2000.1.7
1992年の公開情報でコソボの運命は予測できた
(➡ユーゴ戦争:報道批判特集)
昨年、1999.10.30.土曜日の午後1時から5時、アメリカの民主的法律家団体、ナショナル・ローヤーズ・ギルド(National Lawyers Guild)の前議長ら5人の法律家を迎えて、東京都千代田区、四谷駅前のプラザエフ(旧主婦会館)で、「『21世紀!アメリカの世界戦略』を考える」と題する集会が開かれた。主催団体は「自由法曹団/日本民主法律家協会/日本国際法律家協会」であった。百人近い法律家と市民運動家が集まった。
この集会では、実は、題名の「21世紀!アメリカの世界戦略」については、何も語られなかった。しかし、その意気込みを買うことにし、今後に期待したい。私自身も、「21世紀!アメリカの世界戦略」に関する具体的な資料は持ち合わせてはおらず、次に紹介する『ロサンゼルス・タイムズ』の特集記事を張り込んだ『歴史見直しジャーナル』28号などの急遽作成資料を無料配布して、いささか発言し、自らの非力と同時に世界の反体制勢力の分裂と低迷、情報収集、集積の不足と分析の遅れを嘆き、今後の提携への希望を述べるにとどめざるを得なかった。
以下の文章は、すでに「ユーゴ特集」で発表し、わがホームページに入力済みのものに若干手を加えたものである。21世紀を考える以前に20世紀を振り返る必要があろう。
アルバニアがコソボ併合:米予測21世紀地図
1992年と言えば湾岸戦争の翌年、掲載紙は『ロサンゼルス・タイムズ』(Los angeles Times.1992.8.25)。ヨーロッパの地図の下部、バルカン半島はユーゴスラヴィア連邦共和国の「コソボ州」の真ん中からアルバニアの真ん中まで、マジックペンによるらしい乱暴な手書きの太い矢印が書き加えられている。その右に並んだ手書きの線がさらに真下へ伸びて、そこに四角の白い紙片が貼られている。手書風の細文字で3段。
Kosovo
becomes part
of Albania
(コソボはアルバニアの一部になる)
アメリカのワープロ文字には、日本人向け製品のとは違って様々な種類があるし、他の部分を見てもサイズが揃っているから、多分、ワープロ入力コピーの切り貼りだろう。
他にも、アジア・オセアニア、北米の地図がある。詳しい解説記事もある。4頁の長大特集記事である。この記事の存在と位置付けについて、私は、すでに6年前、月刊誌『噂の真相』に記し、その後、下記の単行本に収録、増補していた。
拙著『国際利権を狙うPKO』(緑風出版、1994.1.20.p.125-136)
第7章 「国土分割」を予測していたアメリカ国務省の地理学者
[中略]
緩衝地帯設置はCIA戦略「裏シナリオ」の読みの内か
[中略]
『週刊新潮』(92.12.24/31)「米国の『秘密文書』が証明したカンボジア『分断』構想」によると、すでに『ロサンゼルス・タイムズ』がアメリカ国務省作製の21世紀カンプチア分断予想地図をリーク報道していた。[中略]
総選挙後にもまた、「国土分断」の裏シナリオが急浮上
[中略]
「国土分断」の動きは、総選挙後にも現れた。[中略]
私は先に述べたように、「カンプチア分断」の可能性とアメリカの戦略を指摘した(噂の真相93.4)。もちろん、細部までの予測はできなかったが、「カンプチアPKOの力学を冷静に分析」した結果の判断であった。
その際の判断材料の一つに使った「アメリカ国務省作成の21世紀カンプチア分断地図」(同)に関しては、執筆直後に原資料の『ロサンゼルス・タイムズ』の実物コピーを知人から提供された。手掛りになった『週刊新潮』(92.12.24/31)には『ロサンゼルス・タイムズ』の日付が入っていなかったのだが、実物のコピーを見ると、なんと、『週刊新潮』報道より4ヵ月も前の昨年[1992]8月25日付けであった。日本の国会でPKO法が成立した6月15日から数えると、2ヵ月と10日後であり、カンプチア派遣の自衛隊本隊が出発した10月13日から数えると、1ヵ月と22日前になる。つまり、PKO法は通過したものの、日本各地で自衛隊の出発反対の運動が繰り広げられていた頃だ。あの暑い夏の最中に、太平洋の反対側のアメリカでは、カンプチアが東西に分断されるという予測地図が報道されていたのである。
しかもこの「The Outer Limits?」(外側の境界?)と題する記事は超々巨大で、4ページに及ぶ大特集であった。カンプチアだけではなく、世界中の民族紛争地帯が大規模な変貌を遂げるという想定である。たとえばブリテン諸島では、スコットランドが独立し、北アイルランドはアイルランドに合併されている。作成責任者のアメリカ国務省主任地理学者の詳しいコメントもある。「いささか過激」と自認してはいるが、それなりに材料を揃えて分析していたようだ。
『ロサンゼルス・タイムズ』は、アメリカ西部の言論界を代表する最古参紙であり、東部のニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストと互角に張り合う、政治的な最有力紙である。アメリカで最大の人口を誇るカリフォルニア州は、共和党の保守派王国であり、ニクソン、レーガン両大統領の選挙地盤だった。州都はサクラメントだが、ロサンゼルスは最大の都市であり、押しも押されぬアメリカ西部の経済的政治的中心地である。
