しました。こうして、事務所
には3人のみが残りました。フェルナンド、ジョアンゥ、そして私でした。
UNDPの国連ボランティアはUN事務所の敷地内に残っていました。
 午後は、フェルナンドと一緒にWFPの倉庫に戻って、病院にいる戦闘から逃
げてきた人々と患者さんたち用に、前日と同じ物を700人分積み込みました。
病院への往路、距離は4kmもないのですが、爆撃をよけるために10回も急ブレー
キをかけなければなりませんでした。恐ろしい経験でしたが、なんとか病院ま
で物資を届けました。われわれは続けて、UNビルや子ども人権協会、ブラジル
大使館などにいる国内棄民に対しても同様に物資を届けました。UNビルはしっ
かりした建物なので、2月2日からは、WFP事務所ではなくUNビルで眠りまし
た。

 2月3日、同じ作業を続け、1万人弱の人々に食料を配布しました。そうす
る間に、またUNダカール事務所を通して、WFPローマ本部と国連ニューヨーク
事務局から強い指示がきました。しかしながら、この時、われわれにとってビ
サウを離れることは難しいことでした。前線では戦闘がさらに激化していたか
らです。午後に、われわれは、ECOMOGの兵士に保護してもらい一緒に退去する
ことをスウェーデン大使館スタッフと話し合いました。ECOMOGの兵士にも要請
をしました。われわれは翌日午前8時に、スウェーデン大使館敷地から始めて、
ビサウを離れることにしました。また、私はUNICEFのジョアンゥと話し、在庫
と使用管理などの仕方を説明し、WFPの倉庫の管理を依頼しました。私は彼に
WFP倉庫のカギを渡しました。ジョアンゥは、ギニアビサウ人で、家族を守る
ためにビサウに残ったのです。

 2月4日午前11時、ECOMOGのGOサインを長く待った後、フェルナンドと私は、
スウェーデン大使館スタッフとスウェーデン国籍の人々と一緒に、計8台の車
両(前と後ろがECOMOG兵士の警備車両、4台はスウェーデン人用、そして2台
がわれわれ用)でビサウをあとにしました。Hottiホテル近くの最も戦闘
が激しい場所に近づいて、先頭を行くECOMOGの車両が突然止まり、残り7台も
停車しました。道を挟んで激しい銃撃戦が繰り広げられていたのです。しばら
くの停車の後、ECOMOGはわれわれの車両のスピードを上げるようにとすばやく
指示しました。われわれは全員が同時にその場を走り抜けました。そして、午
後4時ごろビサウから160km離れたバファタに到着しました。到着はしたので
すが、宿泊スペースが限られていたので、私はスウェーデン大使館のスタッフ
2人と相部屋になりました。そして、真夜中、私は非常に大きな「ブンブン」
という音で目を覚ましました。バファタでもまた爆撃が始まったのではと心配
しました。電気が来てない部屋で、暗闇の中を見回しました。しばらくして、
私はやっと、その音がスウェーデン人スタッフのいびきだと気づきました。ビ
サウでショックを受けていたのでしょう。また戦闘が始まったと思ってしまっ
たのです。

 バファタ滞在中、私はビサウに残ったジョアンゥと、そして、ギニアビサウ
の首相と連絡を取りつづけました。そして、状況が落着いてきたので、フェル
ナンドと、2月9日、ビサウに戻りました。

 それからは、ギニアビサウへの食糧援助を管理するためにビサウに滞在をし
ていました。私はこれまで18年間、他のアフリカ諸国で働いてきました。が、
しかし、ビサウでの生活、勤務条件は最悪でした。電気も水道も無く、電話も
使えません。大部分の経験あるWFP現地スタッフは昨年6月に国外に脱出して
しまいました。誰一人戻ってきていません。新しく雇ったスタッフはわずかの
経験しかなく、能力にも疑問がありました。たとえば、新しく雇った秘書は生
まれてからファックス機を見たことがありませんでした。これがビサウでのス
タッフレベルでした。政府のサポートもありません。毎日が悪夢のようでした。
この話を書いていている今、事務所の電話は2週間前からずっと使用できませ
ん。電話補修サービスがなく、修理できるスタッフもいないためです。加えて、
なにもかもが非常に高いのです。

