「ガス室」裁判 原告本人陳述書 その6

本多勝一との関係の再確認 ―
迂闊にも重大な政治的案件に関する意見を求めた

お断り:「二」から始まりますが、対応する「一」の有無あるいは「四」とすべきかは、第3回の内容が欠落しているため不明です。ご了承ください。

二、本件の名誉毀損・誹謗中傷に至る直接的な経過

 以下では、訴状に記した私と被告・本多勝一の関係を再確認し、かつ、その後の被告主張への反論を補強します。

1、私は、元日本テレビ放送網株式会社の従業員であり、現在は著述を主とする自営業者です。

 本件との関係に限定して、その著述等の標題のみを記すと、単行本には『湾岸報道に偽りあり』(汐文社、一九九二年[平4]刊)、『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版、一九九五年[平7]刊)、『読売新聞・歴史検証』(汐文社、一九九六年[平8]刊)、雑誌記事には、「映画『シンドラーのリスト』が訴えた?ホロコースト神話、への大疑惑」(『噂の真相』一九九四年[平6]九月号)、「?見直し論、者からの反論/『マルコポーロ』廃刊報道への大疑問」(『創』一九九五年[平7]五月号)、ヴィデオ作品には、『「ガス室」検証』があり、一九九七年[平9]一月一七日に創立した「歴史見直し研究会」の代表として、同会の機関誌『歴史見直ジャーナル』の準備号1(一九九六年[平8]一〇月二五日発行)、同創刊号(一九九七年[平9]一月二五日発行)から同22号(一九九八年[平10]一〇月二五日発行)に至るまで毎月発行の会報を執筆・編集・発行しています。本年一〇月一五日には拙訳・解説、ロジェ・ガロディ著『偽イスラエル政治神話』(甲第67号証)を発表しました。

2、被告・本多勝一は、元朝日新聞社株式会社の従業員であり、現在は、一九九七年[平9]三月末現在で公称発行部数四〇、〇〇〇部の週刊誌、『週刊金曜日』の発行を主たる目的とする会社、株式会社金曜日の代表です。本件に関する記事が掲載されていた期間には同週刊誌の編集長を兼任していました。

3、私は、のちに述べるように『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』(74)を執筆したこともあり、それ以前から広義の歴史、最近は文化人類学とも呼ばれる民俗学などの文献を可能な限り収集してきました。

 被告・本多勝一が執筆した通称「極限民族三部作」も購入して通読したことがありますが、特に参考になる点がなかったので、狭い住居ゆえに時折古本をまとめて売却する際、手放したままです。私が手放すのは特に所蔵しておく価値を認めない雑本の類いです。

 被告・本多勝一の「極限民族三部作」に関して、薄ぼんやりと残っている記憶は、「まるで学問的価値がない思想性欠如の雑文」です。その感想を、被告・本多勝一と個人的に知り合う以前に、某朝日新聞記者も交えたジャーナリスト会議(JCJ)所属の仲間との雑談の場で明言したこともありますので、必要があれば、本法廷における証言を求めることもできます。

 それゆえに返す返すも残念至極、我が身の軽率さを深く深く反省しなければならないのは、後述するような物理的事情の下でとはいえ、迂闊にも、そのように「思想性欠如」、つまりは社会人としての信頼性が低いことが明らかだった被告・本多勝一に、本件「ガス室」を焦点とする「ホロコースト見直し論」のごとき重大な政治的案件に関する意見を求めてしまったことなのです。

三、本件の基本的原因と審理の不可欠要件

1、極右「政治的シオニズム」支配によるイスラエル国家の存在

 本件の名誉毀損は、いわゆる「ホロコースト見直し論」の評価をめぐって発生したものです。それ故に、理の当然として、「ホロコースト見直し論」の理解が、本件審理の不可欠要件となります。

「ホロコースト見直し論」の基調は、現在、世界で最後の法的な人種差別国家となったイスラエルの支配権を握る極右集団の思想的根幹をなす「政治的シオニズム」に対しての、根本的な批判です。

