ユーゴ人道介入の口実「虐殺」デッチ上げ(その13)

ユーゴ戦争:報道批判特集《特別緊急連載》

森は疎か木も見ぬ風評報道の代表:朝日新聞

1999.10.1

 ユーゴ戦争も、当然、戦争一般に属するが、わが自称名探偵の位置付けとしては、国家または諸国家連合の一種による集団的な犯罪行為であり、その実態調査に当たっては、やはり当然のこととして、犯罪一般の調査、捜査の基本を踏まなければならない。別に英語が日本語よりも優れているとは思わないが、概念を確かめるべく参考のために記すと、英語の捜査にはcriminal investigationも使われるが、これは日本語でも犯罪捜査というし、調査も捜査もinvesitigationで通ずる。

 犯罪の捜査には、現場検証、証拠品収集、検死、事件関係者の背景の洗い出しに始まり、動機は、怨恨か金品狙いか、はたまた隠れた政治的または経済的利益か、などなどの事件の全容を再現する論理的追及が欠かせない。予断と偏見は禁物である。物的証拠なしの思い込み捜査は、もっとも危険な冤罪デッチ上げに陥る可能性大であるから、心して慎まなければならない。

 巨大な政治犯罪としての近代戦争の場合、特に重要なのは経済的動機である。必ず出現する口実、美名には、絶対に惑わされてはならない。すでに本連載で紹介すみの最大の動機としての「カスピ海石油」争奪を抜きにして、ユーゴ戦争の全容を語り得るなどと称する者は、白痴でなければ詐欺師である。

 ところが、戦争も政治の一部であるだけに、権力に弱い大手メディア、または、自らも権力支配機構の根幹と化している大手メディアでは、日頃も口だけの調査報道の掛け声はどこへやら、車の急ブレーキ、バックギアのごとく、ドドッと後退し、まずは政治的位置付けのお伺いが先に立つ。結果として、大手メディア報道は、詐欺行為に堕する。

 ユーゴで学び、ユーゴの自主管理経済研究を専門とし、今回のユーゴ戦争中にもユーゴ入りしてきた千葉大学教授、岩田昌征(まさゆき)については、本誌で何度か取り上げてきた。個人的にも何度か、この件で会話をした。岩田の場合には、従来からの関心が、そのような学問的な経過からしてユーゴの周辺に限られおり、本人もそのことを自覚、自認しているので、カスピ海石油にふれなくても非難はしない。

 岩田は、『情況』(1999.7)に、「ユーゴスラヴィア空爆とミロシェヴィッチの事実~NATOは何を狙っているのか」を寄稿しており、その中で、「ユーゴ空爆」についての「世論」を2つに分類してる。1つは、歴史的には「アンチユーゴ」だったローマ法王庁の場合だが、「今日、ユーゴ空爆に反対の立場をとっている」。その次が実に興味深い。

「もう一方の世論は、空爆に矛盾を感じながらも理解を示そうとする批判的知識人の立場です。一番典型的なのが『朝日新聞』4月16日の『ペストかコレラか』と言う社説です。」

 この岩田の文章を見て、その社説を図書館でコピーしてきた。いやはや、改めて驚いた。まともに論ずるのも阿呆臭くなる程度の駄文だった。

「社説」を書くのは「論説委員」という肩書きのベテラン記者ということになっている。ところが、この某論説委員は、自分では何も調べずに、現場取材は疎か、資料調査すら全くせずに、「コソボ地区のアルバニア系住民が過酷な弾圧を受けている」と断言している。その前提、つまりはセルビア悪魔説に立ちつつ、自らは「平和も人道も望む一員として」と称し、ハムレットの下手な真似か、「空爆は是か否か」と悩んでみせたりするのである。

 机上の空論という表現もあるが、「安楽椅子探偵」の悪口もあるシャーロック・ホームズでさえも、それなりに物的証拠を吟味している。この社説の中には、裏づけのある物的証拠も、資料吟味の様子も、全く見えない。しかし、これなら体制への反逆にはならないから、大手メディアの秩序の中では、許されてしまうのである。

