カール・マルクスとその亜流の暴力革命思想への徹底批判序説1.

(その1)今年が21世紀の耶蘇教暦に妥協し画期的な発想転換を図るマルクス批判の序説

千年紀に寄す 「編集長日記風」木村愛二の生活と意見抜粋 2001年1月1日

 昨年末には目前の21世紀を意識する議論が盛んだった。私自身が、すでに、かなり前から、単なる21世紀論というよりも、もっと大規模で、千年紀をも超えた人類史論を構想中だったから、それらの最近の論議にも一応は目を通した。私自身の人類史論の構想の一端については、すでに別途、「元日本共産党『二重秘密党員』の遺言」シリーズ(その22)「鬼よ笑え、20世紀をソ連と「結社の自由」興亡史として理論化の構想」(2000.12.24.入力)にも記した。以下、その一部を引用する。

 [前略]その基本は、すでに6年以上も前の発表の拙著、『電波メディアの神話』の「はしがき」に記した「壮大な知的冒険への旅立ち」の続編となる。6年以上前に私は、「言論の自由の過去・現在・未来の全体をさぐる」ことを意図した。[中略]結社の自由の要求は本来、個人の自由を踏まえるものでもあったのだが、歴史的な事実は、それを裏切り、左翼権力による個人の言論の自由の抑圧が、20世紀の幾多の悲劇の原因をなした。「真理も極端に至れば誤りとなる」とも言うが、その「真理」そのものが、いわゆる教条であり、不十分だったのであろう。[後略]

 上記の「左翼権力」の典型でもあり中心をなしていたのはソ連であるが、いわゆる20世紀論のすべてには、必ず、ソ連の評価が含まれている。しかし、私を満足させるだけの重みのある立論は見当たらない。すべて軽すぎるのである。

「大きな思想」が失敗したら「小さくて現実的な思想」か?

 最後の最後の日付は当然、大晦日になるが、『日本経済新聞』(2000.12.31)の1面左肩の連載記事「21世紀を読む」最終回、6.の見出しは、「普遍主義の妄想/天然資源巡り紛争も」であった。論者のジョン・グレイの紹介は、ロンドン大政治経済学院教授、主著は『グローバリズムという妄想』となっていた。「米国型市場経済を普遍的とする考え方に真っ向から反論し、欧米で大きな反響を呼んだ」のだそうである。

「米国型市場経済」に疑問を呈するグレイは、しかし、米国と対立していた社会主義、または共産主義の政治経済の支持者ではない。「共産主義やナチズムといった20世紀の『大きな思想による悲惨な歴史』を振り返るまでもなく、私は『大きな思想』に懐疑的だ」とし、「小さくて現実的な思想」への「希望」を語っている。

 グレイは1948年生まれの52歳。日本では全共闘世代、または団塊の世代などと呼ばれる戦後の大量発生のベビーブーマー世代である。私よりも11歳若い。日本でも、この世代の論者は、似たような「軽い」発想をしている。この種の「軽い発想の転換」ならば、マスメディアも取り上げ易いから、これまた大量発生している。

 私は、「グローバリズム」や「普遍主義」を「妄想」呼ばわりすること自体には反対しない。しかし、それらは、あくまでも「イズム」であり「主義」に過ぎないのである。それらの主義主張、または思想の土台には、「グローバル」な地球規模の経済が横たわっているのであり、その土台は巨大化の一途を辿っているのである。その不可避な現実から目を逸らして、いきなり、目先の「現実的」手段を求めるのは、いわゆる実用主義であって、少なくとも、私の理論的な好みには合わない。

 事態はますます「グローバル」なのである。その現実に対して、これまでの既成の「イズム」や「主義」が間に合っていなかったことが、問題の焦点なのである。だから、目先の手段を考える前に、「グローバル」な現実の過去・現在・未来を、精密に調べ上げ、理論化し、それに対する過去の思想と実践の欠陥を、すべて点検し直す必要があるのである。

 理論的に考えるためには、過去の経験の分析が不可避である。私は、自由主義とも称する資本主義の欠陥については、すでに明らかだと考えるし、現在必要な過去の点検の中心的な課題は、いわゆる共産主義にあると考えている。その徹底的な分析、点検、反省こそが、21世紀の最初の仕事なのである。

世紀と千年紀を区切る楽譜の頂点の交響楽

 年度の区切りに何の意味があるかとの考え方もあろうが、区切らなければ共通の議論は成り立たない。人類史が世界全体に展開された以上、一緒に議論し、三人寄れば文殊の知恵を発揮し合うためには、共通の区切りが必要となる。共通化するためには、どこかで妥協せざるを得ないのである。もちろん、脳味噌は個人所有というのが私の強い主張でもあるから、当然、皆の意見を聞いた上で、最後の結論は、私個人の責任で発表する。

 これは元旦の憎まれ愚痴として、さらに念を押すと、私は、図らずも、ユーラシア大陸の東の海の中の辺境の野蛮人の子孫として生まれたのであるが、残念ながら、ユダヤ人のキリストを救いの御子として崇めつつも、ユダヤ人を差別し続けてきたヨーロッパの辺境の野蛮人の矛盾に満ちたキリスト暦を使うことなしには、人類の歴史を論ずることができない。このことからも、またもや、現在のユダヤ人問題の根底に澱む「ガス室の嘘」の行く末に想いを致さざるを得ない。因果な話である。