 一九九七年[平9]四月現在、訴状提出時点の状況を見ると、同年三月七日には、イスラエルのネタニヤフ政権が承認した東エルサレム(一九四七年の連合国[国連の正しい訳語]における分割決議ではアラブ人地区)へのユダヤ人の入植地建設を国際法違反として非難する決議案が、連合国の安全保障理事会においてアメリカ一国の拒否権で否決され、直後の同年同月一三日には、拒否権規定のない連合国総会で圧倒的多数の賛成により採決されました。反対票を投じたのはアメリカとイスラエルの二か国だけでした。この二か国の国際的な孤立状態は、かつての満州国に関わる日本の孤立状態と対比し得るものですが、一九四九年[昭24]八月一二日に採択されたジュネーヴ憲章の四九条にも、つぎのように明記されているのです。

「占領国は、その占領地区に、自国の民間人口の一部の移住を行ってはならない」(甲第67号証、二五六頁9行)

 このような明確な規定があり、連合国総会で圧倒的多数による非難決議が採択されているにもかかわらず、なぜ、その後、イスラエルのネタニヤフ政権は、流血を覚悟で東エルサレムへの入植地建設を強行しているのでしょうか。

 この答えも、今や、誰の目にも明白です。すでに一九九五年[平7]一一月四日、同様の状況の下で、入植地建設を凍結したラビン首相は、狂信的なユダヤ教徒の右派集団に属するイスラエル人の青年によって暗殺されました。この暗殺事件当時には野党、リクードの党首の立場だったネタニヤフは、「イスラエルは別の国になってしまった」(『ニュウズウィーク』日本語版95・11・15、14頁)と嘆いていました。そのネタニヤフが今、自らの暗殺の危険を目の前にして、流血の入植地建設を強行し続けるか否かの、二者択一を迫られる瀬戸際に追い込まれているです。

2、私と「ホロコースト見直し論」との関わり方

 私は、すでに『湾岸報道に偽りあり』(甲第1号証)を執筆した際に、このようなイスラエルの政治状況に注目し、「補章/ストップ・ザ・『極右』イスラエル」を設けて、その概略を記しました。

 それをさらに要約すれば、現在のイスラエルの政治状況は、戦前の日本で「五・一五」及び「二・二六」などの事件が連続的に発生した時期に対比できるほどの狂信的かつ危機的な状況にあるのです。そして、戦前の日本における「現人神」に対比し得る狂信的な信仰の対象が、イスラエルでは「ホロコースト」神話であり、その奥殿に祭り上げられているオドロオドロの現代「神器」が「ガス室」なのです。「ホロコースト」または「六〇〇万人のユダヤ人」の「ジェノサイド」[「民族絶滅」の幻想を催眠術的に散布するために、シオニストでローズヴェルト大統領の補佐官だったポーランド生れのユダヤ人法律家、レムキンが造語]の神話は、パレスチナ分割決議の最も強力な推進力でしたが、それを現場検証も反対尋問もなしに認定したニュルンベルグ裁判は、イスラエル建国を願う政治的シオニストが企画した政治劇であったことが、証拠上明らかです(甲第67号証、一四五頁16行~一四六頁1行)。

 ニュルンベルグ裁判所の判決の矛盾は、今や、ありとあらゆる局面から明白になりつつあります。「ホロコースト」に次ぐ大量虐殺としニュルンベルグ裁判所が判定した事件は、カチンの森における数千名のポーランド将校の虐殺ですが、ニュルンベルグ裁判では、これを、ソ連政府の報告そのままに、ナチス・ドイツの犯行として認定していました。当時からすでに国際的な疑問が噴出していた判決(甲第67号証、一四六頁13~17行「訳注」参照)なのですが、一九九〇年[平2]四月一三日[日本の大手紙報道は翌日の一四日朝刊]には、全世界の新聞・放送が、この虐殺をソ連当局の犯行として認めるソ連政府の調査報告を報じました。