 私は今年8月に日本に帰国休暇をしました。その時に友人の家にランチに招
かれました。妻と一緒に電車で出掛けたのですが、新宿駅に着いて私は、あま
りの人の多さに気を失ってしまったのです。

 私は東京で医者のところへ連れて行かれました。検査ではどこも悪いところ
がありませんでした。結局、「精神的なストレス」が原因だとの診断でした。
まるで「ブッシュマン」のような話です。長い間電気も水も無かった暗闇での
暮らしから、人でごった返した東京にやって来た、それが理由だったのです。

 大事なことを言い忘れました。内戦中に私は飼い犬を失くしました。彼はい
つでも一緒にいてくれました。とても悲しい出来事でした。家にあった電気機
器もだめになりました。電圧のせいです。電気が来る時には、電圧が220ボル
トから300ボルトと変動して、ゼロにまで下がったりしました。変圧器も焼け
てしまいました。もう、もとには戻りません。ビサウは今でも家族を連れてい
けない勤務地です。結婚して22年になりますが、これまで別々に暮らしたこと
はありませんでした。ビサウでは、夜9時か10時に家に戻って、家のドアを開
けてもだれも待っていてはくれないのです。あるのは暗闇だけです。我々の食
糧援助はそれを必要とする人々に役にたってはいるのですが、私自身はとても
みすぼらしく感じます。ギニアビサウでの生活が元に戻るには、まだまだ時間
がかかります。                    (おわり)

-----------------------------------------------------------
■Africa a la carte アフリカの紹介
-----------------------------------------------------------
●タンザニア建国期のエリートの物語?
      「Kichwa Maji」(E. Kezilahabi著)を読む(その1)
                         by斉藤 龍一郎

 20年前、タンザニアで2年を過ごした友人がタンザニアから持ち帰った本
の一冊「Kichwa Maji」(頭の水)をやっと読み終わった。毎週木曜日、友
人と続けているスワヒリ語学習会で読んできた。スワヒリ語で書かれたペー
パーバックで220ページに満たない小さな本を読むのに、2年間くらいかかっ
てしまった。
 毎週木曜日と言ってもけっこう休みが入ったことも大きいが、辞書の問題、
そしてタンザニアの社会の仕組み・生活のあり方がすっと入ってこなかった
ことが、時間がかかった第一の要因だろう。説明してくれる友人に、同じこ
とを何度も聞いた覚えがある。
 友人がタンザニアにいた頃、同じ著者の「Rosa Mistika」という小説を下
宿先の主婦がおもしろそうに読んでいるのを見て、この著者の本を2冊買っ
てきたのだそうだ。著者は、ダルエスサラーム大学でスワヒリ語を教えてい
る人だと、本の裏表紙の著者紹介にあった。

 話は、ダルエスサラーム大学の学生であるカジモトが郡長(Mkuu wa
Wilaya)の事務所を訪れて、郡長となった幼なじみのマナセと再開するとこ
ろから始まる。
 マナセとカジモトは同世代だが、カジモトが9学年に進級する前に結核で
休学し、結核が治ってからも復学するまで時間がかかったので、マナセはす
でにマケレレ大学を卒業して内務省の役人になり郡長を務めている。
 郡長事務所の待合室で、カジモトはもう一人懐かしい人の顔を見る。6年
生の時、ラブレターをくれたヴミリアである。ヴミリアはマナセに会うため
にやっている、と思ったカジモトはヴミリアには声をかけなかった。
 カジモトが郡長事務所を訪ねたのは学校講師の仕事を求めてのことだった。
そしてたまたま郡長がマナセだった。
 数年前までは手紙のやり取りなどもあった二人の関係は、マナセの住む家
に下宿したカジモトの妹が妊娠したことで、絶交状態になっていた。
 そのことを正面切って話題にすることもできず、カジモトは仕事の話を済
ませた後、部屋を出る前に立ち話で、幼なじみ・隣人同士としての消息のや
り取りをしただけだった。
 部屋を出て待合室を通ると、まだ人がいた。この女性がカジモトに「私の
こと覚えていますか?」と声をかけてきた。以前、カジモトが教えた学校の
生徒だったサリマで、彼女はマナセと付き合っていた。

