「ガス室」裁判 原告本人陳述書 その3

両被告の反論なし/「ガス室の有無は判断しない」


三、最も特徴的な最近の事実(続き)

(掲載ミス・その2と同内容。2007.12現在、原本不明のため未訂正)と記しましたが、 2021.2.1原本発見、完全復元

5、「連載の計画」に関する欺瞞の数々の確認

「連載の計画」否定という事態は、以上のように、本件訴訟開始以後に発生したものであって、偽証以外の何物でもない悪質な犯罪行為なので、以下、再度、その経過を整理して申し上げます。

 右『週刊金曜日』(96・8・9及び8・23)掲載「南京事件調査研究会」による「座談会」連載記事(甲第32号証の1及び2)を見た直後、私は、その「座談会」の出席者全員に前述の如く、一九九六年八月二六日付けの手紙(甲第32号証の9)を送り、その2枚目17行以降に、「内々の理解に止めて下さい」という注記を付しながら、本件訴状に記した以上に詳しく、先のように被告・本多勝一準備書面(一)が否定してきた「連載計画」の経過を述べているのです。

 それに対して被告・本多勝一は前述のように、その後、同年九月一二日付けの手紙(甲第33号証の10)で、「木村さんと私との間の件についてかなり一方的な説明があります」と記してはいるものの、「連載計画」そのものに関しては具体的な否定なり抗議なりは何らしていません。以後にも、何ら否定なり抗議に類する発言や手紙の文句はありません。

 さらに、被告・本多勝一は、本件の名誉毀損・誹謗中傷記事全体に関する私からの忠告と抗議の手紙が度重なったのち、私が止むに止まれず、一九九七年三月一〇日付けの「要求書」(甲第11号証)を出し、その2枚目の8行目に「連載についての違約の賠償を求める権利」と明記して私の権利の留保を通告したにもかかわらず、それに対する返答としての一九九七年三月一〇日付けファックス通信(甲第33号証の38)においてさえ、単に「2年ほど前の片言隻句」と記しているのみです。

6、「南京大虐殺」を手品の種に悪用する被告・本多勝一の「大」デマゴギー手法

 ところが、この間、冒頭に示した最近の私宛て、一九九七年11月20日付けの脅迫状(甲第55号証の2)でも出現した「現場取材」という文句が、次々にエスカレートの度を加えていったのです。

 以上の長期にわたるやりとりの経過と照応する最近の事実を、もう一つ指摘すると、被告・本多勝一は、『噂の真相』(98・3)の連載個人名持ちコラム「悪口雑言罵詈讒謗講座・第36回・論争について(その二)」(甲第35号証の3)の中でも、「南京大虐殺をめぐる論争」にふれた後、つぎのように「講義」しています。

「『南京』以上に世界史上の大事件となったナチのホロコーストで、ガス室を全否定するためには相応の覚悟と大取材を要します」

 この「大取材」という「大」の字入りの文句は、私の知る限りでは、この時始めて出現しています。これは、いわばエスカレーションの頂点なのです。

 不必要な場合でも「大」の字の形容によって世間を怯えさせるのが、被告・本多勝一お得意の下司戦法の一つでして、後述するカンボジア問題で被告・本多勝一らによるバッシング報道の被害を受けた東南アジア研究者、鵜戸口哲尚は、『噂の真相』(98・4、甲第35号証の4)の被告・本多勝一のコラムへの反論の中で、次のように記しています。

「『噂の真相』の本多の言葉から拾おう。『カンボジア大虐殺めぐる賛否の大論争』という言葉自体に三重の欺瞞がある。大虐殺の『大』をめぐって経緯と構造と実態の議論をしたのである。『賛否』というが、誰も賛成などという非常識な馬鹿はいない。大『論争』というが、『論争』が成立するほどには、本多たちに明晰で冷静な思考力も学問的蓄積も備わっていない」

 ひるがえって右の「大取材」以外にも、被告・本多勝一は、このたったの一行の短い文章の中でさえ、お得意の俗耳に入りやすい俗物的用語をいくつも乱発し、「理屈と膏薬はどこにでも張り付く」という警句の典型をなす屁理屈をこねまわしているのです。

 別の堅い表現で批判すると、この「講義」内容、または被告・本多勝一の一所懸命の主張は、通俗的な報道操作に特有の催眠術的キーワードの綴合わせにすぎず、論理的な意味でのデマゴギーの典型であるばかりでなく、本件に関わる私と被告・本多勝一との間の交渉経過に照らすならば、まったく事実経過とは逆様で、欺瞞も甚だしい駄文なのですが、この「講義」を再び、前出の97・11・14日付けのファックスによる脅迫状(甲第55号証の2)と比較すると、見事に照応する内容であることが明白になるのです。

