「ガス室」裁判 判決全文 11
理由の第二
原告の主張に対する当裁判所の判断(一の6)
平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
1997.4.18.提訴 判決[1999年2月16日]
理由(続き)
第二 原告の主張に対する当裁判所の判断(続き)
一 本件記事に使用された字句自体が原告を誹謗・中傷し、その名誉を毀損するとの主張について(続き)
6 平成9年1月24日号・本件講座について
本誌同号において、原告が主張する「『「ガス室はなかった』と唱える日本人に捧げるレクイエム」、「歴史改竄主儀者」、「疑似学術的」、「お粗未」、「ナチス犯罪の否定・矮小化をその使命とする『修正主義学派』」、「いい加減さ」、「研究不足と偏向」、「非科学性」、「泥酔者」、「侮辱し冒涜する主張を繰り返す」、「主張に内包する犯罪性や人権無視」及び「ユダヤ人排斥主義者」の言辞が用いられていることは、前記のとおりである。
(一)本稿の執筆者である被告金子は、本稿の題名を、「『ガス室はなかった』と唱える日本人に捧げるレクイエム」とした理由について、前記のとおり、本誌平成9年2月28日号において、「かつて完全に論破された『主張』をいまだに繰り返している人々を批判するには『レクイエム』以外の用語が思い浮かばな(かった)」と釈明している。この釈明によれば、本稿の題名である「日本人に捧げるレクイエム」は、その表現上は、ガス室否定論を唱える原告個人を名指しにしているけれども、その意味するところは、「ガス室否定論」などの「ホロコースト見直し論」に対するレクイエムであると解することができる。そうとすると、本稿の題名は、原告個人を死者と扱うものではなく、原告を侮辱する性質のものではないというべきである。
(二)本稿において、被告金子は、「ナチス強制収容所における大量虐殺の否定、あるいはその犯行行為の矮小化」を唱える論者を「歴史改竄主義者」とか「ナチスの犯罪の否定・矮小化をその使命とする『修正主義学派』」などと呼んでいる。被告金子は、本件講座において自ら把握している多数の資料とそれについての解釈に基づいて、これまで一般の歴史認識とされてきた、「ガス室殺人」を含むナチスの大量殺戮の事実を論証しようとしているのであって、これが歴史的真実であると信ずる被告金子の立場からすれば、原告らの「ガス室見直し論」は「歴史の改竄」であり、その目的は「ナチスの犯罪の否定・矮小化」にあると考えるのは極めて自然であり、反対派に対してかかる言辞を投げかけたとしても、道義的にも、法的にも何ら問題とするに足りない。
(三)金子は、前記のとおり本稿で、彼がいうところの「歴史改竄主義者」の国際組織の中心的存在として、ロサンジェルスに在る「歴史修正研究所」(IHR)を挙げ、同研究所が発行している機関誌「歴史修正雑誌」を紹介した上、「世界近代史学会においてあたかもふたつの学派が公認されているかのような主張を、IHRはその疑似学術的な機関誌で操り返している。」と述べている。この文脈からすれぱ、「疑似学術的」という用語は、直接にはIHRが発行する機関誌に向けられた言辞であって、本書又は原告個人に向けられたものではない。原告のこの点に関する主張は失当というほかない。
(四)被告金子は、前記のとおり本稿で、本書について「お粗末な内容のもの」と酷評している。その理由として被告金子は、本書で原告が参考・紹介している文献類は、「歴史改竄主義者」として世界的に高名な人物やネオ・ナチとして公安警察のリストに載っているような人物が著した図書や雑誌論文ばかりであり、その結果、原告の主張もネオ・ナチのそれといささかも変わるところがないからだという。そうとすると、被告金子が本書を「お粗末」と評するのは、原告が依拠した資料が偏っており、客観性の担保がないとする趣旨と解される。ここでの問題とされているのは、歴史的資料の証拠価値に関するものであり、被告金子がその判断に基づいて、本書に引用された資料を評価して、これを「お粗末」と表現すること自体は反対論に対する批判の場合において許容される範囲のものというべきである。
