カール・マルクスとその亜流の暴力革命思想への徹底批判序説1.

(その8)「組合は左翼?」議論からアナルコ・サンディカリズムとプルードン『貧困の哲学』再評価へ

千年紀に寄す 「編集長日記風」木村愛二の生活と意見抜粋 2001.6.5

 別途、私が末端組合員の出版労連個人加盟組合、ネッツの電子手紙広場で、「組合は左翼?」を議題とする意見の交換が行われている。その一部は、別途、編集長自選の電子手紙集にも入れる予定である。

 そこで、私は、次のように書いた。


 私は、防衛大学校3期中退という経歴もあって、労組や共産党の運動をやりながらも、若い頃から、左翼だか右翼だか分からないと言われ続けてきました。

 私は、我思う、故に我あり、という意味をも含めて、天上天下唯我独尊を、自分を大事にすることを通じて他人を理解し大事にせよの意味と解釈し、右でも左でも上でも下でもなく、自分が世界の中心であると観念しています。この議論を避けて通ることは、21世紀の裸の猿にとって、逃避、堕落でしかないとも考えています。

 別途、民衆のメディア連絡会でも、私が仕掛けた「左翼」の議論があったので、以下の憎まれ愚痴を叩きました。御参考に供します。

 私は、もともと、左翼という薄っぺらな用語自体が好きではありません。日本で今、左翼と肩を聳やかす馬鹿どもも、ほとんどが金魚の糞族です。この用語の起源のフランス国民公会で、左の議席に座った連中の中には、現在の日本の半気違いの赤軍派の祖先のようなギロチンによる仲間殺しの虐殺魔、ジャコバンなどもいました。体制の腐敗云々をする前に、「己を知る」基本を踏まなければ、またぞろ同じ愚行を繰り返すぞと、私は、自称左翼の皆様に、あえて警告しているのです。

 そのためには、まず、組織官僚の退治をしなければならず、あらゆる組織に貫徹し続ける「村社会」的な金魚の糞族の「縫いぐるみ幼児性」を脱却するための先例を示すために、(ああ、少し格好良すぎますかな)、私の憎まれ愚痴によって、各種組織官僚の「張り子の虎」性を暴露、立証してみせようと、熟年暴走しているのです。悔しかったら、どこかで、やってみんしゃい。おそらくは、怖くて、できなかろうが。

 これに対して、「肩の力をぬきましょうよって言っても、無理だろうな」という感想が寄せられたので、再び、以下のように一言しました。

 今、私は、新しい自動翻訳玩具の勉強中なので、電子手紙の発信は減らそうとしているのですが、名前が出たので、返事をしないと「シカト」と勘違いされ兼ねないので、一言します。

 まるで力など入れていません。わが電網宝庫を御覧頂ければ、電子手紙などは、実に軽いジャブでしかないことが、お分かり頂けるはずです。

 労組と政党の関係は、私の一つの主題でして、特に、千代田区労協と争議団の経験から発し、日本の企業内組合の特殊な形態しか知らない皆様には、おそらく想像すらできない初期の組織を調べています。ただし、まだ、旧稿の一部しか入力していません。何せ、ワープロ以前の原稿ですから。

 その一部は、すでに一度、御案内したこともあるのですが、ネッツの皆様には、フランスの「労働取引所」が、特に参考になるでしょう。労働者協同組合などという「鎧兜を被ったような表現」(最近の労働者共同組合法制定運動の集会で出た言葉)よりも、ずっと面白いのです。以下に入っています。

➡ 第4章:革命の落とし子「ブールス」は生き残った

 これに、アナルコ・サンディカリズムの歴史を加え、「無政府主義」などという意図的な曲訳を廃し、サンディカ(組合)によるアナルコ(既成の権威の否定)を考え直すことが、今こそ重要であると、私は考えているのです。


 さて、ここからが本日はじめて記す日記部分となるが、「アナルコ・サンディカリズム」については、かねてからの深い興味と強い願望にもかかわらず、実のところ、いまだに、わが自慢の徹底調査を行っていない。とりあえず、初歩的な勉強を兼ねて、以下、1988年初版の平凡社『世界大百科事典』「プルードン」の項目を自力で打ち込み、引用する。

プルードン(Pierre Joseph Proudhon 1809-1865)

 フランスの社会思想家で、生産者の自由連合による社会革命と改良を説いた社会主義者。当時の多くの社会思想家と異なり貧しい職工の家庭に生まれる。

 彼はサン・シモンやヘーゲル、アダム・スミス、聖書などの本を製造する印刷工や校正係となって独学し、ヨーロッパ大陸を修行して回る熟練工として育つなかで、個性的に自立した生産者の機能的な分業が富の基礎であるにもかかわらず、その〈集合力〉が資本家によって不当に利用されていると考えるようになった。

 近代工業と成長期の資本主義の多面的な矛盾を指摘しながら、社会進歩への信頼を失わず、寡占的な産業封建制から国家統制的な産業帝制への動きに産業民主制を代替させようとした。

 その著《貧困の哲学 Systeme des contradiction economiques, ou philosophie de la misere》(1846)で、生産者の預託による共済的な人民銀行案や、租税改革案などを説き、労働者の精神的成熟と社会統御の能力の漸次的成長を促すことを要求したため、政治的能力を過度に強調する革命家たちに反対され、とくにマルクスの《哲学の貧困》によって攻撃を受けた。パリの熟練工の支持で1948年には国民議会議員となってルイ・ボナパルトの政策を批判し、投獄と亡命生活を送った。

 エンゲルスの《空想より科学へ》では〈批判的社会主義〉として扱われている。空想的社会主義者分類されることが多いが、プルードン自身は自分を〈科学的社会主義〉と呼んでおり、また職業生活以外の社会生活の多くの領域で自治 self-goverment と自主管理 self-management を勧め、国や政党、経営者による上からの制御に反対した彼の思想は、マルクスやレーニンの思想を掲げる国家群の悲喜劇を前に近年再評価されている。

 今日でも大陸の労働運動には反インテリ的なプルードン主義の傾向が強い。また〈アナーキズム〉の名付け親ともいわれる。

 以上。

 この本日の日記は、別途連載中の「カール・マルクス徹底批判序説」にも収めるが、同時に、当時の叩き上げ「印刷工」の経験を持つ思想家として、フランス革命以前のイギリス人、サミュエル・ジョンソン、イギリスからアメリカにわたり、独立革命の聖書となった『コモン・センス』の著者、その後、フランス革命期の国民公会議員、トマス・ペイン、アメリカ革命の「建国の父」の一人、ベンジャミン・フランクリン、19世紀の新聞記者、小説家、社会批評家、マーク・トウェインを挙げて置く。彼らは、すべて、平和主義者だった。

 トマス・ペインに関しては、すでに拙著『電波メディアの神話』に記し、ワープロ原稿があるので、その部分を、次回に引用する。

以上で(その08)終わり。(その09)に続く。


(その09)トマス・ペインの平和主義紹介
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