『亜空間通信』295号(2002/07/06) 阿修羅投稿を02.12再録

今こそ常識化すべき「武器として建設された日本のテレヴィ放送網」の基本認識

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『亜空間通信』295号(2002/07/06)
【今こそ常識化すべき「武器として建設された日本のテレヴィ放送網」の基本認識】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!

 私は、2ヶ月と10日前に発した『亜空間通信』243号(2002/04/27)【NHK部長が戦争犯罪荷担の「同時多発テロ」「ネイミング」自慢で新聞も追随か】で、NHKが、911当日に「同時多発テロ」という表現を「ネイミング」し、翌日の新聞は一斉に、その表現を「垂れ流し」たことを、指摘した。これは、典型的な「テレヴィの犯罪」である。

 911事件を私は、即座に、テロではなくてテロを装った戦争挑発の謀略の可能性大と疑い、徹底調査し、今では、そう断定している。あの謀略を仕組んだ勢力、または利用した勢力は、まず最初に、あの事件をテロと認めるか否かの「二分法」による「脅迫」を行ったのである。これに引っ掛かると、次には、「テロリストの味方をするのか否か」の「二分法」の脅迫が続く仕掛けだったのである。これを見抜けない組織や個人は、あまりにも多すぎた。しかも、それらの勢力や個人が、いわゆる「世論」に影響力を持っている場合には、ことは重大である。

 さらに私は、3日前に発した『亜空間通信』291号(2002/07/03)【「ジャーナリスト」の最良の部類も騙したテレヴィの犯罪はアメリカのVOA戦略】の中で、以下に抜粋する文章を記した。

[中略] 程度の差こそあれ、911事件を「テロ」とか「同時多発テロ」とか表現し、結果的には、「テロと認めるか否か」を迫るアメリカ極右の手に乗ってしまった「識者」たちが、あまりにも多すぎるのには、とても、とても、疲れてしまった。私の表現では「ジャーナリスト」の最良の部類と言える諸先輩も、いわば「枕を並べて討ち死に」の状況である。
[中略]

 彼らを「討った」得物は、他でもない。あの事件を伝えたテレヴィの画面である。

 テレヴィ業界出身の私としては、これを自らも関わってきた「テレヴィの犯罪」として告発せざるを得ない。

 日本のテレヴィ放送の草創期の裏話に関して、私は、徹底調査し、拙著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(汐文社、筆名・征矢野仁、1979、絶版)の中で詳しく記した。簡単に言うと、日本のテレヴィ放送の創設は、アメリカの上院で、「謀略放送」と批判され続けているVOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)の推進者、ムント議員が、「共産主義との戦い」の一環として、「B52爆撃機2台分の予算」で可能と演説したのが発端である。その部分を、私は後に、拙著『電波メディアの神話』に要約して収めた。こちらはワープロ時代の作業だったから、簡単に電網宝庫に取り込める。後日、別に発表する予定である。この項目の見出しは「『武器』として建設された日本のテレヴィ放送網」になっている。

 私には、その実感があるから、私の目と頭脳には、いわば「対ウィールス・ソフト」が入っているような状態である。特にアメリカ発情報は、すべて、このソフトのフィルターに掛けて、濾過してから吟味する習慣が身に付いている。しかし、それができない先輩が実に多い。以下の「大御所」とか「泰斗」の名が相応しい先輩も、一部だけ先に引くと、「11日夜、テレビ朝日の『ニユースステーシヨン』で事件の発生を知った。NHKの総合とBS、その後中継を始めた他の民放局を含め、テレビを見ながらさまざまの思いに駆られた」と記している。つまり、基本は活字メディアの出身なのだが、ほとんどの情報をテレヴィから得て、911事件を「テロ」と判断し、以下の文章を綴ったのである。

『朝日新聞』(2001.09.15)15面(「オピニオン」頁)
opinion@news project
opinion-page@ed.asahi.com
「メディア・テロの背景さらに究明を」
原寿雄(はら・としお)
ジャーナリスト、元共同通信編集主幹
[中略](先に引いた部分)

 テロは圧倒的な軍事力の差が生み出す戦争の一形態と言える。 [後略]

 以上で引用終わり。

 [中略] やはり、テレヴィ映像の強烈な影響のせいであろうか、「べトナム戦争の米軍北爆」を現地で取材していた先輩ですらが、その「北爆」に先立つ「東京湾」(とんきんわん)事件を思い出してもいないのだ。アメリカは、北ヴェトナムの水雷艇がアメリカの軍艦を攻撃したと「でっちあげ」、それを口実にして、「北爆」を開始したのだった。

私に言わせれば、「あの」アメリカが、謀略をやったと疑わない方が不思議なのである。どうして、それを忘れたのか。原さんとは面識もあるし、きちんとした議論ができる先輩だと判断しているから、早い機会に面談したいと願っている。[後略]

 以上で引用終わり。

 以下、前述の「項目」、「『武器』として建設された日本のテレヴィ放送網」を、抜粋に若干改訂して再録する。

「武器」として建設された日本のテレヴィ放送網

『電波メディアの神話』(緑風出版、木村愛二、1994.04.18.)
 p.122-126.からの抜粋に若干改訂。( )内は注記。

 正力(元読売新聞社長)は戦後の1945(昭20)年12月12日、A級戦犯として逮捕され、巣鴨プリズンに収容された。2年後に釈放されたが、以後も4年間は公職追放の身であった。公職追放が解除されるとすぐにテレヴィ放送構想を発表して動き、1952(昭27)年には初の民間テレヴィ放送免許の獲得に成功した。