 ただし付言すると、文中の「相応の覚悟」の必要性に関してのみは、覚悟を決めて掛かる相手の違いはあっても、その表現自体に関しては採用できる指摘として評価します。私自身は、いわゆる中東問題と日本の関係を熟慮した上で、それなりの覚悟を決めたからこそ、訴状でも記したように、おそらく日本では始めての本格的な「ホロコースト見直し論」の記事(甲第4号証)を『噂の真相』(94・9)に発表したのです。

 再び指摘し直すと、先の被告・本多勝一の脅迫状(甲第55号証の2)の内、もっとも特徴的な文句は、次の部分です。

「南京大虐殺について私はこの程度のことを調べました。[中略]木村さんも少なくともこの程度以上の報告を、ご自分の現地取材や体験者取材による結果を中心に書かれることをご忠告申し上げます」

 ここでも一応付言しておくならば、この文章には、まず、決定的に重要な欠落部分があります。

 被告・本多勝一の「調べ」なる作業に要した費用はすべて、当時の「文化大革命」(一九六六年~一九七六年)と称して似非社会主義独裁者・毛沢東を担いだ権力亡者、通称「四人組」の政治機構に取り入り、「北京支局」=「情報源」を維持することによって「販売部数」を確保しようと企んだ「エセ紳士」の名の高い朝日新聞資本の支出で賄われていたのです。

「取材」「取材」と声高に叫んで素人を脅かすのは、別に、被告・本多勝一の創意的な発案ではありません。社費と御用記者クラブの情報源独占体制に胡座をかく大手メディア記者が、駆け出しの頃からの警察回り「取材」、いわゆるサツネタ取りの修行で叩き込まれる「記者魂」の基本型です。

7、「取材」「現場」に関する私自身の従来からの見解及び批判的記述の存在

 以上のような大手メディア記者、実は大手企業サラリーマンの仕事振りについて、私は、被告・本多勝一と直接の関係が生ずる以前から、厳しい批判の目を向けていました。

 一九九二年(平4)発行の『湾岸報道に偽りあり』(甲第1号証)は、まさにこれを被告・本多勝一が「『中東の石油支配を狙うブッシュのワナにはめられたイラク』という構図が実に分かりやすく分析されている」(甲第10号証の1、67頁6~7行)一例として認めたために、その後の関係が生じた拙著ですが、その中でも、あらゆる側面から大手メディア報道の欠陥を暴いています。

 私が指摘し続けている大手メディア報道の問題点は、その大手メディ自身の中で働く記者も、十分に承知していることなのです。

 一九九四年(平6)発行の『国際利権を狙うPKO』(甲第73号証)の「第五章」の表題は「『現場の死体』で素人を脅す大手メディア独占の手口」となっていますが、その冒頭、90頁以下で、「『似非(エセ)現場主義』への批判」を記し、次のように新聞コラム記事を引用して論評を加えました。

「『キシャの重病』/何ごとも、まず、″現場″で始まるノダ」(毎日93・7・28夕)という「大野萌衣」記者によるコラムを、そのまま全文収録したいのは山々だが、かなりの長文なので、以下、要点の紹介だけにとどめる。

「『私は新聞記者なので、ばかのひとつ覚え的に「現場主義者」なのである。(中略)「現場主義」は(中略)水戸黄門の印籠で、例えば政治報道について批判されたら、こんな風に使うのだ。「おまえら、現場の番記者がどれだけ苦労してネタを取っているのか知っているのか」……。(中略)ベテラン記者が、酔って何度も口にしたのがこのセリフ(中略)……。私たち新人のだれかが、ジャーナリストとしての自分の理想や目的に関して熱っぽく語り出すたびに、その記者はハードボイルドにただ一言、そう「反論」した(中略)……。「それより、まず、現場で死体を見なくちゃだめなんだよ」

 文脈は関係ない。(中略)あとでわかったことだが、あのベテラン記者は、この業界が「考えること」を邪魔者とみなす「現場独裁主義」「現場原理主義」の国であることを、みずからの病状を惜しみなくさらけだすことで私たちに諭していたのだ(後略)』

