(その2)自由の王国の夢が独裁に転じ失敗しても「ユートピアの消滅」断言は許さず
千年紀に寄す 「編集長日記風」木村愛二の生活と意見抜粋 2001年1月21日
今回は、「マルクス批判(その2)」とする。元旦に記した分を(その1)とする。すでに(その1)で記したように、人並みに折からの画期を意識しての一念発起であるから、当然、そこらじゅうに溢れ返る人類史論を横目で見ながらの作業となざるを得ない。
現体制の分析、希望の社会制度、革命の方法
さらには、(その1)では基本的な発想のみを記したが、シリーズとするからには、とりあえずの草稿であるにしても、一応の梗概、または総論を想定した上で、各論に相当する問題点を論ずる方が好都合である。
そこで簡単な論点を列記すると、マルクス主義に基づくとされる革命運動では、成功したか否かは別として権力奪取に重きが置かれ、その他の点での具体性を欠いていた。革命を実行するには、現体制の問題点を全面的に分析すること、きたるべき希望の社会制度のあり方を考案すること、革命の方法を決定すること、などなどの具体的な準備が必要である。これらの具体的な準備が、実は、非常に不明確だったのである。
今回も、『憎まれ愚痴』の刺身の妻として、『日本経済新聞』「やさしい経済学」欄の新春企画、「『近代』再考…限界と可能性」の3.「ユートピアの消滅」を俎上に載せる。これを叩き台にして、本当に「ユートピアの消滅」か否かを考え、上記の各論の中では「きたるべき希望の社会制度のあり方」に相当する問題点を検討する。記事の執筆者の岩井克人の経歴紹介は、「東京大卒、マサチューセッツ工科大博士、専門は理論経済学」とあるが、現在の肩書きは「東京大学教授」しか記されていなかった。そこで一応、母校に確かめると、やはり、「経済学部教授」であった。
「ユートピアの消滅」で「資本主義の先に来るべき社会はない」か
現在、東京大学教授の定年延長の議論があるが、まだ実現していない。だから、岩井は当然、60歳以下である。念のために連載の第1回の筆者紹介で確かめると、1947年生まれだから、53または54歳である。4日前の1月17日で64歳になった私よりも、少なくとも10歳は若い。前回に素材としたイギリスの教授と同様、戦後の団塊の世代であると同時に、国際的なエリートでもある。しかし、教職以外の現場の職業経験はないようだ。この若手のエリート教授、岩井の答案も、前回の刺身の妻のイギリスの教授の場合と同様、実に軽い。私は、年上だからとか、現場を知っているからとかだけで威張るのは嫌いだが、一応、人生の先輩、および、労働現場と政治活動の経験者として、この答案を点検し、添削しつつ、それとの比較対照によって問題点を明確化していく。
岩井が、連載1.で「近代とは何か」を自問自答し、「ミレニアム」の歴史の中に「近代」を位置付けたこと自体は、その意気や壮なりと評価しよう。しかし、専門の「理論」経済学に色を添えようとする背伸びの結果であろうか、歴史と経済の相関関係を抜きにした論理の飛躍が目立つ。
3.「ユートピアの消滅」では、『ユートピア』(1516)の著者、トマス・モアの造語を、「ユートピアとは、『ユー(無)』と『トピア(場所)』と言う二つのギリシャ語が組み合わさった言葉」などと説明している。博覧強記は理論研究者の最低限の資格であるから、単なる衒学趣味とか、言葉の遊びでしかないどとは言うまい。しかし、そこから一足飛びに、ソ連などの崩壊を「ユートピアの消滅」と位置付け、「資本主義の先に来るべき社会はない」とまで短絡してしまうとなると、にわかに私の評価の姿勢は逆転する。そこまで短兵急に断言するのであれば、薄っぺらな博識のひけらかしで読者を煙に巻き、催眠術よろしく、自説を押し付けようとする言論詐欺、との謗りも覚悟すべきである。
ともかく、結果から見ると、クダクダ書いている割りには、論証の仕方は「短絡」以外の何物でもない。およそ理論的ではない。「社会主義」の「破綻」についても、その原因については一言もせず、「歴史においては、原因の解明よりも事実がすべてであるということは多い」などと逃げてしまう。これでは、「理論」経済学の研究者としての理論的解明の職責を放棄していると言わざるを得ない。