 第一章のマナセの事務所をカジモトが訪ねる場面に、カジモト、マナセ、
ヴミリア、サリマそしてピリと、この小説の主要登場人物たちの大半が登場
する。カジモトはこの時学生で、マナセは大学卒の役人、ヴミリアはカジモ
ト・マナセの出身地の村に住み、サリマはマナセと付き合っている、ピリは
売春をして生活していて、マナセとも何度かベッドを共にしている。
 郡長の事務所を出て宿を取ったカジモトは、宿の食堂でピリに声をかけら
れ、その夜ベッドを共にする。

 次の章で場面は、カジモトの故郷の村に移る。夏休みで、カジモトが帰郷
したのだった。
 ヴィクトリア湖にある小島にある村へは汽船で帰っていく。村へ帰ってみ
ると、マナセの子どもをはらんだ妹が帰ってきている実家は、暗い雰囲気が
漂っている。家の中では、おかしな出来事が続いているとも言う。何者かが
忍び込んで呪いをかけているらしいのだ。しかも、妹は出産がうまくいかず
おなかの子どもともども死んでしまう。  (次号につづく)
------------------------------------------------------------
■Event Guide アフリカ関連イベント
------------------------------------------------------------
●全国ツアー
○アフリカの音楽『魂の鼓動』
タンザニアのイリンバ奏者・ザウォセおよびチビテグループ日本公演!

■沖縄
日時:11月23日(祝)未定(近日中に決定)
会場:具志川市民芸術劇場
料金:未定(近日中に決定)
主催者・問合せ:具志川市民芸術劇場:098-973-4400
    
■愛知
日時:12月17日(日)18:30〜
会場:味岡市民センター
料金:大人2,500円 中学生以下500円
主催者・問合せ:小牧市教育委員会

*招聘元は(株)笑う猫:0422-56-2329
公演に関しては直接それぞれの公演主催者にお問い合わせください。
*ザウォセとは?イリンバとは?については下記のURLをご参照ください。
http://member.nifty.ne.jp/ANAKAJIMA/zawo1.htm
(中島明夫さんの紹介)

●北海道
○さっぽろ自由学校「遊」  アフリカ講座のご案内  (転載歓迎)
アフリカを知る、アフリカを感じる
・1999年10月14日開講 隔週木曜19:00〜21:00 全5回
・会場 さっぽろ自由学校「遊」
・受講料6,000円(学生5,000円)*会員のみ単発参加可 
 アフリカ、…この響きを皆さんはどのように感じるでしょうか?
 この言葉を一面的にしか捉えていなくはないでしょうか。
この講座では、そんなアフリカについて、さまざまな角度から
掘り下げていきます。私たちのまだまだ知らないアフリカの
魅力と可能性について、一緒に探し考えていきませんか?

11月25日(木)
アフリカの開発を巡る状況
●森川 純(もりかわ じゅん)
 1949年、石川県金沢市生まれ。明治大学卒業後、デンマ―ク、
ナイジェリアに学ぶ。1998年から酪農学園大学環境システム学部勤務。
専攻は国際政治学、アフリカ論、日本−第三世界関係論、日本外交論。
主要著作:JUN MORIKAWA, Japan and Africa - Big Business and
Diplomacy -. HURST, LONDON, 1997. 森川純『南アフリカと日本−
関係の歴史・構造・課題−』同文舘,1988.
森川純「日本のODA外交のイリュ−ジョン」太田一男編『国家を超える
視角』法律文化社,1998.