『ロサンゼルス・タイムズ』の超々巨大記事の存在を、なぜ日本の大手紙は見逃したのか、または知りながら、わざと報道しなかったのかという重大な疑問もあるが、それはさておこう。ここでの基本的な問題点は、アメリカ国務省の主任地理学者らが、なぜか不吉な予測を一年前に出していたという事実だ。彼らの予測では、21世紀には「カンプチアはメコン川に沿って東カンプチアと西カンプチアに分割されている」(同地図説明)のだ。
さて、目の前の20世紀末の現実に立ち戻ると、カンプチア総選挙の結果を不満とするプノンペン政権の副首相チャクラポンらが、6月12日に東南部のスパイリエン州で、「カンボジア東部七州に自治区を設立」と宣言していた。この「東部7州」はピタリ、メコン川の東側部分に当たる。「東カンプチア」にほかならない。3日天下で終わったにしても、アメリカ国務省の分析通りの国土分断の力学が働いていたのである。[後略]
次に紹介するのも、上記の地図と同時期に表面化した「地域紛争」に関するアメリカ国防総省の「作戦計画」と「国防計画指針」に関する私自身の旧稿である。
『湾岸報道に偽りあり』(1992.5.28. 汐文社)
「はしがき」からの抜粋(p.1-2)。
湾岸戦争の余震は今も続いている。今春早々、ニューヨーク・タイムズは二度にわたり、アメリカ国防総省(通称ペンタゴン)作成の内部文書をスクープ報道した。二月十七日には「今後十年に七つの地域戦争を想定した作戦計画」、続いて三月八日には「アメリカの第一の戦略目標は、新たなライバルがふたたび台頭するのを阻止することである」という趣旨の「国防計画指針」である。これらの計画は、アメリカが世界中の「地域紛争」に国連を飛び越えて介入する方針を露骨に示したものとして、日本の大手メディアでも報道され、世界的な反響を呼んでいる。
[中略]アメリカの「世界憲兵」復活への道は、突然はじまったものではない。すでに十数年も前から着実に準備されてきた。公開文書による研究も暴露も可能であった。湾岸戦争も突然起きたものではなかった。私自身、やっとこの一年半の歳月をかけて確認したことだから、誰をも責める資格はない。歴史の歯車は、えてしてこんな「報道されざるブラックホール」の引力によって、強引に折り曲げられてきたのかもしれない。そう痛感しているだけだ。
問題は、虚実ないまぜの情報洪水をいかにしてさばき、どうやって一刻も早く真相を解明するかである。常に最大限の疑いを抱いて大手メディアの報道に接し、だまされず、しかし、適確に部分的事実を拾い上げ、さらに別途、それらの事実の背景に隠された核心的事実に迫ること。これが、この一年半に再確認した教訓である。
[中略]敵の情報機関は膨大な国家予算を持ち、何十万人もの人員を擁している。その巨大機構に較べれば、私のペンはまさに「蟷螂(カマキリ)の斧」かもしれない。現場で無数の人や機械が生の情報を拾い、それら様々な手段で収集された複数の情報を比較検討し、さらに他の分野の情報と総合し分析するという、最先端のスーパーコンピュータまで駆使する集団作業を思えば、しばし無力感に襲われる。しかし、私らが軍国少年時代に教え込まれた「みなもとの義経、ひよどり越え」の一節によれば、「敵も人なり、我も人なり」である。いかに巨大な機構を擁しようとも、最後の判断を下すのは個人の脳ミソである。私の作業を敵側と比較すれば、本国でデスクワーク中のCIA分析官のそれでもあろうか。一人ですべての機能を満たすことは不可能だから、おこがましくも、「総合分析」を目指すこととした。私は、分析作業の一部をいくつかの雑誌記事として発表しながら、本書を構想し準備してきた。そういう作業を一人で行なってみた結果の一応の区切りが、本書である。
[中略]国際的なメディアの発達状況も、問題を複雑化している。二重三重に張りめぐらされた謀略と報道操作を、段階的に解明し、「隠蔽」された深層を掘り起こした上で、確かな事実だけを組み立て直してみなければ、真相の骨格は見えてこないだろう。
冒頭に紹介した日米の法律家が中心の集会で、国際的な問題として報告され、議論が集中したのは、ユーゴ戦争の問題だった。ただし、歴史的経過についての材料は、ほとんど出てこなかった。だが、上記の資料紹介だけでも明白なように、すでに7年前の1992年の段階で、アメリカの国務省が「コソボはアルバニアの一部になる」との力学研究をしていたこと、アメリカの国防総省(通称ペンタゴン)が、その後の「十年に七つの地域戦争を想定した作戦計画」を立て、「アメリカの第一の戦略目標は、新たなライバルがふたたび台頭するのを阻止することである」という趣旨の「国防計画指針」を発表し、アメリカが世界中の「地域紛争」に国連を飛び越えて介入する方針を露骨に示していたことは、別に秘密でも何でもなかったのである。
当時すでに、スロベニアとクロアチアの独立宣言に始まる20世紀末のバルカン戦争は、上記の「七つの地域戦争」の一つとして、開始されていたのだった。昨年のユーゴ戦争で、アメリカが諸国家連合(「国連」の正しい訳語)を「飛び越えて介入」し、NATOの盟主として勝手放題に振る舞うであろうことは、予測可能だったのである。問題は、私自身をも含めて、継続的な観測、情報収集、集積、分析、発表の努力を続けてこなかった方にあると言わねばなるまい。「彼(敵)を知り、己を知る」(孫子)努力をしないで負けるのは当たり前のことなのである。
以上で(その1)終り。(その2)に続く。