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『亜空間通信』743号(2004/03/07)
【目糞鼻糞「テロ根絶」に唱和する日共中央のりこえを称する革マル暴力主義も無知蒙昧の古色蒼然】
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転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
本日(2004/03/07)、日経朝刊の「総合・政治」面には、イラク云々はどこへやら、「民主、参院選へ仕切直し」「秘書給与問題幕引き狙う」などの見出しの記事あり。まあ、そんなことでしょう。
昨日(2004/03/06)、私は、きたる3月20日、日比谷公園の野外音楽堂を中心に展開される予定のイラク「派兵反対」運動に関して、以下の2つの投稿をした(抜粋で字句は一部訂正)。
1)
イラク問題など3.20.国際統一行動で、またしても日本共産党が分裂主義の正体を暴露!
http://www.asyura2.com/0403/war49/msg/104.html
投稿者 木村愛二 日時 2004 年 3 月 06 日 08:31:54
[中略]
河内謙策(弁護士)
安保破棄中央実行委員会系は芝公園
30数年間共産党系の平和運動に身をおき、まことに恥ずかしい思いです
2)
「3.20東京集会の分裂」でWPN(注)高田健の個人意見だが「はてな」
http://www.asyura2.com/0403/war49/msg/135.html
投稿者 木村愛二 日時 2004 年 3 月 06 日 22:34:11
[中略]
高田健
東京は分裂しない、分裂させない、かならず一歩、前進する
最初の投稿、表題は「イラク問題など3.20.国際統一行動で、またしても日本共産党が分裂主義の正体を暴露!」の方で、私は、以下の注釈を加えた。
もっとも、以下の転送情報の中の「ワールドピースナウ等」の方では、旧社会党系、原水禁系が事務局を動かしていたりするから、原水禁協の日本共産党系の平和売人が一緒にやろうとしないのは当然かも。
こりゃあ、戦前の労働戦線分裂以来の日本の宿痾じゃ。実は、世界的にも、労組結成の方が先だったのだが、政党が労組を草刈り場にして、腐らしたのじゃ。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yokos-06.html
ラダイトからボルサまで
~労働組合運動の地域的&産業的組織の国際的経験と原理を探る~
インターネット無料公開への序文
目次
はじめに
第1章:タテとヨコの組織関係の国際的相違
第2章:労働組合運動の発祥地……イギリスの場合
第3章:地方的ヨコ組織からの出発……アメリカの場合
第4章:革命の落とし子・ブールスは生き残った
第5章:商工会議所vs労働会議所……イタリアの場合
第6章:現代をリードするヨコ組織……CGILとカメラを典型に
第7章:意外史の分岐点……ロシア革命と社会主義国の労働組織
[中略]
第4章:革命の落とし子・ブールスは生き残った
[中略]
ブールスの組織化方針は、全く全労働者対象であり、特に失業救済の基本線があっただけに、もっとも[一般的]ジェネラルなものだったといえる。それゆえに、ブールスを、単に地方労働評議会や地区連合の一種として扱うことは、大変な誤りであろう。ブールスは、これまでにみてきたどの組織よりも、地区単位のワン・ビッグ・ユニオンとしての性格が強いのである。しかも、職業ないし産業的なタテの組織とは、完全に無縁のまま、独自のナショナル・センターをつくりあげるという、世界でも類例のない発展の道をたどったのである。
2.CGTとの合同
フランスの場合、最初の全国的結集は、1886年に創立された全国労働組合連盟である。しかし、この連盟は、マルクス主義的社会主義者とされるジュール・ゲートによる社会党優先の支配下におかれたため、労働者の反発を買い、1894年には崩壊した。
[後略]
歴史は繰り返す。悲劇として、喜劇として。裸の猿の自己中心遺伝子の命ずるままに、愚行は続く。
