イラクの政治的位置 アメリカ上院議事録

イラクの政治的位置 なぜイラクなのか? その政治力学の解明

その3:アメリカ上院議事録

「緊急展開軍」はすでに、イラクがクウェイトを侵攻する事態を予測した編制

(旧著『湾岸報道に偽りあり』1992年、汐文社より)

米帝国軍「中東安全保障計画」に石油確保の本音切々

[中略]
1980年の上院外交委員会聴聞会議事録『南西アジアにおける合衆国の安全保障上の関心と政策』(『U.S. SECURITY INTERESTS AND POLICIES IN SOUTH-WEST ASIA 』)

 内容は、定まり文句の「ソ連の軍事力の増大」ではじまり、「ペルシャ湾への合衆国(軍)の接近作業」(「U.S. APPROACHES TO THE PERCIAN GULF 」)という題名の軍事作戦地図でおわっている。だが、むしろ驚嘆すべきなのは、実に詳しい石油事情の分析と予測である。つまり、「安全保障」といい「軍事力」というものの本音が、まさに石油資源地帯確保にほかならないことを見事に自ら告白しているのだ。途中からは「追加報告」となり、文書提出の「CIA長官の陳述書」、「緊急展開軍」(中央軍の前身)、「ペルシャ湾からの石油輸入:供給を確保するための合衆国軍事力の使用」などが収録されている。「事件年表」の発端が、1973年10月17日から1974年3月18日までの「アラブ石油禁輸」となっているのは、この報告の歴史的性格の象徴であろう。

 大手メジャー、エクソン作成の報告書「世界のエネルギー予測」もある。[中略]

「緊急展開軍」はすでに、イラクがクウェイトを侵攻する事態を予測した編制になっていた。聴聞会は、その事態に対抗する「必要条件」( REQUIREMENTS )の予算化を前提として開かれたのである。ではその際、なにが必要だと判断されていたのかというと、なかんずく……

「イラクは1961年にクウェイトへ越境しようと試みた。……ソ連は……イラクの2度目の計画を指導することがあり得る。想定される事態に最もよく目的を達成するためには、空軍の支援を受けた地上兵力が必要である。イラクの10個師団(4装甲師団、2機械師団、4歩兵師団)と2爆撃機、12戦闘攻撃機隊に支援された2000台近くの戦車隊は、米国の『ベストケース』の緊急戦力に十分対抗する戦力を持ちうる。イラクの総合戦力はどんな事態に対してもその第1日に展開できる一方、米国軍は空輸能力、海上輸送能力不足のため、少数ずつ逐次投入できるにすぎない」

 米軍の世界憲兵戦略で最大のネックは、この「少数ずつ逐次投入」がはらむ危険性である。ネックの基本的原因は、世界最大の物量を誇る大部隊を地球の反対側の国まで送り込むことにあるわけだから、克服は容易でない。[中略](日本の協力約束についても伏字だらけの記述あり)

 そこで1979年12月以降、ブラウン国防長官は緊急展開軍の増強計画予算の請求を開始した。翌年の予算決定にいたるまで、上下両院の軍事・外交・予算の各委員会における国防総省関係の証言と提出報告の記録は、優に千ページを超える。

 本書では大筋にとどめざるを得ないが、第1次計画は1985年、第2次計画は1990年に達成する方針だった。第1次計画達成段階で、緊急展開軍の基本戦力を1880年現在の所要時間「数週間」の3分の1でペルシャ湾に展開できる。第2次計画達成で、地上戦闘部隊の基本部分が動員発令後10日以内に展開できる。

 繰り返すが、この第2次計画達成の期限はまさに、イラクがクウェイトに侵攻した湾岸危機発生の年、1990年なのであった。ドイツや日本の駐留軍からの追加戦力も当初から予定されていた

「緊急展開軍」(略称・RDF)のフルネームは「緊急展開統合機動軍)(Rapid Diproyment JointTask Forces )であって、基本となる方面軍を中心に、必要に応じて世界中から応援部隊を集結させるというグローバル戦略に立っていた。実際の動員結果を比較すると、民間の輸送手段に頼る部分が多少遅れただけで、ほぼ10年前の基本計画通りに進行したようである。[後略]

(次の項目(その4:世界シオニスト機構機関誌)は1998年6月発行『偽イスラエル政治神話』よりの抜粋)


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