それとも、この程度の漫談型の講義の方が、学生の受けが良いのだとしたら、東京大学は、もう、偉そうな「研究機関」の看板は降ろし、研究目的の予算は返上し、財界御用の「太鼓持ちサラリーマン」養成所とでも改名すべきであろう。しかも、この種の語り口なら、ワイドショー・タレントの竹村健一が運び込む段ボール箱一杯の新聞切抜きとか、落語長屋の大家さんの『火焔太鼓』とかの方が、ずっと面白い。
それでいて、岩井は、長島選手による巨人軍の手放し礼讃のように「資本主義は永遠なり!」と絶唱するわけでもない。現実の資本主義社会の矛盾の数々を並べた揚げ句の果てに、連載の最後の6.「近代の遺産」では、「資本主義自体も閉ざされてしまったという事実しかない」とか、それによって、「世界市民という言葉が初めて現実的な響きを持ってきたのである」とか、結局は、自らの初夢を綴るのである。まさに黒魔術よろしく、最初に「消滅」させたはずの「ユートピア」を、再び、空中に延ばした白手袋の掌からクニャッと取り出して、自分勝手に描いているのだから、自己矛盾も甚だしい。禅坊主のコンニャク問答その退けである。
「人類」は懲りずに、社会改革、または革命を繰り返してきた
ひるがえって、いわゆる「ユートピア」概念とは何か。(無)と(場所)の組み合わせという意味でなら、サミュエル・バトラー(Samuel Butler, 1835-1902)の風刺小説、『エレホン』(Erewhon、1872)もあった。英語のNo where(どこにも無い場所)の綴りを逆にした造語だが、whは音素の扱いなのであろうか、ここだけは逆転していない。
岩井は、「ユートピア」という単語の説明だけで「ユートピア」概念を一般化し、「現実の世界に反する別の世界……あらゆる不幸から解放された世界というものを、人類は太古の昔から夢見ていた」とする。この一般化自体は結構であろう。しかし、その一方で、近代の「ユートピア」概念を「彼岸」ではなくて「此岸」の「極めて近代的な理想郷」なりと限定し、さらには短兵急に「社会主義」、それも、ソ連型だけに結びつけるとなると、これはもう、「さて、お立ち合い、ここに取り出だしましたるは……」の大道芸商売と、選ぶところがなくなる。しかも、岩井は、ソ連の「破綻」のみを根拠にして、「ユートピアの消滅」まで断言しているのである。
この飛躍振りの粗雑さもさることながら、私が前回も記したように、現実の世界における社会改革の闘争、または革命は、社会主義思想の発生以前にも、それこそ太古とは言わずとも古代から、何度も起きているのである。曰く、民主主義、共和主義、ピュリタン革命、一向一揆、百姓一揆、大塩平八郎の乱、明治維新、などなど、何度失敗しても、「人類」は懲りずに、社会改革、または革命を繰り返してきたのである。
人類、または人間は、「考える葦」である。幸か不幸か、自らは巧まずして、遺伝的に巨大化した頭脳を受け継いでしまったために、最早、手当たり次第に情報を入手しては考えることを、止めるわけにはいかなくなってしまった。止めると狂ってしまう。
だから、会社が全盛の社会の中で社畜として拘束され、事実上の奴隷でしかない「サラリーマン」などは、実質的に禁止の話題の革命を考えると危険なので、それを考えることを自らに禁ずるために、その代用として、無難な話題となる野球の経過などの情報を必死になって収集し、あれやこれやと「考える」のである。奴隷状態が嫌いな少数派の人間は、怠け者の場合は、落ち零れの無頼漢になる。懲りずに革命を考え続ける組織運動中毒患者の場合にも、やはり、その多くは、政治ゴロの無頼漢になる。
無頼漢も嫌いで、ひたすら考えるのが中心の真相追及中毒患者の場合には、実は、私などのことなのだが、飯の種にはならない言論の勝負を挑むことに熱中する。もっとも、これも実は、一種の権力意識の衝動の発露なのである。この種の人間に、「ユートピアの消滅」を断言し、主体的な意志に基づく革命、または社会改革を考えるなと命令するのは、人間を止めよ、つまり、死ねと言うに等しいのである。しかも、私自身に関して言えば、自分の人生の過半、それもその盛りにおける必死の諸活動について、その歴史的な意義を考えるな、などと言われるのであれば、これは只では済まないことになるのである。