 アフリカやアフリカの開発を巡る知的状況を再検討する事は、アフリカに
対する主要な援助供与国であり、1993年と1998年にアフリカ開発支援の為の
大規模国際会議、アフリカ開発会議(TICAD)を開催し、さらにはNGOの役割
に対する期待が高まっている日本(社会)にとって現実的な意味合いを持つの
ではないだろうか。

12月9日(木)
アフリカンドラム“ジンベ”がひらく世界
●いいだ ともき
 80年代末、西アフリカのタイコ“ジンベ”の生演奏によるアフリカン
ダンス・ワークショップに出会い、ダンス&ジンベを学び始める。95年
Uターン以来、道内各地でジンベの講座を開催し、音とリズムの魅力を
伝える。

 ジンベとの出会いから活動のこと、ジンベを通して知ったアフリカの
豊かな生活文化、ジンベを通して広がり深まった人とのつながり、世界的
に広まる時代背景や問題点等を話し、実際にジンベの演奏を体験してもらう。

問合せ:さっぽろ自由学校
メールアドレスまで。
SODECCホームページ:


○「サイディア・フラハ」荒川勝巳・大阪帰国報告会
 「ケニアの子どもたち」
ケニアでスラムの子どもたちのためのNGO をスタートして、もう早や8年目。
今年も、コーディネーターの荒川勝巳が一時帰国しています。
今回は、ビデオ作家の中村賢二郎さんが現地「サイディア・フラハ」を
'99年1月から9月まで追いかけたビデオ(25分)を紹介しながら、
「ケニアの子どもたち」を報告します。
ギャラリーでは、子どもたちの描いた色鮮やかな絵の展示も行います。
「ケニアの子どもたち」
日時:12月5日(日)18:30〜20:30
場所:「クレオ大阪西」2F 会議室
         大阪市此花区西九条6-1-20 
     TEL:06-6460-7800
         JR環状線・阪神西大阪線「西九条」駅下車、徒歩3分   
参加費:500円
「子どもたちの絵の展示」
日時:12月5日(日)10:00〜21:00(無料)
場所:「クレオ大阪西」1F ギャラリー

問い合わせ:TEL 06-6419-5008  FAX 06-6419-5006(山脇かつこ)
        E-Mail   kat@mix.or.jp 
「サイディア・フラハを支える会」
 kokikoki@mx5.nisiq.net
 http://member.nifty.ne.jp/n-hiroki
(横山こうきさんの紹介)

○京都大学アフリカ地域研究資料センター第20回シンポジウム 
日時:12月10日(金)10:00〜17:30
場所:京大会館 210号室
    京都市左京区吉田河原町15-9 TEL:075-751-8311
テーマ:「アフリカにおける環境の利用と保全−
               新たな環境観の地平を求めて−」
プログラム
●センター長のあいさつ(10:00-10:10)
●「環境倫理における「暮らし」の視点
  −環境の「保全」と「利用」の二分法を越えて−」
   鬼頭秀一(東京農工大学)                   (10:10-10:50)
●「所有論からみた環境の利用と保全
    −生活環境主義の立場から日本とアフリカをみる−」
  嘉田由紀子(琵琶湖博物館)       (11:00-11:40)
●休    憩
●「森林環境利用の動態と国家・民族・世代間関係
    −エチオピア南西部、焼畑農耕地域の事例から−」
  佐藤廉也(京都大学)                         (13:00-13:40)
  コメント
  池谷和信(国立民族学博物館)      (13:40-13:50)
●「精霊の森に暮らす我らが祖先/チンパンジー
   −ギニア・ボッソウ村の在来価値観と野生生物保全-」  
     山越 言(京都大学)             (14:00-14:40)
  コメント
  三谷雅純(兵庫県人と自然の博物館)  (14:40-14:50)
●休  憩 
●「イコマの人びとの野生動物利用
       −セレンゲティ国立公園は近くて遠いのか−」   
    岩井雪乃(京都大学)                    (15:10-15:50)
  コメント
  小林聡史(釧路公立大学)    
●総合討論                   (16:10-17:30)
●懇親会                     (17:30-)
  (於 京大会館1階SR室:会費、一般3,000円、学生院生2,500円)
*懇親会の参加申込みは11月30日(火)まで