 この文章に私が付け加え得ることは、たった一つ、日本式記者クラブの実状だけである。日本では通常、記者クラブに所属できる大手メディア企業の記者以外は、サツ回りもできず、『死体を見ること』もできない。だから『病状』は『特権的病状』でもある」

 一九九六年(平8)発行の『読売新聞・歴史検証』(甲第3号証)でも、以上の問題点を、好戦報道などを典型として、さらに詳しく歴史的事実に基づいて論証しました。その際には、私自身が生まれる以前の戦時体制下に発行されていた『現代新聞批判』と題する月二回発行新聞の復刻版があることを知り、戦前にもやはり、同じような大手メディア批判があったことを読者に紹介しました。

 たとえば次のような箇所です。

「新聞ばかりではなくて、いわゆるメディアの仕事というものは、世間一般の認識以上に手工業的な個人作業に頼っている。新聞の場合には、記者個人の思想、教養、体力、技術などが重要な構成要素になっている。おなじく[『現代新聞批判』の]『読売新聞論(三)』では、『読売新聞には穴が多いが政治部と匹敵する大穴は外報部だ』としている。その『大穴』の外報に例を取って、記者の資質の問題を考えてみよう。つぎのような同論評の読売の外報にたいする歯切れのいい批判は、現在にも通用するものである。 『外報は筆先の小器用だけではつとまらない。少しばかり語学が達者な位ではつとまるものではない。国際政治に対する細緻な頭の働きと透徹した批判力とがなければならない。ひとり読売に限らず、日本の新聞が国際問題となるとボロを出すのは、頭の記者がいないからだ。「新聞記者は足で書く」ということをよく言うが、頭のない記者が足をすりこ木にして飛びまわっても何もなるものではない。日本の新聞が、この言葉を文字通りに解釈して、記者をやたら飛びまわらせることばかりを考え、頭の養生をさせないのは非常な誤りだ』」

 大手メディア特有のふんだんな取材費を乱費しながら、または、その大判の重みで権力への迎合方向に転んだ達磨の歪み切った視角からしか事実を見ることができず、またはむしろ、もともとが「当局発表」の運び屋でしかなかったが故に、のちに詳しい批判を展開するような「この程度」の仕事しかできなかったというのが、被告・本多勝一のいい加減を絵に書いたような賃仕事、いやむしろ、度重なる悪業の実態なのです。

 しかも、右の「南京大虐殺をめぐる論争」と本件との関係は、以上略述したような最近の被告・本多勝一の言動としてだけでなく、はるか本件発生以前に溯る忌まわしき問題点を多々はらんでいます。

 被告・本多勝一は、準備書面(一)で、「付言するに、原告は訴外本多と花田紀凱との関係を憶測し、種々邪推しているが、まったく無根であるうえ、そもそも本件とは無関係である」と強弁し、準備書面(二)でも再び、「付言しておくと、本企画は、原告のいう訴外本多の同花田に対する『宿年の恨み』等とはまったく無関係である」と、さらに念を入れた強弁を続けていますが、右の「南京大虐殺をめぐる論争」なるものの存在こそが、以後の被告・本多勝一の累犯的諸行為の基本的動機となっているのであり、被告・本多勝一の私に対する不可解かつ理不尽な諸行為の数々の背景をもなしているのです。

 以下、若干複雑な経過説明となりますが、まずは、基本的な問題点を要約的に解明します。

8、ホロコーストを「世界史上の大事件」として位置付ける根拠は何か

 被告・本多勝一は、右のように、「世界史上の大事件となったナチのホロコースト」という大袈裟この上ない表現を用いていますが、そう表現する根拠を何ら示していません。

 歴史的事実か否かと言う根本問題に関しては、日本の近現代史の場合、歴代天皇の側近などが残した日記や著書が、同時代の渦中にあった人物の証言として重きをなしていますが、たとえば当時、ナチスドイツとの戦いの国家段階での最高指導者であり、その後のニュルンベルグ裁判、イスラエル建国という「世界史上の大事件」の間近な立場での目撃者でもあったイギリスのチャーチルとフランスのド・ゴールが、二人ともに長文の回顧録を残しながら、その中で一言たりとも「ガス室」に触れなかったという注目すべき「根本的事実」を指摘しておきます。彼等は、最高位を極めた権力者の常として、死後の名誉をも重んじていたに違いありません。だからこそ長文の回顧録を残しているのです。彼らが「ナチのホロコースト」、当時造語されたばかりの表現では「ジェノサイド」のための最大の「発明」であるはずの「ガス室」について何も書き残さなかった理由は、彼等が、「ガス室」は嘘だということを知っていたからに違いないのです。「世界史上の大事件」という表現は、むしろ逆に、このようなお粗末な、矛盾だらけの「証言」に基づく嘘が、戦後半世紀もの長きにわたって通用してきたことを表現する場合にこそ、相応しいものなのです。