日本共産党または日本共産党系の「独自集会」の伝統は、わが1960年安保闘争以来の経験でも、何度もあり、上記の論文、「ラダイトからボルサまで~労働組合運動の地域的&産業的組織の国際的経験と原理を探る~」は、1960年代後半のわが千代田区労働組合協議会常任幹事・事務局長の経験に発する痛恨の極みの研究の成果のごく一部なのである。
さる2月13日には、明治公園で日本共産党系のイラク云々集会があった。私は、拙著の宣伝ビラを撒きに行った。旧知の日本共産党員で特に狂信的なのが、いかにも自分の縄張りに勝手に入り込んだかのように文句を付けにきて、ビラ撒きの妨害になるから、「どけ!」と怒鳴りつけてやった。
公園の中では、様々な集団がビラを撒いていたのだから、私だけに文句を付けにくるのは、まるでヤクザ同然の仕業である。彼は、私が日本共産党批判を強めているのを知っているから、執拗に邪魔をするのである。
デモに出発する際、すでに薄暗い会場の外でビラを撒いていた元気の良い若者から、受け取った紙片を後に見ると、「革マル派」のビラだった。
面白いのは、この「日本革命的共産主義者同盟・革命的マルクス主義派」などと古色蒼然、時代遅れも甚だしい名称を明記したビラには、「テロ根絶」に唱和する日共中央をのりこえ、たたかうムスリム人民と連帯してたたかおう!などとあったことである。
私は、2002年10月25日に発行した編著
で、911事件に関するメディア報道、いわゆる「論壇」の状況の状況を徹底批判し、以下のように、政党などの反応にも触れた。私の表現の方が厳しい。以上のような「論壇」の状況であってみれば、体制派はもとよりのこと、大方の政党から「反体制派」までが、9・11を「テロ」と思い込み、茫然自失の「テロ糾弾」合唱を始め、その状況が市民運動の末端にまで浸透したのは、無理からぬことであった。
私は、この状況をさらに、「またか」症候群と名づける。
なぜ、私が「またか」と言うのか。その理由を簡略に述べると、基本的に同じ状況が、湾岸戦争でも、カンプチアPKO出兵でも、ユーゴ戦争でも、すでに起きていたからである。この十数年というもの、旧ソ連の崩壊後の状況を反映し、「反体制派」は「貧すれば鈍する」状況の坂道を転げ落ち、その一方で、大手メディア報道の影響、または犯罪は、何度も繰り返され、さらに、そのあくどさを増してきたのである。
しかし、一応の影響力を持つ組織や個人が間違えると、その影響は、坂道を転げ落ちる勢いで増幅されるから、実に危険なのである。
いわゆる「反体制派」の中でも「老舗」の位置にある日本共産党は、ソ連崩壊後に何度も露呈した長年の習慣通り、何も調べもせずに、「テロリスト糾弾」に走った。同党は、湾岸戦争では「独裁者サダム・フセイン」、カンプチアPKOでは「ポル・ポト派」、ユーゴ戦争では「独裁者ミロソヴィッチ」に対する「糾弾」に余念がなかった。いずれの場合も、本音は明らかだった。ソ連が崩壊に向かい、ついには完全に崩壊した状況下の退勢をくい止めるために、右顧左眄し、目先の票確保のために「良い子」ぶったのである。今回も「全党を挙げて」「テロ糾弾」の先頭を切り、思い切りの暴走をしてしまった。
9・11事件直後から、同党は、NHKの命名による「同時多発テロ」を超々大見出しで使用し続けた。しかも、そればかりか、事件の犯人として「ビンラディン」の容疑が濃いとまで主張し続けたのである
私は、このように厳しく日本共産党を批判しているが、「日本革命的共産主義者同盟・革命的マルクス主義派」などと自称する古色蒼然、時代遅れも甚だしい暴力集団も、大嫌いである。これまた、コミンテルンの支部だった日本共産党の鬼っ子、ブント系なのである。
まさに、目糞鼻糞、有象無象が、烏合し、右顧左眄、主導権争いを繰り返す裸の猿の群の愚行の極みである。
さて、どうするか、「イラク派兵反対」の東京の訴訟も募集が始まった。私は、応募した。しかし、ここでもまた、これまでに何度も経験した主導権争い、個人の売り込み型の嫌らしい連中と付き合うのかと思いつつ、まあ、仕方ないか、と諦めながら、ともかく付き合うのである。ああ、疲れる。
以上。