木村愛二の生活と意見 2000年11月 から分離

可愛い旧石器捏造よりも、古墳・自由の女神・ガス室など政治的歴史捏造をこそ暴け

2000.11.9.(木)(2019.6.17分離)

 宮城県上高森遺跡の旧石器「ねつ造」報道が姦しい。

 まずは言葉の問題だが、「ねつ造」などの、チョットではなくて、超々、チョーチョー、間抜けで便宜的な表記法では、大人でも元の漢字を忘れている場合には、意味がピンと来ない。ましてや、最初から元の字を習っていない子供の場合には、漢字離れを、ますます助長する。私が一番困るのは、わがワープロでは一発転換できないことである。

 そこで先頃、わが仮住まいの唯一の宅配紙、『日本経済新聞』の2つの犯罪記事の大見出しに、「ねつ造」と「改ざん」が並んだ際、私は堪りかねて、わが壮年期に流行った「シヴィル・ミニマム」(このカタカナ語も気に食わない)の惰性的な実践者として、あのNTTを利用して、高い高い自費で電話を掛け、「読者対応室」(この「対応」なる用語も気に食わない)の日替わり担当者に、「捏造」で突っ張るか「デッチ上げ」などに変えよ、などと助言しておいたのだが、一向に改まらない。だから、「ねつ造」の見出しを見ると、余計に腹が立つ。

どうせなら「『陵墓』新発見の『いたずら』」を奨励する

 今度の旧石器捏造事件には、特に政治的な動機があったわけではないらしい。だから、「みじめ」なだけで、歴史に名が残るかどうかの保証はできない。

 考古学または人類学の歴史に名高い実例は、現代人の頭蓋骨を加工したピルトダウン人の捏造である。この捏造は、「発見者」のイギリス人ら、つまりはヨーロッパの白人こそが、ホモ・サピエンスの先駆けなりと偽る根拠をなし、しばし、人種差別の疑似科学的な合理化の役割を果たした。捏造者自身による「発見」が1909年、「弗素法」による捏造の「発覚」が1948年だから、ヒトラーとヒロヒトらの人種差別・最優秀民族説による狂気の凶器の世界侵略の時代を、完全に覆っていたのである。

 玩具の潜水艦を利用したネス湖の怪獣の写真の捏造は、単純な「いたずら」に近い。しかし、最初の動機が単純でも、政治的に利用されることは多い。

 ネス湖の怪獣探検の企画に引っ掛かった石原は、今、都知事になっている。そこへ直線的にはつながらないものの、ネス湖の怪獣の写真の「いたずら」を、石原は、自らの売名に利用した。過日、ロフトプラスワンにて仕掛け人、「呼び屋」の康芳夫が、企画・司会の私の隣席で、「SF作家の小松左京などをシャッポに担ごうと口説いていたら、石原が出しゃばってきた」と明言したのである。この明言の場面のヴィデオ録画もある。

 欧米では、学生の「いたずら」も多いようだ。同じ「いたずら」なら、日本の学生も、負けずに、逆の意味での過激に政治的な「いたずら」をしたらどうか。日本の考古学で最も国際的に恥辱的かつ漫画的なのは、古墳時代である。いまだに、「『陵墓』の学術調査に道を」(『日本経済新聞』2000.8.24)などと題する弱々しい社説が載る始末なのである。「いたずら」だけでは不満足なら、古墳捏造による大御所「いじめ」に挑め!

 元々、古墳の嘘の暴露ができない腰抜けの大手商業メディアが、その一番肝心な「歴史見直し」を避け、子供の鬼ごっこよりも薄汚く、逃げ隠れしつつ、「旧石器時代の歴史の全面的な書き直し必須」などと煽るから、小心者の悪餓鬼に「魔が差した」のである。

エジプトに拒否されたギリシャ神話風「自由の女神」

 歴史学などと自称するガクガク「愕」然の大嘘は、昔から溢れているが、それは、むしろ、当然のことである。思想的な支配の道具としての神話が、学問を自称する疑似科学の装いも新たに、少しづつ騙しの技術を変えているに過ぎないのである。

 私は、戦争中に侵略者の子供として中国の北京にいたから、あそこは懐かしい場所なのだが、10年程前の天安門事件の際、テレヴィで中国人の学生たちが、アメリカの「自由の女神」の模造品を作っている有様を見て、ああ、中国共産党の幹部も詐欺師だろうが、こいつらも相当な阿呆やな、と慨嘆したものである。「アメリカ帝国主義」が嫌いだからでもあるが、「自由の女神」に関する「世間常識」の間違いをも知っていたからである。

 たとえば、手元の骨董印刷物、平凡社の『世界大百科事典』の「自由の女神」の項目によれば、アメリカ独立100周年記念に、フランスの歴史家ラブレーが寄贈を提案し、彫刻家バルトルディ(1834-1904)が設計し、1886年建造、正式名称は「世界を照らす自由(Liberty Enlightening the World)」、アメリカの民主主義の象徴、などなど、とある。まこと麗しき大西洋を隔てた国際的な美談なのである。

 ところが、そこは格言の通りで、「美し過ぎる話には必ず嘘がある」のである。

 アメリカの放送局の最大手の3大ネットワークの本家、ABCのニューズ・コメンテーター、ポール・ハーヴェイは、時々、歴史の俗説を覆す裏話を楽しそうに紹介するのだが、その中に、「自由の女神」寄贈の裏話があった。この像は、元々、まさに、その寄贈国のフランスのレセップスが企み、1854年に利権を入手し、1869年完成したスエズ運河の建造の際、地中海からの入り口の灯台として設計されたのだが、エジプトに拒否されてしまい、お蔵入りしていたのである。あのギリシャ神話風の「世界を照らす自由」の逞しい女神の像は、嫌々ながらも自国の領土を通過する運河建造の利権を売らざる得ない立場のエジプト人、またはアラブ人から見れば、ヒタヒタと押し寄せる欧米の世界征服の象徴に他ならなかったのである。