9、俗耳に入りやすい「取材」「大取材」という言葉の乱用、論理のすりかえ

 被告・本多勝一が用いている屁理屈は、『マルコポーロ』廃刊事件の引き金を引いた「いかさまナチ・ハンター」(甲第7号証の1)ことサイモン・ウィゼンタール・センターによる「広島」と「アウシュヴィッツ」の同一視に類する「子供だまし」の手口に他ならないものです。

 この手口の屁理屈、または手品の種を簡略に暴くと、まずは、「広島」と「アウシュヴィッツ」とは、あくまでも「別件」なのです。「広島」の大量虐殺が事実であることが、直接的には、「アウシュヴィッツ」、またはより正確に、この希代の大嘘が捏造された当時の表現を用いれば「ユダヤ人絶滅計画」または「ジェノサイド」の実在の証明になるはずはないのに、厚かましくも、発疹チフスによる死者の映像を偽って見せたりして、これを同一視するような催眠術的心理操作を施し、それでも疑う向きには「否定する気か」だの「反ユダヤ主義」だ「ナチズム」などとワンワン吠え続けて、人々を怯えさせ、まともな議論と調査活動を封殺するのが、「いかさまナチ・ハンター」らの年来の陳腐極まりない常套手段なのです。それと同じことが本法廷においても、被告・金子マーティンによって行われています。

 日本には古来からの「味噌も糞も一緒くたにする」という警句があります。

 原告準備書面(四)で述べたパリ地裁傍聴のための取材旅行に備えて、このいささか汚らしいが分かりやすい警句の論理をフランス人に説明するために、「チーズと石鹸を一緒くたにする」という文句を用意して行ったところ、すでにその通りの警句が、ご当地にもありました。どこかが似ているから同じだという「子供だまし」の屁理屈は、古今東西の人類社会に共通、古来から横行し続けている一番簡単な報道操作の手口なのです。こんな簡単な手品に引っ掛かったり、または、この種の手品を駆使して破廉恥にも人々を引っ掛け続けるアカデミー業者(大学教授など)や、マスコミ業者(自称「新聞記者」など)こそが、まさに私自身の年来の批判的著述の対象なのです。

 私の本件に関する主張を要約すると、いわゆる「ホロコースト」、より正確には「ユダヤ人絶滅計画」は、巷間の噂から出たにしても大嘘であり、結果から見れば、もともと意図的に捏造された「現代神話」であるばかりでなく、ニュルンベルグ裁判という茶番劇によって社会的強制力を付与され、パレスチナ人から土地を強奪するための方便として利用され尽くし、以後も頻発し続けるイスラエルの国際法違反行為を覆い隠す「目くらましの神」の役割を演じ続けており、その偽りの神殿の祭壇に「神器」として祭り上げられているのが、子供だましのオドロオドロの「ガス室」様々だということなのです。

 つまり、私は、「ガス室」の嘘を、単なる思い違いとしてではなく、許し難い重大な政治犯罪として告発しているのです。

 この「ガス室」神話を、あえて「南京大虐殺」などを派生した日本の侵略史の場合に、正確に置き換えると、「天皇」を「現人神」と崇めさせ、その命令に従うのが「天皇の赤子(セキシ)」たる日本国民の絶対服従の義務であると教え込んだ「近代日本神話」に相当します。

 この「近代日本神話」の大嘘が暴かれ、天皇自らが「人間宣言」を発するに至った経過には、いかなる「取材」も必要ではありませんでした。八百万の曲学阿世の「学者」や「新聞記者」たちがそれまでに振りまいた「証言」の数々を、「取材」し直せなどと主張する痴れ者は、どこからも現れませんでした。いい加減を絵に描いたような「新聞記者」たちでさえ、そんな主張をしてはいなかったのです。 「ガス室」神話の構造は、「現人神」神話よりも、いささか複雑ではありますが、「犯罪科学」などの専門知識がなくとも世間一般の常識で十分に理解できる矛盾だらけの下手なフィクションなのです。こられくらいの嘘が見破れないようでは、いかなる職業においても、専門家としては通用し得ないのです。

