奥州街道+鎌倉街道をあるく会/会報221号より
会報221号●1998.10.10発行
古代東海道の駅路を歩こう 3 !
(丸子→→小田中→→野川→→荏田)
- 企画
- 古代東海道の駅路を歩こう 3 !/丸子→→小田中→→野川→→荏田
- 日時
- 1998.10/25(日) 13時〜17時頃
- 集合
- 東急東横線新丸子駅 改札付近(渋谷より各停17分)
- コース
- 丸子→小田中(小高駅)→野川→中川→荏田(歩行約8.5KM)
- 途中 大戸神社〜山崎 はバス利用予定
- その他
- ■コースは概ねの予定です。当日変更することがあります。
■雨天の場合は中止します。当日、主催者または定点で確認して
下さい。
- 今回主催
- 片桐拓朗(Tel■:044-955-0425)
- NTT伝言ダイヤル#8301にて当日利用可能な移動電話の番号を
お知らせします。(連絡番号03-910-6437#,暗証番号#7786)
今後の予定 11月15日
または古代東海道の駅路を歩こう 4!(川崎・横浜の古代官道)
- 活動主旨
- 【古東海道/武蔵〜相模について】
奈良・平安時代には、都から全国に向けて官道が整備された。約16KM
ごとに駅家が置かれ、ほぼ一直線の最短経路で国府を結んでいた。この
うち、古代東海道は、都から海沿いに関東に至る道であり、その中期後
期には足柄峠を越えて相模国に入り、武蔵、下総を経て常陸国府(石岡)
へのびていた。
この時代、相模国においては、2回ほど国府の移転が行われており、
相模国府は中期には箕輪、後期には大磯町国府本郷であったとされる。
古東海道のルートは、初期には相模→走水→上総→下総→常陸であった
が、その後の変遷により、武蔵国を通るルートが形成された。今回は、
後期のルートとされる、
国府本郷−−箕輪−−浜田−−店屋−−小高−−丸子−−大井
について、東側よりスタートする。
このルートは、丸子〜小高にかけては中原往還と重複し、
また荏田〜店屋〜浜田は矢倉沢往還とほぼ重複するルートとなる。
- ◆ホームページの開設について◆
- ようやく「あるく会」のホームページらしきものができました。
当面、次回活動のお知らせなどを載せていますが、これからの
発展を楽しみしてください。
http://www.jca.ax.apc.org/~onochan/arukukai/
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