 私は、南アフリカ共和国の苛酷な人種差別[アパルトヘイト]が国際的な焦点となっていた時期にも、『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』(鷹書房、一九七四年[昭49]刊)を発表し、古代エジプト文明の創設者が黒人[ネグロイド]であったことを立証することによって、人種差別神話の不当性を明らかにしました。

 私の説は、その後、拙著を執筆した当時には未知の技術であったDNA検査の結果なども加わり、専門家の間ではすでに定説となっています。戦前の日本の中国大陸侵略に際しても、人種差別の神話が多数紡ぎ出されましたが、およそ、近代における違法不当な他民族への侵略と抑圧に際しては、科学的事実と一致しない神話が利用されることが、歴史上の法則と断定しても差支えない状況にあります。私が「ホロコースト」神話の虚偽を追及するのは、その虚偽を暴くことによって、ネタニヤフですらが「別の国になってしまった」[前出]と嘆いたようなイスラエルの極右支配を国際世論から孤立させ、その暴走を阻止し、イスラエル人または世界のユダヤ人をも破局への転落から救い出し、世界平和の早期実現に寄与せんがためなのです。

3、ニュルンベルグ裁判所は「法律の皮を被った化け物」だった

 以下、ニュルンベルグ裁判が抱えていた当初からの問題点を示唆するために、私がフランス語から訳出して解説を加えたロジェ・ガロディ(一九一三年生れの哲学者)著、訳題『偽イスラエル政治神話』(甲第67号証)の「ニュルンベルグの正義の神話」の項から、以下、ごく一部を引用します。

 ガロディは、ニュルンベルグ裁判所を「法律の皮を被った化け物」であるとし、その基本的な問題点を、つぎのように鋭く指摘しています。

「ニュルンベルグ裁判所の訴訟手続きの順序や方法は、勝利者のみで構成する検事の選択の場合と同様の原則、またはむしろ無原則の上に成り立っていた。

 裁判所の規則は、つぎのように定義されていた。

●19条…当裁判所は、証拠管理に関しての技術的な規則に拘束されない。可能なかぎり迅速かつ形式的でない訴訟手続きを採用して、それを適用し、いかなる手段でも決定的な価値があると判断すれば認める。

●21条…当裁判所は、周知の事実に関しては証拠を要求せず、それらをすでに確認されたものとして扱う。同様に、同盟国政府の公式の記録や報告は、真正な証拠として認める」(甲第67号証、一四二頁15行~一四三頁9行)

 カチンの森のポーランド将校大量虐殺事件の誤審は、以上の規則による必然的な帰結でした。ガロディは、このような決定的な欠陥を最初から持つニュルンベルグ裁判では、つぎのような裁判審理に必須の条件が、まったく満たされていなかったと指摘しています。 

「1、提出された書証の真正さの証明および検証。

 2、その出所の条件を含む証言の価値の分析

 3、凶器の機能と効果に関する科学的鑑定」(甲第67号証、一四九頁8~10行)

 一九六三年一二月二〇日から一九六五年八月二〇日までの間に、フランクフルトで行なわれたアウシュヴィッツ裁判の「判決理由説明」には、つぎのように記されていました。

《本法廷には、普通の刑事裁判で、実際に起きた事件の忠実な想像、たとえば、殺人の瞬間に何が起きたかの想像を組み立てるために提出されるような情報の材料が、ほとんど欠けている。犠牲者の死体も、検死報告も、死因についての専門家の結論も、欠けている。犯罪者が残した凶器、その他の痕跡も、欠けている。証言の検証も、少数の例を除けば不可能であった》(甲第67号証、一七一頁9~12行)

 結果として判決は検証不十分な「証言」のみによって下されました。この点をガロディは、つぎのように鋭く批判しています。

「歴史家のセーニョボスは、ある事実の証明が、それを真実だと誓う証言の数によって判定されなければならないのであれば、中世の悪魔の存在は、他のどの歴史的人物の存在よりも確実になるであろうと強調している」(甲第67号証、一七二頁5~7行)