 悲しいことには、一般の読者、それも朝日新聞の場合、その多くは「心情左翼」のほとんどは、様々な方法による宣伝の効果を受け続けているため、天下の朝日新聞ならば国際情報を十二分に収集した上で「社説」を発表していると、思い込んでいるのである。

 実際には、この某論説委員が「昨年の春から空爆直前の1年間」と記す期間、朝日新聞社は、ユーゴスラヴィアの現地に記者を一人たりとも送っていない。「空爆」中も、しかりである。すべては、いわゆる「西側報道」と称する欧米発、本質はプロパガンダに基づく知識だけの、つまりは、一方的な風評だけの机上の切り貼り作業でしかない。そのお粗末記事が、朝日新聞の場合には、なまじ、いわゆる「心情左翼風」の用語をちりばめているだけに、かえって危険性を増す。

 上記の時期、「昨年の春から空爆直前の1年間」の内、「NATOが空爆のための臨戦体制を整える」時期の「直前に9月のコソボ各地を取材で歩いた」日本人がいる。フリーランスの加藤健二郎(軍事ジャーナリスト)である。彼とは、新宿情報発信基地ことディベイト酒場「ロフトプラスワン」で何度か会った仲だが、1998年11月号の『フォーサイト』に「欧米メディアが伝えない『コソボの真実』」を寄稿している。その内から、上記の朝日新聞「社説」とは全く相反する部分のみを紹介しておこう。

「[前略]9月中旬に、コソボ西部の川の中からはセルビア人の虐殺死体も44体発見されているのである。私がコソボに滞在していた時には、これが最も注目されたニュースだった。だが、このニュースは外国のメディアには取り上げられていない。さらに、その数日後には、セルビア人31人の死体が発見されて、取材のためのプレスツァーが組まれたが、このツアーに参加した外国人は、私とイタリアの写真家だけだった」

 以下、上記の状況を脳裏に描きながら、朝日新聞「社説」の実物を、とっくりと、御覧頂きたい。なお、別途、朝日新聞に関する実体験に基づく論評を準備している。


『朝日新聞』(1999.4.16)社説

ペスト、それともコレラ

ユーゴ空爆

 誤爆で列車の乗客にまで犠牲者がでた。

 避難民の列も誤って攻撃を受け、数十人が死傷した。

 北大西洋条杓機構(NATO)軍は、ユーゴスラビアヘの空爆をいつまで続けるのか。内外の批判も高まっている。

 NATOはなお空爆を続行する。その当事者たちも、悩みは深いはずだ。

 NATOはだれかの号令で自動的に動く組織ではない。加盟各国の政府が議会に報告し、または承認を得るなどの手続きを踏む。国ごとに態度を決める。

 ドイツの場合は昨年10月、連邦議会がユーゴの空爆参加を承認した。その時点ですでに緊張は高まっていた。

 実際の空爆は半年後になった。確認のため、議会は再び討論した。シャーピング国防相(社民党)がこう述べた。

「50年前、ドイツの名のもとに、多くの人が悲惨な目にあった。いま、同じような悲劇が起きている。われわれが何もしないでいることは許されない」

 ユーゴのミロシエビツチ政権によつて、コソボ地区のアルバニア系住民が過酷な弾圧を受けている。昨年の春から空爆直前の1年間で、30万もの人が家を焼かれ、故郷を追われていた[この「社説」の後に注]

 ナチスの過去をもつドイツには、とりわけ道義的な責任が重いという考え方だ。旧東独の共産党に由来する民主社会党を除いて、各党がこの主張を認めた。

 この国には1980年代初め以来、反核平和運動の伝統がある。現与党の社民党と緑の党の支持者が主な担い手だった。

 その緑の党で安全保障を担当するべール議員も、空爆に反対しなかった。「平和的に解決しようと、手立てを尽くしてきた。もう、ほかに道はない」と。

 かねで軍隊嫌いで知られた女性議員だ。「心はヒリヒリ痛む」と、ある新聞インタビユーに答えている。

 どっちを選んでも確信がもてない。まるで、ペストとコレラの選択を迫られるようなものと、縁の党の支持者たちが嘆く。

 コソボの問題に介入しなければ、こんな戦争にならなかった。その意味で「平和」は守られた。そのかわり、アルバニア系住民の苦難を見捨てることになる。その良心の苦痛がペストに例えられる。