(五)被告金子は、前記のとおり、「お粗末」と酷評した本書について検討を加える理由を3つ挙げるが、その第1に挙げるのが、「『ガス室否定』論者の主張に含まれている基本的な誤りを明らかにし、そのいい加減さ、研究不足と偏向、つまりその非科学性と政治性を読者に知っていただこうとするため」という理由である。被告金子は、本件講解を通じて、ここで述べたような「ガス室否定論」に対する批判を詳細に展開している。被告金子がいう「いい加減さ」や「研究不足と偏向」は、もとより同被告の立場からする評価であり、同被告も認めるように、「最終的なその評価はもちろん読者に委ねるしかない」問題である。被告金子がその点を留保していることを考慮すれば、同被告が反対説の誤りであることを読者に訴えかけるために右のような言辞を用いたとしても、何ら異とするに足りないというべきである。
また、被告金子は、右に掲げる第1の理由の中で、「ガス室否定」論者達が、こぞって「反ナチス」の立場などと主張して憚らないとし、これを「まやかし」であると読者に警告する。そして、このような「ガス室否定論者」の言を、「それは泥酔者が『自分はシラフ』だと主張するようなもの」だと述べている。原告は、この「泥酔者」という言葉が原告を誹謗・中傷するものと主張するけれども、被告金子の右の言辞は、頻繁に使われる例え話を引用したに過ぎず、原告を「泥酔者」としているものではないことが明らかであるから、原告の右主張は失当である。
(六)被告金子は、前記のとおり、右の第2の理虫として、歴史改竄主義者やネオ・ナチは、強制収容所で虐殺された犠牲者やその遺族、収容所生活を生き延びてきた人達などの心を深く傷つけ、侮辱し冒涜する主張を繰り返しており、その存在そのものを容認できないとし、彼らの主張に内包する犯罪性や人権無視などを明示し、それを通して儀牲者の尊厳を復権しようとすることを挙げる。
右の理由中にいう「侮辱し冒涜する主張を繰り返す」という言辞に関しては、原告の反対論者の立場からすれば、やむを得ない主張であることは、前に述べた。「その主張に内包する犯罪性や人権無視」という言辞についても、同様の判断が妥当するといってよい。問題は、「その主張に内包する犯罪性」という言辞で、その「犯罪」が具体的に何を指すかは必ずしも明らかではないが、前記のとおり、ニュールンベルグ裁判における被告人が人道に対する罪について有罪を言い渡されていることにかんがみれば、この裁判の認定に反する異説を唱えることは、人道に対する犯罪に加担するものという意味に解し得ないではないし、また、この関係では、ドイツ連邦共和国において、ナチス支配下の行為を、一定の方法・態様で容認し、否定し、あるいは軽微なものとした者を刑罰に処する法制が敷かれていることが想起される。そうとすれば、「その主張に内包する犯罪性」という言辞には相応の理由が存在するものとみるべきであり、これをもって名誉毀損などの不法行為を問擬するに足りないというべきである。
(七)被告金子は、前記のとおり、本稿において、同被告がいう「歴史改竄主義者」の主張に見られる特徴点として、強制収容所被拘禁者としてのユダヤ人のみしか眼中になく、そのユダヤ人の犠牲者数をなるべく小さく抑えようと躍起になっており、他方で、ユダヤ人以外の被拘禁者たちの存在をことごとく無視しているとした上で、「その理由のひとつは、これらの論者たちが『ガス室神話』は第2次大戦後に『ユダヤ人国際組織』によって『捏造』されたものだと思い込んでおり、ユダヤ人、そしてイスラエル国家を『目の仇』にするユダヤ人排斥主義者でもあるからだろう。」とする。
この文脈から明らかなように、被告金子は、「歴史改竄主義者」一般を目して「ユダヤ人排斥主義者」と称しているのであって、直接に原告が「ユダヤ人排斥主義者」と断じているのではない。もっとも、被告金子は、本件講座において専ら本書を検討の俎上に載せ、これに対する批判を展聞しているのであるから、右の論述は、当然に原告も「ユダヤ人排斥主義者」であるとの意味を含むものであることは容易に察することができる。そして、「ユダヤ人排斥主義」は人の思想や政治信条に係るものであり、これを公然と指摘されることが、具体的な状況如何によっては、その人に対する名誉毀損を構成する場合もありえよう。しかしながら、本件のように、ユダヤ人排斥政策の下にこれを追害したナチスが、強制収容所において「ガス室による殺戮を行ったか否か」が論争の主題とされ、それが、かかる政治的、歴史的ないし社会的な問題についての論争を主旨とする本誌に掲載されたという状況の下においては、原告を「ユダヤ人排斥主義者」と呼称したとしても、原告の社会的評価を低下させるものとはみなし難いといわなければならない。