10、「取材」なしで文献のみの名誉毀損記事を長々と載せた「大矛盾」

 被告・本多勝一は、このように「大取材」という好みのエスカレートで事態を糊塗しながら、自らが編集する『週刊金曜日』(97・2・14)末尾の「編集部から」(乙第6号証)で、西岡氏と私を並べ、つぎのような矛盾だらけの奇妙キテレツな屁理屈を組み立てています。

「両氏の現地取材は、あまりにも短時日の浅いものでした。こんな大問題をひっくり返すには、よほどの大取材を要するはずですが、両氏の主張はほとんどが文献資料によるものです。今回の金子マーティン氏の連載は、やはり文献資料によってガス室の存在を詳細に報告しています」

 実は、この文章自体が逆に、被告・本多勝一の矛盾だらけの「二股、三股、いや四股膏薬」の逃げ口上の典型を、自ら暴露する結果となっているのです。

 西岡氏も私も、取材費を浪費できる大手メディアの「記者」ではありませんから、ギリギリに問題点を絞り込んだ上で、最大の核心的争点の「ガス室」と称されている現存実物を現場検証したのであって、それは「短時日」でも十分に可能だったのです。

 むしろ逆に、被告・本多勝一が「金子マーティン氏の連載は、やはり文献資料によってガス室の存在を詳細に報告」という奇妙な文脈で肩を持って表現する長々しい名誉毀損記事の方は、この悪文通りに「文献資料」のみに頼っているのであって、まったく現地取材をしていないのです。

 それなのに、決定的争点に関する現地取材を根拠として、「文献資料」のみ、それもすでに論破され尽くした俗論の綴り合わせにすぎない「金子マーティン氏の連載」への反論を私が求めたのに対して、最初は一般投稿欄への一回の反論で打ち切り、次には半頁の論争欄、さらには4頁(甲第12号証の1)と譲りはしたものの、結局は不十分な反論紙面に制限しようと企んだのですから、被告・本多勝一の「大取材」ブラッフの無原則、ご都合主義は、誰の目にも明らかです。

 メディア上での論争は、基本的に裁判と同じ構造です。裁判では双方の主張を付き合わせた上で、争点を絞り、必要なら現場検証をするのですが、誌上論争も同様に、私の反論を載せた上で、争点を絞って現場の状況を議論し、必要なら取材で決着を付ければ良いのです。

 私は、本件の主題でもある拙著『アウシュヴィッツの争点』(甲第2号証)の一九〇頁以降で、上級裁判所が「事実審理」を省くことができる位置付けをも論じています。この常識的な論理を被告・本多勝一は、ことさらごまかし、手前勝手な条件を設定して私の反論権を拒絶しているのです。

11、「『ガス室』不敬罪」の存在こそが「ガス室」の嘘の何よりの証明

 被告・梶村太一郎は、被告・金子マーティン及び被告・本多勝一と共謀して、甲第21、22号証記載のごとく、ドイツの刑法に基づいて日本人である私の日本語による主張をドイツ警察局に告発するという茶番を演じたのですが、このドイツ刑法、私の表現では「『ガス室』不敬罪」の存在こそが逆に、「ガス室」の嘘の何よりの証明なのです。

 天皇を「現人神」に祭り上げて日本を希代の醜い侵略国家に仕立て上げた権力亡者たちは、側近であればなおのこと、天皇が自分たちと同じく糞を垂れ小便を漏らし屁をひる裸の猿の一員であることを、一番良く知っていました。

 だからこそ、不敬罪と称する手品(「法律は手品の一種である」マクリン)をでっち上げて、強権を発動し、このお粗末な虚構に疑問をさしはさむことを禁圧したのです。「ガス室」神話に関しても、被告・金子マーティンが「国際公序」などと強弁した言論弾圧の手品が使われています。この手品の存在そのものが、「ガス室」の嘘のなによりの証明なのです。

 これまでに多くの自称「新聞記者」を観察し続けてきた私の目には、これまた実にお粗末なこの虚構を見破る能力がないどころか、言を左右にして俗論に便乗する自称「新聞記者」こと被告・本多勝一らと、あの日本の醜い侵略戦争に荷担し、いや、むしろ率先して発行部数拡大の好機を求めて戦争を煽り、戦後には直ちに「アメリカ民主主義」の提灯を持って走り回った小利口で不潔な先輩たちの醜い姿が、二重写しの融合体となって透けて見えてくるのです。

その4:本多勝一の焦り-南京大虐殺に関する大嘘に進む