 だから、当然、この像を「象徴」とする「アメリカの民主主義」は、欧米による世界征服の最後の思想的武器となっているのである。私は今後、この裏話を、「アメリカの民主主義の嘘」の象徴として位置付けることにする。

ここまでは驚かない自称平和主義者が、なぜ「ガス室の嘘」に狂うか

 ここで、ついに、わがホームページにも、かねてからの課題、「歴史の嘘」シリーズを連載する決意を固めた。私の最初の著書は『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』である。古代エジプト人は黒人だったとか、湾岸戦争では「誰が水鳥を殺したのか」とか、欧米の嘘を暴くのが、最早、私の習性になっている。真相を突き止めないと気が済まない。

 日本人の多くは、この種の話では、すぐには理解しないまでも、怒ったりはしない。ところが、湾岸戦争の継続として「ガス室の嘘」を追及し始めたら、予想以上の反発を受けた。様相も形相も、かなり違う。異常である。やはりか、こいつらも阿呆やな、とは思いつつも、疲れる話である。

 日本人だけのことではないのだが、なぜ、自称平和主義者たちは、「ガス室の嘘」に狂うのであろうか。

 私見の大筋については、拙著『アウシュヴィッツの争点』にも、拙訳『偽イスラエル政治神話』の解説にも記した。しかし、この異常な心理現象の背後には、まだまだ深く、重層をなす精神的な「焼き入れ」が潜んでいるようである。最近、語源のラテン語では「外傷」の意味だけだったのに、精神病の術語で「精神的外傷」を意味するようになった「トラウマ」(trauma)が、普通の会話でも流行っているが、似たようなものである。

「焼き入れ」は、刀の鍛練とか瀬戸物の窯焼きの技術用語だから、前向きに解釈できる。「焼き入れ」を経た素材は自然の状態よりも固くなる。刀や瀬戸物なら、それで結構なのだが、人間の頭となると、「しなやかに」働かなくなるから、長野県の「名刺折り曲げ」官僚の場合のように、始末が悪くもなる。

 最近、冤罪事件に詳しくて、現在はオウム真理教の問題を追っている友人、三浦英明と雑談していた際、この「ガス室の嘘」に特有の心理現象についても、「宗教の奥の手」が働いていることに気付いた。私は、この手口を知ってはいたが、「ガス室の嘘」の問題に関しては、これまで、この手口の重要性を指摘していなかった。

 私は、その時、三浦に、別途のホームページ記事、「シオニスト『ガス室』謀略周辺事態」シリーズで紹介済みのアメリカのユダヤ人の歴史学者、ピーター・ノヴックの本、『アメリカ人の生活の中でのホロコースト』の内容が興味深いと説明していたのである。それなりの学究肌の歴史学者、ノヴックは、問わず語りに、事実を克明に描き出している。私なりに読むと、政治的シオニストは、アメリカのユダヤ人、ひいてはアメリカ人全体に、「ホロコーストを見過ごした罪」を被せて置いて、その償いとしてのイスラエル支持の世論を、脅迫的に作り出しているのである。そう話した途端に、三浦は、「それは宗教の手口だ。オウムもそうだよ!」と叫んだのである。

 宗教では、あのユダヤ人の部族宗教の神話、「旧約聖書」の物語のように、まずは「知恵の実」を食ってしまった人間の「罪深さ」を、厳かに強調する。「悔い改めよ」となる。人間という動物には、必要以上の「知恵」が付いてしまった。その上、不幸なことには、社会生活を営むようになってしまったので、動物の本能としては当然の自己中心的な行為を、「罪深い」と位置付けるようになってしまった。そう教えられると、素直に、日頃の本能的な欲求や行いを思い出しては、そうやな、罪深いな、と思ってしまう。「悔い改め」の「焼き入れ」をされてしまう。これが宗教の「味噌」である。

 ところが、「宗教は阿片」と喝破したはずの「社会主義」とか「共産主義」とかの教義の方でも、たとえば、「貴方はドップリと首までブルジョワ思想に漬かっている」などと、「罪深さ」を信じ込ませるのである。この「焼き入れ」を受けた自称平和主義者、実は現代的な疑似科学的宗教の狂信者の「焼き入れ」の効いたガチガチ思考では、「人類の罪深さの象徴」として教え込まれた「ナチズム」の所業のすべては、何らの疑いを差し挟む余地もなく、罪の固まりなのであり、その罪の悪の動かせぬ証拠こそが「ガス室」なのであり、当然のことながら、ヒトラーを免罪するがごとき「ガス室の嘘」論者などは、これまた「焼き入れ」が十分に効いた伝家の宝刀で、直ちに斬り捨てるべき怨敵なり、となるのである。怨敵退散! 怨敵退散! 怨敵退散! デデンコ、デン、デン! 次第に高まる興奮の果てに!

 なお、瀬戸物は割る以外に始末の方法がないが、刀は「焼戻し」が可能であるなど、この件には、さらに詳しい検討と論証が必要なので、いずれ再論する。

 ともかく、名刺の折り曲げの非礼どころの騒ぎではないのである。桑原! 桑原!