被告の敗訴覚悟 ― 両被告が反論をなし得なかった
平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
1997.4.18. 提訴 1998.12.4「最終準備書面」記載の経過で、突如「結審」
最終準備書面 第三
第三、「ガス室存否」に関する釈明要求に答えることができなかった被告の敗訴覚悟
原告は、準備書面(三)で、「ガス室の存否」または「ガス室の実在性」に関する被告・本多勝一と被告・金子マーティンの主張の食い違いと矛盾を具体的事例に基づいて指摘し、
両被告が反論をなし得なかったのであるから、当然のことながら、裁判所は原告の主張をそのまま採用すべきである。以下、同部分を引用する。
(以下、甲号証番号及びその頁段行の記載追加以外は原告準備書面(三)の原文のままの引用)
五、被告・本多勝一は、一九九七年[平9]七月二二日付け準備書面の末尾「被告会社の主張」の項の最後の「付言」として、「定説とされている『ホロコースト』を覆すに足るような充分説得力あるルポ等で原告の説を論証することができるのであれば、『週刊金曜日』に掲載することをも検討する旨原告に述べてきた」としている。原告は、この説明そのものについては、ほぼ事実経過に沿っていると認めるが、この経過と前項のような「歴史改竄主義者」呼ばわりとは、まったく矛盾しており、二枚舌のご都合主義も甚だしいと主張するものである。「改竄」という用語そのものには法律用語としての定義はないが、どの辞典を見ても、古来は「正しく直す」の意味で使われていたものが現在では「小切手改竄」などのように、犯罪的な行為を指すに至った旨の解説をしている。被告・本多勝一らの用法は、後者の現代的な意味であると思うが、そうであれば、「ガス室の実在性」を主張し、「ガス室」による大量殺人を絶対的な「歴史」として「改竄」を許さないという立場を取り、その主張に疑いを挟む原告の著作を犯罪的として糾弾するのが正しい社会的行為だと主張していることになる。その点を明確にされたい。
六、被告・金子マーティンは、『週刊金曜日』(97・9・19)掲載記事「『朝日』と『文春』のための世界現代史講座番外編/ドイツ刑法130条違反で木村愛二氏を告発した梶村太一郎氏・金子マーティン氏・記者会見の一部始終」(甲第9号証の11)によると、一九九七年[平9]九月九日、東京都千代田区有楽町一の七の一電気ビル一九階に所在する社団法人・日本外国人特派員協会のメディアルームで開かれた同協会主催の記者会見(甲第21号証)の席上、原告らの「歴史見直し論者」を、「『歴史否定主義者』『歴史改竄主義者』と呼ぶのが正しいと思います」と発言したことになっている。原告撮影の未編集ヴィデオ(甲第25号証)によって正確に再現すると、被告・マーティンは、「『歴史否定主義者』、あるいは、……本多勝一氏が度々使う『歴史改竄主義者』と呼ぶのが正しいと思います」と発言したのである。
被告・マーティンは、本件で原告が名誉毀損の具体例として挙げた連載記事の冒頭部分から、「歴史改竄主義者」という用語を頻用しているが、右の文脈に鑑みて、この用語の定義に関しても、被告・本多勝一と同様に主張するのか否か。
七、さらに、「改竄」という用語を、以上のように「犯罪的な行為」として用い、かつ、原告を指して「歴史改竄主義者」呼ばわりをするのが正しいと主張するのであれば、被告・本多勝一は、その「歴史」なるものを絶対視し、見直しも改変も認めない立場を取ることを、内外に表明していることになる。
そこで、被告・本多勝一と被告・マーティンが、双方ともに、右の立場を主張すると仮定すると、今後の訴訟を進行する上で、以下のような最高裁大法廷の判例を踏まえた法的判断をなすためには、いくつかの事実認定と法的論理の検討が必須の作業となる。
いわゆる「北方ジャーナル事件」の上告審において、最高裁大法廷は、それまでの最高裁判例を踏まえつつ、一九八六年(昭61)6月11日、「刑事上及び民事上の名誉毀損に当たる行為についても、当該行為が公共の利害に関する事実にかかり、その目的が専ら公益を図るものである場合には、当該事実が真実であることの証明があれば、右行為には違法性がなく、また、真実であることの証明がなくても、行為者がそれを真実であると誤信したことについて相当の理由があるときは、右行為には故意又は過失がないと解すべ」きであるという判断を下した(甲第82号証、『判例時報』一一九五号、6頁4段29行)。
原告は、最高裁判例を絶対視するものではないが、とりあえず、この判例に準拠して検討すれば、行為者が名誉毀損に当たる不法行為の責任を免れるためには、当該行為の論拠となる「当該事実が真実であることの証明」、または、行為者の「誤信」に「相当の理由がある」と認められるような立証を行わなくてはならないことになる。