 もちろん、日本にも、未だに紀元2千有余年とかをわめき続ける連中がいるのは重々承知の上だが、その種の半気違いに付き合う気は毛頭ない。世界制覇競争では、ヨーロッパの野蛮人に先を越されてしまったのだから、今や、独自の暦に固執するのは、ごまめ(私は今年、日本式の正月料理を揃えなかったが)の歯ぎしりでしかない。時間旅行がSFの空想の世界以外では不可能な以上、負けを認める他に手段はないのである。本家の中国で廃止の骨董品、元号の強要などは、もっての他の論外の、みすぼらしい野蛮行為である。

 区切りといえば、私が未だに読めない楽譜も、実は、集団で演奏するための区切りとして発明されたのである。私も、若い頃には一応、楽譜を学ぶべきか否かと気に病んだこともあるが、受験の必修科目ではなかったり、映画『日曜は駄目よ』で楽譜が読めない弾き手の物語を見たり、ビートルズも楽譜は読めなかったと聞いて安心したりして、ついに死ぬまで読めずに通すことになりそうである。

 楽譜が区切りだということを教えてくれたのは、フジテレビ相手に争議を闘っていた当時の日フィル労組の委員長、松本伸二だった。カラオケ全盛の当時のことである。争議団の付き合いに歌は欠かせなかった。日フィルの連中は楽器の演奏が専門で、歌は下手だった。歌なら任せろの私が、これは音楽家の分業による片端の現象ではないか、などとからかって、『日曜は駄目よ』の話をしたら、いつもゆっくりとしゃべる松本が、ニッコリ笑って、おもむろに、その学識を披露してくれたのだった。

 誰かに指揮棒を振ってもらおうとは思わないが、今、インターネット空間が開けている。この空間を自由に飛び回り、21世紀の始まりを交響楽の楽譜の区切りとして、十分に満足できるような壮大な人類史の議論がしたいものである。

マルクスの『資本論』が「科学的」だから狂信者が大量発生した矛盾

 年頭に、わが構想の概略を述べると、これまた「大変に重い発想の転換」なのである。

 まず私は、マルクスの業績を区分し、関連する事項を区別し、いわゆる共産主義の歴史を、立体的に分析し、評価し直すべきだと考えている。その出発点が、マルクス自身と、その業績の分析と評価である。

 個人的な評価は後回しとするが、マルクスの業績として評価すべきなのは、『資本論』を中心とする経済学である。確かに、『資本論』によって、資本主義の理論的または科学的な分析が実現した。盟友エンゲルスは、この分析に確信を得て、『空想から科学への社会主義の発展』を著す。

 しかし、まずは、資本主義の分析が科学的であることへの「信頼」が、マルクスの仕事のすべてを科学的とする「妄想」に発展するとなると、これは「狂信」でしかなくなる。この狂信に取り付かれた人は実に多い。私自身も、一時はそうだった。

 しかも、『資本論』自体の中にも、「労働者」を、全面的に未来の担い手として、手放しで礼讃する誤りが含まれているのである。「労働者」も、資本家と同様の裸の猿なのであって、同じ遺伝子を持っている。条件さえ変われば、直ちに独裁者に成り上がり兼ねないのである。

 さらには、「科学的」であること自体が、人類社会の約束、規範に照らして、即、善なのかと言えば、そうではない場合が多いのである。自然科学の場合は、すでに周知の事実である。核兵器は非常に科学的な製品なのである。社会科学の理論の場合であっても、それが科学的で正しいと認められるから、多くの人々の賛同を得ることができて、狂信にまで発展し、一定の集団の理論的な武器となり得るのである。ところが、その集団なり、その集団の指導者が、権力を握ると独裁化するようであれば、科学的な社会学の理論でさえも、核兵器と同様の悪となり得るのである。

 その上に、その科学的な理論そのものの周辺に、誤った幻想が漂っている場合には、悪と化す程度が高まるのである。自然科学の製品と対比してみれば、不純物を含んでいたり、危険な副作用の可能性を秘めていたりもするのである。

 私は、すでに、わがホームページのどこかに記した記憶があるのだが、1998年1月にパリで、拙訳『偽イスラエル政治神話』の著者、ガロディの裁判取材の折に、書店で、「見直し論の父」ことポール・ラッシニエの著書、『第二次世界大戦の責任者たち』を発見して買い求めた。その序文を読んだだけで、実に重大なことに気付いた。ラッシニエは、戦前に共産党から社会党に移り、戦時中にはレジスタンス運動でナチに逮捕された経歴の持ち主なのだが、収容所の経験について「人間(ドイツ人)への怨恨の念を抱かずに戻ってきた」と断言し、暴力に反対し、「階級闘争の概念によってマルクスは社会主義に暴力を導入した」と記していたのである。これはまさに、ウヌッであった。私の長年の疑問が一挙に解けた感があったのである。

 マルクスの革命思想の対極には、ガンジーの非暴力抵抗の思想があった。私は、パリへ行くよりも4年前、1993年のカンプチアPKO出兵反対運動を経た後、1994.7.8.の日付けで、ガンジーの主義と同主旨の「熟年・非武装・無抵抗・平和行動隊」の提唱をしていたのであった。以下の頁である。

➡ 熟年・非武装・無抵抗・平和行動隊の提言

 本年は、この問題について、日記風以外にも連載記事の欄を設け、自問自答しつつ、さらに深めていく予定である。

以上で(その1)終わり。(その2)に続く。