なお、このシンポジウムはASAFAS-COEアフリカクラスターの
シンポジウムも兼ねています。
シンポジウムに関するお問い合わせは:
京都大学アフリカ地域研究資料センター 山越 言
TEL:075-753-7394・FAX:075-753-7820
e-mail:yamakoshi@jambo.africa.kyoto-u.ac.jp(山越)
御出欠席連絡先:
京都大学アフリカ地域研究資料センター、立川みお
Tel. 075-753-7821  Fax.075-753-7810
e-mail:  tachikawa@jambo.africa.kyoto-u.ac.jp

*****************第20回シンポジウム*****************

   シンポジウムに     御出席         御欠席
   懇親会に           御出席       御欠席    

   お名前
   御住所 
   御所属

●海外
○African Dance&Drum Workshop in GUINEA!!
アフリカンダンス&ドラム ワークショップ イン ギニア
AMARA・KAMARA(アマラ・カマラ主催)
ギニア共和国にてダンスとドラムのワークショップを企画しました。このワー
クショップはアマラさんの生まれた「マタム」という町で、素晴らしい音楽・
ダンス・文化などにふれていただくものです。現地では年末年始にかけてイス
ラム教の行事「ラマダン」が一ヶ月かけて行われます。ラマダン後半の二週間
はいろいろな催しが有り、その時期には海外在住の人達が沢山帰ってくるので、
町全体がエキサイティング!!この時期に合わせてワークショップを開催しま
す。観光やバレエアフリカ/バレエジョリバのリハーサル見学ミニパーティー
なども予定しています。

日程:1999年12月29日(水)成田発
                    30日(木)ギニア・コナクリ着
        2000年 1月13日(水)ギニア・コナクリ発
                    15日(木)成田着

*ワークショップ講師・・・『セクバ・カマラ』
  ギニア・バレエナショナル/コレオグラフィー・ステージディレクター

*参加費・・・¥400,000(交通費・宿泊費・食事・ワークショップ費 含む)
*申し込み先&お問い合わせ先
  アマラ・カマラAFRICAN ART EXPRESSION
  〒203-0044 東京都東久留米市柳窪3-2-53 403
  tel&fax 0424-70-8265 携帯:090-8106-1240

もう少し詳しい情報は  http://www.alles.or.jp/~moumba/  をご覧ください
(Djembe叩き&Kora弾きの寺崎卓也さんの紹介)
 
○International in SENEGAL 2000 Workshop Tour
 AFRICAN Drum & Dance のお知らせ
 西アフリカセネガルで受けるジェンベ・サバール&セネガルダンス
ワークショップです。
詳しくは第11号参照(http://www.jca.apc.org/~ryosaito/aol0011.html)
日程:2000年1月13日〜30日(18日間) 
料金:435,000円  
インストラクターはセネガルの実力派グループMAMA AFRICAの
パーカッショニスト アリュン他DIOUF兄弟達。
お問合せ・お申し込み:『MAMA AFRICA日本事務局 デュゥフ』まで
(日本語・英語・仏語 O.K.)
TEL/FAX:092-881-3854 E-MAIL:am-diouf@xc4.so-net.ne.jp

○キリマンジャロ植林ワークキャンプ2000―参加者募集!!―
 キリマンジャロ山麓は、周辺のサバンナ地域に比べると雨量が多く、もとも
とは森林が生い茂れた所です。農作物の栽培も比較的容易で、森林の中に果樹、
バナナ、コーヒー、芋類などを混植して生産活動を行うアグロフォレストリー
を形成してきました。しかし、この恵まれた状況が災いして人口が集中し過ぎ、
薪炭利用、農地転換、建材利用などで森林が過度に利用されてしまいました。
その結果、土壌浸食、作物の不出来など様々な弊害が生じるようになりました。
 このうような状況の中、危機感を感じた村人は、自分たちの意志で苗木栽培、
植林に取り組むようになりました。タンザニア・ポレポレクラブでは村人によ
る村落植林の側面支援を行っています。私たちのスタンスは大きく分けて以下
の3つです。
(1) 村落植林の支援
●村人による苗木栽培、植林を資金的、技術的に支援
(2) 村落植林の自立支援
●苗木販売、養蜂、養魚池など地域内の資源を活用することにより資金を創
出し、それをもって村落植林を継続していく仕組みづくり
(3) 村落植林の地域展開の支援
● 村落植林を継続していけるグループを、他の地域へ広げる