本件において被告らが「当該事実」として主張する《ア・プリオリ》(演繹的、先験的、先天的な[認識]。仏和辞典には「わけも聞かずに」の訳例あり。日本の日常用語では「思い込み」)の構造は、いささか複雑であるが、あえて要約すれば、「原告がガス室による計画的大量殺人の事実を疑うこと自体が違法不当だ」ということであろう。さらにその根幹を煮詰めれば「ガス室の実在性」に至る。となれば、被告・本多勝一は、「ガス室の実在性」を立証するか、もしくは、それが実在したとの思い込みによる「誤信」についての「相当の理由」を証明しなければならない。
なお、当然のことではあるが、訴訟の進行を妨げる非論理的な被告の答弁による無駄を省くために、念のため事前に指摘して置くが、被告・本多勝一は「斜め読み」と称するとはいえ、原告の著書『アウシュヴィッツの争点』を所持し、かつ、一応読んでいるのは確かであり、被告・金子マーティンは、さらに同書の内容の片言隻句にいたるまでを主要な批判対象として連載記事を執筆しているのであるから、前記の「当該事実が真実であることの証明」、もしくは、「真実であると誤信したことについて相当の理由」の存在の主張に当たっては、同書の内容を踏まえ、さらにはそれを覆すに足る事実もしくは論理を提出しなければならない。
さて、以上のような判例に基づく論理の上で、被告・本多勝一の言動は、先に要約したように、俗に言う「二股をかける」方式の典型であって、一方では、あたかも絶対的な「歴史」が確定しており、それに疑いを挟むのは「改竄」という犯罪的行為であるとして原告を攻撃しながら、その癖、自らは「当該事実が真実であることの証明」を怠り、かつ他方では、「定説とされている『ホロコースト』」という中間的な表現を用いることによって問題点をはぐらかした上で、さらには、「論証することができるのであれば、[中略]掲載することをも検討する」という提案までするのであるから、およそ筋の通った対応とは言いがたく、「思い込み」による「誤信」であるなどという強弁は成り立ち得ない。
被告・本多勝一の行為には、すでに略述したように、■被告会社代表、■被告会社発行の『週刊金曜日』編集長(本件当時)、■自称「新聞記者」本多勝一個人を、意図的に混同するところがあり、さらにはそれらの混同で他人を煙に巻き、様々な無礼極まりない行為を糊塗するところが見受けられるが、本件に関しては、以上のような指摘を踏まえて、「ガス室の実在性」を主張し、「ガス室」による大量殺人を絶対的な「歴史」として「改竄」を許さないというのか否か、被告会社代表としての見解と立場を明確にされたい。
八、被告・金子マーティンは、一九九七年一〇月二一日付けの準備書面(一)の「被告の主張」において、いわゆる「ガス殺」を「厳密に検討され裏付けられた」「象徴的事実」であるとし、その前提に立って、原告の著書『アウシュヴィッツの争点』(甲第2号証)の内容が「厳しい批判に晒されるのは当然」とし、かつ、その「論争は、激烈かつ辛辣になされなければならない」と主張している。
つまり、前記「北方ジャーナル事件」最高裁大法廷判例(甲第80号証)に照らせば、「当該事実」の根幹に当たる「ガス殺」を「厳密に検討され裏付けられた」「真実であることの証明」ができるという前提に立ち、それを根拠として、「激烈かつ辛辣」な表現の正当性を主張していることになる。当然、前記の被告・本多勝一の場合と同様に、被告・金子マーティンは、「ガス室の実在性」を立証しなければならない。
原告は、すでに一九九七年[平9]七月二二日付け準備書面(一)、第二の五の2において、一九九七年[平9]九月九日、被告三名が、「本多勝一・梶村太一郎・金子・マーティン」の連名による同日付け「声明文」(甲第22号証)を、東京都千代田区有楽町一の七の一電気ビル一九階に所在する社団法人・日本外国人特派員協会のメディアルームで開かれた同協会主催の記者会見(甲第21号証)の場で配布した事実を指摘した。
被告・梶村太一郎に関しては、現在、「分離」となっているが、以上の連名「声明文」の存在、前記記者会見で雁首を並べた被告・梶村太一郎と被告・金子マーティンの共同不法行為の事実、さらには同記者会見の受付け事務及び『週刊金曜日』(97・9・19)での「『朝日』と『文春』のための世界現代史講座番外編/ドイツ刑法130条違反で木村愛二氏を告発した梶村太一郎氏・金子マーティン氏・記者会見の一部始終」(甲第9号証の11)掲載という一連の共同不法行為の経過から見れば、被告三名の「当該事実」、すなわち「ガス室の実在性」に関しての主張は一致しているのでなければ、不合理であるばかりか、メディア及びその執筆者らに課せられている社会的倫理に照らせば、読者をたぶらかす日和見戦法の詐欺行為を構成すると言わねばならない。
そこで、右記事から、この「ガス室の実在性」及び本件訴訟の進行状況に関する部分のみを抜粋すると、つぎのようである。
(引用続く)