電網木村書店 Web無料公開 2017.4.12
終章《マスコミ独占集中》
新聞の「専売」、電波免許の「独占」、マスコミの系列支配、
この巨大グループのおごりを撃つものはだれか
2 違法グループの盟主曽一言に“マル秘”指令
さて、前著でわたしは、「フジ・サンケイ・グループ会議議長」の肩書きを持つ鹿内信隆について、若干のコメントをした。違法なマスコミ独占集中については、このところ、あのサンケイ系が最右翼のペースメーカーだったのである。
ところが、小林は読売新聞の社長就任後、三ケ月を経ずして、鹿内の真似を始めた。一九八一年九月二八日に第一回の会合を持った「新聞・テレビ事業委員会」がそれであり、小林は、務台会長を差し置いて、その事業委員長に就任したのである。
「新聞・テレビの総力結集はかる」(『社報日本テレビ』’81・11・15)と題する社内報記事は、こう説明している。
《第一回新聞・テレビ事業委員会が、九月二八日午後一時半から東京読売新聞本社で開かれました。この会合には小林委員長をはじめ、東京読売、大阪読売、西部読売、日本テレビ、読売テレビ、報知新聞の六社から六五人が出席しました。
同委員会は、新聞とテレビの事業部門における協力、提携をより緊密にするとともに、新聞・テレビによる新しい事業を開拓するため、六社の事業部門と事業支援関係部門の責任者によって構成されています》
また、この事業委員会の会報として『S・T会報』が創刊されている。
《◆「ST会報」には、かなり具体的なマル秘事項が含まれています。当然のことではございますが、外部にもれないように取り扱いには、十分なご配慮をお願いします》
というのが、その編集後記の一節だが、それほどの企業秘密が盛られているわけではない。ただ、読売グループの内部向けだけに、本音に近い表現が多いのは確かだ。
まず小林委員長は、今後の全国征覇を宣言する。
《今後ニューメディア界は印刷も電波も境目がないような互いに混然とした“世界”が目の前に追っている。その時、まったく“世界”は変わってくるのであって、それを見通したいろいろな努力、準備が必要だろう。従って両者の関係は、今日的意味においても、将来的意味においても重要である。自分たち自身が存続、発展するためにも極めて重要である。
その上に、外部との競争的関係がある。われわれの仲間のほかに、新聞の系列もあれば、テレビの系列もあり、好むと好まざるとにかかわらず競争的関係を深めざるを得ない。現に深まりつつある。新しい地方のテレビやFMの設置運動が激しいが、そこには必ず新聞が介入している。新聞も中央紙も介入すれば地方紙も介入する。その関係がまことに複雑にこんがらかっている。そして、一種の電波の系列化が進んでいることは間違いない。
現に読売新聞は世界一の力を持っているが、さらに全国民に読まれる新聞社として発展していかなければならない。当然に従来の新聞社間との競争、さらに地方紙との競争が激しくなる。ところが、地方の新聞はすでにテレビ、ラジオと一体となっている。それが一体性を持ち、緊密であるだけに力は強い。そこの地域に私達が参入する場合は新規がほとんどで、北海道、九州の例を考えてみても、新規参入は困難な問題にぶつかる。これに対しては長期的な展望を考えながら、いろいろな対策、手段を研究していく必要がある。そのためにも今後、われわれは東京だけでなく大阪も北海道も九州も一体になってそれぞれの地域の実態に応じた対策を考えていくべきだ》
読売新聞からは、販売担当専務の丸山が、いわずもがなの、むくつけき本音をぶちかます。
《務台会長、小林社長のお話にもあったように本紙は故正力社主の創意工夫による事業の展開と、その紙面化によって苦境を乗り切り発展した。今や発行部数は世界一と称せられるまでになったが、しかし一時たりとも油断は許されない。競争はますます激化しており、トップの座を確保し、さらに飛躍していくためには、単なる販売力だけでなく①紙面の向上②強力な販売力③販売面に役立つ事業の三つが不可欠である。正力さんは本紙のイメージアップと販売の援護射撃を考えて斬新な事業を次々に起こされた。今後もどうか同じ読売グループとして販売に結びつく事業を積極的に実施していただきたい》
それというのも、務合が、いささかオーバーに懐旧するように、大阪での強力な実例があったからだ。
《大阪にテレビを作る時にも非常に激しい競争がありました。この時は、朝日と毎日がいっしょになって当時の「大阪テレビ」を作り、大阪財界も一丸となって後援した結果、大阪テレビに免許がおり、日本テレビも申請しましたが越境ということで却下されました。その後、大阪読売新聞社が出来ましたので、私が地元代表となり、「読売テレビ」を作り、オール関西各県の政治、経済、文化関係の役員をはじめ、県会議員から市町村会議員に至るまで、その他あらゆる国体の要職者、三万数千人の賛成を得て申請しましたが、これに対する朝・毎両社の妨害というか、迫害というか、それは言語に絶するものがありました。
結局、“先願”ということでサンケイ新聞を中心とした関西テレビに免許がおり、読売テレビの免許は数ヶ月遅れましたが、電波は関西テレビより読売テレビの方が早く出したんです。そして読売テレビが出来たことで、大阪本社はもちろんですが、販売店も配達従業員も、テレビを自分のものとして活用し奮い立った。電波の力は大きい。テレビと新聞が一体となって頑張った結果、大阪読売は予想より早く、七年目で黒字となり、部数も今日では、朝日、毎日を抜いて西日本でもトップの地位を確保するに至りました。そんなわけで、大阪の読売とYTVは、会社創立以来、毎月事業部関係の当事者だけでなく、両社の最高幹部も出席して、テレビと新聞の一体化について意見の交換を行い、事業についても新聞とテレビが緊密に協力し合って参りました》
しかし、この巨大マスコミグループが、全国征覇を競うのに付合わされる「受け手」側は、いいかげんウンザリなのである。“天下の公器”にしては、お粗末な話も多いからだ。個別報告には、こんなのもある。
《湯浅一般事業部長(東京読売)
読売・日本テレビ東京マラソンは、本年二月に第一回を実施、NTVの協力でテレビ視聴率は二四%に達した。続いて三月にはフジ・サンケイグループのマラソンが実施された。しかし、この二つの東京マラソンを今後毎年実施していくことは、一流マラソン・ランナーの不足、マラソン競技の過密スケジュールなど問題点が多く、陸連はもとより警視庁からも、やはり東京では一つにしぼって欲しいとの強い要望が出た。結論としては、来年からフジ・サンケイと隔年実施することになり、偶数年は読売・日本テレビ奇数年はフジ・サンケイと決まった》
はてはて、帝国ホテルは孔雀の間で就任披露の宴を張り、地球をつかむ荒鷲(ああ、堂々の……)の氷柱を飾ったという小林や務台は、いずれは世界中の文化や娯楽、スポーツの買い占めをも図るのだろうか。これを、マスコミ・レジャー産業などと名付けて、笑っていられるうちは、まだよい。だが、その同じパターンは、戦前にも展開されたものだったのである。だからいまも、「荒鷲」が登場したり、読売新聞販売店主の会合には、日本海海戦のZ旗が張り出されたりするのだ。