4、ニュルンベルグ裁判以後、東西冷戦継続中の状況

「ホロコースト」神話に対する疑問は、すでにニュルンベルグ裁判当時から出されていたものですが、近年の「ホロコースト見直し論」には、東西冷戦の終結にともなう新しい状況があります。

 そもそも、大量であろうと少量であろうと、殺人には「凶器」と「現場」が必須の条件ですが、「ホロコースト」実在説の中心をなす「ガス室」は、この「凶器」と「現場」の二者を兼ねています。しかし、すでに東西冷戦へと動いていた国際情勢の下で行われたニュルンベルグ裁判では、「ガス室」と称される場所の現場検証はまったく行われずに、ひたすら「迅速」な判決が追及されました。唯一、ニュルンベルグ裁判の法廷に提出されたのは、記録フィルムの上映によるドイツ南部のダッハウ収容所のシャワールームの水栓の表面的な映像のみでした。

 ところが、すでに一九六〇年[昭35]には、「ドイツにはガス室はなかった」という「事実上の定説」(甲第2号証、二二八頁6行以下参照)が成立していました。

 つまり、ニュルンベルグ裁判で採用された唯一の映像は、完全に虚偽の物的証拠だったのです。私の判断では、この「事実上の定説」を新聞発表(甲第67号証、一八一頁6~19行)したミュンヘン現代史研究所の所員(のち所長)、ブロシャットの真の意図は、それまでに多数提出されていた「ホロコースト」神話への疑問に屈しながらも、その一方で、「ポーランドにはあった」という逃げ口上を流布し、神話の一時的な延命を計ることにあったのです。当時の西側諸国の研究者は、ポーランドの「ガス室」を実地調査することができなかったからです。

5、東西冷戦構造崩壊後、急速に、科学的な法医学調査と鑑定が行われ、事情が一変

 この状況を一変させたのが、東西冷戦の終結であって、ポーランドの「ガス室」なるものの実態が研究者の目にふれるようになると、次々と疑問が提出されるようになりました。その最終的な到達点をなすのが「ガス室」の法医学的調査と鑑定です。

「ガス室」と称されてきた建物の構造、人員収容面積、密閉性、排気能力、ガス投入のための穴またはパイプの有無の調査、さらには壁面の素材と結合した「シアン化水素」(気体を「青酸ガス」とも呼ぶ)成分の残留テストによって、現在では、歴史学における考古学的な発掘調査と対比し得る科学的な研究が可能になっているのです。

 私が掌握しているだけでも、すでに八つの報告がありますが、その中には、クラクフのポーランド国立法医学研究所の調査と鑑定結果(以下、「クラクフ報告」)が含まれています。同研究所は、日本ならば警視庁が鑑定を依頼するような最高権威であり、アウシュヴィッツ博物館の依頼に基づいて実地調査を行い、同博物館に鑑定結果を伝達したものです。私は、クラクフの同研究所を訪問するなどして、それらの調査と鑑定の報告書を入手し、著書、『アウシュヴィッツの争点』の中で、法医学的調査と鑑定の意義を詳しく紹介しています(甲第2号証、二三九頁7行~二四六頁15行)。

「クラクフ報告」には、その立場上の問題点が多々ありますが、シオニスト・ロビー支配下の欧米でも発言禁止法体制がほころび、法医学的調査と鑑定を余儀なくされる状態に立ち至り、神話の維持が不可能になりつつある事実の象徴とも言えます。

 以上のような法医学的研究によって、ほぼ決定的に、従来流布されたきた神話は崩壊せざるを得ない状態にあります。これらの研究を無視する議論は、たとえて言えば、殺人事件の審理に当たって検察当局が、殺人に使用された凶器として自ら主張する物的証拠の提出及び専門的な鑑定と、殺人現場として自ら主張する場所の現場検証とを、いずれも拒否ないしは無視しながら有罪の判決を求めようとするような、横暴極まりない愚挙に他なりません。