ともあれ、考えるとしたら、まずは、これまでの革命の失敗の本質を追及しないわけにはいかない。「事実がすべてである」などと岩井が主張する「事実」は、単に一時的かつ表面的な現象でしかない。表面の現象の報道や論評だけならば、ジャーナリストなどとジャラジャラ気取る大手メディアの記者風情に任せて置けば良い。現象の背後に潜む本質を考えるのが理論家、または私こと、自称「嘘発見」名探偵の仕事、または終生の趣味である。
「自由の王国」の夢に憧れた自らの経験を振り返る
21世紀の社会主義革命の思想的な原動力となったマルクスは、「自由の王国」の夢を描いた。労働者階級こそが最後の革命的階級であり、生産技術の発達と、きたるべき労働者が主体となる革命によって、これまでの人類が耐え忍ばざるを得なかった「自然必然性」の克服が可能になると主張していた。
その夢が、なぜ破れ、なぜ独裁主義支配に転じたのか。その原因を解明することなしに、ホイホイと、「ユートピアの消滅」というような粗雑な設定に、気軽に飛び移るわけにはいかないのである。
最大の問題は、なぜマルクスの思想が、これだけの影響力を発揮し得たのかである。マルクスの主著は、今更言うまでもなく、『資本論』である。当然、『資本論』の評価を抜きにしたマルクスの思想の評価は有り得ない。むしろ、『資本論』の評価が中心とならざるを得ないと言うべきであろう。
私は、一応、『資本論』全3部を読み通した。第1部「資本の生産過程」に関しては、何度かの読者会の経験もある。その折、というのは1970年ごろからの数年間のことだが、第1部の本文についてのみ、日本語訳2種、ドイツ語原本、マルクス監修のフランス語訳、エンゲルス監修の英語訳、ロシア語訳を、見開きか1頁めくれば比較検討できる貼り込みのノートを作っていた。それを見て、コピーが欲しいという友人が沢山いた。そこで、経済効率も考え、軽印刷による『5ヵ国語資本論』を作成し、2万円の会費で300部を頒布した。会員の大部分は大学教員だったから、その時期に大学でマルクス経済学を齧っていた教員で、私を知らないのはモグリである。現在は54歳ぐらいの岩井は、当時、まだ大学生か留学生ぐらいだったであろう。
この『5ヵ国語資本論』は、全部で11分冊になった。現在も、残部僅少の見切品を1万円でインターネット販売している。我ながら狂気の沙汰に近い仕事だったが、一応は読みながら切抜いては貼り込み、約3,000頁の版下を作ったので、何度も読んだと言える。特に、第1部の全体の構成については、雑学的に詳しくなった。
それらの期間を通じて、私は、日本テレビの社員、または、解雇されながら職場復帰の闘争を続ける立場で、労働組合活動と日本共産党員としての政治活動を続けていた。
『資本論』体系は労働者「階級」には大受けの理論
以上のような自分自身の『資本論』体験を振り返ると、マルクスの経済学が、なぜ、20世紀の社会主義革命の原動力になったかが、良く分かる。簡単に言うと、いわゆる労働者「階級」には大受けの理論だったのである。なお、「階級」の問題は次回に考える。
岩井は、トマス・モアの『ユートピア』を引き合いに出しているが、モアの辛辣な批判の対象となったのは、16世紀のイギリス社会である。イギリスにおける資本主義の勃興期には、羊毛の織物生産が発展した。羊の飼育のための牧場の「囲い込み」によって土地を追われ、都市の貧民に転落した農民、転じて賃金労働者にとって、資本主義は、実に過酷な制度だった。その制度の過酷さは現在も基本的に続いている。場合によっては、さらに過酷になっている。だから、労働者、または賃金労働者、非雇用者の立場、または同時に、その立場からの社会改革の必要性を痛感しつつ労働組合活動をしていた私自身にとっても、この制度の過酷さを理論的に解明してくれる『資本論』の経済学は、まさに天啓の感があった。
あえて「天啓の感」と記した理由は、私としたことが、一種の宗教的な衝動をも覚える時期を経験したからである。簡略に言うと、資本主義の原理の解明で感心してしまったので、その他の点の厳密な検討をせずに、マルクスのすべての主張を認めてしまう衝動に駆られたのである。前回にも指摘した問題点だが、エンゲルス著『空想から科学への社会主義に発展』の影響も手伝って、マルクスの主張のすべてが、非常に「科学的」に思えてしまったのである。
以上で(その2)終わり。(その3)に続く。