 キリマンジャロ植林ワークキャンプを現地の人々は励みとしてくれています。
ホームステイなどをして、村人の生活や文化を肌で感じながらキリマンジャロ
山麓で植林をしてみませんか。
  募集チラシ、パンフレットあります。ご請求ください。

【日    程】  2000年2月10日(木)〜3月1日(水)
【参 加 費】  32万円
*タンザニア・ポレポレクラブのメンバーでない方は、年会費1万円が別途
必要
*学生の方は分割払いも可能ですので、お問い合わせ下さい。
【募集人員】  10〜21名
【日    程】
*事前準備会を3回予定しています。
2月10日(木)成田発(AI利用)〜ボンベイ      【ムンバイ泊】
2月11日(金)ムンバイ発(AI利用)〜ダルエスサラーム【DAR泊】
2月12日(土)ダルエスサラーム〜モシ        【モシ泊】
2月13日(日)モシで終日自由行動          【モシ泊】
2月14日(月)キリマンジャロ山麓テマ村オリモ移動【村内共同泊】
2月15日(火)終日植林                 【村内共同泊】
2月16日(水)終日植林                 【村内共同泊】
2月17日(木)終日植林                 【村内共同泊】
2月18日(金)終日植林                 【村内共同泊】
2月19日(土)ミーティング他               【ホームステイ】
2月20日(日)お休み、自由行動             【ホームステイ】
2月21日(月)終日植林                 【村内共同泊】
2月22日(火)終日植林                 【村内共同泊】
2月23日(水)テマ村オリモからモシへ移動     【モシ泊】
2月24日(木)モシ〜ダルエスサラーム        【DAR泊】
2月25日(金)ダルエスサラーム〜ザンジバル島・東海岸 【ZAN東海岸泊】
2月26日(土)ザンジバル島・ストーンタウン他     【ZAN迷路街泊】
2月27日(日)ザンジバル島〜ダルエスサラーム    【DAR泊】
2月28日(月)ダルエスサラーム発(AI利用)       【機内泊】
2月29日(火)ムンバイ・トランジット                          【機内泊】
3月 1日(水)朝、成田着

【応募締切】  12月18日(土)(但し、先着順で人数に達し次第締め切ります)
【お問合せ】  タンザニア・ポレポレクラブ
            e-mail:JBG03644@nifty.ne.jp  (中島)
            TEL 090-1838-5805    FAX 03-3407-7945  (藤沢)
------------------------------------------------------------
■今日のひとこと
マガジンが届く頃には上野発青森行きの夜行列車の中にいるはず?(Mao)
------[情報募集]-------------------------------------------
    あなたの身近なアフリカイベント情報募集しています!
掲載に必要な項目は、
イベント名称、日時、場所(住所よければ電話・FAX最寄駅等も)、参加費、
主催、問合せ連絡先(Tel、Fax、あればe-mail)
(紹介される方へのお願い)
*イベント主催者への情報確認、あるいは問い合わせの際に、紹介された方
のお名前が必要です。お名前・連絡先をお忘れなく。
*特にお断りがなければ、イベント紹介者も紙面に載せます。
よろしくお願いします。
○投稿先:mao-pole@bd5.so-net.ne.jp(奥田)
==========================================================
AFRICA ON LINEはAJF会員有志を中心に編集・発行しています。
◆感想・投稿はmao-pole@bd5.so-net.ne.jp(担当:奥田麻緒)まで
◆アフリカ日本協議会(AJF)
      http://www5a.biglobe.ne.jp/~AJF
◆発行システム:インターネットの本屋さん『まぐまぐ』
      http://www.mag2.com/
◆マガジンID:0000013255
◆当メール・マガジンの登録・解除は
 http://www.jca.apc.org/~ryosaito/aol-intro.htmlまで
 上記URLにてバックナンバー公開中!
【転載・引用される場合は連絡をください】
==========================================Africa on Line======

最近のバックナンバー 第20号  第21号  第22号  第23号  第24号  第25号 
もっとアフリカ(目次のページ)