 反対に人道を重んじて、弾圧をやめさせようとすると、今度は戦争も避けがたい。相手側の一般市民も巻き添えにしてしまう。病原性の強い、昔のコレラのような災いである。

 平和と人道。人類は両方を必要とする。ところが、現実にはしばしばこれが両立しない。その典型的な例としてコソボの問題が起きている。

 空爆開始から3週間たって、社民党の臨時党大会が開かれた。シュレーダー首相を党首に指名するための大会だったが、コソボも当然、議題になった。

 空爆は間違いだと、左派の代議員たちが即時停止を主張する。気持ちはよくわかるが、ほかに道はないと首相が反論する。

「他民族への迫害と強制移動、殺害をヨーロッパで2度と許してはならない」と首相が説くと、拍手は1段と高まった。

 軍事の主力は米国が担っている。しかし、この戦争は、自らの価値観をめぐって苦闘する欧州の戦争である。

 でも、空爆は正解なのか。

 平和も人道も望む一員として、ひとごとではない。


1) 『情況』(1999.7)「ユーゴスラヴィア空爆とミロシェヴィッチの事実~NATOは何を狙っているのか」(岩田昌征)では、「この30万人という数がどこからでてきたのかわかりませんが」と注釈を加えている。

2) 1990年以前からユーゴ問題の取材を続け、現在もユーゴの子供の救援運動を続けている中山康子によると、国連(正しい訳は諸国家連合)の難民高等弁務官事務所が、一時、3万人と言ったり、10万人と言ったりしていたとのこと。

3) 同事務所は、英語で、office of the United Nations high Commissioner for Refugees(UNHCR)。本部はジュネーヴにあるが、職員の給与などの行政的経費以外は、加盟国の自発的拠出金によって賄う「ヴォランティア」組織であり、偉そうな名前ばかりで、難民救出の実務能力も、実態調査の能力も、皆無に等しい。情報源としては信頼性できない。

4) いわゆるアルバニア人の難民の数については、1997年に本国に当たるアルバニア共和国の経済が「ねずみ講」の失敗で崩壊し、暴動で軍隊の武器庫が襲われ、周辺国への不法移民が激増したという超々異常事態を抜きにして語ることは、許されてはならない。ここでは、以下、インターネットの「まぐまぐ」配信による情報だけを紹介しておく。


1999/09/20 UN Daily Highlights(国連情報誌SUN)

■アルバニアの武器回収パイロットプロジェクト順調に進行

 1997年アルバニアの武器庫が襲撃され、65万に及ぶ武器と数トンの弾薬が民間に流出にしたのをきっかけに国連と国連開発計画が武器回収とコミュニティレベルでの開発を推進するパイロットプロジェクトを開始。過去15ヶ月でライフルを中心とする5,770の武器と10万トンの弾薬の回収に成功。これにより法と秩序がアルバニアの地に戻りつつあると国連軍縮担当事務次長のJayantha Dhanapala 氏が記者会見で報告した。


 この『国連情報誌SUN』記事は、克明に読むと、実に不思議である。「65万に及ぶ武器」の内、1万以下の「5,770」しか回収されていないのに、つまり、この分だけでも、まだ、64万以上が未回収のはずなのに、「法と秩序がアルバニアの地に戻りつつある」というのである。その一方では、「数トン」だったはずの弾薬が「10万トン」も回収されているのである。

 このように、ユーゴ戦争問題は、調査不十分なところだらけなのである。犯罪の場合と同様に考えると、刑法では「疑わしきは罰せず」が原則化しつつある。そうしないと、冤罪を防ぎ得ないのである。ところが、ユーゴ戦争の場合には、まるで調査もせずに、セルビアを「コレラ」と断定している。この断定が「空爆」容認につながっているのである。「空爆」が犯罪だとすれば、朝日新聞の御立派な「社説」は、「沈黙は共犯」どころではない。「広言は唆しの主犯」と言うべきところである。

以上で(その13)終り。次回に続く。


ユーゴ連載(その14)ラチャク村「虐殺」訂正を渋る「沽券」習性
連載:ユーゴ人道介入の口実「虐殺」デッチ上げ一括リンク
週刊『憎まれ愚痴』41号の目次