 裁判所に対してはまさに「釈迦に説法」ですが、刑事用語では「ブツに聞け」です。最近献呈を受けた『特捜検察』(甲第74号証)には、ロッキード事件の吉永祐介主任検事が、先輩の河合信太郎初代特捜部長の「教えに忠実」(同11頁1行)とあります。河合の口癖は「人に聞くよりモノを見よ」「捜査に行き詰まったら証拠品を見よ」(同10頁14行)だったそうです。「ブツ」も「モノ」も「物的証拠」の意味です。その意味では、いわゆるホロコーストの捜査は、今初めて科学的捜査の土台を与えられたばかりのです。

 私が発表した前出の雑誌記事の「映画『シンドラーのリスト』が訴えた?ホロコースト神話、への大疑惑」(甲第4号証)、単行本の『アウシュヴィッツの争点』(甲第2号証)、ヴィデオ作品の『「ガス室」検証』(甲第6号証)は、ともに、以上のような「ホロコースト見直し論」の国際的な動向と到達点を、日本人の読者向けに要約し、紹介したものです。

 私は、発言そのものの禁止立法が存在する諸国の事情をも配慮せざるを得ないと考えているので、「ガス室」神話に関する早急な全面的「否定」を主張するのではなく、まずは、この問題に関する国際的な言論の自由の確立を求め、裁判の制度でいえば「再審請求」を提唱し、共同の調査研究を呼び掛ける立場を表明しています。

6、本件に関わる矛盾の拡大と国際的な言論弾圧立法強化の状況への批判

 私は、前記雑誌記事及び著書において、ドイツを中心とする本件に関わる言論弾圧の状況を略述しました。前述のような矛盾の拡大に対しての逆行現象として、法的な言論弾圧と、真相を抑圧する世論操作とが、近年、かえって強化されているのです。

 前述のロジェ・ガロディ著、訳題『偽イスラエル政治神話』(甲第67号証)には、フランス及びアメリカの言論弾圧ないしは抑圧の状況が詳しく紹介されています。いずれも背後には、イスラエル国家の現状を擁護する国際的なシオニスト・ロビーの精力的な活動が潜んでいます。

 諸外国の法的な実情についても、すでに『法学セミナー』(97・10)所収論文「『アウシュヴィッツの嘘』に対する各国の刑事立法について」(甲第26号証)を提出しました。

 私の考えでは、これらの諸外国における法的な言論弾圧ないしは実質的な言論抑圧の状況は、戦前の日本における朝憲紊乱罪、不敬罪、治安維持法などを組み合わせたような法的ないしは政治的な圧制の下に、「満蒙開拓」と称する中国大陸侵略の先兵としての右翼暴力集団が公然と活動していたような状況を想定することによって、初めて実感し得るものです。

 本件で中心的な問題として取り上げた『週刊金曜日』連載記事には、私がいかにも「死者を冒涜」しているかのような誹謗・中傷・名誉毀損の字句が氾濫しているのですが、私の考えでは、これはまったく逆です。それらの記事の筆者や、その背後の「政治的シオニスト」こそが、戦後のアメリカ軍の検死官によって、「ガス」を死因とする実例が一体もないことが報告されていたナチ収容所の死体の映像を、いかにも「ガス室」の犠牲者であるがごとくに偽り、つまりは半世紀以上にもわたって「死者」を政治的に利用することによって「冒涜」しつつ、しかも同時に、違法不当な人造国家「偽」イスラエルの極右狂信者によるアラブ人への卑劣な侵略、暴虐、日常的な殺人行為の頻発状況を擁護するという、最も悪質な世論操作を行い続けているのです。


その7:本多勝一及び『週刊金曜日』との関係-『週刊金曜日』創刊以前の寄稿依頼に進む