 正力を中心とする日本テレビ放送網(株)の設立は、NHKと並立する唯一の民間テレヴィ放送の出発だった。その際、注目すべきことに、読売の正力が中心であるにもかかわらず、朝日・毎日・読売の3大新聞の出資比率は同じであった。このパターンは、ラディオの独占的発足(ラディオ発足に関する記述は前略)の繰り返しである。新聞社は、この日本テレビ放送網(株)の出発で、テレヴィ業界に足場を築いた。

 以後、複雑な経過を経て、逐次、それぞれの大手新聞系列によるテレヴィ・キー局と全国ネットワークの体制が確立される。当局と結託した大手新聞による放送支配は、さらに大規模に全国展開されたのである。

 さらに、正力のテレヴィ構想がアメリカの意向を受けたものであったことは、誰一人として否定し得ない事実である。巣鴨プリズンからの釈放と公職追放解除の裏には、かなり早くからの密約関係があったと考えられる。

 正力とアメリカをつなぐ使者の役割を果たした元日本陸軍特務少尉、柴田秀利は、私が日本テレビ放送網(株)に入社した当時には専務だった。柴田は正力の死後、日本テレビ放送網(株)の社史などの「正力伝説」に異議を唱え、正力が彼に「自分の追放解除まで頼み込んだ」(『戦後マスコミ回遊記』)などと記している。その日本テレビ放送網(株)の社史『大衆とともに25年』にも、アメリカの上院で1951年に、VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)の推進者として知られるムント議員が行った演説の中から、次のような主要部分が翻訳紹介されている。

「共産主義は飢餓と恐怖と無知の3大武器を持っている。共産主義から直接に脅威されているアジアと西欧諸国では、テレビジョンの広い領域がある。共産主義者に対する戦いにおいて、アメリカが持っているテレビが最大の武器である。われわれは、『VOA』と並んで『アメリカのビジョン』を海外に建設する必要がある。最初、試験的にやってみる最も適当な場所はドイツと日本である」

 ムント議員の計画は、本来、アメリカ国務省の仕事として、占領地である日本の全土にマイクロ・ウェーヴ網を建設し、テレヴィ網と軍事通信網を兼ねさせようとするものだった。

 正力は社名を日本テレビ放送網(株)とした。当局が独占集中排除の原則によりネットワーク経営を禁止したのに、なおも「網」に固執したのは、独自のマイクロ・ウェーヴ網によるネットワーク構想を抱いていたからである。

 正力は、1953年12月7日には、衆議院電気通信委員会に参考人として出席し、次のような発言をしている。

「太平洋戦争に負けた最大の原因は、いわゆる通信網の不完全からであります。(中略)この際、通信網を完備しなければならぬ。(中略)アメリカの国防省も、われわれの計画を見て、これならば日米安全保障の意味からでも、日本にこれがあった方がよかろうということで、これまた推薦してくれたわけであります」

 結果としてマイクロ・ウェーヴ網は、電電公社(現NTT)と防衛庁がそれぞれ建設することになった。また結果として、テレヴィのネットワークは実際に行われている。

 以上見てきたように、電波メディアはその出発点から、当局と新聞通信社を先兵とする日本またはアメリカの権力の意図に従って操作されてきた。

 [中略] 正力のような権力支配の権化のような旧内務省)高級官僚が、なぜラディオ、テレヴィに執念を燃やしたのか。そこにも、電波メディアの政治的「特性」がある。

 電波メディアと活字メディアの違いは色々あるが、権力との関係でもっとも特徴的なのは、権力者が「ジャーナリスト」の筆を介さずに直接、ほとんどすべての市民に語り掛けることを可能にしたことだろう。ヒトラーがラディオを重視したことはあまりにも有名だが、そのヒトラーのナチ政権を倒すに至ったアメリカのローズヴェルト大統領も、ラディオの「炉辺談話」の語り口に工夫を重ねたことで知られている。

 テレヴィ時代になると、さらにこの傾向は強まった。最近では、積極的に出演する政界実力者のテレヴィ番組での発言が、そのまま新聞の紙面に転載されるようになった。テレポリティックス時代の到来である。

 しかし、活字メディア関係者が「テレヴィ人間」を低級と決めつけて、斜に構えているだけの有様も、やはりお粗末である。特に新聞の場合には、自らが長年勤めてきた低級な権力迎合型速報性メディアの地位をテレヴィに奪われつつあるのだから、その恨みを悪口雑言に紛らせているようで、いささか見苦しい。

 問題はメディアの性格にもある。電波メディアの開発以前にも、新聞印刷に輪転機が導入された。速報性の大量伝達という機能はすでに、発表報道方式の、権力に利用されやすい性格をはらんでいたのである。電波では、その性格が局限にまで開発された。

 この現象を、権力とメディアとの力関係から考えてみよう。電波メディアの出現以前の権力者の発言は、丸ごと活字になることは少なかった。特に、新聞の紙面が限られている場合には、記者や整理デスクの頭脳を通過して要約される。その過程で多少なりとも担当者の主観的な判断、批判が加えられたのちに印刷された。ところが権力は、電波メディアを得たために、自分の主張を直接伝達することができるようになったわけだ。電波メディアには、そういう機能があるのだ。だから勢い権力は、活字メディアに対しても強い立場に立つことができる。[後略]

 以上で引用終わり。

 NHKに関して、私は、『NHK腐蝕研究』を発表している。ここでは簡略に指摘するにととどめるが、NHKは、日本テレビ放送網の創設と競い合って、テレヴィ放送を開始した。そのNHKが、911当日に「同時多発テロ」という表現を「ネイミング」し、民放も見習い、翌日の新聞は一斉に、その表現を「垂れ流し」たのである。

 以上。


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